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渇夢を星夜に  作者: つなまぐろ
夢の死骸
3/47

くらい、くらい

夜の部屋は、やけに広く感じた。

 四畳半の空間が、どこまでも続く闇のように見える。窓からは月明かりが差し込み、床に銀色の線を描いている。

 (もう、こんな時間か……)

 時計を見れば、針は深夜を指していた。


 母はもう寝ているだろう。父も、電気を消して眠りについている。家の中は静まり返り、まるで空き家のように冷たい。


 胸の奥が、締めつけられる。

 (このままだと、僕はきっと、全部押し殺したまま大人になる)

 イヤホンを耳に押し込み、音楽のボリュームを最大まで上げた。

 ドラムの音が心臓を叩き、ギターが血管を駆け巡る。

 頭がぼんやりして、意識が遠のくような感覚の中で、ただ一つだけはっきりとした願いが浮かんだ。


 (外に出たい。どこでもいい。とにかく、ここじゃない場所に……)


 無意識のうちに立ち上がり、玄関に向かった。

 コートを羽織り、スニーカーを乱暴に履く。ドアノブを静かに回し、家を抜け出すと、夜風が頬を打った。

 思わず深く息を吸う。冷たい空気が肺に突き刺さるようで、痛みとともに少しだけ生きている感覚が戻ってくる。

 風が吹き抜け、マフラーの隙間から首筋を冷たく撫でていく。

 首をすくめ、無意識に空を見上げた。

 半月が、僕を見下ろすように淡い光を注いでいる。

 僕の時計の針は、十を指していた。


 「……よかった、しばらくは天気も崩れそうにない」


 声に出した自分の言葉は、冷たい空気に触れてすぐに白い息になり、やがて消えた。

 

  やがて、河川敷が見えてきた。

 砂利道に足を踏み入れると、ゴリゴリとした音が足裏から頭に伝わった。


 空を見上げると、雲の切れ間から星が滲んでいた。

 (……まだ、あそこにある)

 昔、あれほど夢中で見上げていた星。手を伸ばせば届きそうだと信じていた星たち。


 「……ああ、くそ」

 声に出すと、夜の空気が震えた。

 涙が溢れそうになる。

 

  「結局、僕は何も変わってない……」

 呟いた声は、川の向こうへ吸い込まれていった。


 小さな頃の自分が、遠くに立っているような気がした。

 星を指差して笑う、あの無邪気な姿。

 (ごめん……)

 心の中で謝った。

 夢を守れなかったことも、星を遠ざけてしまったことも。


 深くしゃがみ込み、両手で涙を塞き止めるように顔を覆う。

 冷たい砂利が膝に当たり、痛みを感じる。

 だけど、その痛みすら、どこか心地よかった。

 痛みを感じる限り、まだ自分は生きていると信じられるから。


 長い沈黙のあと、そっと顔を上げた。

 空には、半月が浮かんでいた。

 まるで、こちらを見下ろすように、静かにそこにあった。


 (まだ、決めなくちゃいけない)

 文系か、理系か。

 夢を捨てるのか、もう一度抱きしめるのか。


 (でも、今は……まだ答えが出せない)

 そう思うと、また吐き気が込み上げる。


 ふらふらと立ち上がると、風が身体を押した。

 コートの裾がばさりと揺れ、思わず足が前に出る。

 川の向こうへ、星の向こうへ、どこか知らない場所へ行けるなら――そんな衝動が、胸の奥から突き上げてくる。

 

  「……寒いな」

 自分に言い聞かせるように呟き、歩き出した。

 足元の砂利がまた音を立てる。

 立ち止まると、足元に落ちた自分の影が不安定に揺れている。


 どこまで歩けば、自分は答えを見つけられるのだろう。

 今はまだわからない。でも、夜の中にいる間だけは、少しだけ楽になれる気がした。


 そして、心の底で小さく願った。

 (誰か……誰か、僕を見つけてくれ)

 その願いが、夜空の星に届くことはないと知りながら、微かに唇が震えた。





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― 新着の感想 ―
Xからきました。 理系か文系か、夢か現実か、この選択が嫌というほどリアルに描かれてますね。 私も挫折の経験があるので、共感できて胸が締め付けられました……。 心理描写、情景描写が上手でスッと頭に入って…
理系にも色々あるけど、理系があまりにも夢に近しいから返って視野が狭くなっているのですかね。 ここまでくると、夢も呪いですよねえ。
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