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碧のクロレラ

作者: つぐ

 雲一つない、馬鹿みたいに青い空がどこまでも続いていた。

冴木は顔をあげた。ぎらぎらと光る眩しいばかりの太陽の光_ガラス越しに直接照っていた。冴木は読んでいた本をぱたんと閉じると、上体を起こし立ち上がった。椅子を引くと、隣に座っていた女がちらと顔をこちらに向けた。冴木は体を横にして女をやり過ごし、狭いスペースを通り抜けてカウンターに着いた。

 職員に本を差し出した。

冴木はポケットから利用者IDとパスワードの組み込まれたカードを取り出し、職員に見せる。職員はそれをスキャンしたのち、本を冴木に渡した。冴木はハンドバッグに本をねじ込み、資料館を出た。途端に日差しが肌を焼く。冴木は不愉快そうに透明のサングラスを取り出して顔にかけた。サングラスは日光を浴びて青緑色に発光しはじめた。しばらく歩いていると光は徐々に扇状に収束していき、宝石の如く表面中に分離して輝きを放つようになった。


 冴木は側にとめた自転車に飛び乗った。ハンドバッグを籠に投げ入れ、左右を森に囲われた石の小道を抜けると、国道が見えてくる。赤く光る信号機。今日は大気中緑子の量が多いらしく、小さな粒が信号機のライトにびっしりと付着しているのが視認できた。

 青になると同時にペダルを踏み込み横断歩道を渡った。風を背中に浴びながら横切る。時たま飛んできた緑子が頬をかすめる。冴木はハンドルから手を離し、空を見上げた。空の向こうには一面の田んぼ区とそれを取り巻く緑色の山々が広がっており、目に滲む。


 シャツの裏に汗がうっすらと浮かんできた頃、冴木は大学に着いた。

所属しているサークル「サンタモニカ」(サークルといってもメンバーは2人だけだが)の集会に来たのだ。自転車を駐輪場にとめ、足早に歩き出した。入口までに数人とすれ違ったが、皆ラフな服装をしていた。廊下を渡り、部室へと急いだ。窓からそよぐ風が首筋に光る汗をよく冷やしてくれていた。

