束の間の休息
「おーい、真冬ー! お前、ノート貸してくれよ」
「……あ、ああ」
周囲がガヤガヤとしだす昼休みに声をかけてきたのは、クラスの友人、田中だった。
田中はいつも通り元気で、授業中に寝てばかりのくせに、こうして周りに甘えるのがうまい。
「おいおい、ぼーっとしてるぞ。昨日寝てなかったのか?」
「……いや、ちょっと考えごとをしてただけ」
「へー、真冬が考えごと? 珍しいな! どうせゲームのことだろ?」
「ちげぇよ……」
口調はぶっきらぼうだったけど、本当はありがたかった。
何も考えずに笑い合える時間は、今の僕にとって救いでもあった。
「……なあ、田中は進路、もう決めてんの?」
「え? 俺? んー、経済学部に行った兄貴がいるから、俺もそっちに行くつもり。まあ、特に夢もないしな」
「そうか……」
「でもお前は違うんだろ? 小さい頃から、星とか宇宙とか、めちゃくちゃ熱く語ってただろ。あのときは、正直引いたけどな、ハハ!」
田中の無邪気な笑い声が、心に突き刺さる。
星に夢中だったあの頃の自分を、まるで鏡で見せられているようで、胸が苦しかった。
「……まぁ、今は……色々考えてるだけだよ」
「そっか。なんかあったら言えよ。俺、話くらいは聞いてやるからさ」
「……ありがとう」
その一言を絞り出すのに、驚くほど時間がかかった。
教室のざわめきの中で、自分だけ別の世界にいるような孤独感が増していく。
放課後、僕はいつものように、わざと遠回りをして帰った。
校舎の廊下を歩くと、壁に貼られた進路相談のポスターが目に入る。
(理系なら将来安定、とか……文系なら幅が広い、とか……)
貼り出された言葉は、どれも決め手にならない。
それどころか、ますます迷いを深くするばかりだった。
家に帰ると、母親が台所で夕飯の準備をしていた。
「おかえり」と言われるたびに、どう返していいか分からない感情が喉につかえる。
「おかえり。……今日、進路のこと、先生に言った?」
「いや……まだ……」
母の声には、わずかに焦りが混じっていた。
進路のことを決めなければならないと、母も父も、ずっと言い続けていた。
「お父さんも、君が早く決めるようにって言ってたよ」
「……わかってる」
食卓に並ぶ味噌汁の湯気が、妙に遠いもののように見えた。
味は、しっかりとした優しさがあったのに、喉を通すたびに罪悪感が広がった。
「ねぇ、真冬……無理しなくていいのよ。どっちを選んでも、ちゃんと応援するから」
母の言葉は、暖かいのに、僕の心を余計に締めつけた。
本当に応援される資格が、自分にあるんだろうか――そんな問いが頭をかすめる。
夕飯を終えると、部屋に閉じこもった。
ドアを閉めた瞬間、胸の奥がズキリと痛んだ。
(……なんで、こんなに不器用なんだろう)
制服を脱ぎ、椅子にかける。
机に積んである教科書とノートが、今はただの無機質な塊に見えた。
机の上には、理系用の参考書と文系用の資料が雑然と積まれている。
(どっちも選べない。選びたいのに……)
鉛筆を手に取ったが、ノートの上に落ちるだけで、動かすことはできなかった。
何かを書こうとすると、あの夜の星空が脳裏に浮かぶ。
ドアを閉めた瞬間、胸の奥がズキリと痛んだ。
星に夢中だったあの頃の自分が、どこかで泣いている気がする。
(あのとき、何を信じてたんだっけ……)
自分でも分からない。
いや、分からないふりをしているだけなのかもしれない。
夜が更けるにつれて、心の中の暗闇が深くなる。




