05『アスパラ、迷子になる』
――カフェテリア"ロイヤルオーク"
「さて、ここのカフェで待つように言っていたはずだが」
アスタルテはそう言って、城館前の通りに並んでいた一つの喫茶店の前に立った。
ちょうどT字路の角にあるその店は雰囲気も小洒落ていて、この場に居るだけでも紅茶の良い香りが漂ってくるような場所であったが、それにしては妙に雰囲気が重かった。
大衆というよりは貴族向けだろうか。他にも、金を持っている稼ぎの良い冒険者であればここを行きつけにしていてもおかしくはないか。
柱から梁、看板にいたるまで装飾や彫刻を施したこの景観の良いカフェを、アイゼンハルトとアスタルテの二人はそれとなく見渡していた。
アスタルテは、人探し目的で。
アイゼンハルトは、店の拵えをじっくり見るため。
しかしながら捜し物とは、特に求めていない方が先に見つけてしまうもので。
アイゼンハルトはテラスの一角に異様な雰囲気のテーブルを見つけて思わず目を逸らした。
平たく言えば、男女がテーブルを囲っているだけ。
だがまず、男がでかい。異様にでかい。魔族ですらこんなにでかいのは中々いないだろうというくらいでかい。2メレトは優にあるのではないかというくらいでかい。
続いて女。もう鎧がごつい。凄まじくごつい。赤の鎧が陽を反射してルビーのように輝いているし、なんか両肩にトゲとか着いている。物凄くお近づきになりたくない。
さらに言えば二人とも後方に、明らかに魔導の力を感じる武器を立てかけている。
片刃の斧――ハルバードだろうか。あれは見るからに重そうで、そもそも人間が取り回し出来る範疇を軽く超えていることが、武人でもあるアイゼンハルトにははっきり分かった。
しかしそれでも女の武器の方が常軌を逸している。あの魔素保有量はもはや呪いの域だ。魔導司書という職業柄、色々と裏社会の魔導にも精通してきたつもりだったがあんなレベルの魔導剣は初めて見た。
そして最後に。あすこの二人、物凄い雰囲気が険悪なのである。
文句のつけどころがないほど風情のあるカフェなのに、人が少ないのは明らかにあの一角が原因だ。先ほどから空気がよどんでいるのも、妙に重苦しいのも間違いなくアレのせいだ。
……探し人があれじゃなければいいなあ。
儚い思いを胸にそっぽを向いていると、アスタルテは「あ、いたいた」と声を出して一歩踏み出す。
待ち人が見つかって良かったと思ったのも束の間。
アスタルテの足が向いた先を確認して、アイゼンハルトは慌ててアスタルテの腕をつかむ。
「待ちなされや!」
「……どうした? 待ち人が見つかったのだ。早く行くのが道理だろう」
「いやいやいやいやアレはヤバいでしょうや。どう考えても魔素爆散一歩手前の地雷でしょう。そんなところに行く理由は微塵もない。ぼかぁ命を大事にが信条なもんで」
「何を言っている。あの二人が、共和国代表のヴォルフガング・ドルイドと王国代表のカテジナ・アーデルハイドだ。ほれ、急いでいかねば彼らの苛立ちが募るだけだぞ」
「あの雰囲気の悪さはぼくらが原因なんで!? ていうか苛立ってるのが分かるのにそこに突っ込むとかいやすぎるじゃあらんせんか!」
「僕たち、というよりはきみだなアイゼンハルト。きみが遅いのが悪い」
「知らんがな! 急いでいくなんて一言も……」
ふとそこでアイゼンハルトは思考する。
「……アスタルテさんや。なんて言って待たせてあるんで?」
「"すぐに帝国が保有する世界最強の武人を連れて来るゆえ、下賤なる他国の矮小よ、しばし待っているがいい"」
「お 前 が 原 因 だ ボケェ!? 何を無駄に煽ってるんで!? 馬鹿じゃあらんせんかこのクソ上司!!」
「馬鹿とは心外だなアイゼンハルト。きみが五カ国の代表の中でも最強であることを誇るがいい」
「誇るがいいじゃああらんせんわ!! 勝手にあんさんが言ってるだけでしょうが!」
「それではあんな筋肉ダルマと、鎧で威嚇しなきゃ大したことも出来ない堅物女を相手にきみが後れを取るとでも?」
「そうは言っちゃいませんが……」
しかし酷い言いようだなと思ったところで、ガタ、と椅子を引く音がした。
あー、そういえば結構でかい声でしゃべっていたなあ。
