01『ハメられたアスパラガス』
全十話ほどに収まるかと思います。
『あと……少し、……だろう……! いけ……!』
『お前らなら、仇は討てる。アイゼンハルト。今度は私が、きみを守る番だ』
『好きに生きるってことは、好きに死ぬってことなのよ。楽しかったわ、アイゼンハルト』
『お前は、生きろ……!!』
グリモワール・ランサー
――帝国最高機関"帝国書院"本部、院長執務室
「……食べたね?」
謀られたことに気が付いたのは、上司お手製のケーキを口に含んだその時だった。
正面で三角巾とエプロンを身に着けた上司の顔が愉悦に歪むのを第六感で感じ取ったアイゼンハルトは、すわ何事かと顔をあげる。
くわえたままのフォークからは、未だに甘くまろやかで仄かな酸味の混ざった美味しいザッハトルテの味わいが伝わっていた。
一瞬の沈黙ののち、その意味を解釈したアイゼンハルトは叫ぶ。
「まさか山吹色のお菓子!?」
「ザッハトルテだよ?」
「そういう話と違う! さては賄賂かって意味でしょうや!!」
「僕がそんなことをするわけがないだろう。ああそうそう、僕が純粋なる好意できみに作ってあげたザッハトルテとはこれっぽっちも関係のない話があるんだが」
「い、いやだ! 聞きたくない! 何をさせられるんでしょうや! ぼかぁもう、路地裏で受け取ったよくわからない小さな箱を国外行きの馬車にそっと乗せる仕事なんかしたかぁない!」
「そんなことを命じたことはないだろう……。あときみが聞く聞かないに限らず、これはきみの上司としての命令だ。聞け」
「やっぱりこのケーキ恩の押し付けじゃああらんせんか!!」
バン、と応接室のテーブルを叩いたアイゼンハルトは、己の手のひらにじんじんと痛みを感じつつも毅然として正面の上司を睨みつける。
一方の上司はといえば。
まるでアイゼンハルトの怒りなど意に介していないかのように頬杖をついて楽しそうに微笑みながら、空いた片手にフォークを取ってザッハトルテに手をつけようと――
「これはもうぼくのもんですんで」
一瞬でテーブルの上から消滅したケーキ皿。
両手で大事そうに、上司から遠ざけるようにソファの向こうへと持っていかれていた。失礼なことだとため息を吐きながら、アイゼンハルトを前に話を続ける。
「まあ、いい。僕としても、そこまで気に入って貰えたのならパティシエ冥利に尽きるというものだ。あんまり、食べてくれる人もいなくてね」
「千五百万超える人口の、事実上のトップが作ったお手製のケーキなんざ恐れ多いを通り越してわけが分からんでしょうや。特に、職場の人間にとっちゃあんたは畏怖と敬服の対象なわけでしょーし」
やれやれだ、と手のひらを両天秤のようにして呆れたポーズを見せる上司に、アイゼンハルトは白い目を向ける。よくもまあいけしゃあしゃあと。
周囲を威圧するような振る舞いを普段からしておきながら、どの口が言うのだろう。
もっとも、このケーキ作りに関しては徹頭徹尾完全な趣味らしいのだが。
アイゼンハルトも、美味いのでそこに文句は言わない。
「……それでこのザッハトルテと引き換えに、ぼかぁ何をさせられるんで? アスタルテさん」
「別に僕の名前と掛けたからではなく、純粋にザッハトルテが好きなんだが」
「聞いてねえでしょうや」
もういい、とばかりに手を払う動作は、とても上司に向けられる礼ではないが。
それでも上司――アスタルテは、特に気にした様子もなくアイゼンハルトを見据えた。
その瞳の奥に真剣なものを感じて、アイゼンハルトも胡乱げながら話を聞く体勢を整える。
「僕が今度お出かけするのは知ってるね」
「軽い。……いよいよ五カ国全部が重い腰を上げた、としか聞いとりゃしませんが」
「まあ、そうだな」
今度、とある町で開催される祭典に、アスタルテは出向くことになっていた。
人間界の主要五カ国の重鎮が集まって、魔王を倒すために同盟結びましょう!
