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下手なので野球教室に通ってみた  作者: あつ
大会へ
23/24

隠された軌道

放課後の廊下は、夏らしい湿気の匂いを纏っていた。

 あかりは塾へ直行するらしく帰ってしまい、さなみはひとりで昇降口へ向かっていた。


(なんか今日は……静かだな)


 靴箱の前で靴を履いていると、視界の端をふわりと人影が通る。


 めぐみ――。


 教室にいても図書室にいても、とにかく目立たない。

 テストで毎回一位を取るのに、本人はそれすら話題にせず、誰とも群れない。

 淡々としていて、無色透明みたいな子。


(あれ……?)


 今日は、その透明さの奥に、ちょっとだけ濁った影が見えた。


 疲れているというのとも違う。

 どこか、深く沈んだような表情。


 理由はなかった。

 ただ、気づいたら――さなみはめぐみの後をつけていた。


(いや、別に悪いことじゃ……ないよね?

 なんか困ってたら助けようってだけで!)


 心の中で必死に言い訳しつつ、数メートル後ろを歩く。


 めぐみは静かに住宅街へ入り、さらに人気のない細い裏道へと入っていく。

 信号も店もない。

 家と壁に挟まれた、誰も通らないような道。


 やがて、ぽっかり空地のように開けた場所にたどり着いた。


(こんなとこ、あったんだ……)


 めぐみは周囲を確認するでもなく、無言でリュックを置く。

 チャックを開いて――


 硬式球を取り出した。


(えっ……なんで硬式!?

 めぐみって、野球なんて……)


 混乱するさなみをよそに、めぐみは肩を軽く回し始める。

 その動きで、すぐに分かった。


 これは体育のめぐみじゃない。

 全然違う。

 無駄がひとつもない。

 体幹のブレもゼロ。

 しなりと角度が、あかりと同じ“本気の人間”のそれだ。


 めぐみは壁から十数メートル下がると、静かに足を上げた。


 踏み出し、腕が振られる。


 バチィィン!!!!!


 壁が震え、空気が裂けた。


 音が速い。

 球が速い。

 何より――ボールが“少し浮いて見える”。


(これ……VAAがいい球の見え方じゃん……!?

 なんでめぐみが……?)


 二球目、三球目。

 音はむしろ増していく。


 バンッ! バンッ! バチィン!!


(うそ……

 あかりの球と全然違う種類の速さ……)


 さなみは、思わず息を止めた。


 どれだけ投げてもフォームが崩れない。

 何かを抑えつけるような、けれど狂いのない投球。


 そして――

 めぐみは突然、こちらを振り返った。


「……さなみ」


「ひゃっ……!!」


 完全に見られていた。

 しゃがみ込み、意味不明な謝罪が口からとび出す。


「ご、ごめん!! なんか……気になっちゃって……!

 見ちゃダメって思ったけど、気になって……!」


「怒ってないよ」


 めぐみは硬式球を拾いながら静かに言った。

 その顔は学校とは全然違う。


 ちょっと疲れた大人みたいで。

 でも、目だけは強かった。


「さなみには、もう隠せないね」


「え……隠すって?……」


 めぐみは息をひとつ吐き、言った。


「わたし、野球やってたの。ずっと昔から。

 でも、学校では言ってない。

 誰にも、言ってない」


「なんで……?」


 めぐみは壁を見たまま、小さく続けた。


「勝ちすぎたからだよ」


「……勝ちすぎ?」


「うん。

 勝ちすぎて、――野球が嫌になった」


 淡々としているのに、その言葉だけ重かった。


「試合で勝つたびに変な噂が流れて、

 勝てば勝つほど……どんどん人が離れていった。

 わたしはただ、上手くなりたかっただけなのに」


 さなみの胸がぎゅっと痛んだ。


 めぐみはさなみに視線を向ける。


「だから、全部捨てたの。チームも、環境も。

 今は、誰も知らない“別の練習場所”でひとりで投げてるだけ」


「小林塾とか……?」


「なにそれ?」


 めぐみは本気で知らないという顔をした。


 さなみは驚いて目を見開く。


(あかりのパパの塾の存在すら……知らないのか……

 じゃあめぐみは、本当にひとりで続けてきたんだ……)


 めぐみは少しだけ笑って続ける。


「でも、見つかっちゃったし。

 さなみにくらいなら……話してもいいかなって思った」


「めぐみ……」


「わたしのこと、誰にも言わないでね。

 もう“あの頃”には戻りたくないの」


 その目は静かで、でもどこか切なくて。


 さなみはしっかりと頷いた。


「言わない。約束する。

 でも……めぐみの野球、もっと見たい」


 めぐみは一瞬だけ驚き、すぐにうつむいて微笑んだ。


「……変な子だね、さなみは」


 その声は、少しだけ救われた人の声だった。

第2章スタート

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