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ショートストーリーズ

ショートストーリー 異議あり!

作者: 遠部右喬

 中有。

 中有とは、あの世とこの世の境目にあり、生を終えた魂が最初に行き着く場所である。

 中有に居るのは死者だけではない。神や悪魔、仏や鬼達が、常に忙しそうに行き交っている。彼等にとって中有とは、いわばオフィス街だ。立地的に天国へも地獄へも現世へもアクセスしやすく、当然、そこには様々な施設が集中することになる。中有総合カウンターの他に、天国・地獄それぞれの区役所、弁護士事務所、あの世警備部、図書館やちょっとした娯楽施設等もある。それらの施設の中の一つには、当然、裁判所も含まれている。

 中有裁判所は、一年中、二十四時間開廷している。場所柄、昔も今も中有裁判所で一番多い裁判は、死者の行き先を決めるものだ。余談ではあるが、昨今の生活の多様化に因り、単純に天国・地獄行きを決めるのは、年々難しくなっている。また、下された判決を粛々と受け入れる死者ばかりではない。

 そして、この日行われている裁判の内の一件は、死者の行き先を決めるものではなかった。もっと正確に言えば、天国、若しくは地獄行きを決めるものでは無かった。裁判として受理されることが珍しく、判決が最も素早く出る案件だ。

 第五号法廷で被告人として着席している鶴元(つるもと)亀左衛門(かめさえもん)は、緊張した面持ちで裁判官の登場を待ちながら、己がここにいる理由に思いを馳せていた。


 亀左衛門は、先日まで子孫の守護霊をしていた。

 守護霊は誰でもなれるものではない。総合的な能力の高さが要求される、あの世のエリート職だ。亀左衛門も守護霊の資格を取るにあたり、先祖から推薦を貰ったり、訓練所の短期合宿に参加したりと、それなりに時間と経費をかけた。しかし、それらよりも評価されたのは彼の死因だった。

 夏のある日、江戸のとある町内で火が出た。偶々その場に居合わせた男が、消火を試みながら、大声で周囲に火事を知らせた。幸いその日は風も無く、前日の雨のお陰もあり、大火になることはなかった。呼びかけも迅速だった為、最終的に犠牲者は一人だけだった。最初に火に気付いた男が、煙の熱で肺をやられてしまったのだ。最後まで消火にあたり、女子供の避難誘導を続けた男は、実に満足気な顔で事切れた。事切れた男こと亀左衛門は、そうしてあの世に辿り着いたのだ。

 これらが考慮され、晴れて守護霊となった亀左衛の初仕事は、自分から四代後にあたる子孫の守護だった。彼女が産声を上げてから事故で亡くなるまで、亀左衛門は彼女の傍らで過ごした。結局、彼女は二十歳と言う若さで亡くなり、同時に、亀左衛門の初めての守護霊経験は二十年で終わりを告げた。

 諸々の手続きを済ませ、自宅に戻った亀左衛門は、久しぶりの部屋の掃除を終え、暫くのんびりするかと居間で大の字で床に転がった。開け放した窓から通り抜ける気持ちの良い風に微睡みかけた亀左衛門は、己の名が呼ばれていることに気付き飛び起きた。

 軽く身支度を整え玄関を開けると、郵便配達人が会釈し、一通の封書を差し出す。速達、重要と書かれた封筒の差し出しは中有裁判所となっていて、亀左衛門は首を傾げた。

 着物の袷に手を突っ込み、ぽりぽりと腹を掻きながら居間に戻った亀左衛門は、手続きに不備でもあったかと封を開き眼を瞠った。封筒から取り出した紙は、被告として己の名が記載された訴状だった。だが、更に驚いたのは原告として記載された名だ。山本山(やまもとやま)純真蜜(ピュアハニー)――つい先日まで守護対象者だった名が、大至急出頭せよの文字と共に記されていた。

 亀左衛門は大急ぎで中有行きの高速船に飛び乗り、訴状を改めて読み返した。純真蜜は二十歳で亡くなったことを不満に思い、自分の死因は守護霊の怠慢にある、と、亀左衛門を訴えたのだ。

 高速船は間も無く中有に到着し、亀左衛門は裁判所の受付に向かった。己の名を告げ訴状を提出すると、数枚の用紙を渡された。幾つかある記入欄を埋め、最後の「弁護士を 希望する/しない」の「希望する」を丸で囲み、受付に返す。貫頭衣にみずらを結った中年の男は、受け取った用紙を見て何やらパソコンに入力し、所内の地図を差し出した。亀左衛門が地図を見ると、二階にある部屋に丸が付いていたので、そこを目指す。

 指定された部屋は誰もおらず、亀左衛門の不安が募る。パイプ椅子に座り、落ち着かない様子できょろきょろしていると、扉が数回ノックされ、スーツを着た青年が部屋に入って来た。

「初めまして、鶴元さん。弁護士の田中(たなか)一郎(いちろう)と申します」

 白い歯を煌めかせる田中は、スーツを着こなし、如何にも爽やか好青年と言ったルックスだが、あの世暮らしは亀左衛門よりも長いらしい。室町後期頃に彼岸に来て、明治には弁護士資格を取得してたんで、見た目よりベテランなんですよ、と笑った。