「おはよう。」

「やあ、冴木。」

 冴木は森本に声をかけた。

黒縁眼鏡をかけた男子学生はしかめっつらでパソコンのモニタと睨めっこしていた。

「もう昼なんだしな、こんにちは、だろ。」

「ん……。」

 冴木は適当な椅子を選んでどっかりと座った。

「何してんの?」

「読んでる。」

「本を……。小説、小説読むの?」

「んー?読みます!って言い張れるほどじゃない程度だよ。」

「僕も。自分でいっといて何だけど、あまり読まない。」

「小説っていうより、何かしらのテーマの本のが多い、年を取ってからはな。」

「老けてるんだな、20歳のくせに。」

「俺ぁもうおじんよ。同年代の会話についていけん。」

「今が一番楽しいんじゃないかな、きっと。」

「悲しいな。てか、お前も若者じゃん。」

「19。あまり変わらない。」

「若い人と会話すると若返るのう。」

「それ以上若返ったらどうなるのさ。」

「赤ちゃんになるんじゃないのか。」

「赤ちゃん?」

「そう。」

「やっぱさ、あると思うんだよね。」

「何がさ?」

「甘えたいっていう願望が人には。」

「そういうもんか……。」

「そういうもんだよ……。」

「話は変わるが、俺は一度ヤリサーを覗いてみたことがある。あれはダメだ。」

「嫌なことがあったの?」

「興味もってな。でもダメだった。」

「話してくれよ。」

「いや単純に需要と供給のバランスが合ってない。」

「というと?」

「女1人に男30とかつくからな。馬鹿らしくなってきて辞めた。」

「それじゃあ、誰も結ばれないじゃないか……。」

「一番最初の自己紹介で決まる感じ。」

「へえ。」

「俺はブスだからな。」

「自分に自信がない?」

「幼稚園の年長の頃に自分がブスだと気付いたからな。それからというもの、鏡を正視できなくなった。マジで。」

「周りはそんなこと、思ってないと思うけどな……。」

「いやマジさ。まっさらな恋愛遍歴がその証拠だから。」

「僕は。」

「ん……?」

「僕は彼女がいない。」

「うん、だろうな。」

「どういう意味だよ。」

「最初に会った時にさ、リア充がどうとかいってただろ。その時点でそうだろうなと。」

「まあきっと僕もそっち側の人間なのさ。」

「あ、ちなみに告白されたことはそれなりにあります。」

「ブスなんじゃなかったのか。」

「いや、なんかキャラで……、みたいな。」

「キャラ?」

「だから正統派の可愛い子にはモテなくて……。その、変な子にモテる。」

「どんな子に?」

「知りたいのか。」

「知りたいな。」

「クラスのある子が……、美人で顔が整ってる子がいたんだが変人でな。」

「ほう。」

「高校の時の話なんだが。まず授業開始のお願いしますはクラス一番に大きな声。性格もおかしくて。自分が友人と話してた時に、その友人が『この前自転車乗ろうとしたらウンコついててー』って喋ってたら、横からつかつか歩いて来て、『フンがついてるってことはウンコで運がついてる証拠だよ!喜びな!』と叫んで去っていった。俺と友人は茫然としていた……。『今の何……?』『さぁ……?』って具合にな。」

「そんな変な子がいたのか。」

「そんな彼女からは『森本くんが彼氏だったらいいのに……。』とか色々アプローチされたが、バレンタインに、市販のチョコ貰ってさ。1つとかじゃなくてどでかい袋詰めの、ボンと貰って。」

「愛ってもんがないな。」

「『これどうしようもないな……。』と途方にくれて。」

「ほう。」

「結局貰った場所の下駄箱の上に置いて、そのままうっかり放置してたら、そのうち同級生が『ねえ……あのチョコ何でここにあるの……。』『なんかきもくない……?』と噂し始めてそれっきり音沙汰なくなった。」

「甘酸っぱい青春ってやつじゃないか。」

「俺はもっと可愛い子と仲良くなりたいよ。誕生日に『おめでとう』ってライン送ったら『誕生日プレゼントにDT欲しい』とか迫ってくる子とかさぁ。」

「欲が強いんだな。」

「断ったけど……、あれ損してるかも?」

「僕は勿体ないと思うな。折角のチャンスを君は……。」

「チャンスか。チャンスといえば、修学旅行で男にこれから一緒に女の部屋行かない?って誘われて、よく知らん女の部屋だったから断って。それで翌日聞いたら凄く可愛い子でセックスしたらしくて、憤慨したこともあったな。」

「学生同士でか。やんちゃなんだな。僕はそういう経験ないからよくわからない……。」

「風俗行け。」

「嫌だよ。」

「何で?」

「怖いし、それに恥ずかしいし。僕はチキンなんだよ。」

「あんまり理想持ってると、あんま気持ちよくないってなるけどな。」

「行ったことあるの?」

「風俗は行ったことないよ。」

「パブは?」

「ないない。そういう店はないなあ。」

「何だ、ないんだ……。」

「行くか逡巡したことは数知れずだが。」


 と、窓から吹き込んだ一陣の風が机の上に置かれた書類の束を吹き飛ばしていった。冴木と森本とは手分けして紙を拾い集め、元の位置に戻して重し(、、)がわりの目覚まし時計を上に置いた。

