出会い
「やぁ、少年。 星は好きか?」
不意に、後ろから声が響いた。
驚いて振り返ると、そこには長身の女性が立っていた。白衣を着ていて、髪は月光に透けるような銀色。夜の風に揺れる白衣が、どこか幻想的に見えた。
「……え、誰ですか……」
言葉が詰まり、缶を握る手に力が入る。
女性はにやりと笑い、ゆっくりと近づいてきた。
「ほう、怖がらせてしまったか。すまないすまない。君、ずいぶんと寂しそうな目をしているな」
「……別に」
ぶっきらぼうに答えると、女性は面白がるように笑った。
「まぁまぁ、そんな顔をするな」
「……星?」
その単語だけで、胸の奥がかすかに疼いた。
「うむ。星だ。宇宙だ。夜空に散らばる、あの小さな光たちだよ」
彼女の声には、奇妙な熱があった。理屈を超えて、まるで生き物のように脈打っている言葉。
「少年、君は星が好きか?」
その問いは、やけに真っ直ぐだった。
(好き……だった)
頭の中ではそう答えていたのに、口から出たのは別の言葉だった。
「べつに、好きじゃない」
女性は少し目を細め、ゆっくりと首を傾げた。
「ほう……なら、嫌いなものにこんな夜中まで向き合えるとは、なかなか面白い性格をしているな」
「……っ」
少し、いやかなりカチンと来た。
なんで、この人は見ず知らずの僕にこんなに踏み込めるんだ。
女性は小さく笑いながら、僕の顔を覗き込んだ。
その目は、深い夜の底のように澄んでいて、どこか懐かしさを感じさせた
「……ほんとは、好きですよ。ずっと、ずっと見てた。……でも、もう……」
言葉の続きが出なかった。喉の奥が痛いほど詰まる。
僕がそう言うと彼女は片手をあげて少し微笑んだ。
「私は春海奏。大学三年で、星の研究をしている。いわゆる“リケジョ”というやつだな」
僕は思わず目を見張った。
白衣の理由が分かった気がした。
でも、それ以上に彼女の目には、どこか鋭い光があった。
「僕は白木真冬。絶賛文理選択に迷っている高校一年です」
「君は真冬、いや少年と呼んだ方がしっくりくるな。まぁそれは一旦置いといて、やはり少年は悩んでいたか」
「……なんで、そんなに人のことを簡単に見抜けるんですか」
「見抜いてなどいないさ。ただ、君の目に『迷ってます』って書いてあっただけだよ」
目を伏せた。
見透かされたくなかったのに、何もかも暴かれたようで、悔しくて、恥ずかしくて、胸が苦しかった。
奏さんは僕の震える手を見て、ふっと息をついた。
「いいじゃないか。それで。好きでも嫌いでも、君の中にちゃんと残ってるじゃないか」
夜風が吹き、白衣がひらりと揺れた。
「少年、一緒に星を見ないか? 今日は機材を持ってきていないが、明日、またこの場所に来い。二十二時に。そうしたら、もっと面白いものを見せてやる」
その言葉は、夜空からふってきた星のように、唐突で、けれど温かかった。
「……星を?」
「そうだ。君に必要なのは、きっと『もう一度見ること』なんだよ」
「……」
返事ができなかった。
でも、なぜか逃げたいとは思わなかった。
奏さんの声には、どこか父が昔話してくれた星の話に似た匂いがあった。
「明日、またここに来るといい。それまでに、少しでも考えておけ」
そう言って、奏さんは月に背を向けるようにして歩き出した。
その背中は、白衣のせいか、夜の中で浮かんでいるように見えた。
僕はその場に立ち尽くし、ココアの缶を見つめた。
まだ温かい缶を握る指先に、ほんのわずかに力が戻っている気がした。
「……もう一度、見る……」
声に出した瞬間、胸の奥で何か小さな灯が灯ったような気がした。
空を見上げると、雲が少し切れて、星がいくつか顔を出していた。
まるで、さっきの言葉を聞いていたかのように、静かに瞬いている。
「……もう、少しだけ……」
そっと呟くと、冷たい夜風が髪を撫でた。
それはまるで、「いいんだよ」と優しく背中を押してくれるようだった。
ブックマークや評価をまだしていない人がいたら、是非よろしくお願いします!