「早速ですけど、訴状を拝見します」

 いたたまれなくなった亀左衛門は、書類に目を通す田中に話し掛けてみた。

「なあ、裁判って、弁護士さんも、その……被告も、こんな急に呼び出されるものなのかい?」

「まあ、此岸とは色々と違いますよ。それに、鶴元さんにとっては急な呼び出しでしょうけど、ご自分が亡くなった時の事を思い出してみて下さい。あの世に着いて、直ぐ裁判だったでしょう?」

 亀左衛門は、遠い昔を思い出す。あの時は、三途の川を渡って、左程待たされること無く裁判を受けた。

「確かにそうだった。それに、あんまり早く判決が出て驚いたな」

「おや、鶴元さんは『団塊世代』ですか。私もあの時代のお陰で、弁護士という職に就けました」

 亀左衛門が彼岸へ来たばかりの当時、此岸では流行り病や飢饉が重なり、人口は増加していた為死者が急増、その上時代の変革期に起因する様々な事件が頻発しており、その結果、死者が一気に押し寄せ、数年にわたって彼岸は未曾有の人手不足に陥った。その時代に彼岸に来た死者達は、後に「団塊世代」「近代化の種子」等と呼ばれ、今でも彼岸で一つのグループとして歴史家に研究されている。

 亀左衛門の裁判も、生前に殺しなどの凶悪犯罪に手を染めたことも無く、死因が考慮されたこともあり、拍子抜けするほどあっさりと天国行きが決まった。

 そして、圧倒的な人手不足を経験した彼岸は、それまでのシステムを大きく改良した。それに伴い、彼岸の近代化は一気に推し進められ、新たな職が産まれた。弁護士もその時に定着した職業の一つだ。

 あの世で弁護士が必要とされるのは、依頼主の利益を守る為だけではない。公正な判決を導き出す第三者の目として、何より、裁判を円滑に進めることが求められてのことだ。

 本来、あの世の裁判は、似通った事案の判例を考慮するという事はない。判決は絶対で、その分、死者の一生を決定づけられるような出来事は徹底的に追求する。人間性だけでなく、生活環境、運、あらゆる要素を加味して判決を下す為、判例という概念そのものが通用しない。亀左衛門の時の様に、簡略化した裁判を経験するのは稀なケースだ。生き返りの判決が出る事は滅多にないが、判例が当てにならないという事は、亀左衛門が有利とは限らないという事でもある。今回の裁判で純真蜜が勝訴すれば、彼女は生き返り、亀左衛門にはペナルティが生じる可能性が高い。

「これは、思ったよりマズいかもしれませんね」

 田中は唸り、眉根を寄せた。

「何がそんなにマズいんだい?」

「まず、名前です」

「は?」

 きょとんとする亀左衛門に、田中は訴状を指差した。

「『純真蜜』と書いて『ピュアハニー』と読ませるって……どうしてこんな香ばしい名前、許可しちゃったんですか。守護霊として止めるべきでしたね」

「そりゃ、純真蜜の両親の守護霊もそれでいいって言ってたから。俺が生きてた時代と違って、今時、洋風の名前なんて珍しかないだろう?」

 田中は首を振り、溜息を吐いた。

「あくまで、洋『風』ならです。限度ってものがあるでしょ。漢字を使うなら、せめて、通常の音訓読み出来る範囲にしておくのが賢明です。パソコンで一発変換出来ないような名前だと、生活で困る場面が結構あるでしょう。子供の頃から名前で苦労した、なんてエピソードを持ち出されたら、鶴元さんへの心証がよろしくない」

「パソコンなんて解らねえよ。あんなの、俺の生きてた頃には無かったんだ」

「迂闊にそんな事言っちゃ駄目ですよ。守護霊になるのに不勉強だと衝かれかねません」

「そんな!」

 田中はさらに続ける。

「それと、純真蜜さんの死因の外国での事故、これもちょっと」

「え、何でだい? 事故死ってのは珍しかないだろう」

 田中は首を振った。

「事故にも、大きく分けて二種類あります。一つは、寿命として定められた、確定した事故。もう一つが、注意すれば不可避ではない、寿命とは別の不確定な事故。こんな裁判を起こすってことは、純真蜜さんの事故は後者だったってことです。向こうは確実に、守護霊として注意を促すべきだったと言ってくるでしょう。

 ただ、事故自体は起こり得る事で、そこまで問題ではないです。まずいのは、これが日本で起きた事故ではないという事です。

 外国での事故死だと、日本と司法が違いますから、兎に角生き返りの手続きが大変なんですよね。彼岸と此岸では時間の流れが全然違うとはいえ、裁判所も、なるべく早く判決を出したいんですよ。通常の裁判なら、此岸での四十九日、勿論それでも充分短いですけど、兎に角、最低五十日位かけるでしょ。でも今回の様な件だと、一分一秒の争いになるでしょ? こちらの主張の正当性が少しでも弱ければ、一気に流れが傾いてしまうこともあり得るんです」

 落ち込む亀左衛門に、田中は拳を握って見せた。

「大丈夫ですよ。裁判まで、もう少し時間はあります。今頃は、向こうも他の部屋で打ち合わせ中の筈ですから、後で訪ねてみましょう。示談に持ち込めれば、それが一番ですからね。その為にも、状況を整理していきましょう。

