04『祭典の町、ティルテイア』
――パメラの村
「本当にありがとうございました!!」
「あーいや、まあはい、上司に伝えときますんで」
翌朝。勢いよく頭を下げるパメラ村長夫婦に、バツが悪そうに後頭部を掻くアイゼンハルトの姿があった。隣には未だ頬の赤いアンナと、それから二頭の馬が用意されている。
パメラの村、入口。つい昨日、アイゼンハルトが馬車たちに置いていかれて呆然としていたこの場所に、今度は別れを告げるべくこうして立っている。
「まあトロールの処分に関しちゃお任せしますんで。好きに売るなりなんなりしてこの村の糧にしてくださって構いませんわ」
「……何度も言うようですが宜しいのですか? このトロールの皮だけでも大きな財産になりますよ?」
「どの道持っていくことなんざ出来やしませんでしょう。ぼかぁ、この村が気に入ってるんです。幸せそうで、あったかくて、美味い飯が食える。そんな営みをこれからも続けて貰いたいってぇ、ぼくの気持ちで」
「……そういうことでしたら、本当に、ありがとうございます!!」
「あー、何度目でしょうやこのやり取り」
アイゼンハルトと村長が言葉を交わしている間、アンナと村長夫人の間でも会話があった。
とはいっても、こちらはそう明るいものではない。
懸命に頭を下げる夫人に対して、アンナはしぶしぶ袋を受け取っていた。
「この度は愚息が大変申し訳ありませんでした」
「いいんですいいんです。結果的に平気でしたし、その、私もそれなりに帝国書院の職員ですから? 戦えましたし?」
「こちらは迷惑料です。どうか、どうかお納めください」
「あれ、えっと、戦えてたって部分に反応は」
「お納めくださいませ」
「あ、は、はい……」
袋の中には、結構なガルド硬貨が入っていることが窺えた。帝国で使えるかどうかは後で確認してみないことには分からないが、そもそも帝国にいつ戻れるかもわからない。
一つ諦めるように息を吐いて、アンナは懐に巾着を仕舞った。
「それで、ドラフさんは」
「愚息でしたら、部屋で気絶したままですよ。あの馬鹿には良いクスリです」
「……そう、ですか」
複雑な感情を胸に、アンナはため息を吐いた。
とはいえ、特にもう会うこともない相手だ。さっさと割り切るに限る。
「アイゼンハルトさま、行きましょう」
「そうですなぁ」
ひらりと黒い馬に跨ったアイゼンハルトと、隣の栗毛に乗ったアンナ。
「そいじゃ、失礼します」
「さよーならー!」
軽く馬の腹を蹴って、二人は走り出す。
二人を見送るように村長たちはいつまでも手を振っていた。
――"陸の漁港"ティルテイア
吹き荒ぶ熱砂の中から一点、白い壁に囲まれた大きな町がある。
貿易都市として四方から多くの商人が集まる陸の漁港。
またその特異な環境と堅固な城塞の形から非常に守り易く、小国でありながら今も存在している貴重な町でもあった。
城館と呼ばれる中枢には"太守"と呼ばれる国家のトップが存在しており、彼の采配によってこれまでこの町はあり続けてきたという。
「……と、昨日お話していたことを含めて、ティルテイアの情報はこんな感じでしょうか」
「や、十分でさぁ」
二人はそんなティルテイアの町がようやく見えてきた辺りまで馬でやってきていた。
あと一刻もしないうちに、あの町に辿り着くことだろう。
馬に無理が出ない程度に走りつつ、アンナはふと思い立って声を出した。
「あ、あの! アイゼンハルトさま!」
「なんでしょ」
「き、昨日は何もできなくて、すみませんでした!」
「あー、まあ。あれはその。後から聞いた話で色々察してんで大丈夫でさぁ。……馬の上でそんな頭振って謝ると舌噛むんじゃあらんせんか」
「あ、ぁう」
「それ見たことか!」
「あ、違います違います! その、なんというか、お恥ずかしいと言いますか」
「乙女の柔肌はもう少しこう、大事にした方が」
「あの時はアイゼンハルトさまの武技に無我夢中で!」
「や、流石に全裸は」
「う、うわあああああああああああああああん!」
とうとうアンナは馬の背に顔を埋めてしまった。彼女の栗毛が、そりゃねえんじゃねえの? というような顔でアイゼンハルトを見つめてくるのが妙に心に来る。
なんだかんだ昨日の件は丸く収まった。
