02『山間の村パメラ』
――白銀の街道
石畳で整備された道を行く馬車の群れ。
黒地に赤のラインが施された意匠で統一した馬車群は、全てが帝国のものであることを示している。六頭立ての重厚なボディは生半可な物理攻撃など受け付けない仕様になっており、それが帝国の財力と威容をいっそおおげさなまでに表現していた。
連綿と続く馬車の後方から十二番目。
他と変わらない仰々しい黒の鋼鉄の箱の中、二人の男女が対面に腰かけて会話に興じていた。会話というよりは、レクチャーという方が近いだろうか。
「魔界による侵略に対し、人間界側は改めて力を合わせ一丸となって国を守ろう。
長きに渡り争ってきた戦いの歴史に終止符を打ち、共通の敵に目を向けるのだ。
我ら主要五カ国が手を取り合えば、おのずと魔界に対しての勝機も見えてくるに違いない。
故に、和平と協力を誓い、共に魔を倒す意志表示を。
――ありていに言えば、今から向かうティルテイアの町で行われる集会の意図はそのような感じになってます。対魔決起集会、と呼称されてるんですけど、ご存じでした?」
「正直、ほとんど初耳でさぁ。ティルテイアの町ってのも聞いたことがないんですが、どこの国の所属で?」
既に帝国領を離れ、今は草原の中に通された街道を走っている状態。
あと一日もあれば目的のティルテイアに到着すると先ほど御者から通達を受けたアイゼンハルトは、念のために予備知識を入れておこうと"副官"として着いてきた少女に情報を話して貰っている最中。
丸三日もの間の馬車の旅は、やはり慣れない。
どうしても暇になってしまい、普段はどうでもいい仕事先の話などを彼女から聞いていた。
「ティルテイアの町は、主要五カ国とは関係のない独立市国になっています。女神クルネーア信仰が篤い意味では教国と似通っていますが、場所が共和国と公国の間にありますのでちょうど大陸の真ん中辺りなんですよ。だから、集まりやすかったのかなと思います」
「どこの国の勢力圏でもないからってぇことでも、ありそうな感じでしょうなぁ。そいで、ぼかぁティルテイアの町に着いたらどうすれば?」
「アスタルテさまとは別行動で、ティルテイアの町を警邏するようにとのことです」
「ああ、好きに観光してろと」
「え、それでいいんですか?」
「あの上司の命令の仕方にゃあ、これでも慣れてるもんでさぁ」
「ほぁ~……」
「な、なんでしょうやそのきらっきらした目ぇは」
たった二人を収容するにしては無駄に広い馬車の中。
後部座席に座っていたアイゼンハルトの対面で目を輝かせている彼女が。
上司曰く、"不撓不屈の雑魚"アンナ・F・コミットである。
「えっ、あ、申し訳ありません! で、でも、自分の職場でも有名なトップ2のアスタルテさまとアイゼンハルトさまの、分かり合っている感じがなんだかこう知られざる日常とでもいいますか……!」
「は、はぁ……」
アンナにとって、帝国内の各所で活躍を聴くアスタルテやアイゼンハルトという存在はアイドルにも等しいものなのだろう。時折アイゼンハルト自身、ファンだという人間から握手やサインを求められることもあるから彼女の気持ちも分からなくはなかったが、それでもなんだかムズかゆいものがある。
所詮、お手製のケーキを挟んで漫才を繰り広げるような連中でしかなく、アスタルテはともかくアイゼンハルト自身はちょっと腕が立つだけで、アンナと同じ人間だ。
いったいどんな風に思われているのだろうなと、アイゼンハルトは頬を掻いた。
「でも、意外でした」
「ってぇと、どういうことでしょう」
「単独戦力としてこの上ない実力者、魔導司書第二席。そんな風に勇名聞き及んでおりましたので、もっと筋肉!! みたいな人かと」
「すんません……白いアスパラですんません……」
むん、とアンナが両腕に力を込めるのを見て、アイゼンハルトはバツが悪そうに苦笑い。
数日前アスタルテにも揶揄された"白いアスパラ"というのはアイゼンハルトの渾名で、それも彼の見た目由来のものだ。両腕両足ともに特に剛健というわけではなく、そこそこ以上に細身だ。長身痩躯という言葉が似合う彼の風貌に色白な部分を足して白いアスパラ。
彼の綺麗な銀髪も、その渾名に一役買っているに違いない。
