第1話
「赤ずきん」引用
“かっこいいお婆さん”を目指しました。
あまりキャラクターに関するビジュアル描写がないのは、自由に想像してもらうためです(サボりじゃないよ!)。
獰猛な獣が昼夜問わず現れる、人の寄りつかないとある山。
奥に進むほど木々は深くなるにも関わらず、奥地のある地点だけはくり抜かれたように広く拓けていた。
周囲の獣は陽のよく当たるその領域に入ろうとしない。生態系の頂点に君臨する者の縄張りを感じ取っているのだ。
一人暮らしをするのに十分な規模の小屋と井戸。薪割りのための切り株と小さな畑。人が住んでいることは明白だった。
そんな僻地に一人の少女が降り立つ。
赤い頭巾を被り、色とりどりの花をカゴに詰めた十歳の彼女は、小さな手を丸めて小屋の扉を叩く。
「どちら様だい?」
しゃがれた声が扉越しに聞こえ、少女ははにかみながら元気よく返す。
「おばあさん、わたしよ。赤ずきんよ。お見舞いに来たの。入ってもいいかしら?」
「そうかい。扉は開いているから、入っておいで」
閂の掛けられていない扉は少女が引っ張るとすんなり開き、来訪者を招き入れた。
声の主であるお婆さんは、扉正面の吹き抜けの部屋にあるベッドに腰掛けていた。落ち着いた色合いの服は動きやすいよう無駄な部分が全て除かれ、白くなった髪は後ろで纏められている。
年紀の入った皺だらけの手で編み物をしながら、彼女は少女に視線を向けた。
「それで、何をしに来たんだい」
突然の厳しい声。扉越しに聞いたものとは違う、怒気を含んだ声音に、少女は目を丸くした。
「何って、だから、お見舞いに……」
「それは私の孫の仕事だよ。私が訊いてるのは、あんたの仕事さ」
お婆さんは編み物を脇に置き、意地の悪い笑みを浮かべる。
その笑みは、確信の表れであった。
「さあ、その上手な変装はそろそろやめたらどうだい」
「…………」
棒立ちの少女は手から花のカゴを落とし、お婆さんを見据えた。床にぶちまけられた綺麗な花は無惨に散らばり、次の瞬間には砂となって崩れ落ちていた。
「……いつ気付いた、婆さん」
幼い声に似つかわしくない荒っぽい言葉遣いは、間違いなく少女の口から発せられたもの。可愛らしい顔を面白くなさそうに凶悪に歪ませ、目つきも鋭くなっていた。
少女の豹変ぶりに、お婆さんの不敵な笑みは変わらない。
「初めからさ。あの子は入ってくる時、ノックは指で軽く叩く。音が違うのさ。最初はどこのお客かと思ったんだが、外見や声がほぼ完璧にあの子なもんだから、これは黒だと確信したよ」
「じゃあ俺が何をしに来たかも、大体わかってんだろ」
「私を殺しに来た。まぁそんな所だろうね」
「わかってるなら話が早い。俺のために死んでやくれないか」
少女の姿をしたその者の要求をお婆さんは鼻で笑う。
「お断りだね。生憎と、どこぞの馬の骨にくれてやれるような安い命は持ち合わせてないもんでね」
「言うじゃねえか、老いぼれが」
少女の頭巾が、服が、内部の蠢きに合わせて歪に凹んでは膨らむ。粘土細工のようにグニャグニャと歪む身体は、徐々にその異様さを高めていった。
身の丈は先程の倍以上。黒に近い灰色の獣毛が全身を被い、形の良い耳が頭から生えた。鋭さの増した金色の瞳が、お婆さんを睨む。
「これでもまだそんな口をきけるのか、ご隠居」
そこにはもう、少女の面影などなかった。
お婆さんの背丈を裕に超え、鋭利な爪と尖った牙が銀色に輝く異形の生き物。人のような容でありながら、髪に紛れた頭角の耳、顔を覆う黒灰色の毛は、まさに狼のそれであった。
息を呑んで見ていたお婆さんだが、その表情は驚愕より感心の色が濃い。
「……こいつは驚いたね。長いこと生きてきたが、あんたみたいな生き物に遭うのは初めてだよ」
「よかったじゃねえか。冥途の土産に珍しいもん見れてな」
端から見れば明らかに負け戦だった。
ベッドにいるお婆さんが、自分より大きい狼に勝てるはずがない。
狼は余裕の笑みを浮かべてお婆さんに襲い掛かった。距離にして5メートル弱。間合いを詰めるのに1秒も掛からない。
──獲った──
勝利を確信する狼は、仕留める直前に聞いた言葉を理解出来なかった。
「ただじゃ食わせないよ」
視界が毛布のみをとらえたとき、感覚は激痛に支配され、身体は自由のきかない宙に放られてた。
(何が起こった……?)
