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愛の夢

作者: 荒北 英俊

 僕には妻がいて子どもがいる。結婚して八年が過ぎ、子どもは来年小学生になる。夫婦仲も円満で、経済的にも困ったことは見当たらないごく普通の家庭を築いている。

 そんな僕でも忘れられない過去の恋愛がひとつだけある。まだその相手を好きとかではない。ふとした瞬間に思い出してしまう。昔の体験を夢に見るような感覚である。

 別に対して特別な恋愛ではなかった。ドラマや映画のような恋愛だったのかと聞かれたら、あの時の僕はそう思っていたと答えるようなありふれた恋愛だろう。

 そんな風に思っていても僕はふとした瞬間、彼女のことが思い浮かぶのだ。



 あれは僕が高校二年のときだった。

僕はクラシックが好きで家でよく聞いていた。好きといっても聞く専門で、楽器も弾けないし深い知識も無かった。聞いたらこの曲知ってるみたいなのが、人より多い程度である。

 ある日の放課後の部活帰りだった。外はもう暗く、廊下は人が見当たらず静まり返っていて、僕は少し怖かったのが記憶にある。

 そんな中、音楽室の明かりだけがついていた。よく聞くとピアノの音がする。聞いたことがある曲だった。しかし吹奏楽部はもう練習を終えている時間なのだが。

 僕はピアノの音が気になって、音楽室を覗いてみた。すると、女の子がピアノを弾いていた。覗き見はよくないと思いながらも、僕は彼女の奏でる音と、醸し出す雰囲気にのまれていた。音は繊細なように聞こえるが、彼女の指先は常に流れ続ける川のようだった。

 僕が我を忘れていると演奏が終わり、彼女が僕に気付いた。彼女も我を忘れて没頭していたのだろう。恥ずかしそうにうつむき始めた。僕も気まずくなったのでどうとでもなれと思い、話しかけてみることにした。

「いい曲だよね。好きな曲なの」

「うん。愛の夢。私のお気に入りなの」

 彼女ははじめ僕を警戒していたが、そう尋ねると嬉しそうに答えてくれた。

 僕も嬉しかったのでつい本音を口走ってしまった。

「もっと君の演奏を聴きたい。よかったらまた聞かせてくれない」

 僕は恥ずかしいことをいってしまったと思ったが、意外にも彼女は笑って言った。

「うん。誰かに聞いてもらえるのは嬉しいから」

 こうして、部活終わりに彼女の演奏を聴きにいくのが僕の日課になった。



 こうして一年が過ぎ、僕らはお互い大学受験の時期になった。

 彼女は音大に行くことに決めたらしい。彼女の夢を僕は応援することに決めた。

「今日で最後にしようと思うんだ」

 僕がそう伝えると彼女は笑ってピアノに向かった。

「今日は今まで一度も貴方の前では弾かなかった曲を弾きます。」

 そう言って彼女はピアノを弾いた。やっぱり聞いたことがある曲だったけど、曲名は知らなかった。

 初めて聞いた愛の夢のように美しくて流れるような旋律。でもとても悲しい音だった。特にいつも違ったのは、彼女が泣きながらピアノを弾いていたことだった。

 弾き終わると彼女はまた笑って言った。

「いままでありがとう。ずっと私のファンでいてくれて」

「こちらこそ。大学でも音楽頑張って」

 僕はそれだけしか言えなかった。

 家に帰ったあと僕は彼女が弾いた曲の名前を調べた。CDをたくさん聞いて同じものをようやく見つけた。リストを見てみるとこう書かれてあった。

 

 『別れの曲』



 僕は愛の夢を聞くと今でも彼女がピアノを弾いている姿を思い出す。

 たぶん一生思い出すだろう。しかしそれでいいと僕は思っている。ただこのことを誰にも言わず、思い出として僕の心だけにあの旋律と姿を留めておくくらいなら。



 



 


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 女の子の演奏する曲に「愛の夢」を選ぶ、直球勝負なところ。 [気になる点] 誰にも伝えないつもりの思い出を一人称の文章として残している、話の構造的な部分。 [一言] >「~貴方の前では弾かな…
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