という感じの集会に行くというくらいしか、アイゼンハルトは知らなかったが。
「魔王を倒すんに、人間同士で足の引っ張り合いしてるんじゃあにっちもさっちもいきませんで。ようやく、ってえところでしょうや」
「至言だな。今までのように功績争いをしていては、また多くの国が無くなってしまうことだろう。どうやら魔王軍は、幾つの国家を潰せたかで競っている節すら見受けられるのだからな」
「遊戯感覚で殺されたんじゃ、無くなった国の人々も報われんでしょうに」
大きく息を吐いたアイゼンハルトを、アスタルテは複雑な感情を湛えた瞳で見据えていた。
だが、軽くかぶりを振って居住まいを正すと、指を一つ立てて言葉をつづける。
「そこで、だ。各国は魔王軍を倒すために、一つの大きな決定を下した」
「ほう。それは初耳で。連合軍でも作って魔界に突貫、なんてアホらしい話じゃないことを祈りますが」
「その通りだ」
「在り得んでしょうや馬鹿かお国のトップ共!!」
本日二度目のテーブル叩き。
またしても痛そうに赤くなった手を、アスタルテは可哀想なものを見るように目を伏せて。
「そんなに手を赤くして。ただでさえ見た目が白いアスパラガスなんだから目立つだろう」
「誰が白いアスパラでしょうや!? あとそんな心配してる暇があったら突撃馬鹿どもの脳みその心配のが先じゃあらんせんか!!」
「そっちは心配することはないだろう」
「いやいやいやいや。でかい軍隊作ればいいなんて頭の弱いことを言ってる連中の心配しなくて、誰の心配するってんで? どれだけの費用と、兵站と、人材をかけるつもりなんでしょうや。ついでに言やあその間の各国の軍備もがたがただ。魔王軍は妙なワープ使ってくるくせ、こっちにはそんなもんないじゃああらんせんか」
「……詳しいな。流石は商家の息子か」
「要らんこと言わんでいいでしょう……」
まったく、と一言添えて。
白いアスパラガスのようにひょろくて色白銀髪のこの男は、頭を抑えて「それで?」と問いかけた。
「それで、とは?」
「そんなんでも心配要らんってお前さんが言うなら、それ相応の理由があるんでしょう」
「それはそうだな。なに、簡単な話だ」
「ほう」
簡単な話。
そう言うからには、何かアスタルテの言動に見落としならぬ聞き落としでもあったのだろう。
この上司はそういう上司だ。嘘は言わないが本当のことも口にしない。
それに何度も騙されてきたアイゼンハルトだから、頭の回転も速かった。
「……ちなみに、連合軍ってえのはどのくらいの規模で構成される予定なんで?」
その問いに鷹揚に頷いたアスタルテは胸を張って。
「一騎当万の猛者を集めて五万人分の兵力を整えてある」
「締めて五人!!」
アイゼンハルト、本日三度目のテーブル叩き。
「何を心配する必要がある。アイゼンハルト、きみの言っていた兵站も人材も費用も解消されたではないか」
「魔王軍の前にパン屑五つ並べたところで吹き飛ばされるのがオチでしょう!?」
「ほう、おのれをパン屑と称するか」
「魔王軍にとっちゃ人間なんてその程度――おのれ!?」
勢い余ってテーブルに足をつっかけたアイゼンハルト。
血走った眼で口角泡を飛ばしアスタルテにツッコむサマはいっそ哀れと言えた。
「なんだ、予想外か」
「これのどっから予想内に押し込める要素があったんで!?」
「五人で魔王に立ち向かえる人材など、大陸広しと言えど十人も居ないだろう。僕の愛する帝国臣民ですら、千五百万人以上には荷が重い。悔しいことだがな」
「ほぼ全人口!!」
「戦えるとすれば、僕か、ヤタノか、もしくは」
そう言ってアスタルテは目の前のアスパラガスを指さして。
「お前しかいないだろう」
「……いや、まあ百歩譲ってそうだとして。ぼかぁ、魔王討伐にあんまり乗り気は――」
アスタルテは黙って、差していた指をアイゼンハルトからケーキ皿に移した。
「お前それ食ったんだから言うこと聞けよ的なニュアンス!?」
「何度も言うが純粋なる好意だよ。きみにケーキを手向けとして贈ったのは」
「手向けっつったなこのクソ上司!?」
「弔いと言わないだけましだと思うが」
「完全に生贄扱いじゃああらんせんか! 死ねと!?」
「嫌なら魔王に勝つことだ。なに、お前ならやれるはずだ」
お前ならやれる。肩を叩かれ良い笑顔でそんなことを言われても、残念ながらやる気が溢れてくることはない。
「……相変わらず無茶な命令ばかりしくさってこの。今度は魔王が相手かぁ、ストレス溜まって嫌になりまさぁ」
「この前出来かけていた10ガルド禿げは治ったかい?」
「もう殺してもいいんじゃあらんせんかこの上司」
ふるふると拳を震わせつつ、物騒なことを呟くアイゼンハルトだったが。
それはそうと、一つ聞き忘れていたことを思い出した。
「そういやぁ、五人で魔王軍に突っ込ませるってえ話でしたが。どういう構成なんで?」
「国は五つあるな」
「……あー、なるほど。主要五カ国から一人ずつ選抜、と」
得心がいったように頷いて、アイゼンハルトはしかし嘆息した。
「アスタルテさんとヤタノ嬢も連れていった方が、変に他の国から引いてくるより強ぇ気もするんですが」