床に叩きつけられた背中が鈍い音をあげた。喉が蓋をされたみたいに締まって、酸素を肺に送れない。
空気抵抗により遅れて床に降り立った毛布が視界から消えると、先程までベッドの上にいたこの家の住人が、狼の心臓の真上に座り、首を絞めながら微笑んでいた。が、
「越えてきた屍の数が違うんだよ。若僧」
眼は笑っていなかった。
本能的に恐怖した狼が逃れようと暴れるのと、お婆さんの空いた手が鳴るのは、ほぼ同時だった。
誰の目から見てもお婆さんの優位性は明らかだ。
獲物の末路を予感し余裕さえ感じられる落ち着き払ったお婆さんの態度は、まるで袋小路へ鼠を追い詰めた猫。
殺意を隠さぬ瞳は、狼の喉元しか見ていない。
殺られる──!
戦慄した狼は一方の手で首に絡みつく腕を押さえ、もう一方は元凶を潰さんとお婆さんに伸ばされる。指の半分程の長さの鋭利な爪がお婆さんの腹を抉るため突き出された。
が、お婆さんは空いた手で素早くそれを払い、結果的に狼に肘を向けた体勢はそのまま攻撃に転じる。お婆さんのトドメの肘打が、狼を捉えた。
「───っ!!」
突然の激しい目眩と嘔吐感がお婆さんを襲った。
グラつく頭は寸での所で目測を誤り狼の鼻先を掠めるのみに終わり、前のめりになった体を支えきれない。体調の悪化が勝負の行方を変えた。
(こんな時に……!)
年を重ねてガタつく肉体に病気という追加オプションは、お婆さんに隙を作らせるには充分だった。狼はその一瞬を見逃さない。
首を絞める力が弱まるや否や狼はお婆さんの手を力任せに引き剥がし、同時に腹部に今度は拳を打ち込んだ。
予期せぬ事態で反応が遅れてしまったお婆さんの鳩尾に大きな拳がめり込む。
喉の奥が熱くなり、鼻から鉄の匂いが抜けた。潰れた肺胞が酸素を求めるも吐き出される血反吐がそれを阻み、嘔吐感の箍が外れかける。
前屈みになったお婆さんの体が少し浮いた隙に狼は背後に素早く回り込み、更なる一撃がお婆さんに迫った。お婆さんは苦悶を噛み殺し、崩れそうになる足を踏ん張ってその一連の動作を目で追う。
狼の二撃目を予想したお婆さんは直感に任せて床を蹴り、腹を庇いながら狼の足元に転がり、そのまま距離をとった。
「ゲホッゴホッ!」
床に四つん這いになって口の中のものを全て吐き出す。暴れすぎで爆発しそうな肺に空気を詰め込むため、お婆さんは嫌に湿った咳で無理矢理に呼吸器を一貫させた。床が朱に染まり、口の端に線が残る。
「クソ、ババアの分際で随分と馬鹿力じゃねえか」
首をさすりながら、瞳が苛つきを湛える。首に赤い跡がある以外、狼には大したダメージは見受けられなかった。荒い息になるお婆さんは乱れた髪の隙間から同じように狼を睨み上げる。
「これでも昔はちょいとやんちゃしてたもんでね。まだこんなに動けるなんて、自分でも驚きさ」
口調こそ軽いものの、お婆さんの額には脂汗が浮かんでいた。フラつく膝を叩いて上半身を起こす。
形勢は逆転。窮鼠が猫を噛む番がきた。
体力、体格共に有利な狼に、お婆さんは身構えた。体調は悪化するばかりか、先の一撃で内臓をやられ、体力も年々衰えてきて素手の長期戦は避けたいところだった。
二人の間の距離は僅か2メートルと少し。狼なら二歩もあれば間合いを詰められる。小屋で唯一の出入口は狼の背後で扉が閉まっており、窓も全て鍵が掛かっている。
(逃げるのは……無理そうだね。寄る年波には勝てない、か。せめて何か武器になるものがいるね)
さっと視線を泳がせ辺りを確認する。
(うまく立ち回れない以上、床に近いものしか──)
その時
緊迫した空気に、場違いな音が響いた。
木の板を指で叩いたすっきりとした音と、くぐもった少女の声。
「おばあさん、わたしよ。赤ずきんよ。お見舞いに来たの。入ってもいいかしら?」
お婆さんの顔が蒼白になり、その様子に狼は心を踊らせた。