死ぬかもしんない。
振り返るのも怖かったが、こんな真昼間から荒事もしたくなかったアイゼンハルトはいかにしてこの場を切り抜けるかを必死で考える。そして、ふと思い立ってアスタルテに向けて言葉を発した。
しかし奇しくも、向こうも口を開いたところだった。
「って道中アイゼンハルト(アスタルテさん)は声を大にして言っていた(じゃああらんせんか)な!」
……。
「上司を売ったな!?」
「あんさんこそ当たり前のように部下を売りやがって!!」
と、ぎゃーぎゃーと醜い争いをしていると。
「楽しい会話中のようだが、少しいいか?」
「はあ、なんでござんしょはぅわ!?」
振り向けば、そこには輝く赤鎧に身を包んだ女性が一人。
パーマがかった金髪を後ろで纏めた、見目麗しい人であった。
というか、先ほどまで例の席に座っていた女性――カテジナ・アーデルハイドである。
「それじゃあ僕は政務があるので失礼するよ、歓談あれ」
「あ、ちょ、逃げるつもりじゃあらんせんかアスタルテさん!!」
「逃げる? 何を言っているんだ貴方は」
「ああいやそういう意味でなく」
にこりと口元を緩めた彼女は、アイゼンハルトの前に立つと籠手に包まれた手を差し出した。
「カテジナ・アーデルハイドだ。貴方がかの有名な第二席か。名前を伺っても?」
「ああどうもご丁寧に。ぼかぁ、アイゼンハルト・K・ファンギーニってもんでさぁ」
すんなりと手を握ったその瞬間、びきびきびきと丸太を潰すような嫌な音がどこからか聞こえてくる。
どこからだろう、とアイゼンハルトは目を下ろし――自らの手が握りつぶされていることに気付いた。
「みぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!」
「"鎧で威嚇しなきゃ大したことも出来ない堅物女"だが宜しく頼むよ」
「ぼかぁなんにも言っちゃいませんでしょうや!? ぼかぁ悪くない!! あんさんはうちのクソ上司の言葉に誑かされてるだけだ!!」
「ほほう? 確かにあの第一席も大した煽りを見せてくれた訳だが……貴様、忘れてないか?」
「へ?」
「あたりまえのように、私よりも貴様が強いなどと」
「そこ!? 負けるつもりはあらんせんとは確かに言ったでしょうが、痛い!! 痛い痛い痛い痛い!!」
「ふん、白いアスパラみたいに貧弱な癖をして」
「ちょっと待ったぁ!! なんでそんなピンポイントな悪口をっ」
「その第一席が言っていたぞ?」
「あんのクソ上司いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
ようやく解放されて、真っ赤になってしまった右手をさすりながらアイゼンハルトはカテジナを睨んだ。まるでメストロールのような握力だった。
「まったく。……まあいい、私は膨大だからな」
「寛大の間違いじゃ」
「ああ!?」
「今のはぼかあ悪くないでしょうや!!」
確かに筋肉量は膨大そうだ。と失礼なことを考えつつ。
そういえばもう片方の男はどこに行ったのだろうと隣を見た瞬間、そこにはごつい胸板があった。
「おお!?」
「……アイゼンハルト君」
上から響く低い声に、アイゼンハルトが顔をあげるのとほぼ同時。
振り下ろされた拳骨が、一切の殺気も無く振るわれた。
ゴン、と鳴り響く鈍い音。
「……め、だぞ」
「子供叱るみたいな言い方された!?」
のしのしと席の方に戻っていく男――ヴォルフガングを見届けて。
カテジナは軽くため息を吐くと、アイゼンハルトを見て言う。
「対魔決起集会では、貴様とあの大男とあと二人でパーティを組むらしいが。もし見るに堪えない阿呆ばかりであれば、私はさっさと自分のチームを率いて魔王討伐に向かう保存だ」
「所存では」
「やかましい。分かったな」
「理不尽が積み重なってつらい……」
がっくりと肩を落とすアイゼンハルトを放って、カテジナはヴォルフガング同様、先ほどまで自らが座っていた席へと戻った。
もう一度話しかけたところで同じセリフしか言わないような気がする彼らを一瞥して、アイゼンハルトは軽く嘆息した。あの様子では、彼らはしばらく動くこともないだろう。
さて、どこに行こうか。
