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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

玻璃

作者: 鳩人間
掲載日:2026/02/18

シリアス寄り。

 結局、よく分からないまま全ては進んでいく。私はいつも受動的だ。周りのみんなは「華ってマイペースだからねー」と言ってくるけど、外の世界に自分の判断を入れることができないだけなのだ。生まれた時、私の世界は全てが揃っていた。広い家、かわいい服、おいしい食べ物、優しい家族。無茶な事以外は何でも手に入った。全てが満たされた優しい世界。幼い頃は漫然とその環境を享受し、みんなそんな世界を過ごしているのだろうと思っていた。

 違うと分かったのはいつだっただろうか。1番最初は小学校高学年あたりだったか。あの頃の私は、このままずっと友人やクラスメイトたちと過ごしていられるものだと思っていた。それは1年後とか2年後とかそういう話ではなく、中高生や大学生、大人になってもなんらかの繋がりがあるものだと考えていたのだ。当時住んでいた地域は転校する生徒は少なく、わりとメンバーが固定化されていることが多かったため、こう思ってしまった。あとは、比較的彼ら彼女らとの関係が良好だったのもあるだろうか。でも、そんな甘い話ではないことを知ってしまうのだった。


 小学4年生の初冬、少し肌寒くなった空気を今でも覚えている。あの日もいつもの通り、お気に入りのピンクのランドセルを背負って小学校に行って、授業をこなしたり友達と遊んだりして過ごし、自分の家に帰ってきた。小学生の身長にしては大きなドアをよいしょと開けて、キッチンリビングに直行する。帰ったらおやつ食べながらダイニングテーブルで宿題していたため、そんな動線になるのだった。しかし、その日は違和感があった。普段、母は近くで家事をしていることが多いのだが、いないのだ。おかしいなと思いながら、見回しているとふとダイニングテーブルに何かを発見した。近づいて見てみると、塾の広告だった。どうやら色々幅広くやっている所らしい。よく見ると母がメモをとった跡が見える。

「鞠ねぇちゃん、成績悪くなって塾行こうっていう話になったのかな。なんかすごい勉強とか大変そうだし」

なんとなく中学生であった2番目の姉の成績が芳しくないことを思い出して、そんな失礼なことを思ったりしていた。でもその時はその程度しか思っていなかった。母が慌ただしそうに「あ、帰ってきていたの。おかえりー」と言いながら2階から降りてきたからだ。その瞬間、なんとなくあの広告は「こっそり見てしまったもの」という罪悪感が突然生まれたため、咄嗟にダイニングテーブルから離れ、リビングに戻り、ランドセルに入れた荷物を整理するふりをした。母は何も気づかなかったのか、特に変わったことを私に言う事はなく、ただ和やかに時間が過ぎていった。


 その日の夕晩、父も母も姉たちもそれぞれ帰ってきて団欒を囲んでいた。ほのかにオレンジの光を帯びた照明が、木のトレイや白を基調とした食器を照らしている。私は、桃色の縞が一本入った茶碗を手にしながら、ひたすらニュースを流し続けるテレビを眺めていた。私は食事中に会話することはあまりない。でも、これはしょうがないことだった。歳が離れているのだ。姉妹の間で。凛お姉ちゃんと私は10歳も離れており、1番歳が近い鞠お姉ちゃんでさえも4歳離れていた。しかも、2人とも興味が微妙に食い違う。凛お姉ちゃんは当時既に大学生で、国立大学の法学部で優秀な成績を収め、大学院への進学等も考えていた。家族の中の模範生だった。鞠お姉ちゃんは中学生。大学附属の中学校に通っていた。美術部に入り、コンクール等にも積極的に応募し、既にそれなりの結果を残していた。明るくていつも笑いが絶えない性格でムードメーカー的な性格。必然的に家族で話すときも法学部卒である父と在学中である凛、絵の心得がある母と鞠、というふうに分かれるのだった。凛の話す法律や様々な小難しい論理は、私にとって何も分からず、鞠の話は面白かったが、彼女だけの聖域じみたものを侵してしまいそうな気もして、迂闊に色々話せなかった。結局、私は宙ぶらりんだった。でも、この状態を都合がいいものだと感じていた。話すことや愛嬌を振りまくことは、6歳のあの日から気怠さとトラウマを思い出させるものになってしまっていた。

 ふと、母が何かを思い出したかのように箸をおいて華のほうを見た。何か重要なことがあるらしく、そわそわとし始めた。

「華、あなたももう来年は小学5年生ねぇ。」

いきなりそんなことを言い出すとは思わず、何を言うのだろうかと不思議に思いながら、私は頷いた。母は何か返事をくれるものと思っていたのか、少しその反応に物足りなさを感じたように見えた。しかし、すぐになんともないように表情を繕った。