 まず、山本山さんの死因、『落下物に因る、頭部強打』、これはどんな状況で起きたんですか? 出来るだけ詳しく思い出して下さい」

 亀左衛門の脳裏に、あの時の事が甦る。

 それは、亀左衛門が目を離した時に起きた。純真蜜の旅行先は、街中にも歩道と密林の境が曖昧な所も残っているような、自然豊かな土地だった。初めての海外、初めての一人旅に、夢中でカメラのシャッターを切っていた純真蜜は、綺麗な花か鳥でも見つけたのか、歩道を逸れてしまっていた。

 亀左衛門がそれに気付いた時、すでに、樹の側を歩く純真蜜の頭上に落下物が迫っている処だった。慌てた亀左衛門は、咄嗟に彼女の足元に石を転がした。純真蜜が転べば、少なくとも落下物が直撃、という事態は避けられると思ったのだ。

 だが、純真蜜は転ばなかった。ダイエットの為にと、体幹を鍛えていたことが仇となり、少しぐらついた程度で直ぐに体勢を整えてしまった。結果、純真蜜の頭は落下物ともろに接触した、という訳だ。

「それは……不運な、と言うか何と言うか。ただ、聞く限り、目を離した鶴元さんにも問題はありますけど、守護霊として、出来るだけの努力はされてますね」

 慰める様な田中の言葉に、亀左衛門は俯いた。

「俺がもっと早く気付いて、虫の知らせでも送ってやってれば、あんな臭いのに塗れることも無かったのかもしれん」

「『落下物・ドリアン』……噂には聞いたことあったけど、本当にこんな死因あるんだ……」

 田中は唸り、亀左衛門に訊ねた。

「これは、裁判官も彼女に同情するかもしれません。鶴元さん、目を離したって、一体何に気を取られてたんですか? 絶対そこを衝かれますよ」

 亀左衛門はしどろもどろになる。

「何って、き……えーと、そう、巨大立て札! 歩道の脇に、外国語で書かれた立て札があったから、じっくり読もうと思って」

「立て札ですか。その立て札には、何が書かれていたか憶えてますか?」

 亀左衛門が首を横に振ると、田中は一瞬落胆した表情を見せたが、直ぐに気を取り直した。

「まあ、事故現場付近の写真を取り寄せれば、すぐに分かる事です。早速手続きを……」

「それには及びません」

 ノックもせずに入室して来た女性が、テーブルの上に一枚の写真を置いた。

 眼鏡をかけ、かっちりとしたスーツを身に纏った女性は、名刺を差し出し名乗った。

「山本山純真蜜さんの弁護を担当する、鈴木(すずき)千代(ちよ)と申します」

 亀左衛門と田中も急いで立ち上がり名乗る。鈴木は空いているパイプ椅子席に腰を下ろすと、早速、テーブルの上の写真を指差した。

「こちらの写真は、山本山さんが事故にあう直前に撮影したもので、写真の端には、確かに看板が写っています。鶴元さんが仰ったのは、こちらの看板でしょうか? 巨大という程でもないよう思えますが」

 写真は、躍動感ある中々良い一枚だった。

 南国特有の開放的で色鮮やかな服に身を包んだ人々が、緩やかなカーブを描く小道を行き交い、その間を縫うように、可愛らしい小鳥が飛びかう。一・五m程の幅の小道の左右には、大人の腰まで伸びた草が疎らに生え、その草叢も更に奥では植生が代わり、ちょっとした林になっている。小鳥に焦点が合っている為、人々の表情や背景はややぼやけているが、鈴木の指差した辺りに立て札が写っていることは確認出来た。

 亀左衛門が頷くと、鈴木が訊ねた。

「貴方はこの看板に何時気付いたんですか?」

「……はっきりと憶えてはいないが、純真蜜がこの写真を撮ってる時か、その少し前だと思う」

 鈴木は写真をもう一枚バッグから取り出した。

「こちらは、看板を拡大し、見やすいように少々加工を施したものです」

 画像は荒く、看板の端には女性が被っている。地元の女性だろうか、黄色地に鮮やかな花柄の、肩や腹が覗く開放的なデザインの服を纏った色彩につい目が行くが、幸い、彼女の背後の看板に書かれた文字は殆ど隠れておらず、何とか読むことが出来た。


 !Caution!

 Danger ahead

 Watch your head


「此処から先頭上注意……先程、立て札の内容は憶えていないとおっしゃってましたが、こんなに短い、しかも守護対象の死因に関連する言葉、全く覚えていないなんて事があるものでしょうか? それとも鶴元さんは、この程度の英語が読めないのでしょうか?」

 鈴木の問いに答えようとした亀左衛門を、田中が遮った。

「鶴元さんは、江戸のお生まれです。外国語が苦手なのは確かですが、慌てていたら、記憶の混乱があっても不思議ではないでしょう。それと、あまり挑発的な言い方は如何なものでしょうか。今は、話し合うべき時間ですよね。それに、山本山さんは何方にいらっしゃるんですか?」

 鈴木は悪びれた様子も無く「これは失礼しました」と、田中を軽くいなす。

「では、単刀直入に。

 山本山さんには、控室でお待ちいただいてます。全てを私に一任されてらっしゃいますので、問題は無いかと思います。そして、私共は、告訴を取り下げる心算はございません。ご承知頂いてる通り、純真蜜さんの死因の責任は鶴元さんにある、と考えております。法廷で真実を詳らかにし、山本山さんの生きる権利を取り戻す、これは、正当な主張であると同時に……」

「ちょっと待って下さい!」

 鈴木の言葉を田中が遮った。

「随分と一方的じゃありませんか。貴女だけが我々に会いに来ることを、本当に山本山さんは了承しているんですか?」

 鈴木は「当然でしょう」と、淡々と言った。

「仰りたいことはそれだけですか?

