冷めた熱
僕は誰よりもロマンチストだった。
大きな夢を持った。
――何歳のときだっただろう。
おぼろげな記憶の中にあるのは、冬の夜空。手をつないでいたのは父。息が白くなるほど寒かったのに、その夜のことを思い出すと、なぜか胸が温かくなる。
「ほら、あれがオリオン座だぞ。見えるか?」
父の指差す先を見上げて、僕は「うん」と頷いた。
よく見えなかったけれど、父の声がうれしくて、何も言わずに星空を見つめていた。
あの夜から、僕の中に星が灯った。
理由なんてなかった。ただ、輝いているものを、輝いていると感じられた。あの頃の僕には、それだけで十分だった。
小学生のころは、よく図書館に通った。星や宇宙の図鑑を借りてはページをめくり、宇宙の端っこにまで想いを馳せた。天の川銀河の向こうに、見たこともない星たちがあるという想像だけで、胸が躍った。
紙と鉛筆を持って、自分だけの星座を描いていたこともある。僕の「しらき座」は、誰にも見えないけれど、僕だけの宇宙の中にちゃんと存在していた。
その夢は、中学に上がる頃には「天文学者になりたい」というはっきりとした形になっていた。理科の授業が待ち遠しくて、テスト勉強も楽しんでできた。成績もよかった。先生にも褒められて、少しだけ「自分には才能があるのかもしれない」と思い込んでいた。
でも、夢って、そんなに簡単なものじゃなかった。
――中学三年の夏。
自由研究で「星の動きと季節の関係」というテーマに取り組んだ。夏休みのあいだ、毎晩のように夜空を見上げては、ノートに記録をつけた。アプリも使い、星図も読み込んだ。最終的にまとめたスケッチとデータを提出すると、先生からは「頑張ったね」と言われた。でも、賞を取ったのは、同じクラスの小柳という男子だった。彼の研究テーマは「重力レンズと光の屈折」。先生曰く「大学レベルの考察」だったらしい。
僕の研究は、「中学生らしくてよい」――その言葉が、やけに遠くに聞こえた。
その頃から、少しずつ、自分の夢の上に薄い埃が積もりはじめた。
高校に入ってからは、その埃が少しずつ分厚くなっていった。
部活やテスト、模試、内申点。何もかもが「現実的」になった。
夢を見ることに、意味がないように思えてきた。
「将来、食えるの?」
「天文学者って狭き門だよ?」
「文系の方が選択肢広がるよ」
大人たちの声が、まるで針のように胸に刺さる。刺さるたびに、星が遠ざかっていくようだった。
「星、好きなんでしょ?」
そう言われても、「だった」と過去形で返すようになった。
あの頃の自分に、今の自分を見せたら、どんな顔をするだろう。
たぶん、泣くだろう。
それとも、黙って空を見上げるのか。
――僕は、夢を手放した。
静かに、誰にも告げず、抵抗もせず。
まるで首をやさしく締められるように。
苦しくない。ただ、静かに、眠るように。
そうして、星を見ることをやめた。
星座早見盤も、天文年鑑も、ノートも、全部本棚の奥へ押し込んだ。
そして今、僕は文理選択の前に立たされている。
この冬休み中に決めなければならない。理系か、文系か。
かつての自分なら、迷わず理系を選んでいただろう。
でも、今はもう、違う。
「夢はない。現実を見ろ」
自分にそう言い聞かせるたびに、口の奥に吐き気がへばりついて離れない。
新作です!
できれば評価をお願いします!




