憂鬱な時間
冬休みに入る少し前、進路希望調査票が配られた。
「理系」「文系」の二つの大きな文字が、白い紙に黒々と印刷されている。それだけのはずなのに、その紙を見ただけで、胸が重くなった。
クラスメイトたちは、意外とあっさりとした顔で書いていく。
「どうせ文系でしょ、俺」
「私、理系にして看護師目指すんだ〜」
「うちの親、理系じゃないと許してくれないからなぁ」
そんな声が、教室のあちこちで弾けては消えていった。
僕は鉛筆を握りながら、何度も紙の端を折り曲げた。
(何を書けばいい……?)
それが、頭の中で無限ループしていた。
ふと、斜め前の席に座る小柳の背中が目に入った。中学のとき、研究で賞を取ったあの小柳だ。
彼はもう「理系」と大きく丸をつけて提出箱へ入れていた。あの時と同じ、迷いのない背中。
(……なんで、あの時あんなに悔しかったんだろう)
自分でもよくわからなかった。ただ、あの時、星が「遠いもの」になった瞬間の感覚だけが、胸に残っている。
放課後、進路指導室に呼ばれた。
「白木、お前は理系でも十分やっていける成績だが……進路希望、まだ空欄だな?」
担任の先生は、書類をぱらぱらとめくりながら言う。
「……まだ、決めきれなくて」
「そうか。家でもしっかり話し合うように」
先生の声は、機械のように一定だった。まるで、自分が「まだ決めきれてない」存在であることを、無言で裁かれているような気がした。
その夜、食卓の空気は重かった。母が優しい笑顔を作り、父は黙々とご飯を食べる。
「真冬、進路はどうするの?」
母の声が、炊き立てのご飯の湯気のようにふわりと届いた。
「……まだ、迷ってる」
「そう……でも、早めに決めたほうがいいわよ」
母の言葉には、心配と促しが混ざっていた。
「父さんは何か意見ある?」
母が父に振ると、父は箸を置いて、短く言った。
「現実を見ろ」
その言葉だけだった。
現実。
耳の奥にその言葉が響き、奥歯がきしむ音がした。
(僕だって、見てる……見ようとしてる……でも……)
声にはならなかった。
代わりに、冷めかけた味噌汁を一口、喉へ流し込んだ。
夕食の後、部屋に戻り、机にうつ伏せになった。
何も考えたくなかった。何も感じたくなかった。
スマホを取り出すと、無意識に音楽アプリを開いた。イヤホンを耳に差し込むと、音が頭の中に満ちていく。
(現実、現実、現実……)
それが、リズムに合わせて頭の中で繰り返された。
ふと、机の隅にある古いノートが目に入った。
それは、星を追いかけていた頃に書いていた観測ノートだ。埃をかぶった表紙は、薄い灰色にくすんでいた。
そっと開いてみる。
「2020年12月4日 オリオン座のベテルギウスが赤かった」
「2021年1月14日 木星と土星の接近、肉眼でも確認できた」
震えるような文字が、ぎっしりと書かれていた。
ページをめくるたびに、胸がざわざわと波打った。
「なんで……」
呟きが漏れる。
「なんで……僕は……」
問いは、誰にも届かない。
そのまま机に顔を伏せると、涙がポツリと一滴だけ落ちた。
まるで、自分でも信じられないかのように、すぐに袖で拭った。
(もう、泣く資格なんかない。夢を捨てたんだから)
そう思うたびに、心の中に硬い殻が重なっていく。
 




