7807T列車 渋々、しぶし
皇紀2745年2月23日(第1日目) 国鉄鹿児島本線西鹿児島駅。
駅ビルから駅の方向を見下ろす。ちょうど車体が真っ赤な特急列車が止まっている。白い文字で「NICHIRIN EXPRESS」と書かれている。あの「にちりん」は日豊本線経由の博多行き。鹿児島本線経由の「つばめ」の方が「にちりん」よりも早く博多に着くことが出来る。あれを博多まで乗り通す物好きは本物の物好きしかいまい。
「あれって次止まるの都城なんでしょ。」
「うん。」
「私って特急ってもうちょっと停車駅多いと思ったけど、感覚狂ってるのかな。」
「いや、別に狂っては無いと思うよ。「サンダーバード」でも京都の次福井って言うのはあったわけだからね。」
あの「にちりん」都城、南宮崎、宮崎、延岡、佐伯、大分、別府、小倉だけだった。恐らく「にちりん号」の中の最速パターンだろう。
「早いところ食べちゃおうか。」
昼食を済ませて、列車に乗る。
西鹿児島→日豊本線快速「しぶし」→隼人
枕崎→広尾間の最長往復切符往路西鹿児島駅より使用再開
乗った列車は大隅線に直通する快速「しぶし」。キハ200形4両編成で構成されており、車内には多くの人が乗っていた。席は大体埋まり、残っているのはつり革ぐらいだった。
錦江湾を眺めるように走る。今日の桜島は穏やかだ。このまま穏やかでいてくれればそれでいいのだが・・・。
隼人に着くと早速大量の下車があった。大隅線の快速なのに大隅線に行く人はほとんどいないのだろうか。そう思ってふと考えてみたら、鹿児島からフェリーが出ているんだった。鹿児島の反対側垂水に行くにはそっちのほうが早いと言うことなのだろう。
隼人からは肥薩線の列車に乗り換える。また列車はキハ220系。1両の単行ディーゼルカーだった。
隼人→肥薩線→栗野
日豊本線とは線路の格自体が違う肥薩線。この路線がかつての鹿児島本線だったとは思うまい。列車内の人間の数もさっきからガクッと落ちている。今度はゆっくりと座っていけそうである。
嘉例川、大隅横川駅では味のある木造駅舎がある。向こうではこれらは観光資源の一つとして特急「はやとの風」の停車駅とすることで活用していた。こっちではそういう施策は行っているのだろうか。まぁ、それは復路でもいいかな・・・。
枕崎→広尾間の最長往復切符往路栗野駅で途中下車
栗野駅で列車を乗り換える。次は山野線の列車に乗り換える必要があるのだが、山野線の列車まで少し時間がある。栗野駅の近くにある丸池でも見に行こうか。徒歩1分だし。
「この池って綺麗よねぇ。」
「ここまでくるのに35年・・・よく頑張ったよなぁ。」
「35年かぁ・・・。長い月日が経ってるんだねぇ。ていうかここまでくるのにそんなに経ってるんだねぇ・・・。
萌は少し黙る。
「私達あと何年一緒にいれるかなぁ・・・。」
「変なこと言うな。」
「でも。」
「終わりなんてない方がいい。そう思っていよう。なぁに、死ぬときは一緒だろ。何の巡り合わせか知らないけど、向こうの命が消えたときは一緒だったんだからさ。」
「・・・フフ。」
「何だよ。」
「何だって。柄にも無いこと言うのが面白くって。笑っちゃう。」
「酷っ・・・。本心言っただけなのに。」
「はいはい。ありがとう。それ聞き続けられたら何年でも一緒にいられそうな気がするわ。定期的にお願いね。」
「じゃあ、本心言うのもやーめた.」
「コラッ。言えっ。私は恥ずかしくないから。」
「エゴ丸出しじゃねぇか。」
栗野→山野線→薩摩大口
枕崎→広尾間の最長往復切符栗野駅から使用再開
薩摩大口→宮之城線→川内
枕崎→広尾間の最長往復切符川内駅で途中下車
一口メモ
特急「にちりん」
博多~西鹿児島間を大分・宮崎経由で運行される特急列車。行き先にかかわらずそちらをまわる全ての特急列車が「にちりん」と名乗っている。
国鉄山野線
鹿児島本線水俣駅~肥薩線栗野駅間を結ぶ路線。
国鉄宮之城線
鹿児島本線川内駅~山野線薩摩大口駅間を結ぶ路線。




