無知の幸福
以前私が書いた無名日記と同じ世界線の話です。
「怜、伶、玲、麗、零、冷…
こんなにも「れい」という読み方をする漢字があるというのに祖母が私につけた名前は霊奈です。祖母が何故こんな漢字を私の名前に使ったのか今まではまるで見当がつかなかったけれど、今ならなんとなく理由を探し出すことができるような気がします。
その理由。まだはっきりとは断定できません。けれど世の人が言う幽霊、怪異、霊魂と私は異常に親和性が高いのです。それにはこの名前が関係しているのではと私は思っています。もしかしたら違うかもしれません。名前はたまたまの産物で本質的な原因は私の体質である可能性もあります。けれど昔から名前というものには何かしらの力が宿ると言われています。なので、祖母がこの漢字を私の名前に使ったのも気まぐれや偶然ではないのかもしれないと私は考えているのです。どう思いますか?
私が、なぜこんな主旨不明な文章を並びたてて君に話しかけているかについて、きっと君は見当もつかないでしょう。何故かって?まぁ、流石に学校の帰り道にいきなり知らない学校の知らない可愛い女の子に話しかけられる状況は普通ではないかもしれませんね。話題を変えてみましょう。
今日あなたは本当に学校に行ってきたのですか?…そんなわけがないですよね?今日は日曜日、しかもあなたの学校はとっくの昔に廃校になっていますよ?さらに付け加えるなら今年は2020年で、元号は令和です。あとは自分で考えてください。ではさようなら。」
私は、慌て始めた男の霊を後目に、祖父の葬式を終え静かになった祖父母の家のあるド田舎を後にした。
私は小さいころから霊感があった。何もないはずのところに“何かがいる”と感じてしまうのだ。大体の場合はあまり気にしなかった。"何か"がいても私にとってそれは日常の当たり前なことで、言うなれば“虫を見た”ぐらいの出来事なのだ。しかし最近、おかしなことに幽霊の姿かたちがはっきり見えるようになってしまった。そして幽霊と意思の疎通までできるようになっていたのだ。それもこれもおかしくなったのはあの中学校に入ってからだ。
鎮谷中学校。都会ではないが田舎でもないそんな中途半端な場所にある中学。一見どこにでもある平凡な中学校だ。しかし、鎮谷中学では他の学校では類を見ないほどの霊が住み着き、さまよっている。そして、私は普段そこに通っている。霊が多いからと言って別段危険なことはない。が、たまに魅入られている子が知らないうちに最初からいなかったことになっていることがある。そしてそれはだいたい学校の外で起きる。なぜなら幽霊同士でも一応人間を連れ去ってはいけないというルールがあるからだ。もちろん人間に手を出した幽霊はそのことがバレ次第、他の幽霊にボコられて強制的に成仏させられる。しかし、一度境界線を越えた人間は二度と戻ることは出来ないのだ。
私は偽善家ではないので魅入られた子がいても放っておくし、知らないふりをする。関われば自分が狙われてしまうかもしれないし、何より魅入られている子はすでに精神的負荷に耐え切ることができずおかしくなっていることが多いからだ。一度だけ薨という子に関わったときはまるで私が見えていないかのような反応をされた。彼女に憑いている霊は学校に縛られていたようで、学校外に出ていくことはなかった。だからきっと大丈夫だろうと思っていた。だが、ある日彼女は彼女が生きたすべての痕跡ごとこの世から消えたのだ。この出来事が起きてからから私はできるだけ魅入られた子や幽霊と関わることを避けた。
「亡者は全てを記憶する。しかし、死んでいることに自分で気づくことは出来ない。」
ある日、学校の廊下でたまたま耳にした怪談話。「ある日、この学校の女子生徒が実家へ帰る途中、何者かに刺し殺された。しかし、その女子生徒は自分が死んだことに気がつかず、今もこの学校へ通い続けている。もしかしたら、今日も彼女はこの学校にきて私たちの教室で授業を一緒に受けていたかもしれません。」