プロローグ
午前六時四十八分。
けたたましい電子音のアラームが鳴るより少し早く、高杉浩介は薄暗がりの中で目を覚ました。体内時計というより、満員電車との戦いに備えるための、身体に染みついた条件反射だ。三十ニ歳、独身。ゼネコン系列の末端、土木コンサル会社勤務。ありふれた肩書きが、今の彼を表す全てだった。
北向きの寝室は、冬の朝特有の静かで冷たい光に満たされている。カーテンを開けても、目の前に広がるのは隣のマンションの無機質な壁だけだ。空の色を窺うには、窓ガラスに額を近づけるしかない。雲一つない、突き刺すような青空が広がっているようだった。放射冷却が効いているのだろう、部屋の中までひんやりとした空気が漂っている。
(…今日も寒いな)
九州の、冬でもどこか湿り気を帯びた空気とは違う。関東平野の冬は、空気がひどく乾燥していて、時折吹き付ける北風が肌から容赦なく熱を奪っていく。東京に来て五年になるが、この乾いた冷気には、未だに身体が馴染む気配を見せなかった。それは単なる気温の問題ではなく、この土地に対する根源的な異邦人感覚の表れなのかもしれない。
シャワーで無理やり身体を覚醒させ、無精髭を剃る。鏡の中の男は、少し疲れた顔をしていた。熱いブラックコーヒーを淹れ、スーパーで買った食パンをトースターで焼く。バターを塗っただけのそれを、味も感じずにコーヒーで流し込む。ただの燃料補給。ニュースアプリをスクロールしても、政局の混乱、経済指標の悪化、芸能人のゴシップ…どれもこれも、画面の向こうの出来事で、自分の日常とは地続きではないように感じられた。『富士山周辺での火山性地震、引き続き観測』という見出しが、ほんの少しだけ目に留まったが、すぐに他の情報の中に埋もれていった。
七時半過ぎ。厚手のコートを着込み、マフラーを巻いて外に出る。途端に、鋭い冷気が頬を刺した。駅までの道を、他の通勤客と同じように、無言で早足に歩く。誰もが同じ方向へ、急ぎ足で向かう。巨大なシステムに組み込まれた部品のように。
西船橋駅のホームは、すでに人でごった返していた。東京メトロ東西線。首都圏屈指の混雑率を誇るこの路線は、遅延もまた日常だ。「約3分遅れ」の表示に、小さく息をつく。大手町のオフィスまで約三十分。この時間をいかにやり過ごすかが、毎朝の小さな課題だった。
数分遅れで到着した電車に、身体を押し込まれる。人いきれと暖房、様々な生活臭が混じり合う空間。吊革を掴み、すぐにノイズキャンセリングイヤホンを装着する。ミニマルなテクノミュージックの硬質なビートが、周囲のノイズから彼を切り離してくれる。
西船橋を出た電車は、高架線を走る。原木中山、妙典、行徳…。車窓を流れるのは、見慣れた千葉のベッドタウンの風景だ。建売住宅、アパート、商店街。そして電車は旧江戸川を渡り、千葉県浦安市から東京都江戸川区に入る。西葛西を過ぎ、電車が速度を上げると、視界が大きく開ける。荒川中川橋梁だ。
全長約1.2キロメートル。荒川と中川という二つの大きな川を、高架橋で一気に渡る。浩介は、ここでいつも、イヤホンから流れる音楽の音量を少しだけ下げる癖があった。
眼下に広がる、圧倒的な空間。広大な河川敷には、いくつかの野球場やサッカー場が整備されているが、冬の朝に人の姿はまばらだ。土手の上では、犬の散歩をする老人や、ストイックに走り続けるジョガーの姿が小さく見える。川と平行して走る首都高速中央環状線では、都心へ向かう車のライトが白い光の川となって流れている。遠くに見える高層ビル群の窓が、昇り始めた朝日に反射して、時折きらりと光を放つ。川面には、砂を運んでいるらしい一隻の台船が、ゆっくりと進んでいる。そして、首都高を支える無数のコンクリートの橋脚の一つには、いつからか、意味不明の派手な落書きが描かれていた。それら全てが、浩介の目には、巨大な都市の日常を構成する、意味のない、しかし確固として存在する風景の断片として映っていた。