「華、あなたはとても頭が良いから受験して良い中学校に行くべきだと思うの。お姉ちゃんたちのように。だから、そのための準備として受験塾に行かない?」

母の発言にどこか嘘っぽい子供騙しの臭いがし、知らないふりをしようとした。しかし、あれやこれやと浮かんできて意識せざるを得なくなった。たしかに学校のテストはいつも良い点数だけども、姉を引き合いに出されて如何にも同レベルと言うのは何か違うような気がした。むずむずとした不快感がこみ上げてくる。しかも「良い中学校」とは一体なんなんだろうか。子供にはただ甘くしていたらいいと言って、砂糖がとんでもなくかかったお菓子を出されたような、そんなある種馬鹿にされたような感覚がこみ上げてきた。母はこういうのが苦手なのだ。上手く調子を良くする方法を知らないのだ。

顔にいかにも嫌だという表情が出ていたのに気づいたのか、母は戸惑い、何回か何かを言おうとモゴモゴさせ、ついに黙ってしまった。その様子を見た鞠お姉ちゃんが重い空気を振り払うような笑顔で私に話しかけた。

「華〜そんなにむすっとしないでよ〜華は笑顔が一番かわいいの。あと、華が頭良いのほんとだから。ほら華の担任の◯◯先生と昨日スーパーで会ったんだけど、すごい褒めてたよ!華のこと!」

鞠お姉ちゃんの励ましは、正直に言うと自分にとってはいまだによく分からないところもある。でも響くような響かないような褒め言葉がなぜか魔法のように効いてしまうこともある。この時もそうだった。私はどこか納得したように感じ、どこか力が抜けた。鞠お姉ちゃんはその様子を見てどこか満足したようだった。母はその様子を見て、今がチャンスだと口を開いた。

「ほらね、鞠が言うなら大丈夫。華もできるのよ。だから行くのよ。お姉ちゃん達と同じように。」

その時、今まで凛お姉ちゃんと白熱した議論を終えた父が少し口を挟んだ。

「まぁ、来年の春までに心の準備をすればいいんだ。なに、まだあと数ヶ月あるんだ。華ならいける。」

父は本当に私を信じているようだった。父の向かい側にいる凛お姉ちゃんも静かに頷いていた。こうも期待されるとやはり嫌と言えない。受験塾に入る……そして姉達と同じ大学附属校を受ける……。まだ可能性の一部でしかない。でも、両親やお姉ちゃんたちがこう言うんだ。きっとみんなも同じなんだ。今のクラスメイトも全員じゃなくても、何人かは私と同じようなことを家族から言われているんだ。だから、きっと別れることなんてないんだ……。

 当時の私はそうひたすら思い込み、そしてその日は過ぎていった。しかし、間違いだと気がつくのはすぐ後になる。


 翌日、いつもの通り起きて朝の準備をし、学校に向かった。白のフランネルシャツの上にリボンがいっぱいついたベージュのニットを着て、下は丈の短い赤色のプリーツスカートを着ていた。当時のお気に入りコーデであり、これにチョコレート色のコートを羽織るのが冬の定番だった。近所にも同い年の人が多かったので一緒に行くことも多かったが、高学年になってからはグループがはっきりと分かれてきて、あまり交流がなくなってしまった。だから1人で登下校することがしばしばあった。それでも学校は嫌にならなかったし、むしろ楽しいことのほうが多かった。

 学校に着いて授業を淡々とこなし、給食の時間も過ぎて、あっという間にお昼休みになった。クラスメイトの過半数は外に遊びに行った。教室に残っている人は少なめだった。私には2、3人友達がいてそのメンバーで遊んだりするのが普通だった。大体「この漫画が良かった」とか「アニメがどうこう」とかそういう話をするのだが、その日は珍しく近い将来の話になった。友人の1人である瑠奈が頬杖をつきながら、こう話したのがきっかけだった。

「もう私たちって小4も終わりだけど、その先ってどうする?ほら、中学生とかあっという間にくるでしょ。部活とか本格的に始まるしさー!めっちゃ楽しみじゃない?」

瑠奈は大人しい私たちのグループの中では、かなり活発なほうで、なぜ同じグループになったのか不思議だったが、かなり良い付き合いをしている仲だった。今思えば、彼女の闊達な性格が良い潤滑油になっていたのかもしれない。

