くらい、くらい
夜の部屋は、やけに広く感じた。
四畳半の空間が、どこまでも続く闇のように見える。窓からは月明かりが差し込み、床に銀色の線を描いている。
(もう、こんな時間か……)
時計を見れば、針は深夜を指していた。
母はもう寝ているだろう。父も、電気を消して眠りについている。家の中は静まり返り、まるで空き家のように冷たい。
胸の奥が、締めつけられる。
(このままだと、僕はきっと、全部押し殺したまま大人になる)
イヤホンを耳に押し込み、音楽のボリュームを最大まで上げた。
ドラムの音が心臓を叩き、ギターが血管を駆け巡る。
頭がぼんやりして、意識が遠のくような感覚の中で、ただ一つだけはっきりとした願いが浮かんだ。
(外に出たい。どこでもいい。とにかく、ここじゃない場所に……)
無意識のうちに立ち上がり、玄関に向かった。
コートを羽織り、スニーカーを乱暴に履く。ドアノブを静かに回し、家を抜け出すと、夜風が頬を打った。
思わず深く息を吸う。冷たい空気が肺に突き刺さるようで、痛みとともに少しだけ生きている感覚が戻ってくる。
風が吹き抜け、マフラーの隙間から首筋を冷たく撫でていく。
首をすくめ、無意識に空を見上げた。
半月が、僕を見下ろすように淡い光を注いでいる。
僕の時計の針は、十を指していた。
「……よかった、しばらくは天気も崩れそうにない」
声に出した自分の言葉は、冷たい空気に触れてすぐに白い息になり、やがて消えた。
やがて、河川敷が見えてきた。
砂利道に足を踏み入れると、ゴリゴリとした音が足裏から頭に伝わった。
空を見上げると、雲の切れ間から星が滲んでいた。
(……まだ、あそこにある)
昔、あれほど夢中で見上げていた星。手を伸ばせば届きそうだと信じていた星たち。
「……ああ、くそ」
声に出すと、夜の空気が震えた。
涙が溢れそうになる。
「結局、僕は何も変わってない……」
呟いた声は、川の向こうへ吸い込まれていった。
小さな頃の自分が、遠くに立っているような気がした。
星を指差して笑う、あの無邪気な姿。
(ごめん……)
心の中で謝った。
夢を守れなかったことも、星を遠ざけてしまったことも。
深くしゃがみ込み、両手で涙を塞き止めるように顔を覆う。
冷たい砂利が膝に当たり、痛みを感じる。
だけど、その痛みすら、どこか心地よかった。
痛みを感じる限り、まだ自分は生きていると信じられるから。
長い沈黙のあと、そっと顔を上げた。
空には、半月が浮かんでいた。
まるで、こちらを見下ろすように、静かにそこにあった。
(まだ、決めなくちゃいけない)
文系か、理系か。
夢を捨てるのか、もう一度抱きしめるのか。
(でも、今は……まだ答えが出せない)
そう思うと、また吐き気が込み上げる。
ふらふらと立ち上がると、風が身体を押した。
コートの裾がばさりと揺れ、思わず足が前に出る。
川の向こうへ、星の向こうへ、どこか知らない場所へ行けるなら――そんな衝動が、胸の奥から突き上げてくる。
「……寒いな」
自分に言い聞かせるように呟き、歩き出した。
足元の砂利がまた音を立てる。
立ち止まると、足元に落ちた自分の影が不安定に揺れている。
どこまで歩けば、自分は答えを見つけられるのだろう。
今はまだわからない。でも、夜の中にいる間だけは、少しだけ楽になれる気がした。
そして、心の底で小さく願った。
(誰か……誰か、僕を見つけてくれ)
その願いが、夜空の星に届くことはないと知りながら、微かに唇が震えた。