もっとも、この男をそんな馴れ馴れしいあだ名で呼べるのは帝国でも三人と居ないのだが。
白いアスパラの癖に。
「白いアスパラ、ですか……あっ」
「あっ、ってなんでしょうや。確かに、とかこれ気づいちゃいけない奴だった的な反応されるとこっちも物凄く対応に困るんですがね!?」
「あ、いえ、いいと思います! はい! 揚げると美味しいし!」
「フォロー下手か!」
「も、申し訳ありません! 申し訳ありません!」
「そんなに謝らんでも、あの、ちょっと座席にめっちゃ頭打ってる! 痛いでしょう!? やめなされや!!」
やっぱりまともじゃなかったと、アイゼンハルトは窓の外を眺めて現実逃避。
額を赤くした彼女はなんだかまだ申し訳なさそうな雰囲気だが、それよりもう少し自分を大事にしてほしいと切に願う。
「……それにしても、アンナさんや。なんでまた"雑魚"なんて二つ名受け入れたんで?」
「へ? え、いや、どんなものでも二つ名貰えるって嬉しいなーって……なんかまずかったでしょうか」
「いや、アンナさんが良ければいいんじゃあらんせんか……」
「はい! 光栄です!」
満面の笑み。
なんだか、本当に雑魚呼ばわりでも平気そうな彼女に少々不安を隠せないでもないのだが。
アスタルテが、彼女を有能であると判断した以上は変に疑うのも失礼だと思いなおす。
「あ、町の話の続きですけど。ティルテイアの町は人口二十万人前後。流通の中心にあるからか、"陸の漁港"と呼ばれるくらいに商業が盛んな町ですね。名産はデザートシャークや香辛料の多い料理だそうです。市国という環境からか兵団は精強、それも防衛に特化しているようで、魔族との戦いでも負けたことがないとか。勝利出来ずとも町を守る。食料の備蓄も、かなりあるようですね」
「……それ、いつお調べに?」
「へ? あ、馬車に乗る直前に仕入れてきましたけど……」
「Oh」
なるほど。有能だった。
馬車に乗る直前に仕入れることが出来たということは、つまりそのタイミングで情報を手に入れられるように事前に調査を出していたわけで。その辺りの下準備に余念がない辺り、流石は諜報部出身だと言える。
……なんでこれが不撓不屈の雑魚になるのかは分からないけれど。
それでも、彼女が同行することに対する不安は少し、拭えたように思えていた。
と、そんな時である。
突然、というほどではなかったが、ゆるゆると馬車が停止したのは。
「……なんでしょう。まだお昼にもなっていませんし、馬は休めたばかりですが」
「ふむ、もしかしたらトラブルでもあったんじゃあらんせんか」
窓枠の外に目をやれば、どうやらここは街道沿いの村か何かのようだった。
ここはもう帝国領ではなく公国の領土。故にいまいち地理を把握しているわけではなかったが……まさか泣く子も黙る帝国書院に喧嘩を吹っかける山賊もいまい。
大したことにはなっていないだろうと、アイゼンハルトは楽観視していた。
「降りろ」
突然上司がわざわざこの車両にまでやってきて、理不尽な命令を出すまでは、だったが。
――パメラの村
五十はくだらない馬車の群れが、土煙をあげて村門の前を通り過ぎていく。
ガラガラと複数の車輪が転がる音が延々と。そして、御者たちは例外なく村の門の方を見ては、不憫そうに或いは申し訳なさそうに一礼して旅路を再開していた。
渡しにパメラと書かれたその木製の門の下で彼らを呆然と見送る、青年と少女。
「ぼ、」
「ぼ?」
「ぼくらだけ置いてくとか悪魔かあのアホ上司いいいいいいいいいい!!」
アイゼンハルトは叫んだ。
「う、馬を借りることは出来ましたし、大丈夫ですよ、ね?」
「どう考えたっておかしいでしょうや!! なぁにが『この村の牛を二頭貰うことにした。馬車に入れたいからどけ』って頭沸いてるんじゃあらんせんかあの人!?」
「ま、まあまあその、村長さんも歓迎してくれるようですし」
「……おのれ」
最後の馬車がアイゼンハルトの前を過ぎ去ったところで、彼も諦めて振り向いた。
再三説得に及んでいたアンナはほっと一息。
がっくりと肩を落としたアイゼンハルトはそのまま村の中へと一歩を進める。
「そんじゃ、一応は村長さんにお逢いすることにしましょうか……」
「ああ、アイゼンハルトさまの背中がすすけて……」
「Yシャツだけなんだから白いでしょうや!」