「まぁでも、そんな先の話ばっか考えても上手くいかなかった時に挫折しちゃったりとかしたら嫌だけどねぇ」

穏やかな口調に反してわりとしっかり毒を吐いたのは、美鈴だった。彼女は私が初めて知り合った友人だったが、初めからこの調子でなかなかやりにくい少女だった。でも何故か、彼女の冷めた目線と私の内なる卑屈さが見事に合致して、奇妙に親近感が湧く仲だった。瑠奈は美鈴の言葉に対して若干むっとすることが多かった。この時も「余計なことを言いやがって」という顔をしたので、どちらかが何かを言い出す前に止めに入らないといけなかった。

「まぁまぁ。私としては将来の話興味あるなぁ

……って思う。ちょっと怖いけどね」

「なんで怖いの?華?」

瑠奈が目をまるくして問いかけてきた。逆に怖くないことがあるのだろうか。

「だって、未来って何が起きるか分からないもの。そりゃ、楽しいことも起こるだろうけど……。なんか、でも嫌なことも起こりそうだし。」

率直に答えた。しかし、それを見た瑠奈はいまだに不思議そうな顔をしていた。美鈴も少し目線を上げてどこか疑問点があるような表情だった。

「私は未来は怖くないけどな。絶対楽しいだろうし。でも、華ってそんな未来のこと考えて怖いってなるタイプだっけ。なんかいつもほわわわ〜んって感じじゃない?」

私はぎくりとした。昨晩の話が思わぬ影響を与えてしまっていたようだった。瑠奈も美鈴も察しは良いほうとはいえ、さすがに顔に何か書いているレベルで分かりやすかったのだろうか。

「そうだよねぇ。華ちゃんいつもほわほわしていて、『どうにかなるよ〜』って感じなのに今日はなんかそわそわしてない?算数の授業の時、いつもは間違えない問題でつまづいていたし」

美鈴が意地悪そうににやりと笑いながら指摘した。彼女の指摘はうぐっと抉られるようなものがある。ここまでされたなら降伏せざるを得ないと思った。というわけで、私は2人に昨晩に中学受験の話が家族から持ちかけられたことを話した。この話をしている時、縋り付くような面持ちだったのではないかと今になって思う。だって、その時の私は、「永遠に変わらない日常」を思い描いていたから……。だからこの2人のどちらかがなんだかんだ一緒にいてくれるんじゃないかと無謀な望みを持っていた。しかし、返ってきたのはその望みを打ち砕くものだった。

 最初に口を開いたのはやはり瑠奈だった。

「華すごい期待されてるじゃん。なかなかやるねぇ〜」

彼女は少しおちょくるように肘で私を突いた。美鈴は何も動じない様子だった。何かを褒める訳でもなく興味がなさそうだった。やっと口を開いて出てきた言葉はこうだった。

「つまり、私とは離れ離れということね。瑠奈もでしょ。」

「え」

頭の中が真っ白になった。知りたくない。言ってほしくない。そんなことを明かされてしまった。賭けていた望みが一気に崩れた。私は返事になんという言葉を言ったのだろうか。もうそんなことは忘れてしまった。でも、どこか自分は当時からそうなることを分かっていた。


 私が生まれてから今まで育ってきた地域は、とある大都会の郊外にある地方都市だった。周辺地域でもなかなか知る者も少なく、ベッドタウンと呼ばれながらも存在が忘れ去られた田舎だった。しかしながら、市内には一通り幼稚園から大学まで揃っており、また働く場所もあるため、住民は一生をそこで終えることも多いのではないかという噂もあるぐらいだ。つまり、外に出る必要がない。学歴も必要最低限をつければ良いと考える家庭もいまだにある。私の家はそんな環境に住む異端だった。教育は惜しみなく最高のものを提供するのが両親のポリシーだった。そのためか、姉たちも私も様々な習い事をした。水泳とピアノはもちろんのこと、バレエや茶華道、習字などをしたこともあった。この地域でここまでやらせるのは珍しかった。せいぜい一部の裕福な家庭ぐらいである。大半の人間からは正気の沙汰とは思われていなかった。小さい頃から、周囲の大人の、憐れむような異物を見るかのような、はたまた尊いものを見るかのような、そんな奇妙な視線を一身に受けていた。でも、私は無視をした。無視をして避けた。あえて近づいて、自分が無害であることを証明しようと人懐っこく振る舞うこともあった。それもダメだと分かって、分からなくなった後はただただ無視することしかできなくなった。そして、真正面からその事実を受け止めないといけなくなってしまった。私の当たり前は徹底した現実の無視の上に成り立っていたことを。