 ああ、そうそう、他にも山本山さんが旅行中や事故現場で撮った写真、焼き増しですが全てお渡ししておきます。隠す様なものでもありませんし、勿論、そちらは画像加工は一切しておりません。存分に見分なさって下さい。

 では、次は法廷でお会いしましょう。失礼します」

 鈴木は、鞄から取り出した分厚い封筒をテーブルに置くと、さっさと部屋を出て行った。

 鈴木の背中を見送っていた田中は、我に返ると鈴木の残した封筒に手を伸ばし、写真を一枚一枚確認しながら言った。

「きっと、山本山さんが裁判を起こしたのは彼女の入れ知恵だな。仕方ない、覚悟を決めましょう。ほう、純真蜜さんの撮った写真、味がありますね。ほら、この夕日なんかめちゃくちゃエモいですよ。

 あれ、最後の一枚だけ凄いブレてるな。何でだろう? ああ、小石によろけた時にシャッター切れちゃったのかな」

 亀左衛門はしかめっ面をした。

「『エモい』って、田中さんは若者言葉に詳しいな。それにしても、あの女弁護士さん、随分とつんけんしてたな。元は悪くなさそうなんだし、もっと愛想が良い方が仕事も円滑に進むんじゃないかねえ」

「迂闊な事は口にしない方がいいですよ。今時、女性は愛想良く、なんて言おうもんなら、あちこちからフルボッコです。でも確かに、鈴木弁護士、やけに自信満々だったな……。

 おっと、そんなにご心配なさらず。まずは答弁書を片付けましょう。なに、時間が無いのはあちらも同じです。こちらが不利とは限りません」

 二人は書類を片付けることに専念し、その後、念入りにロールプレイングを行う為、暫し場所を移した。だが、田中行きつけのカラオケ店でシミュレーションをしている間も、亀左衛門の胸騒ぎは増す一方だった。


 いよいよ裁判が始まる時刻を迎え、亀左衛門は緊張した面持ちで入廷した。法廷に並ぶ無機質なテーブルと椅子は、非人間的な威圧感を感じさせ、亀左衛門の身体が強張る。

 青い顔をした亀左衛門に、背後から近づいた田中が声を掛けた。

「そんなに緊張すると、具合悪くなっちゃいますよ。リラックス、リラックス。ほら、傍聴席見て下さい、可愛い子がいますよ。若い子がこういったケースを傍聴したがるなんて、珍しいな。弁護士でも目指してるのかもしれない」

 亀左衛門が視線を向けると、傍聴席はそこそこ埋まっている。田中のお蔭で緊張が解れ、今時の娘は華やかだな等と、周りを見渡す余裕も生まれる。田中は、肩の力が抜けた亀左衛門に笑い掛け、亀左衛門の右斜め前の弁護席へ腰を下ろした。

 ゆとりの出来た亀左衛門は、田中の向かい側に目を向けた。純真蜜と鈴木が何やら耳打ちしているのが目に入る。視線に気付いた鈴木は亀左衛門から目を逸らしたが、純真蜜はじっと亀左衛門を見詰めている。

 純真蜜の出で立ちは、死んだ時のままだった。金に近い茶髪にグレーのカラーコンタクト、オーバーサイズで背中の開いた白いシャツ、デニムのショートパンツ、両手足の爪先にしっかりネイルアートを施し、ヒールの高い厚底のエナメルのサンダル、と中々大胆な服装だが、純真蜜に似合っていると、亀左衛門は好意的に捉えていた。

(考えてみたら、俺と純真蜜の目が合うのは初めてなんだな)

 生者と幽霊の己では、存在する次元がずれている。二十年を共に過ごしていても、純真蜜にとっては初対面に違いないのだ。何となく居心地が悪くなった亀左衛門は、純真蜜から目を逸らした。

 間も無く裁判官が入廷し、口頭弁論が始まった。

「本日裁判官を務める、石地蔵(いしじぞう)助太刀(すけだち)と申します。よろしくお願い致します。

 原告の山本山、えー……純真蜜、さん……これは、本名ですよね?」

 傍聴席も、純真蜜の服装と名前にひそひそと囁き合っている。そんな反応に慣れているのか、純真蜜はわざとらしく溜息を吐いた。鈴木が慌てて彼女の袖を引き、小声で注意する。

「山本山さん、落ち着いて。ちゃんと裁判官の問いに返事をして下さい」

「本名でーす。何か問題ある? つか、皆、超カンジワルイんですけどー」

「ちょっと、山本山さん!」

 鈴木が窘めるが、純真蜜はむすっとして周囲を見渡した。

「どーせ、名前恥ずかしくない? とか、名前で虐められたでしょ、とか聞くんでしょ? 残念、別に虐められてないしー。折角、お父さんとお母さんが付けてくれた名前だし、あーしは気に入ってるんだから」