「はい、真っ白です! あの渾名もかくやと」
「悪口だからそれぇ!!」
「すみませんすみませんすみません!!」
「突発的路上土下座テロやめてくれやしませんかねえ!?」
慌ててアンナを抱き起したアイゼンハルトは、改めて門の中へと目を向ける。
パメラの村。
門の前から見える程度の情報を纏めてみれば、そこそこに潤っていそうな村だった。
季節もあってか青々とした作物の畑が目に入るし、村に三つほど建てられている風車も効果を発揮しているようだ。魔導の流れを感じないから、あれは純粋な風力だけを利用しているのだろう。コストもかからず、しっかりと実利を生み出すことが出来ていそうだ。
なにより、あの物々しい馬車群が居なくなったからか緩い空気がこの村には充満している。
平和を享受できているであろうことが分かって、アイゼンハルトも自然と口元が緩もうというものだ。子供たちが数人、家屋の隙間を縫うようにして駆けまわっている。
「ようこそおいでくださいました。アイゼンハルト・K・ファンギーニさまに、アンナ・F・コミットさま」
「あ、これはどうもご丁寧に」
どこに行けばいいのかと周囲を見渡していたアイゼンハルトに、横あいから声がかかる。
振り向けば、そこには一人の老人が立っていた。杖を持ってはいるものの、別に足腰が弱いという訳ではなさそうだ。
そうすると、杖術でも使うのかとアイゼンハルトは目を細める。
「アスタルテ・ヴェルダナーヴァさまにお話は伺っております。本日は我が邸でごゆるりとお休みくださいませ」
「これは、どうも」
「ありがとうございます!」
麦が風にあおられてざわめく音を聴きながら、村長と名乗った老人に案内されること数分。
山間の崖に面した木造の邸の前に、二人は居た。
「ヴェルダナーヴァさまのお話では、ここで一泊したのちに馬で追いかけてこいとのことでしたね」
「あ、そうなんで? ぼかぁ怒りで奴のどこに槍を突き刺すかしか考えていなかったもんで」
「あ、ははは……」
「アイゼンハルトさま! 村長さんが引いてますから!!」
先導して両開きの扉を開きつつ、村長は"アスタルテから聞いた"という話を並べていく。
帝国側からの命令で、アイゼンハルトとアンナをこの家に一晩泊め、牛を二頭献じるようにとのことだったらしい。
意味が分からないうえに相変わらず人の意見を度外視する上司に嘆息しつつ、しかして上司からの命令を無視するわけにもいかない。
アイゼンハルトは大人しく、村長についてリビングルームへと足を上げた。
立派な木造の邸宅を見るに、やはりこの村は良い暮らしを出来ているようで。
内装も綺麗で調度品の類すら見受けられるこの屋敷に停泊することには、特に不満はなかった。
アスタルテのことだから、治安の悪い不穏分子の村に一人置いていく可能性すらあったわけで。そうなれば自分はともかく、
「へ? なんですか?」
このアホ面引っ提げた、ただの諜報員らしい彼女の安全までは保障出来ないのだから。
「いんや、なんでもあらんせん」
「明らかに意味ありげな感じで見てませんでした!?」
がびん、という擬音がぴったりな雰囲気で、アンナは何か言いたげに口をぱくぱくしている。
そんな彼女と連れ立って、村長に通されたソファに腰かけると。
村長は二人の対面に腰かけて、「さて」と話を始めようとして。
そこで奥の扉が開いて、一人の男が顔を出した。
「あん? 親父、客か?」
「こらドラフ! 口を慎め! この方々は帝国書院の――」
「帝国? 帝国民ってわけでもねえのになんでへりくだる必要があんだよ」
年の頃は二十と四、五程度だろうか。まさに寝起きといった様子の彼。
無精ひげを撫ぜながら、男――ドラフは視線をアイゼンハルトとアンナに向けた。
そして、数瞬ののち、鼻で笑う。
「はっ、しかも俺より年下のもやしみてえな野郎と……へえ、可愛いじゃねえの」
「無礼ですよ! えっと、ドラフさん! この方は帝国書院書陵部の魔導司書にして――」
「あー、アンナさんや。別に構いはしませんで」
「でもっ」
ことなかれ主義とは違うのだろうが、ここで揉め事を起こすつもりなどさらさらないのか、それとも、この程度の嘲罵には慣れているのか。アイゼンハルトは特に表情を変えないまま、ひらひらと手を振った。