アイゼンハルトとしては、あとはアスタルテに一発ぶちかませば気が済む。
そうこうしているうちに、ティルテイアの町の前に二人は到着。
アンナがさらりと帝国書院の身分証明諸々を対応し、馬を預けて入国審査。
どれもこれも彼女がさっさとやってくれるので、「普段は有能だなあ」とアイゼンハルトはぼんやりとその背中を眺めていた。
「ティルテイアの町。聞いちゃおりましたが、やっぱり結構な人ごみじゃああらんせんか」
「ほぁー。ここがあの、ティルテイアかぁ……」
数刻後、アイゼンハルトとアンナの二人は町の入り口に立ち尽くしていた。
石造りの巨大な門の下を通る街道はこの町のメインストリートだ。多くの馬車の他、人力の荷車が商用の品を運んでいたり、多くの部下を引きつれた商人たちがあれもこれもと売買に精を出している。
陸の漁港と呼ばれる所以はここにあるのかと感嘆のため息を吐くアイゼンハルトの隣で、アンナも同じように目を輝かせていた。
「アスタルテさんは皇帝陛下と一緒に諸々手続き。……ほっとかれてるってぇことは、まあぷらぷらしてろってことでしょうや。……そういえばアンナさん。他の国からはどんな奴が来るんで?」
「あ、そういえば忘れていました!」
他の国から来る奴。アイゼンハルトが示しているのは当然ながら、彼と共にパーティを組んで魔王軍討伐に向かう面々のことだった。
今回の旅の目的を忘れたわけではないものの、昨日の一件のせいでうやむやになってしまっていた感じはあった。
ぽん、と手を打ってからアンナは一つ咳払い。
朗々と語るように人差し指を立て、きょとんとするアイゼンハルトを置いて。
「それでは御清聴ください」
なにをだ、というツッコミを入れるよりも早く。
さながら吟遊詩人のように、詠いだした。
「対魔決起集会。それは、襲い来る魔族に対して世界が打ち出した答えだった。
各国から集められたのは、誰も彼もが世界最強と謳われた戦士たち。
公国、王国、共和国、教国、帝国、の計五カ国。
五つの国から集った各国の代表は、まさに夢のパーティだった。
公国からは、史上唯一の"Sランク冒険者"
アレイア・フォン・ガリューシア。
魔導のサラダボウルと呼ばれる公国にあって、全ての国の魔導を扱える最高峰の魔導師。
対国家級と詠われたその大規模魔導が世界を穿つ。
王国からは、"選ばれなかった聖剣使い"
カテジナ・アーデルハイド。
魔王軍の爪痕を色濃く残した王国の辺境にあって、誰もを選ばなかった聖剣を力任せに引きずり出した強き意志の人。彼女の聖剣の瞬きは、怒りの奔流の前兆と知れ。
共和国からは、"突然変異のハルバーディア"
ヴォルフガング・ドルイド。
二メレトを超える身長を持つ人間として、共和国で噂になった生粋の武人。
五百クラゲリメもの巨大なハルバードを軽々振るう。その風圧はただ、人々を守るために。
教国からは、"光の神子"
ランドルフ・ザナルガンド。
存在自体が奇跡と謳われた紛うことなき全能の天才。
彼がたった一つ知らないものがあるとすれば、それは敗北という経験だけ。
そして最後に帝国からは、"書陵部魔導司書第二席"
アイゼンハルト・K・ファンギーニ。
並び立つ者無き至高の武者。神域に到るその武技はまさしく当代最強。
彼が己の槍を抜いた時――」
「やめなされやお恥ずかしい!!」
「ぴぎぃ!?」
それは神速のチョップだった。
「な、なんてことするんですかぁ!」
「ここがどこだと思ってるんでしょうやこの人は! 天下の往来で何を朗々と、しかもその、やたらお恥ずかしいむず痒い感じのことを!!」
「なっ……む、むず痒いってなんですかぁ! これはですねえ、由緒正しき」
「由緒正しき」
「――私が一生懸命作った歌です!!」
「馬鹿にしてるんじゃあらんせんかこの副官ぁ!!」
「不撓不屈の雑魚はこの程度は屈しません! 屈しませんよ!!」
「そのネーミングセンスを受け入れてる時点でお前さんに才能なんかあらんせん!!」
ぷっく~~と頬を膨らませる不撓不屈の雑魚。
なお、先ほどから一歩も動いていないため本当に門前天下の往来であった。
馬車や荷車の類が邪魔そうに避けていくのも、みょうちくりんな歌を聴いた通行人が足を止めるのも居たたまれなくなってきたアイゼンハルトはアンナを連れ立ってそそくさとその場をあとにする。