アスタルテはいなくなってしまったし、あの席に混ざる気にもなれない。
アイゼンハルトは仕方なく踵を返すことにした。
それにしても、あの二人とこれから魔王を倒す旅に出ることになるのか。
賑やかにはなろうが、それは自身が望むような和気あいあいとした雰囲気にはならないだろうなと。そんな予感がしてアイゼンハルトは頭を振った。
前途多難とはまさにこのことだ。
あと、おそらくカテジナはこの熟語を間違えるだろうなとも思った。
――ティルテイア市内
そろそろ日も傾いてきた時間帯。
しかしながらメインストリートのマーケットは寂れることを知らず、各々の店が灯りを持ち寄って商売を続けている。先ほどアスタルテが食べていたデザートシャークの炙り串や、香辛料の効いた肉料理を堪能したアイゼンハルトは、そろそろ宿屋に向かおうと路地に入ったところだった。
するとあら不思議。
この町はメインストリートを外れるや否や複雑な路地が折り重なった作りになっており、アイゼンハルトは宿屋を探しつつこの蜘蛛の巣のような道を楽しむことが出来ていた。
なんでも外敵の侵入を阻むため、そして疲労したところを狩るために視覚だけでは上手く目的地にたどり着けないような仕掛けが施されているとか。魔導の気配がしないのが逆に対侵入者に上手く作用しており、なるほど、なかなかどうして難しい道のりであった。
「……迷った」
侵入者は膝をついた。
「え、ちょ、ええ……。馬鹿でしょうや帝国。なんでこんなわけの分からん路地に宿を取るんで? 明らかに坂道かと思ったら地面の塗装のせいでそう見えてるだけだし。道を曲がれば曲線で、どの程度の角度を曲がったのか分からんし。あと岐路多すぎるし。おかしいでしょうや。これどう見ても罠じゃあらんせんか。対侵入者用じゃあらんせんか。平時くらい看板とかおいてくれてもいいんじゃあらんせんかってくらいめちゃめちゃ難易度高いでしょうや」
もうすぐ陽が沈むだろう。壁に挟まれた狭い道を見上げれば、街灯などどこにも見当たらない。建物の窓に運よく明かりが見えれば御の字だろうが、それも運が良ければの話。
もう壁を蹴って建物の屋上に登ってしまおうかとも考えたが、変に目立ってしまえば"主要五カ国の重鎮"を招いている状態のこの町だ。警備に本当の侵入者と間違えられては目も当てられない。
とはいえ、そろそろ詰みならもうその禁じ手を使ってしまおうかと、そんなことを思い始めた時だった。
「あん? よぉそこのひょろいの。どうした?」
「お、おお……!」
人が居た。
迷子は泣いて喜んだ。
「な、なんで突然崇められてんだおい、やめろやめろ気持ち悪ぃ。さては迷子かテメエ。確かにこの辺りは曲がりくねって面倒臭ぇからな、確かに僕も初日は迷ったもんだが……」
「み、道が分かるんで!?」
「縋るな縋るな!! 案内してやっからちょっと待ってろってんだったく。うちの馬鹿共だってもう少し気骨があるってんだ。ほら、しゃんとしやがれ」
逆立った白髪の青年は快活に笑うと、アイゼンハルトの背をぽんと叩いて続ける。
どことなく不良のヘッドのような印象を受けるその青年は、「着いてきな」と一言だけ言うと呼び寄せるようにハンドサインを出してから先導して歩き出した。
道中の会話はまさしく不良が新たなダチ公を得た時のそれであった。
「僕はランドルフっつーんだが、お前の名前は?」
「アイゼンハルトってぇもんですわ」
「ほーん、かっけえ名前じゃねえの。いいねぇ、僕はかっけえ名前が好きだ。さっきは情けねえと思ったが、立ち居振る舞いは武人のそれだろ。体幹もすげえしっかりしてっし、ひょっとしたらテメエ、結構強ぇのかもな」
「あー、まあ。人並み以上、くらいには嗜んでますが」
「呵々(かか)! そいつぁ良い! テメエ、僕に伝えた以上に己の武技には自信持ってんだろ。分かるんだよ、そういうのは。これでも悪さばっかしてる馬鹿共を纏め上げてんだ。テメエの中の"漢"を感じた。はっきり分かるぜ、僕はお前のことは気に入った」
「いや、ぼかぁそっちの趣味は」
「僕だってねえよ馬鹿が。ただ、単純に、ダチ公の騎士たちと馬鹿騒ぎしてる時にテメエも居たらさぞ愉快だろうと思っただけだ。良ければこの後教国に来いよ。僕はちょっとばかし出掛けなきゃならねえんだが、なぁに十日もあれば済む用事だ」