その対応にアンナは若干の不満を持ったが、さらに苛立ちを覚えたのはドラフという男の方だったらしい。
「……なんだおいその余裕そうな」
「ドラフ!! 下がれ!! どこかに行っていろ!!」
「……へいへい」
村長――つまりは父親の一喝に肩を竦め、舌打ちを一つしたドラフはそのまま外へ続く扉を開いて出ていった。彼が出ていくまでぐるるると威嚇していたアンナのことはさておき、村長も嘆息交じりに二人に向けて頭を下げる。
「申し訳ありませなんだ。我が息子ながら、とんでもない愚息でして」
「いやぁ、帝国でもないのに敬えなんて方が無茶でしょうや。ぼかぁなんにも気にしちゃいませんので大丈夫でさぁ」
「そうは言いましても、その――」
「その?」
「いえ……」
どこか含むところのある村長の言い方にアイゼンハルトは片眉をあげた。
だが村長はそのまま言葉を濁し、アンナを目に収めてから。
「敬愛する上司があのように言われては、お怒りも当然のこと。コミットさまにも、謝罪をさせてください」
「あ、いえ、お、おかまいなく?」
「それは違うでしょうや」
「え、ええと、う、受け取ります?」
「そうおっしゃっていただけると、ありがたいですなぁ」
ようやく村長はその皺の刻まれた頬を綻ばせて笑った。
こうした対応に慣れていないのか、アンナは若干挙動が怪しいものの、それをほほえましく思っているのか、村長は何も言わなかった。
ドラフという、村長の息子が入ってきたことで一度中断された話題に話は戻る。
「……この村に宿屋などはありませんので、本日お二方にはこの邸に宿泊していただくことになります。お食事は家内が作りますのでその時間になったらお部屋にお届けいたします。何か入用などございましたら、なんなりとご用命くださいませ。あとは――」
村長はちらりと出口に続く扉を一瞥して。
「愚息には、今日は帰らないように言い伝えておりますのでご安心くださいませ。それでは、お部屋の方にご案内いたしますれば」
そう一つ笑うと、村長はよっこいしょと声を上げて腰を浮かせた。
――パメラの村長の家
こちらがファンギーニさまのお部屋です。と村長じきじきに通された部屋は、ありていに言ってしまえばよくある邸宅の一室だった。木造の四方に、天井に通された太い梁。
調度品といえば窓際に置かれた花瓶が一つ。それから、普段から使っているのであろう本棚と、それなりに上等そうな羽毛のベッド。最後に、小さな円卓と椅子が二つ。
アイゼンハルトにしてみれば、十分すぎる待遇だった。
「にしても、なんでこんなことに」
もうすぐ陽が落ちる時間帯。先ほど受け取ったランタンに火を灯して、小脇に抱えていた黒いジャケットと、背中に背負っていた蓑を椅子に放り投げる。
そして適当に本棚から引っこ抜いた詩集を片手に、ベッドの上で思案に暮れていた。
今回、突然アイゼンハルトとアンナの二人が放り出されたのは、どう考えても"牛二頭入れるからお前ら邪魔"などというふざけた理由からではないだろう。
アスタルテという上司は、敵を騙すにはまず味方から、を地で行く人物だ。
どうせこの一件にも何等かの裏があるに違いない。
しかしそれでも腑に落ちないのは、"対魔決起集会"という大事な祭典に間に合うか間に合わないかの瀬戸際だというのにアイゼンハルトを置いていった点だ。
五カ国の代表を集めて、魔王軍の討伐に向かわせる。
一言でいえばそう難しくない話だが、そのためにわざわざ各国の重鎮が予定を合わせてティルテイアの町に集まっているというのであれば話は別だ。
遅刻しちゃいました、で許されることではない。
「どうにも、ここの村長も一口噛んでいそうなんですが」
アイゼンハルトに害があるわけではないだろう。あのアスタルテが、このタイミングでアイゼンハルトを害する理由がない。そしてアスタルテがこんなちっぽけな村の何者かに出し抜かれるはずもない。
なら何か、ここにアイゼンハルトを置いた意味があるはずなのだが、さて。
「でもあのアホ上司、たまに単なる嫌がらせしてくるからなあ……」
『馬で出たのに馬車に追いつけなかった? そんな無能に栄えある魔導司書の第二席を任せていいものか、うーん……』
などとふざけた物言いを、あの鉄面皮に口角だけ上げた状態でされると思うと五、六回殺したくなる。