(今日も、でかいな…)
彼の視線は、それらの細部から、川そのものの雄大な流れへと移っていく。この川もまた、人間の歴史と深く関わってきた。古代から人々はその恵みを受け、同時にその猛威に苦しめられてきた。度重なる洪水。そして、それを克服しようとする人間の知恵と努力の結晶である治水事業。利根川の流れを変え、この荒川放水路を掘削し…。彼の仕事も、その壮大な闘いの、ほんの末端に関わっている。だが、その人間の営みが、自然の巨大な力の前では絶対的なものでないことを、彼は知っていた。東日本大震災で、最新鋭のはずだった巨大防潮堤がいとも簡単に破壊された光景は、彼の脳裏に深く刻み込まれている。
そして、その荒川の遥か向こう、西の地平線に、今日もそれは圧倒的な存在感で聳えていた。
富士山。
今日の空は、一点の瑕疵もない完璧な青だ。その青を背景に、頂から中腹までを純白の雪で覆われた完璧な円錐形が、まるで精密な模型のようにくっきりと浮かび上がっている。その美しさは、息を呑むほどだ。
だが、浩介はその美しさに、素直に心を委ねることができなかった。九州の山々とは違う、あまりにも完璧で孤高な姿。それは彼にとってどこか異質で、近寄りがたい存在だった。まるで、全てを見下ろす巨大な監視者のように。
(見られている…)
また、あの感覚だ。この風景の前に立つと感じる、言いようのない圧迫感と、何か大きなものに見定められているような感覚。それは、単なる異邦人の感傷なのだろうか。それとも、この国の象徴とされる山の持つ、特別な力がそう感じさせるのか。
彼は災害史の研究で、富士山の宝永四年大噴火について詳しく調べたことがある。約三百年前。南海トラフを震源とした宝永地震に続くあの大噴火が、如何に凄まじく、広範囲に影響を及ぼしたか。その歴史を知っているからこそ、目の前の静謐な山の姿に、ただならぬものを感じてしまうのかもしれない。
富士山と、荒川。日本の自然を代表する二つの巨大な存在。それが織りなす、この壮大なパノラマ。それは、多くの人々にとっては感動的な、あるいは心安らぐ風景なのだろう。だが浩介にとっては、どこか落ち着かない、胸のざわめきを覚える風景だった。まるで、これから何かが起こるのを待っている、巨大な舞台装置のように。
(この、妙な感覚は…何なんだろうな)
彼は、その感覚の正体を探ろうとするが、答えは見つからない。ただ、見過ごすことのできない「何か」が、この風景の奥に潜んでいるような気がしてならなかった。
電車は、長い鉄橋を渡り終えようとしている。
やがて電車は速度を落とし、橋を渡り終えると、南砂町の手前で音もなく地下へと滑り込んでいく。窓の外の景色は、コンクリートの壁に変わった。富士山の姿も、荒川の流れも、もう見えない。
しかし浩介の瞼の裏には、先ほどまで見ていた風景が鮮やかに残っていた。雪を頂く孤高の山。悠々と流れる大河。それらを取り巻く、冬の朝の張り詰めた空気。
それは、単なる日常の風景ではなかった。何か重要な、かつ言葉にならないメッセージが、そこに込められているような気がした。そして自分は、そのメッセージを受け取るべきなのか、それとも無視して日常に戻るべきなのか。
電車は、暗いトンネルの中を都心へと向かって走り続ける。イヤホンから流れる無機質なビートだけが、彼の思考を現実の座標へと辛うじて繋ぎ止めていた。