7896T列車 闇に消えた何か
皇紀2745年4月18日(第56日目) 国鉄釧網本線摩周駅。
バスで摩周湖を後にし、摩周駅まで戻る。釧網本線はあまり列車が多い路線とは言えない。次の列車はどちらも普通列車だ。そして1両だけ・・・。
摩周→釧網本線→標茶
枕崎→広尾間の最長往復切符往路摩周駅から使用再開
「あれだけいた観光客どこ行ったんだろうねぇ・・・。」
「全員、鉄道は利用しないのね・・・。」
キハ54形1両に摩周駅から乗り込んだのは僕達含め地元民と思われる人が8人と観光客と思われる人2人だけ・・・。北海道の鉄道利用は伸び悩んでいる。
弟子屈の街を通り抜け、列車は原野を駆ける。次の駅南弟子屈を通過し、磯分内駅に停車。標茶到着手前で右側から線路が近づく。木々の影に駅らしきものが見えた。あれはこれから乗る標津線の線路である。
枕崎→広尾間の最長往復切符往路標茶駅で途中下車
標茶町で時間を潰して、標津線の列車に乗る。標津線の列車はここまで釧網本線の列車に連結されており、ここで切り離されるらしい。
標茶→標津線→中標津
標津線はしばらく釧網本線を走る。先程、標津線と合流したところで標津線のキハ54形は右に舵を切る。その先にはさっき見た駅らしきものが見えるが、この列車は通過した。
見るからに仮乗降場。駅と言うにはとても小さな木の板と駅名標があるだけの簡素なものだ。多和駅と言うらしい。
「なぁんにもないねぇ・・・。」
萌が列車の行く手を見ながら言う。辺りはだんだんと暗くなり始めており、怖さを覚えるようになってくる。その中をキハ54形はまっすぐ走る。
「こんな所に鉄道敷くって相当苦労しただろうねぇ。これ夜になったら真っ暗よ。」
「そうだな・・・。本当よく敷いたと思うよ。」
向こうじゃ、標津線は利用者の低迷で廃止されている。敷いたのも苦労だろうが、維持するのも一苦労だったろう。
遙か彼方に街明かりが見えたとき、列車は「フォオーッ。。」と汽笛を鳴らし、キューブレーキがかかった。僕はとっさに近くに取っ手に、萌は僕に捕まった。
「おい。」
「いいでしょ。」
しばらく列車は「ギギギギギ。」と鈍い音を立てて止まった。
「何かあったのかな。」
「何かあったんだろうなぁ・・・。」
そう話していると「野生動物が線路上にいたため、急ブレーキをかけた」とアナウンスがあった。それを聞くとなんとも北海道らしいと思う。すると、列車はまたゆっくりと動き出した。別に当たったわけではなさそうだったからなぁ。すぐに出発できるのだろう。
「ああ、こりゃいかんなぁ・・・。」
運転士のつぶやきが聞こえてきた。何がいけないのか。僕には分からなかった。
遠くに見えた街明かりの中へと列車は入る。計根別に停車。列車はさっきの急停車で多少の遅れを持っていたものの、列車交換のための停車で遅れを取り戻し、降りる予定の中標津に到着した頃には定刻に戻っていた。
枕崎→広尾間の最長往復切符往路中標津で途中下車