4話
「グエ!」
しばらく空の旅を満喫しているとアースが一声鳴きし、速度を落としてその場に留まった。まだ目的地の温泉までは少し距離があるはずだ。
「ワロン君どうしたの? まだ先だよ?」
チラリとアースに視線を向けると「グェッ」と鳴いて視線を下に向けた。眼下には山脈に挟まれたように広がる森がある。人の手がまるで入っていない樹海である。
「……なんか、下の森に人が倒れているみたい」
この辺りは未開拓地で国境付近とはいえ、王国、帝国共に干渉していない場所だ。近くには村も集落もない。一番近い人里まで直線距離でも歩いて十数日はかかるだろう。というか人の足でここまでやって来られるとは思えないほどの秘境である。
この樹海を抜けるだけでも何日かかることやら。とても人が暮らせる場所じゃないが……先住民でもいるのか? いや、これまでもこのルートは通っているから、もし人が以前から居たのならこれまでにもアースが教えていたはずだ。
「え!? 大変じゃない! 助けないと!」
アル姉も下を覗きこみ、目を凝らすがハッキリ言って多い茂った木々しか見えない。よくこんな森の上空を飛んでいただけで倒れている人を見つけられたものだ。
「アース、他に人影はないの? 死体でもいいから」
「グエ、グェ!」
「アース様なんだって?」
「んー。居るのは一人だけみたい? 周囲に動物の気配はないって。とりあえず降りてみるね。アースゆっくりだからな」
ペチペチとアースの身体を軽く叩くとゆっくり旋回するようにして森へと降りていく。
俺がアースに乗り始めた当初は俺が乗っているに、急降下して着地の寸前に羽ばたいて衝撃を殺して着地するというワイバーン特有の降り方をしていた。凄まじい衝撃で危うく投げ出されるところだったのだ。
めちゃくちゃ怖かったし、危うく漏らすところだった。それから手製の鞍と手綱を作り、嫌がるアースに無理やり括りつけた。安全に飛ばないともっと色々装備させるぞと脅しつつ、訓練を続けてきた。
ちなみに「鞍をつけないなら一緒に飛ばない」と言ったら、しぶしぶ取り付けを許してくれた。俺がアースの背中でリバースした事件も影響しているだろうけど……。その過程でアースの要望を聞いて作ったのが今使っている鞍である。
その甲斐もあってアースも人を乗せて飛ぶことが上手くなっている。まぁそうじゃなければアル姉を連れて飛ばないのだが。
木々が密集しているためアースの巨体がすんなりと降りられる場所はなく、枝を足や身体でへし折りながらなんとか地面に着地。かなり荒っぽい降り方になったがアースの身体には傷一つついていない。
そして少し離れた場所に少女らしき人物がうつ伏せで倒れているのが見える。……よくこの木々の合間から見えたものだ。……気配を察知したのだろうか?
アースから降り立ち、俺たちは慎重にその方向へと歩みを進める。森の中は薄暗く、地面には落ち葉や小枝が散らばり、歩くたびにかすかな音が響く。アースがいるので、獣が寄ってくることはないはずだが、用心するに越したことはない。
アル姉が先に進み、倒れている少女に駆け寄る。少女の身体を優しく支えて起こし、その様子を確認する。額には汗が滲んでおり、虚ろな目で宙を見上げ、乾いた唇がかすかに震えている。意識はないようで、明らかに衰弱している様子がうかがえるが、大きな外傷は見当たらない。アル姉は静かに少女に語りかけその髪をそっと撫でている。
周囲を見渡しても少女の荷物らしきものは見当たらず、仲間の姿もない。ここまで一人で辿り着いたのだろうか?
……ん? なんか木に引っかかっている。木の枝でできた骨組みに動物の皮みたいなやつが張り付けてある。なめしているわけではなさそうだけど、なんだろう?
「うーん、これは里に連れ帰って休ませないとダメだと思う。たぶん何日も何も食べていないんじゃないかな」
もっと近くで確認しようと思ったが、少女の容態を見ていたアル姉がそう言って声をかけてきた。少々困った表情で。近づき少女をよく見るとその理由が分かった。
「――褐色の肌に白っぽい髪、身体には独特な模様の刺青。……もしかしなくても山岳民族の人だよね? 大丈夫かな、連れ帰って……」
少女は質素な――よく言えば薄手の動きやすい服を着ており、見える肌の色は日焼けしたような薄茶色。髪の毛はグレーがかった白髪。今は薄汚れているため分からないが、もしかしたら銀髪なのかもしれない。そして服から伸びている両腕両足には流線模様があしらわれた刺青のようなものが刻まれていた。顔にも模様があるけど、それは化粧のようでだいぶ薄れて滲んでいた。
これだけの特徴がある人物、民族は一つしかない。山岳民族と呼ばれる山の民だ。蛮族として恐れられている民族だ。
王国ではあまり話を聞かないが、お隣の帝国では昔から小競り合いが続いているらしい。
山の民には幾つかの部族があるらしいけど、ここら辺なら帝国領にある山岳地帯に住んでいる部族のはずだ。
帝国との国境付近とはいえ、ここからだと少なくとも山脈をいくつか超えないとたどり着けないはずだが、なんでこんなところに……?
…………それにしても、この子――デカいな。いや、アル姉より小柄だし、アル姉より小さいけど……デカいな。胸部装甲が特盛である。薄手の服装のせいでより際立っている。――おっと、あまり見ているとアル姉に怒られそうだ。
「この辺りに山岳民族がいるって話は聞かないし、帝国から来ているなら密入国だよね? ……帝国民じゃないから侵略者になるのかな? 亡命?」
「その辺りのことは分からないけど……でも、このままここに置いて行ったら死んじゃうよ?」
周囲は背の高い木々に囲まれた深い森の中。森を抜けるには山脈を超えるか、山脈沿いに下手したら、そこらの小領地より広大な未踏破の樹海を抜ける必要がある。
――うん。普通に死ぬ。この人もここで力尽きているし。むしろここまで来られたことが信じられない。
ただ連れて帰るにしてもアースに乗せて帰るしかない。つまり俺がアースを説得しないとそもそも連れて帰ることもできない。
少女は見るからにぐったりしている。意識はない。アル姉が起こそうとしたけど、弱弱しいうめき声をあげるだけだった。
三人乗りかぁ。二人乗りすら公開していないんだけど……。はぁ、説教の時間がさらに増えそうだ。
「温泉は中止だねぇ」
「え、…………温泉。うん、しょうがないね。温泉は明日にしよう。ね!」
「……いや、流石に二日連続で遊びに行ったら父さんもキレると思うけど」
そうぼやいた瞬間、アースが「グェッ」と低く鳴いた。久しぶりの散歩が中止になることを察してご機嫌斜めのご様子である。
俺はため息をつきつつ、アースを見上げた。
まずは三人乗りの説得。そして今日の埋め合わせを約束することになった。