「いいじゃないですか、素敵じゃないですか今の歌」
「詩吟を嗜んでいるわけじゃああらんせんが、それにしたって誉めそやし過ぎでしょう。特にあの、ランドルフ? 教国の人。適当過ぎやしませんか天才て」
「あれは仕方がないんです! 本当にあのひとの性能だけは意味不明なので」
「ってーと?」
「アイゼンハルトさまと同じく武芸の達人で、アスタルテさまと同じく"現人神"スキル持ちで、保有魔素も魔導司書クラスで、エンシェントロードのクラスで、教国の十字軍団長を務める猛者で、光の神子」
「なんでしょうやそのぶっ壊れ」
とある世界で例えるならば、
世界大会に出るほどの運動のアスリートでありながら、世界に三人居るかどうかわからない能力持ちで、学力も数学オリンピックに出場できそうで、財界の有名人で、それでいて軍のトップで、次期大統領の器を持つ、だろうか。
もし全て事実なら、なるほど確かに今回の集会はまさしく"世界から最強を集めてきた"という言葉に遜色ないものだろう。
そんな事実が在り得るのかと首を傾げるアイゼンハルトだが、アンナの説明にはもう一つ引っかかる部分があった。
「ところでアンナさん――」
「あの、アイゼンハルトさま、すみません!」
「なんでしょうや」
ぱん、と手を合わせたアンナは、アイゼンハルトに平謝りしつつ一歩下がる。
メインストリートのど真ん中でそんなやり取りをしていては邪魔なだけなので困惑するアイゼンハルトだったが、アンナはそのまま言い切るようにして続けた。
「ちょっとやらなきゃいけないことがあるので、一度これで失礼いたします! 宿屋でお会いしましょう!!」
「え、あ、ちょっと!?」
言うがはやいか、路地の方へぱたたーっとアンナは駆けていってしまった。
追いかけようにも、人ごみでごった返す中すぐに彼女の姿は消えてしまう。
見失ってしまっては仕方がない。宿の場所は知っているようだったし、アイゼンハルトは諦めてこの地の観光を楽しむことにした。
ふと見上げれば、街道を跨ぐようにして張られた横断幕には
"対魔決起集会――人間に希望の光あれ"
"ようこそティルテイアへ"
"歓迎 主要五カ国の皆さま"
などなど、なるほどこの町が今盛大ににぎわっている理由が理解できる文字列がところせましと書かれている。
実際、魔王軍は人類にとっての脅威だ。
彼らは如何なる手段によってかワープを使用して様々な町に襲撃を仕掛け、着々とその振興地域を広げている。次に、いつ、どこに攻撃を仕掛けてくるか分かったものではない。
しかしながらはっきりと、各国の国力を削ぎに来ていることだけは分かる。
このまま人間がのうのうとしていれば確かに、本当の闇の時代が来てしまうことだろう。
「それを防ぐためのぼくら、ってえことですかい」
「もぐもぐ……ああ、そういうことだな」
道沿いの屋台でデザートシャークの炙り串をむさぼっていた人物に、アイゼンハルトは声をかけた。
アスタルテ・ヴェルダナーヴァ。
ほかならぬ、アイゼンハルトの上司である。
そしてここに彼を放り込んだ張本人でもあった。
相変わらず男か女か微妙に判別の付きづらい風貌をしているが、黒コートの背に書かれているIの文字がアスタルテの所属、そして序列を示していた。
とりあえずアイゼンハルトは無言で拳を繰り出した。極めた武技による、前動作の全くない不意打ち。しかしながらアスタルテは首を傾げることで簡単によけると、何事もなかったかのように口を開いた。
「表通りで銀髪の男と、帝国書院の制服を着た少女がコンサートを開いているというから来てみたんだが」
「この短時間でそんな噂に!? あとさらりとぼくまで歌ってる!?」
「通りにこの人数だ。入り口のことを話している人間も少なくないだろう」
「ああ……無駄に目立ってる……変に尾ひれもついてらっしゃる……」
額に手を当てて唸るアイゼンハルトをよそに、アスタルテは炙り串を平らげながら。
「そんなことよりも、きみを呼びに来たんだよ」
「は? 好きに観光してて良いって」
「後から来いと言っただけで、そんなことは言っていない。勝手な解釈はきみの自由だが、事実を捻じ曲げるのはやめたまえ」