とはいえアイゼンハルトの頭と今の情報量だけではどうにもならず。
気まぐれに捲った詩集を眺めているしか、出来ることがなかった。
しばらくぼんやりと読みふけっていただろうか。ノックの音で、アイゼンハルトは我に返った。気付けばもう日も落ちていて、ランタンの火だけが頼りになっている。
「どうぞー」
「アンナ・F・コミットです!」
なるほど、アンナさんか。
特に散らかっているわけでも、人目にさらしてはならない何かがあるわけでもないので、アイゼンハルトはベッドから起き上がるとそう声をかけた。
しかし、一向に入ってくる気配がない。
「……アンナ・F・コミットです!」
「いや、入ってきても大丈夫で」
……。
アイゼンハルトは首を傾げて立ち上がり、何かがあったのかと椅子の上に転がっている蓑に目をやりつつ――
「あの……すみません……両手がふさがってしまっていて……」
「早く言いなされや!!」
特になんということもなかった。ただ部下がアホだっただけであった。
「す、すみません。お邪魔します!」
「……およ?」
仕方なしに扉を開いてやったところで、香しい匂いがアイゼンハルトの鼻をくすぐった。彼女の両手には、料理の載った盆が一つずつ。
「あ、わざわざ届けてくれたんで?」
「いえ、ええっと。その……一緒に食べませんか?」
「そりゃあまあ、全然構いやしませんが」
「良かったぁ……!」
華の咲いたような笑みを見せられては、アイゼンハルトも悪い気はしない。
ランタンをテーブルに移し、彼女から盆を受け取って、椅子の一つに腰かけた。
彼女に対面の椅子をすすめると、なんだかおっかなびっくり席に着く。
メニューは、サラダと黒パン、それから鳥か何かのスープ。おそらくはフライングチキンだろうか。飛ぶわけではなく先制攻撃を仕掛けてくるタイプの卑怯で臆病な鳥だ。
添えられた白湯と併せて、それなり以上に美味しそうな料理だった。
村長の奥さんの腕も良いのだろうが、素材も良い。本当に暮らしやすそうな村だとアイゼンハルトは一人思って笑みをこぼす。
せっかくだから早く食べよう。そう思ってアイゼンハルトは木製のスプーンを手に取って、目の前の彼女が手を合わせていることに気が付いた。
「誰か死んだんで?」
「ち、違いますよ!? 食材と関わった人への感謝を込めてるんです。いただきます、って」
「……なるほど」
せっかくだし、なんだかそれがとても良いことのような気がしたので、アイゼンハルトも彼女に倣った。
「んでは、いただきます」
「……ほぇー」
「なんでしょうやそのアホ面は」
「辛辣!?」
実際アホ面だった。鼻にヒカモ草詰めても気付かないのではとさえ思った。
「いえ、その。みんな変な子扱いするばっかりだったので。故郷の風習なんですけど」
「ぼかぁ、変な子扱いしてなかったと?」
「そういえばしましたね今!? あ、でもでもその、一緒にやってくれたじゃないですか」
「変な子であることは放っておいて、感謝ってぇのは、好きなんでさ」
「放っておかれた……」
愕然とするアンナを放置して、アイゼンハルトはスープに手を付けた。
せっかく食に対する感謝をしたのなら、冷める前に食べるのが礼儀だろう。
「あ、美味しい。やっぱりこの村は羨ましい……いやまさかそのためにぼかぁここに置いてかれたんじゃあらんせんか……? やーいお前の出身貧乏ー的なこと、アスタルテさんならやりかねない……」
「アスタルテさまってそんな陰湿なんですか!?」
「少なくともぼかぁそう思ってます」
「憧れにひびが……!!」
ここでもショックを受けたようにアンナは肩を落とす。
特に自分が悪いわけでもないのに妙な罪悪感を覚えたアイゼンハルトは、そういえば聞いていなかったことを思い出して問いかけた。
「そういやぁ、なんで一緒に食べようと?」
「え゛?」
「そんな絞められたフライングチキンみたいな声を出すほどのことで」
「私その理論で行くとスープの肉ですか!?」
ああいや、と彼女はアイゼンハルトから目を逸らすと、少しだけ頬を染めて。
「一人でご飯って、寂しいじゃないですか」
照れくさそうに、そう言ってパンをもそもそと食べ始めた。
なるほど、と思う。
