6話
「改めて自己紹介をするわね。私はシャル。見ての通り、山の民とか呼ばれている蛮族の娘よ」
アル姉がソファーに座らないことを知った少女――シャルは、俺からできるだけ離れるようにソファーの端へと身を寄せ、深く腰掛けた。そのまま足を組み、何事もなかったかのよな口ぶりで自己紹介を始めた。
その尊大な態度と、さっきまでの可愛らしい姿とのギャップに母さんとアル姉は顔をそむけて肩を震わせいた。――笑っているのがバレバレである。
「笑いたければ笑えばいいでしょ! それで次は誰が自己紹介するのよ!」
「ぷっ……ふふっ、あはは……ごめん、だって態度の切り替えが……」
アル姉がとうとう声を漏らして笑い出し、それに釣られて母さんまで吹き出してしまった。
「笑ってないで自己紹介しなさいよ!」
シャルが立ち上がり、地団駄を踏みながら叫ぶ。その姿がまた可笑しくて、二人の笑いはしばらく止まらなかった。
流石は姉妹というか、笑いのツボが似ているのだろう。
俺と父さんは黙って空気と化し、二人が落ち着くのを待つことにした。
でも、まぁ――そのおかげでさっきまでの重苦しい空気はなくなり、シャルのことを普通の女の子として見ることができるようになった気がする。
「あー、面白かった。えっと自己紹介だっけ? 本当は夫からするべきなんでしょうけど、まぁいいわよね? 私はイリスよ。そっちのワロンの母親でこっちが私の夫のフェイン。一応この里の長ね。そっちは妹のアルーネよ」
「アルーネよ。私とワロン君がシャルちゃんを見つけたのよ。仲良くしてねー」
「ワロン・グルセンバイヤ。一応貴族の息子だけど、貴族とは名ばかりだから。ただの子供ってことで。これからどうなるか分からないけど、よろしく」
「……一応里長の名ばかり貴族のフェイン・グルセンバイヤ男爵だ。改める必要はないけど君の処遇を決める立場にあるし、気にする必要はないけど、この里で一番偉い立場ね。それじゃ、自己紹介も済んだし早速で悪いけど、君の話を聞かせてもらえるかな? 国境付近にいたそうだけど、一体何をしていたのかな?」
「……色々と覚悟していたのに、なんだが気が抜けるわね。――質問に答える前に、ここって私を拾った場所からどれくらい離れているの?」
シャルは父さんから目を逸らし、代わりに俺をじろりと見る。その視線を受けながらチラリと父さんを見ると頷いていたので、シャルへ向き直る。
「ハッキリとした距離は分からないけど……あの場所からなら、地図を持っていても徒歩だと一か月はかかると思う。地図がなかったらそもそもたどり着けないんじゃないかな? あの辺りは未開地だし、山脈もいくつか超えないと無理だよ? むしろどうやってあそこまでたどり着いたのか、そっちの方が不思議だよ」
地図があっても、あの樹海を徒歩で、それも少女が一人で抜けることができるとは思えないけど。魔獣もいるし、食料や装備も持っていなかったし。
「……そう。なら、帝国と山の民との戦いは知らないのね?」
シャルは少しだけ目を細めてつぶやく。
「……私は逃亡者になるのかしら? それとも難民でいいのかしらね。どっちにしても質問の答えは一つ。逃げていた、それだけよ」
シャルの言葉に父さんがわずかに目を見開いた。そして母さんを振り返るが、当然のように首を横に振られる。俺も帝国と山の民のあいだで戦争を起こっていたなんて知らなかった。
おそらく父さんは、シャルが斥候やスパイではないのかと疑っていたのだろう。
実際、山脈を超えて密入国している状況を見れば、それも無理はない。
「……初耳だね。まあ、ここは情報が届くのがかなり遅いから。本家の方では、もう把握しているかもしれないけど」
「どうかしらね。私がムムリカ――もともと暮らしていいた集落を出たのが三日前。戦が始まってすぐだったから、まだ伝わっていないんじゃない?」
「……三日?」
つい聞き返してしまった。
ムムリカがどこかは分からないが、――帝国から、しかも山脈を超えて、たった三日であの場所まで来たのか?
父さんを見ると眉間に皺を寄せてじっと考え込んでいた。
帝国側の詳細な地図は少ないが、王国の境界付近まではワイバーンによる航空調査で描かれている。機密資料ではあるが、作成に関わったグルセンバイヤ家には簡易地図が存在する。
父さんにはシャルを拾った場所を大まかに教えている。帝国から三日でたどり着くのは難しいと考えているのだろう。
「……もしかして、嘘ついているって思っているのかしら? 山を五つくらいは越えたと思うけど、思ったより遠くまで逃げられていたみたいね。それなら無理して森に降りない方がよかったわね」
「君はたった一人で帝国から山脈を超えて王国に来たというのかい?」
「ええ。これでも山の民ですからね。山の歩き方くらい、わかっているわ」
「それにしたって早すぎる。まるでワイバーンにでも乗ってきたようだ」
父さんはチラリと俺を見る。母さんとアル姉まで見てくる。ついでにシャルまでこっちを見てくる。
いや、俺なにもしてないからね?
