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館の試練

 おーい、と呼びかけてみたが、私の声が、うわん、うわん、と反響するだけだった。耳を澄ましても、返事はない。足裏を擦りつけるように慎重に、この地に伝わる神話を思い出しながら進む。冥界シバルバーの試練。暗闇、震え、ジャガー、蝙蝠、剣、炎熱など。それぞれが仕掛けられた館があるはずだ。

 緩やかに傾斜した通路。植物の匂いが薄くなって、砂の匂いが濃くなっていく。まっすぐ道を進んでいるにも関わらず、入口から届いていた光が急速に弱まり、突然、真っ暗闇になった。ここが暗闇の館と呼ばれる場所なのかもしれない。記憶によると、確かそれを乗り越える為には火を絶やしてはいけない。

 手探りで鞄を探り、細身の懐中電灯を取り出す。スイッチを入れた私は悲鳴を上げそうになった。足元から気配もなくさそりの群れがい上がってきていたのだ。けれど懐中電灯の丸い光の輪が当てられると、波が引いたように暗闇へと逃げ帰っていく。光を避ける負の走光性を持っているらしい。

 光こそがこの場では命だった。しかし私の手にしている光は小さすぎた。狭い輪の外側から、おびただしい数の蠍たちが機をうかがっている。もっと燃え盛る炎が必要だ。

 辺りに素早く視線を走らせる。壁には半円形のくぼみが一定の間隔で並んでおり、縄のようなものを持った座像が納められている。蠍たちは座像の裏側から湧き出しているようだ。像のかたわらに、試練に敗れた憐れな犠牲者が横たわっていた。肉が全てはぎ取られ、骨だけの体にかつては衣服だったボロ布が巻きついている。

 懐中電灯を口にくわえて、大腿骨を拾い上げた。ボロ布を取り上げて大腿骨の片方をぐるぐる巻きにする。それが終わると片手で鞄の中を探った。

 蠍が這い寄ってくる。咥えている懐中電灯の光が激しく揺れて、それに合わせて闇の中を移動する蠍は死のダンスを踊っているようだった。気がはやる。マッチが必要だ。指先に感覚を集中させていると、足の裏にまで蠍が忍び寄ってきた気配がした。硬いブーツの底で思いっきり踏んづけると、ぐしゃり、と嫌な音が耳の奥でこだまする。やっと手にしたマッチをこすると小さな火が灯った。箱を落としてしまったが構っている余裕はない。急いでマッチの火を先程作った松明に燃え移らせる。

 大きな炎が通路を照らした。不気味な波音を立てながら蠍の群れが引いていく。しかし、ほっとしたのも束の間。蠍は地面や壁だけでなく、天井までも覆いつくしていた。天井に集まっていた蠍が突如膨れ上がった炎に驚いたように、バラバラと降り注いでくる。頭を伏せてジャケットで振り払うが、その拍子に松明を落としてしまった。懐中電灯の光のおかげで辛うじて襲われずに済んでいるが、この場を乗り越えるには、一刻も早く松明を拾い上げなくてはならない。だが傾斜した通路の奥へと松明は転がり落ちていってしまい、床中を覆っている砂に擦れて急速にその炎の勢いががれていた。

 走り出そうとした私は後方への注意をおこたってしまった。光を前に向けたから、背後がとっぷりと闇に呑まれる。暗闇に蔓延はびこる蠍たち波が迫る音が耳元で聞こえた。

 その瞬間、海を切り裂くような烈風が吹き荒れた。

 刺す悪鬼アハルトコブの使いども。こいつらは木で作られた人のように魂がなく、神への感謝の念など持ったことはないだろう。だから平気で翡翠の命を奪おうとしている。俺は駆けた。駆け抜けた。彼女の背後に迫る蠍どもを蹴散らし、通路の奥に落ちている骨の杖チャミアバックの犠牲者で作られた松明を拾い上げようとした。しかしその灯火ともしびは今にも大地の中に消え去りそうになっており、それを止める手立てはなかった。

 熱い。しかし他に方法はなかった。彼女が目を見開き、そして、ぎゅと引き締めると、光芒を放つ筒を握って通路の奥へと走り出した。俺もその後に続く。尻尾の先に移した炎が燃え広がっている。死の棘を追い払うには好都合だが、尻が焼かれてしまいそうだ。

 前方を彼女、後方を俺が照らすことで闇を完全に打ち破ることができている。かつてこの冥界シバルバーはただ一度だけ攻略された。それを成し遂げた英雄も俺たちと同様にふたり組だった。猟師フンアフプー小さなジャガーイシュバランケー。彼の者たちもこうして協力することで、試練を乗り越えたのかもしれない。

 にわかに明るい場所に出た。もう蠍どもは追ってこない。冷たい風が吹き抜けて、危うく尻に到達しようとしていた焔がすっかり洗い流された。天井に空いた細かな穴は湾曲しながら地上に繋がっているらしい。仄かな明かりが漏れ、重なって、この地下世界を照らしている。

 翡翠が息を切らして、ぐったりと膝を折った。胸を押さえて、脈動する心臓を落ち着けている。そうだ。心臓は大事にしなければ。神への捧げものなのだから。

 彼女は中々立ち上がれないようだった。呼気が白く染まり、長い睫毛が霜をまとっている。俺はここが震えの館であることに気がついた。凍てつく寒気。天井の穴からは雪のようなものまで降ってきている。俺にとっては何てことないが、彼女の唇からは血の気が失せて、指先が青く染まっている。身を寄せてやると、しがみついてくる。

 俺はなかば意識が朦朧もうろうとしている彼女を引きずりながら、その心臓から熱が奪われつくす前に、この試練を乗り越えるべく足を速めた。

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