アイゼンハルトからしてみれば、食事なんてものはだいたいが携帯食料で済ませるものであったけれど。それでも誰かと摂る食事は楽しかった。思い出してみれば、簡単なこと。
今ここには自分ともう一人が居て。ならせっかくだから一緒に食べたい。
……一時はどうなるかと思ったし、相変わらずこの少女も上司と同じく自分を振り回す人種ではあるが。それでも、根は良い子なのではないだろうか。
アスタルテが推挙したという時点で疑いは持っていたし、"不撓不屈の雑魚"とかいう訳の分からない二つ名持ちのせいで少々妙な子だとは思っていたが、それでも副官として連れていく不安はまた少し減った。
「アンナさん」
「も? じゃない何でしょうか!」
「せっかく一緒にティルテイアに向かうなら、もっと気楽に行きましょうや」
「とおっしゃりますと」
「アンナさんを"アンナさん"ってぇ呼ぶように、アイゼンハルトさまなんて堅苦しいのはナシにしましょう」
スープとサラダを平らげて、アイゼンハルトは言う。
一瞬きょとんとしていたアンナはしかし、何も思いつかなかったようで。
「そんな、エリート中のエリートのアイゼンハルトさまにアイちゃんだなんて」
「そこまで求めちゃいませんが!?」
「え、あ、すみませんすみません!! 厚かましくてすみません!!」
「土下座はやめなされや! 下に響くほどの音たてて頭打ち付けるのはやめなされや!!」
なんだろう、この少女は土下座癖でもついているのだろうか。
大きくため息を吐いたアイゼンハルトは、アンナをもう一度席に座らせてから。
「同じ帝国書院の仲間じゃあらんせんか」
「でも、その。諜報部と書陵部の間には天と地ほどの能力の差がありますし……その中でもたった十人しかいない魔導司書の、しかも第二席を、同じ書院の仲間っていうのはちょっと」
「……そこまでおっしゃるなら強要はしませんが。でも、ぼくにとっては書陵部の部下もアンナさんも、可愛い後輩なもんで。さま付けされるとちいとむず痒いんですわ」
「……分かりました、考えさせてください」
もぐもぐと、黒パンをスープの食器にこすりつけて食べながらアンナを見れば。
少々俯いて、何かを考えている様子だった。
「……私にとって魔導司書っていうのは、憧れ以上に凄く、強い畏敬みたいなものがあるんです」
「畏敬とはまた」
「私、一度子供の頃に、その、迷子になってしまったことがあって。一つの村が、私をかくまってくれたんです」
「ふむ」
迷子が村に匿われるとはずいぶんと大規模な、と思うも突っ込むようなことはしない。
帝国書院の職員は、完全能力主義。"科挙"と呼ばれる試験を突破した者ならば誰でも職員になれるのがあの場所だ。それゆえ、不安定な出自の者も非常に多いし、不幸な過去がある人間も少なくない。
あまり、お互い過去に触れることもない。
「……魔王軍に、襲われてしまって」
「魔王軍……」
「すぐに帝国書院の方々が飛んできてくれて、戦ったんですけど。……やっぱり、人間と魔族じゃ地力が全然違ったんです。魔素も足りないし、膂力も、術式も劣っていて、守ってくれた人たちはみんな死んでしまって」
「……人間と魔族の明確な差、か」
「でも、魔導司書の方が来てくれたら、形勢がすぐに変わったんです! 神域の魔導を操れる魔導司書なら、魔族相手にも一矢報いることが出来るって! だから、その。あの日のことを思い出すと、やっぱり魔導司書って凄いなって」
アイゼンハルトは、彼女の興奮した言葉に少し何かを言おうとして、辞めた。
神域の魔導を操れるわけではない。そう言ったところで、今は何も意味がない。
確かに、使ってはいるのだから嘘ではない。
それはそれとして、彼女が魔導司書に特別な思いを抱いていることは分かった。
なら、特に強要することはない。
「ぼかぁ、魔導司書としちゃあ欠陥品で。使える神域の魔導……神蝕現象も、他と違って派手なもんじゃあない。一応、そこだけは謝っておきますわ」
「いえ、そんな。……そういえばアイゼンハルトさまの魔導は見たことがありませんけど」
「あっはっは。使えないってぇ言ったら、どうします?」
「ええ!?」
驚いたように目を丸くする彼女に、アイゼンハルトは続ける。