拾った場所も間違いないと思う。アル姉にも確認済みだし。
それにワイバーンなら三日で王国を横断できるし、むしろ遅いくらいだし。
「移動が速かったのは、グライダーを使っていたからよ。……えっと、どう説明したらいいかしら。高いところから滑空するための道具、って言えばいいかしら」
「グライダー? ハンググライダー? そういえば、木に動物の皮が張り付けられた骨組みが引っかかっていたな。まさか、あれって手作りのハンググライダーだったのか?」
「そうそう、それ。なんだ、こっちの国にはあるのね。意外とうまく飛べたし、ひと商売できるかもって思ったんだけど」
「いや、あんなすぐに折れそうな木の枝と皮で作ったもので飛ぶとか……。もしかして倒れていたのは着地に失敗したからか?」
「どうかしら? 最後の方は記憶がないのよね。三日間ほとんど眠らなかったから限界だったのかも」
「デスマーチかよ……」
「あら、三徹を超えると逆に調子が上がるのよ?」
「……上がってないから墜落したんだろうが」
そんなふうに、なぜか妙に会話が弾んでいると、スッと父さんが手を上げた。
「はい、フェイン卿」
反射的に挙手した父さんを指名するシャル。なんかノリノリだった。
フェイン卿と呼ばれた父さんは一瞬面食らっていたが、すぐに咳払いをして話を戻した。
「あー、すまないが、……ぐらいんだ? というのは、何だろう。息子が知っているようだから、あとで聞いても構わないのだが……できれば本人から聞いておいた方がいいだろう」
父さんの問いを聞いた瞬間、シャルがバッと勢いよく俺の方へ振り向いた。
目がぎらついていて――ちょっと怖い。
「……あなた、日本人? いえ、地球人?」
「生まれも育ちもこの国。ランドムント人かな」
この国の名前はランドムント王国なので。まあ、それは置いておいて。
シャルもやっぱり転生者ってことか。外見は日本人っぽくないし、俺と同じで前世の記憶を持っているのだろう。
「そういうこといいから。……いえ、なんでもないわ」
シャルがふいと目を逸らし、すぐに話を切り替える。
「グライダーは私が作ったの。高い場所から低い場所へ滑空するための道具よ。それを使って、山頂から飛んでいたの」
そして――ほんの一呼吸置いてから、まっすぐに父さんを見つめて、口を開く。
「私は帝国から逃げてきた難民よ。住む場所も、帰る場所もなくなった。ここに置いてくれると嬉しいわね」
にこりと笑っているのに、その言葉には奇妙な重さがあった。
「私は――結構、使えるわよ。それに……子供が拾ってきた責任は、大人が取ってくれるのよね?」
ニコリと見た目は可愛らしい笑顔で父さんを威圧している。まるで契約書にサインを迫るような完璧な営業スマイル。
助けられた少女から一転、責任を押し付ける交渉者になっている。まあ父さんもこのまま見捨てるつもりはないだろうけど。
「もちろん、このまま追い返すことはしないよ。ただ――この里に住んでもらうわけにはいかない」
父さんは表情を崩さずに答える。
「近くに村がある。あるいは、一日ほど行けば領都もある。そちらで生活してもらうことになるだろうね」
――そう。この場所はワイバーンの里。簡単に部外者を常駐させるわけにはいかないのだ。
シャルはほんのわずかに目を細めて、静かに頷いた。
「……なるほどね。ワイバーンの隠れ里に部外者を置くわけにはいかないものね」
そして、今度は俺に視線を向けて――問いかけてくる。
「それで、あなたは? どうするの?」
「どうすると言われてもな。父さんが言ったとおりじゃないか? この里は隠れ里ではないけど、誰でも立ち入れるわけじゃない。……でも、下の村で生活しながら、たまに知恵を貸してくれると俺は助かるけど」
このワイバーンの里は、隠れ里ではない。
日々、上空には数多くのワイバーンが飛び回っているし、王国の中では大人なら大抵の者が知っている場所だ。
ただし――この里に立ち入ることはできない。
たとえ王国の貴族であっても、よほどの理由がなければ許可は下りない。
そんな場所に、シャルを連れてきてしまったのは――正直、俺のミスだった。
本来なら、下の村に連れて行くべきだった。
……帰ってから父さんに言われて、ようやくその事実に気づいたくらいだ。
だからシャルは、この屋敷から出ることはできないし、明日には里の外に連れて行かれることになるだろう。
たとえ同じ転生者であっても、俺はそのことを公言していないし、するつもりもない。
……正直なところ、俺にはできない知識チートを色々教えて欲しい気持ちはあるけれど。俺にはどうしようもないのだ。
そんなことを考えていた矢先、シャルがすっと顔を上げ、口を開いた。
「……そう。――――なら、部外者じゃなくなればいいのでしょう?」
その一言のあと、シャルは真っすぐにこちらを見て、さらりと言い放った。
「私をあなたの奴隷にしなさい。あなたの所有物になれば、ここにいても問題ないでしょう?」
……いや、どれだけ上から目線の奴隷だよ。しかも唐突すぎるだろう。それに――
「残念ながら、ランドムント王国は奴隷を認めていない。というか、帝国も認めていないだろ?」
この大陸の発展具合は中世ヨーロッパ程度だが、奴隷制はすでに廃止されている。聞くところによれば、昔――異種族の奴隷を巡って種族間の大規模な戦争があったとかで、その結果、制度そのものが国際条約レベルで禁じられたらしい。
もちろん、借金や犯罪で強制労働を課せられることは今もあるし、「奴隷」という言葉こそ使わなくても実質的に変わらない扱いを受けている人たちはいる。
だが、シャルは平然とした口調でさらに言った。
「あら、大丈夫よ。蛮族には国際的な人権はないから、家畜奴隷として扱えるそうよ? 帝国騎士が嬉しそうに言っていたもの」
……それは、さすがにマズい発言なのでは?
