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瞬きをするのも嫌になるほど、綺麗な景色が視界に溢れるここは滋賀県。
高峰双太は、五年ほど勤めた職場を辞め、今は滋賀県で琵琶湖の周りを、愛車のSR400でツーリングしている。
毎日毎日、夜寝る前に簡単に想像できてしまうような生活がどうしても嫌になり、あっさりと辞表を叩きつけ職場を後にしたのだ。お得意さんに順番に会いに行き、商品の使い心地はどうか?から始まり、今は当社でこれをオススメしておりますというような謳い文句を言い続け、気が付けば陽は沈む。まったくもって楽しみ等見いだせる仕事ではなかった。お金をもらうのが仕事なのだから、楽しくなくても責任感を持って任務を全うすべきだと考えていたが、それも限界に達してしまった。
目の前には緩やかなカーヴが見える。おそらく五秒後には通過しているであろう、そのカーヴを曲がる未来の自分を思い描く。そう、こんな感じでこれまでの生活は簡単に明日が予想出来ていたのだ。
「人生は一度しかない」それにも関わらず、まるで用意されたレールの上をただただ歩むようなありきたりな人生でいいのか。まだ仕事を辞める前、高峰は何度も自分に問いかけた。答えは「NO」だった。一度しかない人生を楽しまないなど、正気じゃない。卒の無い暮らしに埋もれてしまうぐらいなら、少しでも刺激を求めたい。それが本心だった。
しかし、いざ辞めてしまうと何か虚しい気持ちになった。「本当にこれで良かったのか」不安ばかりが胸をよぎる。東京という都会から飛び出し、実家のある大阪へ一度帰った。親には、休みがもらえた等と適当なウソをつき、実家に預けていたバイクに跨り、学生時代住んでいた滋賀県へやってきたわけだ。久しぶりのツーリングはどこか清々しい気持ちにさせてくれた。
少し喉が渇いたので、対向車線を挟んだ右側にあるコンビニへ入ると、そこには一台、真っ赤なドゥカティ848が止められていた。会社を辞めてから、親以外の誰とも話していなかった事に気付き、このバイクの持ち主に話しかけてみようと思った。
とにかく、コンビニの中に入る。そこには、いかにもライダーという感じの黒ジャケット・黒革ズボンを着た髪の長い女性がいた。
「この女性があのバイクの持ち主か」
美女が自分と同じ水を買っていることに少し嬉しさを感じながら、高峰もレジで会計を済ませた。
外へ出て、水を一口含み、彼女に話しかけた。
「このドゥカティ、あなたのバイクですか」
彼女は愛想よく笑い答えた。
「はい、そうです」
「よくこの琵琶湖沿いは走ってるんですか」
「よく走りますよ。風がすごく気持ち良いので」
「今日はどちらまで走る予定ですか」
そう質問して、高峰はふと思った。一体自分は何を訊いているのだ、と。初対面の男にここまで掘り下げられると不快な気持ちになってしまったのではないか。そんな心配をよそに、彼女はまた愛想よく答えた。
「彦根まで行こうと思ってます。私、あの街が大好きなので」
学生時代、高峰はここ滋賀県に住んでいた。偶然だが、高峰も彦根という街並みが大好きで、学生の頃はよく草津市から二時間ほどかけてバイクで行ったものだった。しかしここで、自分も彦根に行くつもりなのだというのはなかなか言い出せずに、
「そうなんですか。ここからだと大体二時間ぐらいですかね」
「一時間半ぐらいで着くと思いますよ。今日は平日で、車も少ないですし」
「あまり飛ばしすぎないように気を付けてくださいね」
高峰がそう言うと、彼女は笑った。
「はい、ありがとうございます。えっと…」
「あぁ、すいません。僕、高峰って言います。高峰双太」
「高峰さんですね。高峰さんはどちらまで」
高峰はつい口を滑らせた。
「実は僕も彦根まで行こうと思ってまして。よかったら一緒に行きませんか。僕のバイクはあなたのより遅いですけど」
「私、桐谷遥って言います。そんなに私飛ばしそうですか」
彼女の冗談に思わず高峰は笑った。
「はい、中々飛ばしそうですよ」
今度は彼女が笑った。なんと魅力的な女性なのだろう。高峰の心臓は高鳴っていた。初対面の女性にここまで惹き込まれるとは。
「でしたら、高峰さんが前ですね。私は後ろを走ります」
あっさりと見ず知らずの美人な女性とツーリングをすることになった。どうせなら彦根に着いてからも一緒に、等と考えは膨らむがとにかく今は贅沢を言わず、このツーリングを楽しもうと決めた。
「もう出発しても大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ」
そう言うと彼女は小さなペットボトルの水を飲み干し、ゴミ箱に捨てた。ヘルメットをかぶり、準備は万端。高峰を先頭に二台のバイクはコンビニを後にした。