1話 ワイバーンの里
村の広場で空を眺めていた。
澄み渡る青空には、時折大きな影が悠々と飛び交う。翼竜ワイバーン。その姿は、自由と力強さの象徴のようだ。
突然、翼が空を切る音が聞こえ、強い風が村の広場を駆け抜ける。ワイバーンが低空飛行で村の近くを通り過ぎたのだ。その風圧に一瞬驚かされるものの、村人たちはすぐに日常の作業に戻る。これが、この村では当たり前の光景だからだ。
ここはワイバーンの里。
人間がワイバーンの幼体を世話し、共存している村である。村人たちは幼いワイバーンの成長を見守りながら、共に生きる日々を送っている。
村の広場では、ワイバーンの子供たちが楽しそうに走り回っている。まだ飛べない彼らにとって、地上での遊びが日常だ。小さな翼を広げ、時折バタバタと羽ばたかせながら、仲間たちと追いかけっこをしている姿は微笑ましい。
「空が青い。今日もいい天気になりそうだな」
「クエーー!」
上空を旋回していたワイバーンがこちらを見て声を上げる。
「おーう、また今度なー!」
手をブンブンと振り、大きな声を張る。俺の声が届いたのか、ワイバーンはそのまま身体を傾け、山脈の山頂を目指して飛び去っていった。
周囲の村人たちは、微笑ましい表情で俺を見ている。
まるで、動物と話しているつもりの子供を見るような目だ。もう慣れたものだけどな。
俺がこの世界に生を受けて、早十年。
最初こそ異世界ファンタジーに目を輝かせたものの、十年も経てばただの日常でしかない。
俺はこの村の管理者――代官を父に持つワロン・グルセンバイヤ。御年十歳。ちなみに、この地域一帯の領主は祖父であるグルセンバイヤ伯爵だ。
俺の父さんはグルセンバイヤ家当主の直系の三男として生まれたが、兄弟間の家督争いを嫌い、この地の管理者として家を出た。
……まあ、実のところ、この村の村長の娘だった母さんに一目惚れし、そもそも継げる可能性の低い家督を放り捨てて求婚した――という話は、この村で知らない者はいないのだが。
一応、父さんは今も次期当主候補の権利を持っているものの、社交界にも参加しておらず、父さんを次期当主と考えている者はいないだろう。
この村の実権も祖父が握っているため、父さんはただの代官に過ぎない。まさに名ばかりの貴族だ。
そして、俺はそんな名ばかり貴族の一人息子として生まれたわけだが――なぜか前世の記憶を持っている。
神様に会って転生したわけでも、トラックに引かれたわけでもない。……いや、正確には死んだときのことを覚えていない。気づいたらこの世界で赤子になっていた。
正直、最初は混乱したが、十年も経てばこの生活にも慣れるというものだ。
この村は、曾祖父である先代グルセンバイヤ当主が築いたワイバーンの里だ。
曾祖父は世界で初めてワイバーンと心を通わせ、竜騎士となった英雄である。
その名は吟遊詩人の物語にも語り継がれるほどだ。
隣国の侵攻によって戦禍が広がっていた当時、曾祖父――ロンドは竜騎士として王国の勝利のために日夜戦場を駆け巡っていた。
巨大なワイバーンを駆り、敵陣へ突入し、その翼の風圧で敵兵を吹き飛ばした。その姿はまさに風の如く速く、火の如く激しかった。
夜の闇に紛れた奇襲、空高く舞い上がっての補給路破壊――その戦術は多岐にわたり、戦局を大きく左右した。
戦闘が激化する中、竜騎士ロンドは王国防衛の要として前線に立ち続けた。ワイバーンの威圧的な咆哮が大地を震わせ、敵兵はその姿を見ただけで恐怖に震えたという。
だが、彼の戦いは武力だけではなかった。戦場で傷ついた兵士たちを後方へと運び、安全な場所で治療を施すこともあれば、ワイバーンの力で物資を運び、どんな荒れ地にも迅速に到達した。戦火の中にあって、彼の存在は希望の光となり、兵士たちに勇気を与えた。
こうした竜騎士ロンドの八面六臂の活躍によって、王国は侵略者を退け、平和を取り戻すことができたのである。