「そうそう。」と冴木はいった。「借りてきたぜ。お前がいってた本。」

冴木はハンドバッグから分厚い本を取り出して森本に渡した。

「おお、ありがとう。」

「地質学の本か……。」

「最近地震に興味があってな。」

「地震?」

「そう。お前関東住みだっけ?」

「うん。」

「埼玉?」

「その辺。」

 冴木は頷き、バッグからペットボトルを取り出した。キャップをひねり、ぐいと飲んだ。

「てことはあの地震体験しただろ。」森本は羨ましげに冴木がアクエリアスを一飲みする様子を眺めながらいった。

「そうだね。」

「割とでかかったな。」

「岡山のことがあったからね。びっくりした。」

「用心しないと。」

「うん。」

 2人は互いに頷き合った。

「そろそろ来るよ、きっと。」

「きっと?」

「首都直下型。」

「どうなんだろうね、備えておいた方がいいと思うけど。」

「でも、正直ワクワクしてもいるんだよね。東京が壊滅したらどうなるのかって。」

「へぇ、そういう感覚なんだ。」

「不謹慎ってやつかな。」

「いやぁ。」


 冴木は森本のノートパソコンの画面を覗き見てみた。細かい文字がびっしりと書き連ねられている。

「これ文献?」

「そんな感じかな。」森本は少々自慢げにそういった。












 森本はしばらくするとどこかへ行ってしまった。

冴木は座敷に寝転がり、微かに揺れる電灯の紐をぼんやりとしながら見つめていた。最初に気付いたのはそのままうとうとしかけていた頃だろうか。急に体にちくりと痛みが走ったかと思うと、全身を例えようのない寒気じみた感覚が通り過ぎていった。

 血だ。血が体中から抜けていく_そう感じた。眩暈、霞む視界。冴木は頭を押さえてうずくまった。吐き気がするが、立ち上がることもできない。下を向いて、吐いた。吐瀉物が零れ落ち、座敷を濡らした。やがて激痛は頭に移った。脳が圧縮されているようなすさまじい痛みだった。冴木は倒れ伏し、ぜえぜえと息を吐いた。窓ガラスに映る風景_真っ青な空、そして緑。それが冴木の見た最後のものとなった。

















 全世界を震撼させた緑子テロから早くも1年が過ぎ去ろうとしていた。

脳を緑子に接続していなかった貧乏人や幼い子供たちは世界の燦々たる変わりように衝撃を受け、中には自ら命を絶ったものさえいた。

 市街に夥しく溢れかえる金属の死体の山は、ものもいわずに彼らを見守り続ける。そんな、そんな全てが終わった何もない世界でも、空だけは青かった。緑子によって碧く霞んでいた空気は澄み渡っている。


 夏がやってくる度に、その青に思いを馳せる。

あの時あの瞬間、皆は何を思いながら死んでいったのか。夏は静けさを、そして強烈な毒のような清々しさを毎年運んでくる。

 澤村は手入れする人間がいなくなり荒廃した市役所、その屋上にて景色を眺めていた。

サングラスを目にかける。何も変わらない。透明なアクリルのレンズ越しに民家と木々が映っている。このサングラスを拾ったのは大学として使われていた建物、その一室だった。彼は白目をむいて死んでいた。歳からして大学の学生だったのだろう。サングラスは彼のハンドバッグの中に収められていた。どうやらかけると緑子が見える種類の者らしいが、今この世界には必要のないものだ。


 それでも、と澤村は思う。

自分はこれを譲り受けた。世界にとって必要のないもの同士、歩んでいこうと決めたのだ。それに、言葉もなく死を選ばされた彼らに対しての弔いの気持ちもあった。

「あほらしいよな。あんなに小っちゃい粒なんかに人類の命運がかかってたっていうんだから。」

 西木がそういった。

澤村は目を伏せながら口を開く。

「人間なんてちっぽけなもんだよ。いや、国も地球も、もっとでかい視野から見れば小さな小さな存在に過ぎない。」

「でかい視野とは?」西木は澤村の隣に座った。

「宇宙かな。宇宙は大きいから、宇宙より大きな存在はない。」

「ほお。たった一人の人間が宇宙的視野から物事を見下ろせると?」

「いや、そんなんじゃないよ。」

「人間は人間の視野からでしかものを見れないぞ。」

「それでもいいって。」

「どういうこと?」

「みんなの頭の数だけ宇宙があるんだ。」

「……ああ、そうかい。」


 西木は腰をあげた。くわえていた煙草を投げ捨てた。放物線を描いて飛んでいった煙草は市街地に吸い込まれるようにして消えていった。



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