 裁判官の石地蔵が、申し訳なさそうに頭を下げた。

「珍しいお名前だったので確認したのですが、失礼な態度でしたね。申し訳ありません」

 石地蔵の誠意が感じられる対応に、純真蜜が態度を改めた。

「ううん、あーしの方こそごめんね。いっつも名前の事言われるから、ムキになっちゃった。そうだよね、裁判官さんのお仕事だもんね」

 傍聴席からも小声で、そっか、ごめんねーなどと聞こえて来る。思いの外和やかなムードに、亀左衛門の弁護人である田中は、心の中で舌打ちしていた。

「では、改めて。原告、山本山純真蜜さんの死因、ドリアン落下による事故死は、守護霊である鶴元亀左衛門さんの職務放棄に因る処が大きく、未だ寿命の残る山本山さんには生き返る権利がある、ということで間違いありませんか?」

 裁判官の質問に、純真蜜が「はぁい」と、間延びした声で答えた。一方で、純真蜜の死因に傍聴席がざわつく。痛そう、可哀想にと囁き合う声が静かに広がり、亀左衛門と田中の表情が硬くなる。

「そう主張する根拠を提示して下さい」

「こちらの写真です」

 純真蜜に代わり鈴木が示したのは、亀左衛門と田中が見せられたのと同じ、二枚の写真だった。

「これは、山本山さんが事故にあった現場の写真です。山本山さんご本人が撮影したもので、看板が写っているのがお分りになると思います。こちらは、その写真の看板部分を引き延ばしたものです。鶴元さんは、この看板に気を取られて山本山さんの守護を怠ったと、ご自分で仰ってました」

「待って下さい。守護を怠ったと言ったわけではありません」

 挙手した田中が訂正した。裁判官は「主観による発言は認めません」と、きっぱりと言い切り、写真を手に取り看板の文字を読んだ。

「危険、頭上注意と書いてありますね」

 鈴木は頷く。

「この看板はシンプルです。難しいことが書いてある訳ではありません。危険を知らせる看板を見掛けたら、普通なら、守護対象から目を離さない様にするものなのではありませんか?

 鶴元さん、貴方は看板に気を取られたと仰ってましたが、それは真実ですか?」

 亀左衛門は「はい」と小さく頷いた。

 田中が挙手し、割って入る。

「待って下さい、江戸生まれの鶴元さんは英語に慣れていないのです。だからこそ『danger』と書かれた看板の内容を念入りに確認したのであり、山本山さんの安全を想えばこその行為です。寧ろ、そんなシンプルな看板を無視した山本山さんの軽率な行動にこそ、非があります。守護霊が憑いていることが、自衛を怠る言い訳にはなりません」

 ここぞとばかりに、田中が畳みかける。

「そもそも、山本山さんの頭上に危険が迫っている時、鶴元さんは出来る限りの事をしています。それは答弁書にも記述してあり、決して守護霊の勤めを蔑ろにした訳ではないと、ご理解いただける筈です」

「成程、わかりました」

 裁判官の言葉に、田中が微笑んだ。

 鈴木は表情を変えず、次の写真を指した。

「では、次の写真を見て下さい。先程の写真のすぐ後に撮られたものであり、山本山さんが最後に撮った写真でもあります」

「ブレてしまって、何が写っているのか判らないですね」

 裁判官が、目を細めて写真を見る。田中が何か言いた気なのを察した鈴木が先んじる。

「これは、偶然シャッターが切れた写真であり、特定の何かを撮るつもりではなかったのです。ですが、今見て頂きたいのは画像ではありません。これらの写真は全て、自動的に日時が入るように設定されてます。この写真の日時を見て下さい。そして、先程の写真をもう一度確認して下さい」

 裁判官と亀左衛門達は、鈴木に言われた通り写真を見比べた。

「同じ日付ですね。それが何か?」

 裁判官の言葉に、鈴木が目を光らせた。

「よく見て下さい。二枚の写真には二分近くズレがあります」

 裁判官は、「ああ、確かに」と小さく呟く。

 鈴木は亀左衛門に問いかけた。

「鶴元さん、先程お会いした時に質問した事を憶えていますよね?

 改めて、もう一度質問します。貴方がこの看板に気付いたのはどの時点でしたか?」

 青ざめ口を開こうとした亀左衛門を遮り、田中が答えた。

「その質問には、『はっきりとは憶えていない』と答えた筈です。鶴元さんがどう答えようと、記憶があやふやである以上、重要な証言とは言えない筈です」

「ふむ、そうですね。原告、その質問は本当に重要なのですか?」

 裁判官の言葉に鈴木が頷く。

「はい。鶴元さんは、『はっきりと憶えていないが、写真を撮った時と同時か、それよりも前に気付いた』と言ってました。果たして、この看板は二分もかけて読むものでしょうか?」

