大学は
春、僕は大学の門をくぐった。
その日、桜はもうほとんど散っていたけれど、あたりにはまだ春の匂いが残っていた。頬を撫でる風がやけにやさしく感じられて、きっと今日はうまくやれる——そんな気がしていた。
けれど、現実はすぐに僕の幻想を追い越していった。
講義の教室は、どこも大きかった。
数百人が座るホールに入ったとき、真っ先に思ったのは「自分が小さい」ということだった。高校では“進路意識が高い方”にいた僕が、大学では何の特別でもなく、むしろ知識の足りなさにおののく存在になっていた。
「え、そこって偏微分ですよね?」「あー、それはラグランジアンが……」
近くの席から聞こえてくる声が、まるで別の言語に思える。スライドの数式はすぐに流れていき、手元のノートは白紙のまま置き去りにされた。
(……やばい。何ひとつわからない)
そんな感情が、初回の講義で胸いっぱいに広がった。
日々はあっという間に流れ、5月が過ぎた。
大学に入って最初に感じたのは、自由と孤独だった。
誰も僕のことを注意してくれない。誰も僕のことを気にしない。
時間割を組むのも、研究室を選ぶのも、昼食を食べる相手すら、全部“自分次第”。自由という名の波の中で、僕はときどき立ち泳ぎをしていた。
ある日の放課後、自習室でノートを開いていると、隣の席にいた学生が話しかけてきた。
「ねえ、それって今週の物理Ⅱの課題?」
「え? ……う、うん」
「これ、途中から解法詰まるよね。微積の知識、あれで足りてるのかな……って感じ」
話しかけてきたのは、同じ学科の男子学生で、名前は中村圭吾。小柄で眼鏡をかけた、物静かだけどどこか鋭い雰囲気を持つやつだった。
「君も宇宙系志望? それとも量子の方?」
「……宇宙、です。観測とか、やりたくて」
「へえ、いいね。俺は計算畑。でも、宇宙観測ってロマンあるよな。あの遠くの光をさ、“今”って言葉で見るんだから」
中村とはその日以来、時々課題を一緒に考えるようになった。
彼の知識の深さに驚きながら、それでも自分の「好き」の芯が少しだけ明るくなるのを感じていた。




