フンアフプーとイシュバランケー
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銀、なんていいんじゃないだろうか。私は彼にそう名付けることにした。旅の道連れとしては呼び名がないと不便だ。私の目的地である冥界と銀。ちょっと洒落てる。けれど父の駄洒落を思い出して苦い気持ちにもなった。やっぱり親子。センスが似ているのかも。
彼は私を先導して森の中を突き進んでいく。その背中は頼もしく、弱気になりがちな私の心を引っ張ってくれている。
純白のジャガーの子供。亡き母が買ってくれた、おっきなクマのぬいぐるみよりも少し大きい。太陽の光を受けると全身が銀色に輝いて見える。ジャガーには黒化個体がいるのは知っているが、まるで逆。アルビノというやつだろうか。ユキヒョウのようだが、それよりも白い。尻尾の長さや、純白に浮かぶ漆黒の斑模様の形からして、彼は間違いなくジャガー。
子供と言っても既に爪は立派。雨で湿った土に尖った爪跡が細く深く残されている。小さな耳がぴょこぴょこと可愛らしく動いているが、辺りを警戒しているのだろう。顎はがっちりしているし、太く短い尾が揺れる動きには力強さを感じる。
あまり油断し過ぎていると、隙をついて捕食されかねない。念の為、腰に提げた鞭をいつでも手に取れるように用心しておく。父の鞭だから私の手には大きいが、訓練したので扱えるはずだ。
父の衣装箪笥から拝借してきたフェドーラ帽を被り直して、レザージャケットの裾に止まった羽虫を払う。汗がじっとりと肌を覆い、首飾りが吸いついてくる。正確には首飾りではないらしいこれは、父がどこかの遺跡で見つけたらしい。最後に会った日に贈られた。ニシキヘビのような柄で、マフラーとロープの中間といった代物。魔除けの効果があると言われたが、あの父がそんな呪いめいたことを口にするなんてと、不思議に思ったものだ。
分厚い葉や、網のような枝をかき分けて獣道を進む。雨上がりのむせかえるような緑の匂いがジャングルに充満していて息苦しい。先を行く銀の足取りに迷いはない。その毛並みと斑模様のバランスの良さにはほれぼれする。私の顔にもほくろの斑模様があるが、熟したバナナみたいで銀のものとはまるで違う。しかも父がカシオペヤ座だなんて、ふざけて言ったりするものだから嫌でしかたがなかった。
雑念を振り払って前を向く。揺れる尻尾に視線をやると、ふと愉快な気持ちが湧きあがる。冥界へ向かう私たちは、まるで猟師と小さなジャガー。神話の一部になったかのような感覚に心が躍り始めた。
銀が目的地へと導いてくれるという予感が、妙にはっきりと私の中にあった。こんな風に勘に頼りがちだから、父にはよく叱られた。考古学は感情を排除した目で物事を見つめなければならない、というのが父の持論だった。ありのままを受けとめる。現代の感覚を過去に押し付けてはならない。冷静な瞳というのは勘を排除した理性によってのみ磨かれる。確かに父の言う通りだとは思う。父は立派な考古学者だった。けれどかつて既知であり、今は未知となってしまったものの発見は、感覚によってもたらされると私は考えている。理知が失われて未知となっているのだ。だから理論づくめでは到達できない場所があるに違いない。父には面と向かって言えないけれど。言う機会は失われた。水晶髑髏に導かれ、冥界へと向かったきり、父は帰ってこない。
父は死者を導き、地上へと連れ戻す力を秘めているという水晶髑髏を探していた。そしてそれが、この地の神話で語られる冥界にあると結論付けて、その実在を探っていた。調査の供をしていた者の言葉によると父はその入り口を発見した。陥没してできた洞窟に地下水が溜まったセノーテ。辿り着いたまではよかった。しかしその穴を覗き込んだ瞬間、化け物じみた巨大蝙蝠が現れて、父を連れ去った。命があるはずがない、あれは死の蝙蝠だ、と震える声が言う。供の心は恐怖で閉ざされ、位置を聞き出すこともままならなかった。
私自身の力で見つけるしかない。きっと生きている。簡単に死ぬような人じゃない。こんな風にもう会えなくなるなんて許さない。確かめるのは怖い。でも、何もせずにいるのはもっと怖い。
銀。お願い。私を導いて。