「ああ、そうでした……。で、着いてこいってぇのはどこにでしょうや」
「城館近くのカフェだ。王国と共和国の代表がそこに居るのでな。せっかくだから先に顔合わせでもしてくるといい。これから魔王を倒すまでの間、共に戦う仲間になる」
「即席パーティかぁ……いい人たちだといいなあ」
「安心しろ、イイ性格の者どもだ」
くるりと背を向けたアスタルテは、そのまま人ゴミを上手くすり抜けるようにして歩いていく。必然的にあとを着いていくことになるアイゼンハルトだが、その途中で気が付いた。
明らかにアスタルテを避けて人々が進んでいることに。
「背中に視線を感じるが、どうした?」
「人払いの結界でも張ってるんで?」
「はあ? ……ああ、そういうことか。人払いの結界があるとすれば、このコートだろうよ。それを言うなら、書院でもきみしか着用を許されていない隊服はどうした」
「ああ、なるほど。馬車に預けてしまいましたが」
「まったく。着用を義務付けるべきかな……」
要は、"帝国書院書陵部魔導司書"の隊服を着ているから他の人が避けているのだ。
ということになる。流石は帝国最強の部隊。功名も悪名も高いが故に、民衆はことを構えたくないのだろう。ぶつかっていちゃもんでもつけられたら悲惨だ。
……それを考えると、アイゼンハルト自身も己の席次が刻まれたコートを着てきても良かったかもしれないと思う。普段はやけに周囲を威圧している気がして嫌だったが、こういうときは申し訳ないけれど人避けにはなった。
「そういや、一応報告はしておきまさぁ。魔王軍の手先、トロールが二十と吸血鬼が一、ガーゴイルが一。通信機器みてえなもんは持ってなかったんで、ひとまず始末したってえところでしょうか」
「ふむ、ご苦労だった」
「黙って置いてったことについて少し弁解してくれてもいいんじゃあらんせんか」
「きみならやってくれると思っていたさ」
「死ぬほど納得がいきませんが!?」
声を落としての報告はしかし、アスタルテにとっては特に驚くに値しないもののようだった。まったく表情も変えずにあっさりと言葉を返されては、流石のアイゼンハルトも閉口する。
しかしそれすらも気にした様子はなく、アスタルテは問いかけた。
「……アンナ・F・コミットはどうした?」
「用があるとかで宿屋で待ち合わせってぇことになりました」
「ふむ、用事か。彼女もこの町は初めてだと言っていたが、知人でも居たのかな」
「そんな軽い理由じゃあらんせんかと。一応任務中でしょうや今」
「それもそうだな。あっはっは」
するすると人ごみを抜けて、辿り着いたのは城館と呼ばれるこの町の中枢。
流石にこの辺りは人影もまばらで、だからこそアイゼンハルトは先ほどから気になっていたことを問いかけることにした。
「そういやぁ、アスタルテさん」
「うん?」
城館の付近で目的のカフェを探し、きょろきょろと辺りを見渡しているアスタルテに声をかける。アスタルテはといえば特に感慨も何もなく軽い返事をしながら、視線を合わせることもない。
「……お前さん、現人神であることを誰かに言ったりしたことありましたっけ」
「ふむ?」
「ふと思っただけなんですがね」
くるり振り返ったアスタルテの目の色は思いのほか鋭い。
アイゼンハルトは視線を逸らすようにして雲の流れに目をやりながら、とぼけたように続きを促す。
「……きみ以外に、という枕詞が付くが。ここ数十年ほどは、一度も口にしていないな」
数十年。
その間、アスタルテの見てくれはそう変化していないことだろう。今だって、ぱっと見ではアイゼンハルトより年下にすら見える。年齢と見た目が釣り合わないのは、魔族か、何等かの呪いを受けた者か、或いは"現人神"と呼ばれる、己の魂に神を宿した者だけ。
アイゼンハルトが生まれる前から今に至るまで、アスタルテが現人神であることを告げた相手は他に居らず。そう考えると、腑に落ちない点が一つ。
「それがどうかしたか?」
「いんや。ちょいと気になっただけでさぁ」
「確か教国の光の神子は現人神だったか。その関係かな。僕の生の中では、二人目の同業になるか」
「職業みたいに言いなさんなや」
ひとまず、この疑問は己の心の中だけにしまっておこう。
妙なひっかかりを抱いて、アイゼンハルトは大好きな青空を眺めていた。