そっと父さんの方を見ると、首を横に振っていた。どうやら父さんも初耳らしい。
そもそも、うちの家族は貴族とはいえ、王国の貴族社会とはほとんど関りがない。むしろ王国民の一般的な暮らしからも距離のある生活をしている。
――とはいえ、いくら許可があってもなくても、彼女を奴隷にするつもりなんて俺にはない。
それは父さんも同じ考えだろう。どう説得したものかと考えているようだ。
――その時、これまで黙って聞いていた母さんが、ふいに立ち上がりパンッと手を叩いた。
「それなら、シャルちゃんをうちの子にしましょう!」
……いや、何を言っておられるのでしょうか、お母様?
「あ! 姉さんズルい! シャルちゃんは私の妹にするんです! 妹も欲しかったんです」
……いや、何を言っておられるのでしょうか、お姉様? あと俺は弟ではないぞ。
「妹はあなたがいるからいりません。私は娘が欲しいの。一緒に編み物をしたり、お料理を教えたりしたいの。――ねぇ、いいでしょう? 旦那様?」
母さんが甘えるように父さんに寄りかかると、父さんだらしない笑顔で応じた。
「もちろんだ、愛しの妻よ」
……いやいやいや。
「まぁ姉さんの子供なら、私の妹ってことにしても問題ありませんね」
――いや、それは違うぞ、アル姉。とは言えない雰囲気である。
なぜか、俺以外の家族がすでにシャルを迎え入れる方向で盛り上がっている。シャルの方を見ると、ポカンとしていた。明らかに戸惑っている。無理もない。俺も立場が逆だったら頭が追いつかないだろう。
ただ、この村の住人は無垢なワイバーンの幼体を長年お世話しているからか、悪意に敏感なところがある。人を見る目があるというか。
おそらくシャルに害意を感じなかったのだろう。ゆえに、保護してあげなくては、という思いが高まったのかもしれない。
――とはいえ、
「……この家に残すとしても、使用人が現実的なところでしょ。娘とか妹とか、さすがに無理があるからね。……ですよね? 父上?」
だらしない顔で母さんの肩を抱くな。息子と義妹が見ているんだぞ。あと母さんもこれ見よがしに胸を押し付けるな! 子供(仮)が二人見ているんだぞ!
「あ、ああ。そうだな。……それでは使用人として迎え入れることにしよう。――シャル、君はそれでいいかな?」
今更ながらに少し真面目な顔つきに戻った父さんが尋ねる
「えっと、私は助かるけど――え? それでいいの?」
俺の方に視線を向けるシャルに肩をすくめて頷く。この地の管理者がいいと言っているからいいのだろう。もちろん、この地で生活するに辺り、いろいろと制約もあるけど、奴隷になるよりは遥かにマシだろう。
あとは、じい様が来るまでに何かしらの実績でも作れたら問題ないんだけどね。
俺が頷くのを見たシャルは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。彼女の困惑した表情は次第に消え、冷静でクールな態度が戻ってきた。
「受け入れてくださりありがとうございます。絶対に後悔はさせません。これからよろしくお願いします」
その声には迷いがなく、彼女の決意が感じられた。
母さんとアル姉の歓声が部屋に響く中、シャルは俺の方を見て不敵に微笑んでいた。
……これまでの平穏で穏やかな日常が崩れさり、厄介ごとが舞い込んできそうな、そんな予感が胸をよぎるのだった。