 ぼんやりとする中、いつの間にか年月は過ぎていく。その後も美鈴と瑠奈はいつもの通り付き合ってくれたが、それはもうすぐ失われそうな日々を大事に過ごそうとしているように見えた。あの日の放課後、彼女らの口からそれぞれの家庭事情を聞いてしまった。瑠奈は兄弟が多く、両親も共働きで家計がきついため、中学受験は無理。美鈴は比較的余裕はあるものの、小学生のうちから塾に通わせることに両親があまり理解がない家であり、本人も「高校受験からでいい」と考えていた。このように必然的に中学受験は遠くなるのだった。

 何回も「受験せずに公立に行きたい。美鈴と瑠奈と一緒にいたい」と思った。しかし私は、親の要求に対して「いいえ」と言うことができなかった。そのたった3文字を言えなかった。両親曰く、「公立はダメ」なのだそうだ。施設も教育カリキュラムも充実していないし、なにより治安が良くないと。「きっとそんなことない」と言おうとしたが、私はそのまま何もせずに卒業すれば通うはずの近所の公立中学校がどんな所なのかよく知らなかった。見学もしたことないため、どんな様子か分からなかった。ぱっと見は問題なさそうだったけど、内側はよく分からなかった。その中学に関する噂に興味がなかったのもダメだった。何も反論はできなかった。しかも、姉たちが両親の意見に共感したのも反駁する余地を無くしてしまう原因となった。家庭内は既に包囲網が出来上がっていた。

 結局、私は両親に勧められるがまま、抵抗もできずに従順な顔で後をついていくことしかできなかった。


 3月、受験塾に入った。姉たちも通ったところに入ることになった。幾分か憂鬱だった気持ちも春の穏やかな暖かさに包まれるうちに解けてきた最中だった。入塾テストの成績はそれなりだった。特別悪くもなく良くもなく、真面目に頑張ればどこかの学校に入れる程度だった。母は真っ先に塾長に「お姉ちゃんたちと同じ所に行かせてほしい」と告げた。塾長は「もちろんです」と言ってうなずいた。

 わりと小規模な個別指導の塾だったためか、私は安心して通っていた。大きな教室で互いにライバルだと敵視し合うのを想像していた私はそうじゃないことにほっとした。でも、大半は高校受験のために来た中学生が多く、私と同じように中学受験のために来た人間はかなり少なかった。しかもそのような人たちは、小学校が別々だった。それっぽい人がいても忙しそうに自習室や教室に入っていくばかりで、会話を交わすことも少なかった。私はほんの少し孤独だった。しかし、先生との相性も良く勉強も比較的順調に進んで行った。次第に私自身が難関校を受ける訳でもないということが分かってきて、気楽になったのも要因だったのだろう。学年は上がり、季節は巡り、友人たちともそれぞれの事情を話したあの日から離れるにつれいつもの通りになり、私の不安は一時忘れられそうになった。しかし、夏を前にすると緊張感が少しずつ滲むように忍び寄ってきた。他と比べてのんびりしていたとはいえ、やはり1つ上の受験生たちは相応に張りつめていた。緊張は伝播する。自然と私の心もひりついていくのを感じていた。

 そんな中、1人の先生からオープンスクールに行ってみるのはどうかという提案を受けた。気分転換になるだろうと気をきかせてくださったようだった。もう小学5年生だったこともあり、1回は行く必要があると感じていたので、家族と行くことに決めた。

 私が候補に入れていた学校は4校あった。第1志望は姉たちと同じ中学校であることは確実視されていた。第2志望は第1志望より少し下の女子校。第3と第4は塾内模試の結果から確実に入れる所を選んだものになっていた。これだけありながら、私自身はどこにも興味がなかったのだけど。夏休みにたまたま志望校全てが開催することが決まっていたので、とりあえず順番に見ていくことにした。

 まず、第3志望、第4志望の学校から行った。正直言うとあまり覚えていない。第3のほうは交通の便が良いところで、第4のほうは辺鄙な山奥にあったことだけ覚えている。どちらも共学で伝統のある学校だった。それでありながら外観や中はあまり古さを感じさせないものだった。次に行ったのは第2志望だった。ここは制服がかわいいことで有名だった。そして何よりもこじんまりとしているが、優雅な校舎や資料館の類いに惹かれた。中庭もあり、初めて私は学校に関して興味を持つことができたのだった。夜になって自分の部屋に戻っても、真紅の絹のスカーフを結んだ華やかな生徒たちが目に焼き付いて離れなかった。薔薇や藤などが咲く瀟洒な庭園のようなところだった。その後に行った第1志望の記憶よりもずっと鮮やかに際立つものがあった。