突然の訪問に動揺したお婆さんはすぐに動けなかった。故に第一声を狼に許してしまう。
「そうかい。扉は開いているから、入っておいで」
まるで先程のやりとりの再現。
獲物を騙しおびき寄せる狼は、喉を巧みにコントロールし、お婆さんの声と口調を完璧に再現してみせた。
我に返ったお婆さんは喉が潰れるのも構わず必死に叫んだ。一声発する度に打たれた腹が捻れるような苦痛を伴ったが、構っている余裕はない。
「来てはいけないよ!今すぐお帰り!走って引き返すんだよ!」
「大丈夫だよ。お入り」
面白がるように優しい声音で、狼は赤ずきんを中に入るよう促した。お婆さんが怒りを込めて狼を睨めつけると、狼は扉越しに聞こえないよう忍び笑う。
扉が閉まっている以上、赤ずきんからは中の様子がわからない。そして不用意に狼の存在を知らせてしまえば、最悪の場合、赤ずきんは腰を抜かして動けなくなってしまう。興味本位で扉を開けられてもアウトだ。
何も伝えず、帰ってもらうのが最善。
お婆さんは赤ずきんに帰るよう訴え、狼は赤ずきんに入って来るよう誘う。
「入ってはいけないよ!すぐにここから離れるんだ!」
「お見舞いに来てくれたんだね。私に早くあんたの顔を見せておくれ」
「聞いちゃいけないよ!早くお逃げなさい!」
「あんたの顔を見れば、元気が出てくると思うんだよ」
「赤ずきん!」「赤ずきん」
同じ声で相反する言葉を同時に向けられた赤ずきんは、扉の前で困っていた。
まめにお婆さんの家を訪ねていても、どちらも遜色ないお婆さんの声だった。
(優しい方?厳しい方?おばあさんは病気で寝込んでいるんじゃないの?)
優しい方は、記憶の中のお婆さんの総合的印象に一番近かった。自分にこの真っ赤な頭巾をくれた時のお婆さんと重なり、こちらが正しいように思える。
しかし厳しい方も、お婆さんへの第一印象と重なった。お婆さんは半端が嫌いで何でも徹底的にこなす人で、小さい頃は厳しくされた。
どちらにも信憑性があるが故に、どちらを信じればよいかわからない。扉の奥の二つの声を聞きながら、赤ずきんは立ち往生で俯いてしまった。
ふと、自分の手荷物が視界に入った。
それは母が持たせてくれた小さな籠。中には果物と、道中摘んだ花が詰まっている。
母は言った。「お婆さんのためにやれることは、やってあげなさい」。
(もし中で、お婆さんがわたしを待ってるんだとしたら?)
行かなければならない。
(でも、本当に帰ってほしいんだとしたら?)
つまり、中でとても大変なこと、困ったことが起きているということだ。
赤ずきんはノブに手を掛け、回し、せめてもの妥協案としてゆっくり開けた扉の隙間から顔を覗かせた。
「おばあさん、どうしたの?何かあったの?」
見えたのは、寝間着姿で姿勢を低くして苦しそうに腹部を押さえるお婆さん。
それと、後ろ姿で判別できない、背が高い誰か。
「おばあさ」
「早くお逃げ!赤ずきん!」
「逃げなくていいよ。赤ずきん」
声が二つになった。
厳しい方のお婆さんの声が残り、優しかったお婆さんの声は聞こえない。代わりに低く、でも優しい、男性のような声が聞こえた。
気付けば赤ずきんは扉を押し進めていた。お婆さんの言葉を無下にするつもりはなかったが、好奇心に勝てなかった。
恐怖はなかった。
赤ずきんはこの声を知っていた。
「オオカミさん?」
呼ばれた狼が振り向くと、苦笑混じりの顔がそこにあった。
「また逢ったねえ、赤ずきん。見舞いの花はシクラメン?」
狼が赤ずきんに手を伸ばす。
皮肉なことに二人の間に障害になるものはなく、距離はたった数歩で埋まる距離しかない。
赤ずきんは狼を不思議そうに見上げるばかりで、逃げなかった。
読んでくれる人がいたら章ごとにやっていきたいな(チラッ
見切り発車です。