 傍聴席が騒めく。田中は慌てて挙手した。

「先程も言いましたが、鶴元さんははっきりとは憶えていないのです。正確さに欠ける証言を論っても、時間を浪費するに過ぎません」

「被告側の主張も一理あります。原告、結論を簡潔に述べて下さい」

 裁判官の言葉に、鈴木は頷いた。

「わかりました。私共は、鶴元さんが『何か』に目を奪われ、職務を怠ったと考えております。そして、その『何か』とは、鶴元さんが主張する看板ではない、ということです。

 山本山さんの行動に、全く責任がないとは申しません。ですが、この事故は、鶴元さんに因る悪質な保護責任者遺棄に原因があると主張します。無論、そう考える根拠はあります。それがこの写真なのです」

 鈴木は、酷くブレた二枚目の写真を指した。

「何度見ても、何が写っているのかわからないのですが……」

 裁判官は困惑し首を傾げた。亀左衛門と田中も、鈴木の言いたいことが分からない。

 鈴木は、ここで更に一枚の写真を撮り出す。

「この写真の日時をご確認下さい。看板が写った写真の、約五分前に撮ったものです。歩道がカーブしている為まだ見えていませんが、この先に先程の看板が立っています。そして、此岸の人には判らないでしょうが、我々彼岸の住人には、鶴元さんの後ろ姿が写っているのが判ります。

 撮られた順に

一、鶴元さんの後ろ姿が写り込んだ写真

二、看板の写った写真

三、ブレた写真……としておきます」

 確かに一の写真には、亀左衛門の後ろ姿が着物の柄まではっきりと写り込んでいるが、そのこと自体は問題ない。所謂心霊写真とは違い、こういった写真は取り立てて珍しいものではなく、此岸の人間でも見る者が見れば、ここに写る霊体が亀左衛門だけではないとわかるだろう。実際に見ることの出来る生者は何万人に一人も居ない。殆どの者にとって、ごく普通のスナップ写真だ。

 鈴木は三の写真を示した。

「では改めて、この写真の左端を見て下さい。ブレていますが、一の写真を見た後ならば、着物の柄から鶴元さんの後ろ姿が写っていると判ります。二の写真の看板は、右に写っているこれでしょう」

 鈴木は、裁判官も傍聴席の人々も頷いたのを確認し、亀左衛門に質問した。

「おかしくないですか? だって、鶴元さんはずっと看板を見ていたと仰ってました。だとしたら、鶴元さんの顔は、看板のある方角、斜め後ろを向いている筈ですよね。でも三の写真では、ほぼ真後ろを向いていて、看板を見ていない。鶴元さんは何処を見ていたのですか?」

 亀左衛門は俯き、何も答えない。鈴木の言いたいことに気付いた田中が慌てて挙手した。

「それは貴女の憶測でょう? こんな写真が証拠になる訳がない」

「それは、貴方が判断することではありません」

 裁判官ににべも無くいなされ、田中は内心歯噛みしながら手を下した。鈴木は勝ち誇るでも無く、ブレた写真の一点を指し畳みかける。

「鶴元さんはお答え出来ない様ですから、代わりにお答えします。写真の鶴元さんの顔の角度から、見ているものの見当が付きます。この色彩、見覚えはありませんか? 二の写真にも写っています」

 法廷が騒めく。

 黄色地に、赤や緑の鮮やかな色彩。肩や背中の露出した、如何にも南国な衣装を身に付けた、豊満なボディラインの地元女性。

「貴方はこの女性に見惚れていて、山本山さんの事故に気付くのが遅れたんですよね? 三の写真がこれほどブレている理由は、これがドリアンとの衝突時に、偶然シャッターが押されたものだからです。そして、偶然に鶴元さんの後ろ姿を捉えた。つまり、この期に及んでなお、鶴元さんは女性に見惚れていたということです」

 それまで黙って、青い顔で俯く亀左衛門をじっと見ていた純真蜜が、唐突に立ち上がった。

「あー、やっぱ、そうだ!」

 亀左衛門も田中も、裁判官も、鈴木ですらも驚く。

「山本山さん、どうしたんですか、急に? 座って下さ……」

 鈴木が純真蜜を座らせようと手を引くが、彼女は構わず、亀左衛門を指差した。

「おっさんの顔、子供の頃から何回か見た事ある! やっぱ、あれって気のせいじゃなかったんだ」

 皆があっけにとられる中、いち早く反応したのは田中だった。

「そうです、この方は、貴女が産まれてからずっと護り続けてくれていた、守護霊の鶴元亀……」

 純真蜜は、田中の声を無視して続ける。

「あーしがお風呂入ろうとする時とか、偶に見掛けたわ。そういや、修学旅行の時、大風呂とかでも見たし。誰も気付いてなかったし、皆を怖がらせたらヤバイと思って言わなかったけど、超キモくない?」

 明らかに法廷内の空気が変わった。あちこちから、「ありえない」や「気持ち悪っ」という声と、冷たい視線が亀左衛門に刺さる。鈴木も、まさかの依頼者の発言に純真蜜を引く手が止まる。流石に田中も動揺を隠せならしく、小さくなった亀左衛門を励ます言葉もかけず、おろおろと周囲に視線を彷徨わせていた。