 しばらく私はその幻想に取り憑かれていた。授業中もついついあの場所のことを考えてしまって、さらにぼんやりとしてしまった。「私の憧れがあそこに詰まっている……!」そう確信しながら、私にしては思い切ったことをしようと思った。

 ある晩、家族全員で食卓を囲んでいた時、私はあることを言った。とても勇気のあることだった。

「あのね、私、第1志望をB女子中に変えたいの」

そう言うと、両親は一瞬目を丸くしたが、すぐににこりと笑って、快く承諾した。私は驚いた。今まで自分の意見はあまり重要なものとは思われていなかったのに。思いの外あっさりと受け入れられたことに胸を下ろした。


 私は大きな決断をしてやる気が湧いてきた。目標を達成するために本腰入れて勉強をし、模試や普段の塾の小テストの点数も上がってきた。ちょうど最高偏差値を記録したのもその時だったか。万事順調のように思えたはずだった。

 小学校6年生になり、私は来たる受験日まで真っ直ぐに突き進んだ。勉強も楽しくてしょうがなかった。しかし、ある日夜中にふと目を覚ましてしまった。当時あまり夜中に目が覚めることがなかったので、一瞬何時か分からなくなったのを覚えている。時計を見て1時だったことに気がついた。少し暑くなり始めた時期のせいか、喉が渇いてしょうがなかったので1階で水を飲もうと思い、階段を降りた。そっと降りている途中、1階のリビングに灯りがついていることに気がついた。いつもならこの時間は人がいないはずだ。なんだろうと不思議に思い、こっそり中を覗った。すると、そこにいたのは両親の姿だった。2人で談笑している。何回かそういうことはあったので、普通の光景だと思って通り過ぎようとしたらとある言葉が耳に入ってしまった。

それは母の声だった。

「でも、あの時あんな風に言ってよかったのかしら。無駄に期待させるだけでしょう?」

なんの話をしているのだろうか?でも盗み聞きするのはダメだろうと思い、聞かなかったふりをしてキッチンに向かおうとした。きっと姉たちの話だろう。私は姉たちと同じように愛されているとしても話題に出すほどではないだろうから。でも、次の父の声で立ち止まらざるを得なくなった。

「上手く子供を導くのも親の使命だろう。だって華はまだ未熟なんだからね。志望校の1つもしっかり考えて決めたわけではないだろうさ。すぐ心変わりするに決まっている。ここからまたお姉ちゃんたちと同じ中学校を志望するように誘導すればいいだけさ。」

その瞬間、何かが崩れ落ちた。嘘だ。嘘だったのだ。あの時の両親の柔らかい笑みも初めて大きな決断を自分でできたという達成感も。全ては策略の上にあり、私は初めから信頼されていなかったのだ。心臓がどくどくと動いて息が荒くなっていった。激しい鼓動と震えが収まってほしいと願いながら、キッチンに行き、ウォーターサーバーでコップに水を入れた。震える手がコップに入った水を幾分か溢したことも気にせず、ただ水という物質をひたすら飲み込むことしかできなかった。口の端から飲み込みきれなかった水が溢れた。窒息しそうだった。

 そこからどうやって自室に戻り、夜を明かしたのだろうか。今となっては記憶にない。でも、その時自分の中にあったものが粉々に砕け散ったことを鮮明に覚えている。所詮、自分の意思は玻璃のようにすぐに割れるものなのだ。こうやって他者によって。ぐちゃぐちゃに割れた破片が今も心に残って離れない。私の両親はある意味ではとても優しいのだ。間違えた道に行こうとしたらそれとなく修正する。それをやろうとしただけなのだ。ただ全てが悪かった。それだけなのだ。


エピローグ


 私はその後、さらにどこかおとなしい控えめな人間になった。美鈴と瑠奈が話しかけてきても曖昧な返事しかできなくなった。彼女らは心配してくれたけど、私は次第に模試などで学校を欠席することが多くなり、入試がある1月は学校に来なくなった。それにつれ、徐々に彼女らとも疎遠になっていった。

 受験は万事上手くいった。受けた学校は全て合格した。そう、B女子中にも。あれが最後のチャンスだった。でも、私は何もできることはなかった。抗えないものを知ってしまったから。今私は、姉たちが通ったA大学附属中学校を卒業してエスカレーターで高校に進学した。今度は大学受験だ。しかし、過去の経験は歩み出そうとする私の足を執拗に絡め取ろうとするのだった。


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