ご対面
翌朝、目を覚ますと、いつもより布団の中が少し暖かく感じた。
体の奥に小さく灯った火が、まだ消えずに残っている――そんな気がした。
(……あの人、何をしてるんだろうな)
奏さんの姿を思い出すと、昨日の言葉が胸の奥で何度も反響する。
「夢を一度捨てても、また拾えばいい」
「逃げてもいい。ただ、また戻ってくればいい」
そんな言葉が、重く沈んでいた心の底に小さな波紋を広げていた。
その日、僕の頭の中にずっと父の顔があった。
厳格で、理屈っぽくて、いつも正しいことしか言わない父。
小さい頃は、そんな父を「かっこいい」と思っていた。
でも今は、その正しさが怖い。
(もし怒鳴られたらどうしよう。もし、失望されたら……)
それでも、逃げるわけにはいかなかった。
胸の奥に芽生えた小さな光を、ここで潰したくなかった。
家に着くと、父はリビングで新聞を読んでいた。
母は台所でお茶を淹れている。
「……ただいま」
「ああ、おかえり」
その声はいつも通りだった。
でも僕には、刃のように鋭く感じた。
「父さん、少し話があるんだ」
静かに言うと、父は新聞をたたみ、視線をこちらに向けた。
「なんだ?」
(言え、言わなきゃ、ここで……)
「僕、理系に進みたい。将来、宇宙や星を研究したいんだ」
声は震えていた。
でも、確かに届くように絞り出した。
父はしばらく黙っていた。
沈黙が、部屋を凍らせるように広がる。
「お前には無理だ。現実を見ろ。お前には安定した道が必要だ」
冷たく、短く、切り捨てるような声だった。
心臓が強く脈打ち、耳鳴りがした。
「……それでも、やりたいんだ」
「無謀だ。夢だけじゃ生きていけない」
「分かってる! でも、夢がないまま生きていくのは、もっと怖いんだ……!」
泣き声が混じった。
恥ずかしかった。でも、もう止められなかった。
「僕は、ずっと怖くて逃げてた。でも、今は……どうしても、逃げたくないんだ!」
父は、険しい目をしたまま僕を見ていた。
母が後ろで手を胸に当て、言葉を失っていた。
長い、長い沈黙。
「……好きにしろ」
ぽつりと、父が言った。
「自分の道を選べ。ただ、その結果はすべて自分で背負え」
目が合った瞬間、父の奥にあった小さな揺れを見た気がした。
それは失望ではなく、諦めでもなく、どこか許しに似た光。
「……ありがとう、父さん……」
言い終わると、涙が頬を伝って落ちた。
母はそっと僕の肩に触れ、優しく頷いてくれた。
自分の部屋に戻ると、体中の力が抜け、ベッドに倒れ込んだ。
胸の奥にあった硬い塊が、少しずつ溶けていくようだった。
(僕は……ちゃんと、自分の言葉を言えた……)
窓の外には、まだ星が瞬いていた。
涙で滲むその光は、どこかあたたかかった。