「皆さん、お静かに」

 裁判官の静かだが圧のある声に、法廷内は静まり返る。

「山本山さん、それは本当の事ですか?」

 裁判官の問いかけに、純真蜜は頷く。

「何時も見えるって訳じゃないけどね。そうだ、プール行った時とかにも見た。これって霊感てヤツ? ウケるー」

 穏やかだった裁判官の顔が険しくなった。

「成程、よく判りました。

 どうやら、被告が守護霊の職務を果たしていなかったという原告側の主張は、大いに考慮の余地があるようですね」

 我に返った田中は、一瞬、冷たい視線を亀左衛門に向けたが、己の務めを果たすべく立ち上がる。

「お待ち下さい。山本山さんの話と本件は、別のものとして考えるべきです。重要なのは、山本山さんの生き返る権利の有無です」

 すかさず鈴木も立ち上がる。

「当然、山本山さんにはその権利があります。鶴元さん以外の方が守護霊なら、事故に遭わなかった可能性があるのですから。直接的な証拠ではなくても、彼女の証言は無視するべきではありません……正直、私もこんな話が出て来るとは思っていませんでしたが」

 火花を散らす田中と鈴木、「これっていつまで続くの?」と鈴木に問いかける純真蜜と、黙って俯き続ける亀左衛門。再びざわつく傍聴人たち。

 裁判官が、すっと片手を挙げた。それだけで法廷の空気が張り詰める。

 静まり返った部屋に、裁判官の声が響いた。

「被告、反論はありますか? ただし、ここは此岸の裁判所とは違います。偽証をすればどうなるか、お解りですね?」

 亀左衛門は、震えた声で「ありません……」と、答えるのがやっとだった。

 裁判官は、ギャベルを叩いた。

「判決を言い渡します。

 主文、原告・山本山純真蜜の本来の寿命の大幅な短縮は、被告・鶴元亀左衛門の保護責任者遺棄に起因するものと認め、山本山さんの生き返りを許可します。

 山本山さんは、弁護人と共にこのまま退出し、早急に手続きを行って下さい。尚、鈴木弁護士には、山本山さんに新たな守護霊をつける手続きもお願いします」

「はい」

 鈴木は純真蜜を促し、立ち上がる。

「え、これで終わり? あーし、もしかして生き返れるの?」

「そうですよ。タイミング次第では手続きに数日かかりますから、急ぎましょう。石地蔵裁判官、有難うございました」

「やった! きっと、お父さんとお母さんが心配してるから、早く生き返らなくちゃ。いしじぞーさん、有難うございました」

 口調はともかく、きちんと頭を下げる純真蜜に、裁判官は苦笑しつつ「どういたしまして」と会釈した。

 純真蜜の退出と共に、傍聴人も次々と退席してゆく。いつの間にか書記も姿を消し、亀左衛門と田中と裁判官だけが法廷に残された。


 山本山純真蜜が目を覚ますと、まず、見覚えのない真っ白な天井が目に入った。次いで、彼女の手を握りしめていた父と母の、泣き出しそうな顔。

「……おはよう。どうしたの、お父さん、お母さん? ここ、どこ?」

 酷く掠れた純真蜜の声に、彼女の両親は安堵で泣き崩れた。

「よかった、本当によかった。おはよう、ハニーちゃん」

「ここは病院だ。お前、頭を打って、三日も意識が無かったんだぞ。一時は呼吸も止まって……外国に一人で旅行なんて、やっぱり引き止めればよかったって、どれ程後悔したか……ああ先生、娘を助けてくれてありがとうございます! あ、日本語じゃ駄目か。済みません、鈴木さん、通訳をお願いします」

 鈴木と呼ばれたスーツ姿の女が、流暢な英語で医師に話し掛けるのを、純真蜜はベッドの上から不思議そうな顔で眺めていた。それから様々な検査をされ、すべて異常なしの結果が得られると、数時間後には純真蜜は退院を許された。

 慣れない外国の退院手続きの殆どを鈴木が済ませ、エントランスでタクシーを待つ間、純真蜜の両親は鈴木に封筒を差し出した。急いで用意したであろう謝礼入りの封筒を、鈴木は頑として受け取らなかった。

「私の仕事は、お困りの方を助けることです。正当な報酬だけで結構ですし、それは既に頂いております。よろしければ、その封筒の中身は、ちゃんとした保護団体等にでも寄付して下さい。お嬢さんが無事目覚めて、本当に良かったですね。

