7853T列車 急行列車通学
皇紀2745年3月20日(第26日目) 国鉄磐越西線会津若松駅。
急行「阿賀野」は減速して、会津若松駅の構内へと入る。ちょうど列車左側から485系も入線する。そちらは行き先表示をちょうど回しているところだ。「つばさ 秋田(奥羽線経由)」その次に「はつかり 青森」、続けて「やまびこ 盛岡」、「こまち 秋田(東北・田沢湖線経由)」、「ひばり 仙台」。東北本線を走る長距離特急の名が次々と出てくる。そしてそれは「あいづ 上野」で止まった。
「ここから上野に行けるってだけでも凄いよねぇ。」
僕はそれに感心しつつ、向こうじゃあり得ないほどの長距離移動に脱帽する。
ここまで来た僕たちは只見線の列車に乗る必要がある。お昼の時間も過ぎた頃だ。お昼ご飯のために改札口を出るか。只見線の列車はまだ出ない。
枕崎→広尾間の最長往復切符往路会津若松駅で途中下車
お昼ご飯を済ませて戻ってくると急行「阿賀野」と共に会津若松に入ってきた特急「あいづ」の姿は既に無く、その代わりに東北地方の普通列車でよく見る701系が止まっていた。急行「阿賀野」も既に折り返した後らしく、止まっていたホームはもぬけのからになっている。改札口で切符を見せ、ホームに入るとベージュに窓まわりを朱色に塗られたディーゼルカーがキハ58形5両が連なっている。車体側面に「奥只見 新潟(只見線経由)」のサボがさがっている。
「学生さんいっぱい乗ってる。」
萌が車内を見て言う。
「それだけ只見線が重要か、列車の数が少ないかだな。」
外から見るとどこのボックス席も学生で埋まっていた。
会津若松→只見線急行「奥只見」→小出
枕崎→広尾間の最長往復切符往路会津若松駅から使用再開
「奥只見」に乗っていた学生は会津坂下までの間にほぼ全員が降りた。5両編成の急行列車は5両つながっていることの方が不思議なくらい空く。僕もそれを気に空いた座席に足を置いた。もちろん靴を脱いでね。
「あっという間に過ぎ去ってったね。」
と萌。
「嵐みたいに言うなよ。」
僕はそう返した。
「でも、実際そう思ってたでしょ。」
「ノーコメント。」
「フフ。」
会津柳津、会津宮下、会津川口と止まっていくと風景はどんどん雪が深くなる。それに会津坂下まで減っていた乗客は微増している。只見線の沿線は豪雪地帯であり鉄道線だけが有用な交通機関になる。それを裏付けるかのように入れ替わりが激しい。
「奥只見」の車窓を眺めていたが、
「飽きた・・・。」
「へっ。」
さっきから見ていれば色は雪の白か茶色しかない。豪雪地帯を走っているとは聞いていたが、ここまで何もないと余計に暇になる。
「向こうでも只見線は乗ってたじゃん。」
「ああ、そうだけど。考えてみたら、あれって「リゾートもみじ」に乗ってたからあんまり暇じゃ無かっただけだと思うんだよねぇ・・・。」
「リゾートもみじ」とは只見線を走るのって楽しい列車の一つだ。沿線の景色もそうだが、列車内でイベントも実施されるため乗っている時間の割に暇じゃないのだ。
「ああ、それは言えるかも。」
「来る季節間違えたかな。」
「・・・また秋にでも来ればいいじゃん。」
「・・・萌はここ来たい。新幹線もないよ。」
「上越新幹線が開業したら考えるかな。」
「ハハ。いつになるんだか。」
列車は只見に到着。少ない客を降ろし、少なく客を乗っける。山をトンネルでぶち抜き、上越線と合流する小出駅に停車。ここまで付き合った急行から降り、上越線の列車で越後湯沢に向かう。
今日の夜も体の芯から温まろうか。二人でそんな話をした。
小出→上越線→越後湯沢
枕崎→広尾間の最長往復切符往路越後湯沢駅で途中下車
一口メモ
特急「あいづ」
上野~会津若松間を走る特急列車。
急行「奥只見」
新潟~会津若松間を信越本線・上越線・只見線経由で運行する急行列車。只見線沿線では中規模駅の旅客需要を披露側面が強い。
快速「リゾートもみじ」
東日本旅客鉄道が只見線で運行する乗って楽しい列車の一つ。




