観測
翌週末、僕は再び電車に乗っていた。奏さんの研究室のプロジェクトで、郊外の観測施設に向かうことになった。
電車を降りてからさらにバスに揺られ、細い山道を登ると、そこには広い空と、風の音しかない場所があった。
夜のとばりが落ちる頃、奏さんは手慣れた動作で望遠鏡を組み立てていた。そばにはノートパソコンと観測用のセンサー。光害のない夜空は、街では見たことのないほど暗く、そして澄んでいた。
「見てみなよ」
促されて接眼レンズを覗くと、そこには驚くほど鮮明な星団が広がっていた。まるで銀の粉を撒いたように、点の集まりが空の奥に浮かんでいた。
「星って、見るだけなら誰にでもできる。でも“測る”ってなると話は違う」
「測る、ですか?」
「うん。位置、明るさ、スペクトル、変光……星は話しかけてこないけど、こっちが耳を澄ませば答えてくれる。物理学はその“通訳”みたいなもの」
語る奏さんの目は、暗闇の中でもどこか明るかった。
「でも、わかるようになるまでって大変なんじゃ……」
「そりゃあね。でも、私は“わかりたい”って思う気持ちのほうが強かった」
それはきっと、僕にも芽生えつつある想いだった。
観測が始まると、空気が張り詰めた。パソコンにはリアルタイムでデータが表示され、奏さんは時折メモを取りながら黙々と作業を続ける。
「これ、何を見てるんですか?」
「ベガ。夏の代表的な恒星。今夜は分光観測。光の中にどんな成分が含まれているか、調べてる」
「光に成分……?」
「うん。たとえば水素、ヘリウム、カルシウム……。それぞれの元素は特定の波長で光を吸収する。つまり“星の声”ってやつが、そこに出るの」
パソコン画面には、グラフのような波形が並んでいた。どこか芸術的で、同時に数学的だった。
「この光、何年前のだと思う?」
「……数万年前?」
「正解。じゃあ、この光が地球に届くまでに、どれだけの“想い”が失われたと思う?」
唐突な問いだった。でも、意味はわかる気がした。
人は変わる。忘れていく。でも星の光は、それでも届き続ける。
そういう“確かさ”を、僕も持ちたいと思った。
観測が終わったあと、山の空気の中で飲んだココアは、妙に甘かった。
「どうして、そんなに星にこだわるんですか?」
「昔ね、信じられないくらい綺麗な流星群を見たの。家のベランダから。星が降るって、ああいうことなんだって。……そのとき、“生きててよかった”って思った。ただそれだけ」
奏さんは笑った。どこか懐かしそうに。
僕も、そんなふうに誰かに語れる瞬間を持ちたいと思った。
帰りのバスの中、窓から見える空はもう明るくなりかけていた。
僕はスマホを開いて、新しいノートアプリを立ち上げる。そして一行目に、こう記した。
《星の言葉を、もっと知りたい》
小さな決意だった。でも、その小ささが、今の僕にはちょうどよかった。