「ぼかぁ、その神域に到る固有魔導……魔導司書だけに許された神蝕現象意外には、何の魔導も扱えない欠陥品で。ついでに言やぁ頼みの綱の神蝕現象すら欠陥品。そんな奴だって魔導司書にゃあなれるんです。だから、もし憧れるって言うんであれば、アンナさんにもその道は残されてる。……だからぼくにとっちゃ、みんな同じ後輩なんでさ」
「……そう、ですか。私にも、成れる可能性は、ある……」
アンナは、自分の小さな手を見つめて、ぽつりと呟いた。
本来、魔導司書は書陵部の、しかも魔素の保有量だの何だのという適正調査があるにはあるが。アイゼンハルト自身、それを"特例"でパスした身だ。
「難しい道でしょうが、アンナさんは"不撓不屈"なんでしょう?」
「っ……はい!!」
とても楽しそうに。アンナは華やいだ笑顔を見せた。
「雑魚ですけど!!」
「わざわざそれを言わずにいたのに!! 言わずにいたのに!!」
「あああすみませんすみませんすみません!!」
「だから泣き土下座はやめなされやと何度言えばこの人ぁ!!」
一連の流れを処理し、彼女を席に座らせ直すと。
気づけば食器は全て空になっていて、夜もそろそろ更けてきた頃だった。
「じゃあ、下げるとしましょうか」
「あ、そうですね。……ごちそうさまでした」
「それも、風習で?」
もう一度両手を合わせた彼女に、アイゼンハルトは問いかける。
するとアンナは嬉しそうに頷いて、
「はい、ありがとうございましたっていう食材の感謝です」
「……いや、それは、どうなんでしょうや」
「へ?」
顔をあげたアンナは、アイゼンハルトが微妙な顔をしていることに気が付いた。
"いただきます"の時は一緒にやってくれたのに、どうして。
そう思った矢先、アイゼンハルトは言う。
「最初にも、食材に対する感謝をして。んで終わる時もってぇのは、ちょっと食材の方も『や、そこまでされると恐縮なんですが……』ってぇなるんじゃああらんせんか?」
「ええええええ!?」
「や、そこまで驚くことで?」
「ええっと、いえ、そうではなく……考えたことなかったなって」
「フライングチキンもきっと『何度も有り難がられるとそれはそれで申し訳ないというか』みたいになるんじゃ」
「いえフライングチキンはきっとふんぞり返ってます」
「……まあ、それは確かに」
一つ頷いて。
じゃあそろそろ、と二人して食材を下げに向かうことにした。
村長とその奥さんに、わざわざお手を煩わせるなど申し訳ございませんと平謝りされて『や、そこまでされると恐縮なんですが……』となるのはまた別の話。
――パメラ村長の家(夜)
二階の廊下でアイゼンハルトと別れたアンナは、後ろ手でぱたりと自室の扉を閉めるとランタンに火を点けた。持ってきていた鞄に入っているパジャマを取り出し、小脇に抱えていた湯あみ用の桶を床に置く。
水道や魔導回路が通っている帝国とは違い、こうした村ではシャワーを浴びることは出来ない。とはいえこれが初めてという訳ではないので、不便そうにするでもなく彼女は黙々と書院の制服を脱いでタオルをお湯に浸した。
「……私でも、もしかしたら魔導司書に」
小さく呟いた言葉は勿論、誰に聞かせたい訳でもない。
自然と緩む口元と、期待に輝く瞳。先天的に魔素の保有量が多かったわけでもなく、肉体的にも恵まれているとは言い難かった自分。それでも、成れるかもしれないと思えるだけで嬉しかった。
魔導司書に憧れていた。
たとえ相手が、人間では太刀打ちできない魔族であったとしても戦える数少ない切り札。
彼女とて、アイゼンハルトが示した"もしかしたら"という道がどれほどの茨道なのかは自覚していた。何せ、十人しかいないのだ。帝国千五百万の人口のうち、何百万が帝国書院という場所に憧憬を抱いているか、アンナとて知らないはずもない。
夢破れた人も、我武者羅に頑張っている人もいるだろう。
彼らを押しのけて、いま第二席はあそこにいる。
圧倒的な力を示して、あの席に着いている。
それでも。
それでもアンナには、可能性があるというだけで十分だった。十分すぎた。
ちゃぷ、と桶に温かなタオルを付けて、身体を拭う。
石鹸があるだけ、この村はやはり恵まれている。
腹部から足まで全部拭った後で、ひとまず大きめの布で水滴をふき取り、身体に巻き付けた。バスローブが無いことくらい許容範囲だ。持ってくるのを忘れたことを後悔しつつ、桶を隅に寄せておく。明日の朝に取りに来るそうだから、わざわざ持っていったらまた色々恐縮されてしまうだろう。