つまり、俺はそんな大英雄の曾孫というわけだ。……とはいえ、だからといって特に意味はない。
実際、俺を「大英雄の曾孫だ」ともてはやしてくれる者に出会ったこともない。
そして、曾祖父を英雄へと導いたワイバーンのために築かれたのが、このワイバーンの里である。
曾祖父は、王国の防衛と勝利に大きく貢献した功績が認められ、戦功報酬として 国王の直轄領にあった未開拓の山脈地帯を領地として拝領した。これは、ワイバーンの里を築くための土地だった。
そこは前人未到の山岳地帯であり、普通の人々が足を踏み入れたことのない険しい場所だった。だが、曾祖父は 自らの功績を称えられることよりも、共に戦ったワイバーンたちのために理想の住処を用意することを望んだ。
さらに、拝領した領地と隣接する古い家柄のグルセンバイヤ家に婿入りし、領地を統合することで勢力を拡大。こうして、現在のグルセンバイヤ領が形作られたのである。
拝領した山岳地帯にある断崖絶壁の岩山にワイバーンの巣を作り、その中腹に人とワイバーンが共生できる里を作り、麓にはそれを支援するための人の村が作られた。
そして曾祖父と現当主である祖父が一族と力を合わせて開拓し作り上げたグルセンバイヤ家の本拠地ともいえる交易都市である領都がここから一日ほど離れた場所にある。
ワイバーンの里はワイバーンの幼体を育てる場所であるため、人里を近くに作ることはできなかった。
麓にある村も人口50人ほどの小さな集落で、ここにはワイバーンの里に常駐している村人の親族が暮らしている。ワイバーンの里は許可のない者の立ち入りが禁止されており、外部との繋がりは麓の村が担っているのだ。
俺たちがいるワイバーンの里は、山脈の中腹に広がるまだ緑が茂る場所だ。成体のワイバーンは山頂の岩山で生活をしているが、山頂付近は人間が暮らすには過酷すぎる。そのため、俺たちはワイバーンの幼体とともにこの地で生活をしているのだ。
「キュルルー!」
幼体のワイバーンは飛べないので村の中をドタドタと土埃を立てながら走り回っている。両翼をバタバタと羽ばたかせるようにして走るがまだ飛ぶことはできない。
飛んで行ったワイバーンを追いかけるように里の奥に走っていく。
「……また柵をなぎ倒して山に行くんだろうな。まぁ腹が減ったら戻ってくるからいいけどさ」
大工仕事をしているロウ爺さんがまたガックリするだろうな。
柵を丸太で作っても数匹の幼体がなぎ倒していくからな。
「……それにしても十年かぁ。早いなー」
しみじみとこれまでのことを考えているとドタドタと土を踏みしめる音が聞こえてくる。先ほど走り去っていた幼体を追いかけてきたのか、他のワイバーンの子供達が列を作ってやってきた。そして俺に気づいて遊べ遊べと身体を押し付けてくる。
……すでに俺より大きい生後1年未満の幼竜たちである。加減をしてくれるとはいえ、最近硬くなってきた鱗が地味に痛いのだった。
周囲にワイバーンの幼体が集まってくる。暇そうにしていた俺に遊べと言わんばかりにすり寄ってくる。
彼らの鱗がキラキラと陽光を反射し、まるで宝石のように輝いている。生後1年未満の幼体でも人間の大人より大きい。彼らの力強い体と、優雅に動く尾が印象的だ。
その無邪気な瞳に見つめられると、どうしても彼らの期待に応えたくなる。俺は笑顔を浮かべながら、彼らの頭を撫でたり、共に走り回ったりして遊んであげる。地面を駆けるたびに土埃が舞い上がり、その中で飛び跳ねる幼体たちの姿は、まるでダンスを踊っているかのようだ。
幼体たちが飛びついてくるたびに、その重みと勢いにバランスを取るのが難しいが、それでも彼らと過ごすこのひと時は、何とも言えない楽しみに満ちている。彼らの笑顔と楽しそうな鳴き声に包まれながら、時間が過ぎるのを忘れてしまうほどだった。