楽しそうにランドルフは語る。それはもう、新たな友達を得たガキ大将の喜びのようだった。アイゼンハルトは、ランドルフという名前をどこかで聞いた気がしたが。
流石にそんな偶然があるはずもないし、こんなガキ大将が"光の神子"だの"現人神"だのであるはずがないのではという考えからその思考を排除していた。
十日で済む魔王討伐などあってたまるか。
「ほい、出たぜ。この大通りは、メインストリートに面してる通りだ。このまま歩いてけば見えてくんよ。ああ、せっかくだ。僕が気に入ってる串焼きの店に連れてってやるよ」
「ほう、串焼き。気になるじゃあらんせんか」
「僕が太鼓判を押してんだから間違いねえよ心配すんな」
ばしばしとアイゼンハルトの背中を叩きながらランドルフは言う。
と、背中の蓑に隠していた二本の槍――アイゼンハルトの得物にその手が当たった。
「お、悪ぃな。……やっぱりちょっと、それなり以上に強そうな奴の得物は気になってよ。槍か。いいねえ、それも二本と来た。一本は予備か?」
「一応、二槍流ってぇ形になるんでしょう。両手に一本ずつですわ」
「呵々!! 面白ぇ! そんなスタイルの奴とは戦ったことねえや! そういや帝国の魔導司書にそんなのが居た気がするが……何席だったかな」
「二席じゃあらんせんか?」
「お、そうそう! テメエ、覚えてんのか。僕は周りからは魔導司書全員を同時に相手取れる、とかなんとか言われてるけどよ、やったことねえから楽しみなんだよ。確か魔導司書の六、八、九、十席? だったかは纏めて相手したことあんだが、言われてみりゃ片手で余裕だったしなあ」
「あっ」
「ん? どうしたよアイゼンハルト。あーいや、僕は帝国との戦線に何度か立ったことがあるだけだ。別に帝国に忍び込んでドンパチなんてアホで外法なこたぁしてねえよ」
「あーいや、何でもあらんせん」
「呵々! 変な奴だなテメエ」
アイゼンハルトは何かに気付いてしまったようだ。
具体的には、目の前の青年の正体に。「おお、ここだここだ」と言って串焼きの屋台に顔を出したランドルフは、店主と軽い楽しそうなやり取りをした後串焼きを二本注文していた。
「……ところで、あんさんの言ってる馬鹿共ってえのは」
「お、入るか? 自分で言うのもなんだが、賑やかなチームだぜ? 一応扱いとしちゃ騎士になるのかな。モヒカン頭とかリーゼントとか多いけどよ、みんな気の良い奴らさ。十字軍って名乗ってる」
「それ別にチームの呼び名じゃなくてひょっとして教国正規軍の精鋭部隊じゃ……」
「ああまあ扱いはな。んなこたどうでもいい。僕らは地元のために戦うチームで、僕はそのヘッドだ。クールだろ?」
「……あー」
もはやアイゼンハルトは沈黙するほかない。ましてや自分が帝国の、それも特務部隊の所属であるなど絶対言えない空気だ。
と、串焼きが焼きあがったのか店主が取り出した二本の串のうち一本を、ランドルフはアイゼンハルトに投げ渡す。
「こいつは僕が奢ってやんよ。なぁに、新たなダチが出来た祝いだ」
「や、そんな」
「まあまあ、食ってみろって」
ぽんぽんと肩に手を置かれては、アイゼンハルトも渋々懐に入れていた手を諦めるしかない。とりあえずこの芳醇な香りのするたれと、名産のデザートシャークのハーモニーを楽しませて貰おうとかぶりついた。
「っ!!」
美味い。それは分かっていたはずなのに、想像の遥か彼方の調和がそこにあった。
タレはほど良く焦げており、それでいて余計な苦味は一切無い。ただただ炙りたての旨味と香ばしさが口の中に広がり、良質なぷりぷりの肉を引き立てていた。
噛み心地がひたすらよく、噛む度に溢れてくる肉汁がこれまた熱く美味い。
「な、美味ぇ!! って叫びたくなるだろ」
隣で、好きなものを共有できた喜びを全力で表現するような笑顔のランドルフが言う。
その表情は屈託なく快活で、無邪気で。そうであるがゆえに、アイゼンハルトは黙って肉の感想を伝えるべく頷くしかない。
……嫌でも明日には顔合わせがあるというのに、どうしようかとアイゼンハルトは頭を抱えることになった。