産湯捨て
私の地方には『産湯捨て』っていう妖怪が伝わっているんです。
あーえっと、まず産湯って知ってます?赤ちゃんが産まれた後に体を洗ってあげるお湯の事で……あ、やっぱり流石に知ってますか。
産まれた直後の赤ちゃんって、結構……言っちゃなんですけど、汚いじゃないですか。
だからそれを洗い流すのは、ある種お清めの儀式的な意味もあるそうです。
昔は生理とかお産とかって、穢れとして扱われる側面もありましたからね。
あ、それで『産湯捨て』なんですけど……お産の場に居る誰かへ取り憑いて、赤ちゃんを洗う前にそのお湯を捨ててしまうんです。
そうして産湯を捨てられてしまった赤ちゃんは、不幸な一生を送る……そういう話で。
それで、なんでこんな事を前置いたかっていうと……
どうも私、産まれた時に産湯を捨てられたらしいんです。
私、子供の頃はかなり古めの村みたいな所に住んでて、病院なんて80kmも先だったそうです。
だから村には産婆さんが居て、本当に昔ながらのやり方でお前を産んだって母から聞きました。
それで私がようやく産声上げて、さあ洗うぞって時に……
父方の祖母が、私の産湯を捨てたんです。
一瞬の事だったからみんな呆気に取られて、ポカーンとしてて。祖母が勝ち誇ったようにケタケタ笑う声と、私の泣き声だけが響いてて、お通夜みたいな空気だったそうです。
嫁姑で色々あったんでしょうね、多分。
私、父方の祖母と顔を合わせた記憶が一回も無いんですよ。
どうもお産の件以降気が触れたらしくて、ずっとどこかで療養してたらしいです。結局治らないまま死んだって聞きました。
皆はそれを『産湯捨て』の仕業だって言ってたそうですけど……どう考えても逆ですよね、『産湯捨て』の話を知ってるからこそ、に決まってるじゃないですか。
まあ、『産湯捨て』の仕業にしておいた方が丸く収まったんでしょうね。
私それを聞いて考えたんですけど、産湯を捨てるって凄く酷い行為だと思うんです。
産まれて最初に執り行われる筈だったお清めの儀を台無しにするんですよ?そんなのもう呪いじゃないですか。
「お前は穢れたままでいろ」って言ってるのと一緒ですよ。
それで私、変わった体質があるんですけど。
宗教施設に一度も入った事が無いんですよ。
お宮参りの時にですね、何故か神主さんが鳥居の前に来て、私の参拝を拒否したんです。
当然親も怒ったんですけど、どれだけ言い争っても頑として引かなくて。
「その子は無理です」「とにかくうちには絶対に入れません」って。
そのうち私がお腹空かせて泣いちゃって、その時は諦めて帰りました。
でもその時だけじゃなくて、どこの神社もお寺も教会も、私が入ろうとすると絶対に偉い人が出てきて、「あなただけは入らないで下さい」って言うんです。
一度、神主とか巫女の居ない小さな神社ならどうかなって行ったんですけど、何故かたまたま権利者の人が来ていて、「すまんがアンタだけは入れたくない」って。
見るからにカルトな新興宗教の勧誘に着いていった事もありますよ、本拠地みたいな場所に行った途端に教祖が出てきて「お前はダメだ!」って言われた時は、もう笑っちゃいました。
それで私、一回も宗教施設に足を踏み入れた事が無いんです。
高校の修学旅行の時はこの体質のせいで丸一日潰れましたね、アレはほんと最悪でした。
…………やっぱ私、呪われてて、穢れてるんですよ。
洗っても洗っても落ちない位。
私、何に祈れば良いんでしょうね。
(T山精神病院にて療養中である、D氏のカルテより抜粋したカウンセリング記録)
『産湯捨て』は実在する妖怪ではありません。