「僕には政務があるし、その三人が抜けると帝国の守りが薄くなる。勿論有能なる我が書院の部隊が奮闘してくれるだろうが、帝国臣民から死者を出す可能性は極力避けねばなるまい。それが愛する臣民のことなれば」
「今日もお前さんは帝国大好きなことで」
「愛国主義と言ってくれたまえよ」
各国から"最強"の人間を一人選出しパーティを組ませるという趣きになった以上、帝国の顔を飾る人物は誰もが認める"最強"でなければならない。
アスタルテにとって帝国の看板に傷をつけるなど度し難いことであったが故、一切の妥協なく代表には目の前の男を選んだのだった。
それを、彼に伝えるつもりはあまりないのだが。
「……纏めると、今度の集会にはアイゼンハルトにも来てもらう。そして、その場で五人の顔合わせと、出発式を行うことになる」
「集会に向かったらそのまま魔王退治、か。随分と急な話じゃあらんせんか」
「ちなみに集会に間に合うよう計算したところ、出発は明日だ」
「随分と急な話じゃあらんせんか!!」
もうどうにでもなれ。
天井を仰ぐアイゼンハルトに、アスタルテは最後に言い忘れていたことを思い出した。
「そうだ。忘れていたことがあった」
「これ以上何を重荷にすると……?」
「重荷になるか、使いこなすかはきみ次第だが。何でも、各国の代表者はみな従者を連れてくるらしい」
「そらそうでしょうや。国家の代表がたった一人で観光気分なんざ出来るもんでもないでしょう」
「違う。きみたち、魔王討伐に向かう代表者だ」
「……ってえと、ぼく以外の四人が取り巻きひっ連れてるってわけで?」
「栄えある帝国の代表者だけが単独で向かうなど、メンツにかかわる。護衛などいても邪魔なだけだろうが、それなりに有能な付き人を用意した」
「や、あんまり堅苦しいのはぼかぁちょいと」
「帝国の顔に泥を塗るつもりか?」
ぞわり、と悪寒がするほどの昏い笑みに、アイゼンハルトは思わず目を逸らした。
この上司は、こと帝国のことになるとおっかない。
諦めて受け入れることにした彼の雰囲気を察してか、アスタルテは満足気に背もたれに寄りかかると。癖のように指を一つ振り上げて言った。
「あまり人員が割けない、というわけでもないのだが。アイゼンハルトのことだ。何人も従者が居るのも煩わしいだろうと思いたった一人だけ選抜した。彼女も、きみの付き人ということであれば是非と志願してくれたよ」
「脅したんじゃあらんせんか?」
「喜ぶといい。きみは興味がないかもしれないが、書院諜報部の二つ名持ちだ」
「二つ名持ち。そういえば功績を残せば二つ名云々って聞いたことが」
「きみにはなじみが薄いかもしれないが、二つ名は二つ名で名誉なことだ。優秀さに関しては僕が保障しよう」
「……そこまで言うのであれば、期待は持てそうなもんですが」
アイゼンハルトたちが所属する最精鋭部隊とは別の部署の人間らしいが、アスタルテがこれだけ推すということは有能に違いはないのだろう。
なにせ、あれだけ帝国のメンツを気にする上司だ。下手な人間はつけないはず。
そう考えると少しは安心できるのも事実だった。
「それで、今日はもう廊下に待機させている」
「……あんた、さっき忘れてたとかなんとか」
「ケーキ焼いてたらすっかりな」
「そんな時間から待たせてたんで!?」
アイゼンハルトのツッコミを無視し、アスタルテは軽く指を鳴らす。
部屋に掛かっていた防音の障壁が解除され、続けてアスタルテは外に向かって入ってくるように声をかけた。
扉の向こうから、『……はっ!? し、失礼します!』と聞こえてきた辺りで、アイゼンハルトは色々と彼女に申し訳なくなっていたのだが、流石に口に出すようなことはせず。
扉の開く音に合わせて振り向けば、そこに立っていたのは十六、七くらいの少女だった。
黒髪のショートボブ。書院の隊服に身を包んだ彼女は、緊張でがちがちになりつつも左胸に手を当てた敬礼の姿勢を崩さない。
「本部諜報部所属、アンナ・F・コミットです! よ、宜しくお願いいたします!」
素直に、アイゼンハルトはほっとした。
というのもこの仕事場、変な奴が多いのである。
常識人たるアイゼンハルトとしては、合わせるのが疲れることが非常に多い。
そんな中で、礼儀もしっかりしてそうな彼女がこれからの旅に付き添ってくれることに安堵を隠せなかった。
と、そこでアスタルテは立ち上がり、歪んだ笑みを見せつけるようにしてアイゼンハルトに紹介した。
「そう、彼女がきみに付き従ってくれる"不撓不屈の雑魚"アンナ・F・コミットだ」
「え」
「はい、宜しくお願いします!!」
は?
「……不撓不屈、までは聞こえたんで、その先をコミットさんから聞きたいんですが」
「は! 雑魚です!」
「良いの? 本当にその二つ名でいいの。コミットさん」
「アンナとお呼びください! 二つ名、光栄です!」
アイゼンハルトの脳内で、四文字の言葉が並んで踊る。
前言撤回。
もはや言葉が出ない彼をおいて、アンナは何か思いついたように口を開く。
願わくばそれがまっとうなものであってくれというアイゼンハルトのささやかな想いをぶち破り、出てきた言葉はこのようなものであった。
「あ、サインください! 大ファンです!」
魔王を滅し、世界を救う。
のちの世で語られる"英雄譚"の出発点は、実際のところこのようなザマであった。