 純真蜜さん、危ないことをしてはいけません。立ち入り禁止などの注意書きは、理由があってそうなってるんです。ご両親がどれ程心配なさったか、お解りですよね」

 念の為にと包帯を巻かれた頭を掻き、純真蜜は頷いた。

「うん、反省した。大人なら、もっと行動に責任持たなきゃだよね。お父さん、お母さん、心配かけてごめんね。鈴木さん、ありがと! お世話になりました」

「私は仕事をしただけです。タクシー来ましたよ。乗って下さい。ホテルの場所は、もう運転手に伝えてあります」

「鈴木さんは乗らないの?」

「申し訳ありませんが、次の仕事がありますので、ここでお別れです」

 タクシーのドアに手を掛けた鈴木を、純真蜜は見詰めた。

「ねえ鈴木さん、あーし達、前に会った事ある……?」

 鈴木は微笑み、ドアを静かに閉めた。

「ハニーちゃん、本当にもう大丈夫なの? 頭が痛いとか無い?」

 走り出したタクシーの中、純真蜜は小さくなっていく鈴木に手を振りながら言った。

「大丈夫だよ、前より調子いいかも。何かこう、『憑き物が落ちた』感じ? それにしても、鈴木さん、英語ペラペラで凄いよね。さすが弁護士さん」

 娘の言葉に、両親はきょとんとした。

「弁護士? 鈴木さんは、旅行会社の人が手配してくれた通訳者よ?」

「弁護士を雇う必要なんて無いだろ?」

「……あれ? ホントだ、何でそう思ってたんだろ?」

「夢でも見てたの?」

 純真蜜は首を捻った。

「えー、意識ない間も、夢って見るのかな? あ、でも、何か初めて会った気がしなかったし、もしかして、鈴木さんのお陰で生き返れたのかもよ? 鈴木さんの正体は、天国の弁護士かなんかでさぁ」

「ハニーが生き返れるように、弁護してくれたってことか? ウケるな、それ」

「もー、二人共、暢気ねぇ」

 三人の明るい笑い声が車内に響く。

 タクシーを見送る鈴木の姿は、いつの間にか消えていた。


 純真蜜が此岸で目覚める数日前、純真蜜達が退席し静まり返った法廷で、重苦しい空気が亀左衛門を圧迫していた。

 裁判官が「さて」と呟き、パンパンと手を叩くと、何時から待機していたのか、扉からスーツに身を包んだゴツイ赤鬼と青鬼が現れ、左右から亀左衛門の腕を掴み立ち上がらせた。

「おう、おっさん、エライこと仕出かしてくれたなぁ」

「仕事、舐めたらいかんじゃろ。あの世のメンツにかかわることじゃ。解っとるんか、コラ」

 握られた腕が痛くて、亀左衛門は悲鳴を上げる。

「痛い! 乱暴は止めてくれ! 田中さん、助けてくれ! 俺の弁護人だろ?」

 田中は爽やかな笑顔を亀左衛門に向けた。

「すいません、私、悪霊の弁護は専門外なんで」

「あ、あく、悪霊?」

 痛みで顔を歪めていた亀左衛門が、ポカンとする。

「あれ? お解りになりません? 立場を利用して覗きを繰り返す。己の欲望を優先して、守護対象の命を危険に晒す。弁護士にも本当の事を語らず、まるで自分の方が被害者だと言わんばかりに振舞う。これが悪霊でなくて、何だと言うんですか? 守護霊のイメージダウンですよ。マスコミは、さぞ大喜びでしょうね」

「そんな……いや、悪かった、ほんの出来心なんだ! そんなつもりじゃな」

「おう、兄ちゃん、話は済んだか?」

 赤鬼が、言いつのる亀左衛門を遮る。

 田中は頷き、「ご苦労様です」と、鬼達に向かって愛想よく会釈した。

「さて、次の案件に取り掛からなくちゃ。失礼しますよ、鶴元さん。報酬金が頂ける結果にならなくて、本当に残念です」

 田中は何やら書類を取り出し、ペンを走らせる。それを裁判官に提出すると、重そうなブリーフケースを肩にかけ、一礼し出口に消えた。

 裁判官は田中が提出した書類に目を落とし、青鬼を手招く。青鬼は書類を受け取り、さっと目を通すと、片眉を上げた。

「なんじゃ、それは?」

 亀左衛門の腕を掴んだまま隣に来た赤鬼が、青鬼の手元を覗き込む。

「このおっさんの身上書の一部じゃ。弁護士の兄ちゃん、中々気が利くの」

「どれ、『人助けの功績により天国行き』とな。なんじゃ、良い処もあるんじゃないか……と、んん? 『風呂屋の火災に巻き込まれて死亡』……風呂屋、ねぇ」

 いよいよ青ざめた亀左衛門は、いや違うんだ、偶然で、と、もごもごと言い訳を始めたが、赤鬼に一睨みされ口を閉じた。

「オラ、おっさん、ワシ等も行くぞ」

「待ってくれ、いや、待って下さい、何処に行くんですか?」

 亀左衛門は腕の痛みと焦りで目に涙を滲ませ、鬼達を交互に見る。

 青鬼は「分からんか?」と言って、亀左衛門にぐっと顔を寄せ

「警察だよ、け、い、さ、つ。ワシ等は中有警察署の者じゃ。署で、お前を詳しく取り調べるんだよ。余罪もありそうじゃ、長丁場になるかもの」

「子孫と違って、お前にはたっぷり時間があるからな。生前の行いから、どんな手口で守護霊職に就けたかまで、キッチリと洗い直してやるぞ」

「安心せい、お前には、弁護士を雇う権利がある。さて、そろそろ行くぞ、赤いの」

「おうさ、青いの。まあ、弁護を引き受ける奴がおるかは別だがの」

 ガハハと笑い、鬼達は亀左衛門を引き摺って行く。

 青鬼よりも青い顔の亀左衛門に、裁判官の石地蔵が声を掛けた。

「次に法廷でお会いすることがあったら、もう一人の私をお目にかけますよ」

 出口を潜る直前、赤鬼と青鬼は裁判官に深々と頭を下げた。

「では失礼します、()()裁判官」

 扉が閉まる直前、亀左衛門の目には、髭を蓄えた真っ赤な顔の大男が裁判官席に座っている様に写って見えた。

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