黒い人影からの逃走
黒い影に吹き飛ばされた私は上半身を起こし、腹部に手を当てた。
しかし上半身を起こした時、リリちゃんの目の前にシルフォードさんが立っていたの
が目に映った。
「なんか嫌な予感がしたと思ったら、こんな事になってるとはねぇ」
そう言いながら私のステッキを左手で拾い上げ、右手に持つ杖を掲げる。
彼の持つ杖はリリちゃんとは違い、木製のしっかりとした杖だ。先端はCの形になっ
ていて、真ん中に赤い石が付いている。
普通の魔石はよく観ると、模様のみたいなモノが入っているのだが、これは火の魔石
ではなく魔力を増幅させる効果を持つ、魔導宝石の一種だろう。
そしてその魔導宝石が輝き出す。
「水の神よ、今我が前に奇跡を。我望むは、災いを払う無数の矢也」
シルフォードは魔法を唱えた。すると彼の周りに無数の水の矢が出現し、杖を振ると水
の矢は黒い人影目掛け、飛ぶ。
黒い人影達は次々と水の矢に貫かれ、その姿は消滅していった。それと同時に辺りに
点いた火の手が消えていく。
しかし黒い影はまたしても出現。その数は先程の倍以上。おそらく百体はいるのでは
ないだろうか。
しかし、シルフォードさんは驚くこともなく、再び杖を掲げた。
「氷の神よ、今我が前に奇跡を。我望むは、氷結の世界也」
今度は氷の魔法だ。シルフォードさんが杖を振ると、辺りの地面に氷が這って行く。や
がて氷は黒い人影に迫り、次々に氷漬けにしていった。
……辺りは静寂に包まれる。シルフォードは後ろにいるリリちゃんの方を向いた。リ
リちゃんは小さく震えながら、「お師様……」と呟いた。そんなリリちゃんに
シルフォードは声を掛ける。
「もう大丈夫だ。今の内にここから撤退しよう」
リリちゃんは力なく「……はい」と答えた。
投げられて何処かに行っていたアデルは戻って来るなりシルフォードさんに問い掛け
る。
「こんなの聞いてないぞ! こいつらは一体なんなんだ?」
シルフォードさんは私にステッキを返しながら答えた。
「詳しい話は後で。今すぐにここを離れよう」
シルフォードさんはそう言いながら黒い人影を見る。黒い影を覆っている氷は徐々にひ
び割れ始めていた。
私達はシルフォードさんの先導で隠れ里へ向かう。
シルフォードさんは魔法を二回使ったが、疲れなど全く感じない表情をしていた。流
石大賢者である。
私は未だに震えているリリちゃんの手を引き、アデルは私の肩で怪訝な顔をしていた。
――シルフォード宅に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
リリちゃんは家に着いて落ち着いたのか、ウトウトしている。そんなリリちゃんをシ
ルフォードさんが負んぶする。
「今日は疲れたろう。詳しい話は明日話すから、今日はゆっくり休んでくれ」
彼はそう言うと、リリちゃんを部屋へ寝かせに連れて行った。
怪我や火傷をしたけど、治療は明日にして私も今日は休もう。アデルはブツブツ何か
を言っているが、黒い人影が何なのかについて議論する元気は、今の私にはなかった。
――次の日。
起きた時にはすでにお昼を回っていた。
私は取り敢えず傷の確認をした。膝に火傷はあるが、左の腕と肩の痛みには外傷はな
い。おそらく打撲だろう。
私は火傷した部分に手を当て、「マナよ、癒しを与え給え」と魔術を唱えた。すると
火傷の跡は消えた。
これは治癒魔術で、軽度の外傷ならこれで治せる。
辺りを見渡すと、アデルが見当たらない。何処へ行ったのだろうか……。
私は取り敢えずワイシャツとスカートに着替え、一階のリビングへ向かった。一階に
はシルフォードさんが机の所に座り、本を読んでいた。
「おはよう。いや、もう昼過ぎだからこんにちはか」
シルフォードさんは顔を上げ、私に言った。
「こんにちは。昨日は助けて下さりありがとうございました」
「その事なんだが、話しておきたい事がある。とその前に、『昼食が出来てるから食べ
てくれ』とリリから伝言だ」
テーブルを見るとパンとスープと肉野菜炒めが用意されていた。昨日は帰って来てす
ぐに眠ったからか、丁度お腹が空いていたところだ。
私は椅子に座り、「いただきます」と手を合わせた。
私は食事をしながらシルフォードさんに訊いた。
「アデルとリリちゃんはお出掛けですか?」
シルフォードさんは本を置いた。
「二人なら買い物に行ったよ」
「そうですか」
アデルが私に何も言わずに離れるなんて珍しい。余程昨日のリリちゃんの様子が気掛
かりだったのだろうか。それか単純に私が起きなかっただけかもしれないが……。
そこでシルフォードさんが「ゴホンッ」とひとつ咳払いをした。
「それで昨日の事なんだが……」
昨日の事。あの黒い人影はいったい何だったのだろうか……。シルフォードさんとリ
リちゃんはアレが何か知っている様だったが、リリちゃんの様子から只ならぬ気配を感
じ、自分からは訊かないようにしていた。
ちなみに昨晩寝る前に、アデルにそう言ったら「あんな目に会った遭ったのに有り得
ないだろ」と言われたのだが……。
シルフォードさんが続ける。
「あれは今から十年程前、俺はこの迷いの森から少し離れた平原で気を失い倒れている
リリを見付けた。そしてリリの近くにはあの黒い人影がいて、今にも襲い掛かろうとす
る寸前だった。俺は黒い人影を撃退した。だがアイツは倒せば倒す程数が増え、完全に
消滅させることはできなかった。俺はリリを連れて迷いの森に入り、黒い人影から逃げ
たんだ。それ以降リリはこの森、この隠れ里で暮らしている」
「それじゃあ十年間、リリちゃんはずっとこの森に?」
「ああ。何回か森を出ようとしたこともあるんだが、森を出るとあの黒い人影が現れた。
だからリリはこの森を出ることはできない」
それはつまり、リリちゃんをこの森に閉じ込めているということだろうか。
「それだと森の中も危ないんじゃあ……」
「いや、十年ここに住んで分かった事なんだが、奴は森の中には入ってこない。理由は
分からないがな」
しかし昨日は現れた……いや、私はそこで気が付いた。
「昨日は森が枯れ、木がなかったから襲って来た?」
「おそらくそうだろう。つまりアイツはリリが外に出れないように見張っているのさ。
そして倒しても倒しても湧いて来る。だからリリはアイツを恐れている。俺はアイツの
ことを調べてはいるが、未だに倒す手段は見付かっていない。リリの過去に何かヒント
があるのかもしれないが、俺には分からなかった」
「そうですか……」
リリちゃんの過去……そこまで踏み込んでいいものか……。取り敢えず後で話してみ
よう。