パジャマに着替えて寝よう。明日にはここを発たなければならない。
アンナは明日の予定を確認しながら、荷物のチェックを始めていた。
「えっと、アレがあって、コレがあって……あ、アレも忘れちゃった。まだまだ旅慣れないなあ。次はがんばろ……」
ぽつぽつと独り言。
と、そこでアンナは扉を開く音に気が付いた。
幸いまだランタンに火は灯っており、誰が入ってきたのかはすぐに分かる。
「……っ!?」
「よぉ、なんだその恰好。誘ってんのか?」
「の、ノックくらいしたらどうですか?」
「は? なんで?」
そこに立っていたのは、村長でもなければアイゼンハルトでもなかった。
そもそもその二人ならノックの一つくらいするだろう。
違うとすれば消去法、今日の帰宅を禁じられていた男が一人。
無精ひげをさすりながら、ぶしつけな視線をアンナに向ける。
「おっと、人を呼んでも無駄だぜ? お袋はとっくに寝てやがるし、もやしと親父は部屋にいなかった」
「わざわざそれを確認してくる辺り、実はやっぱりアイゼンハルトさまのこと怖いんですね」
「あ?」
自らの身体を抱きながら、アンナは一歩下がる。
挑発的な笑みを携えて放った台詞は、十分以上に目の前の男を煽ることが出来たようだった。びきびきと浮かんだ青筋は、誰がどう見ても怒りの印だ。
「このクソアマ……俺が何しにきたのか分かってて言ってんのか?」
「……」
「見てくれだけは良いからよ、ちっと身体貸せってんだ」
「申し訳ないんですけど、貴方みたいな人間にくれてやる身体なんてありません」
「……なんだ? あのもやしなら良いのか?」
「もやし、ですか。あの方が」
「あの方ァ? ……帝国書院の書陵部だか何だか知らねえけどよ、ここは帝国じゃねえんだぜ? それをふんぞり返って勝手に村長宅に泊まって、挙句代金すら置いてかねえと来たらそりゃあキレそうにもなるだろうが」
「お金が欲しかったら早く言えばいいじゃないですか。私がお小遣いあげますよ」
「……こいつ」
じりじりと距離が詰まる。
さっさとパジャマに着替えればよかったと後悔しつつ、アンナは布を抑えて窓際に寄った。
最悪この二階なら飛び降りても痛いだけで済む。着地含め、運動の全般は諜報員たるもの心得ているから心配はない。
「お前が飛び降りようとしても、布一枚はぎ取ればいいだけだ。今晩だけ楽しもうぜおい」
「やですってば。あの、ほんとに近寄らないで貰えます?」
「なんだ、やっぱりもやしが良いのか?」
「……貴方が嫌なだけなんですけど」
「ちょっと間があったな」
そろそろ距離的にまずいなとアンナが判断した、その時だった。
再度扉が開く音がして、入り込んできたのは複数の男たち。
「ドラフさぁん!! まだですかァ!?」
「ってうぉ、超可愛いじゃん!」
「さすがドラフさん!」
「出てくんなっつったろが……」
ぐ、とアンナは唇をかむ。
この男、最初から外に何人も。
元々村長の息子ということでガキ大将的な立場にあったのかもしれないが、そんなのはアンナの知ったことではない。さらに逃げにくくなったことに歯噛みしつつ、彼女は。
「悪いんですけど!! 私は! アイゼンハルトさまのものなので! お帰りください!」
盛大にウソを吐いた。
この時代、それなり以上に貞操観念というものは強い。
男と女、生涯には一対一。離婚という概念すら希薄な世の中で、アンナの宣言は事実上の婚姻関係を示すものに近かった。
だからこそ、彼女の言葉に動揺する者が数名。
しかし残念ながらドラフはそんな言葉には乗ってくれなかったようで。
「はっ、あのもやしの何が良いんだか。殴ればぽきっと折れそうじゃねえか。帝国書院のエリート様だろうが、雑魚は雑魚だ。お前を抱いた後に、殺しておいてやるよ」
「……殺す? あの方を? あなた方が束になっても、あの方に指一本触れられませんよ」
アンナはドラフの言葉を鼻で笑った。
ドラフの中で何かがキレた。
「はいはいそうでちゅねー、もう良い、お前ら好きにしろ」
かかれ、とハンドサイン。
この瞬間に逃げるしかないと悟ったアンナは自らが纏っていた布をドラフに投げつけ窓の外に逃げ出そうとして。
轟音と激しい揺れがこの邸宅を襲った。