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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第一章:嵐の前の静けさ
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 朝陽が地平線を染め上げ、草原に柔らかな金色の光を投げかけた。その輝きが、三人の旅路に静かな祝福を与えるようだった。森の冷たい影を背に、足元には小さな野花が咲き誇り、柔らかな風が彼らの衣服を撫でた。アルヴィンはリュートを軽く弾き、旋律が(かぜ)に溶け込むように流れる。


「旅というのは奇妙なものだね」


 アルヴィンが呟いた。


「道が見えなくても、次の一歩が勝手に足元に現れる。まるで旅そのものが、何かの意思を持っているみたいだね」


 バルグが後ろから鼻で笑い、斧を担いで言った。


「詩人ってのは、どうしてそう調子のいいことを言えるんだ?」


 ガレンは前を向いたまま短く答える。


「調子が良かろうと、道は進むだけだ」



 三人は村や町に立ち寄り、それぞれの特技を活かして資金を稼いでいた。

 バルグは兎の毛皮を剥ぎ取ると、指先でその滑らかな感触を確かめ、一瞬だけ満足げに頷いた。その後、すばやく血と脂を流水で洗い落とし、丁寧に拭き取った。草木から採取した樹皮を煮込んで作ったタンニンの煮汁に毛皮を浸し、手際よく揉み込んで柔らかさを引き出す。その動作には迷いがなく、長年の経験を感じさせた。仕上がった毛皮は太陽の光を浴びて微かに輝き、その柔らかな手触りは村人たちを感嘆かんたんさせた。


「ほら、見ろよ。この毛皮!」


 バルグが誇らしげに毛皮を掲げると、陽光ようこうがその表面をきらめかせた。


「これだけ綺麗に仕上げられるやつなんて、そうそういないだろう?」


 彼の自慢げな声には、少しの謙遜けんそんも見られない。その自信に満ちた表情は、見る者をつい納得させてしまうものだった。

 取引所の簡素な小屋の中には、毛皮や薬草、乾燥した魚が積み上げられていた。中年の男がバルグの持ち込んだ毛皮をじっと見つめ、指先で触れた感触を確かめていた。


「手入れが良いな。これならすぐに売れる」


 男が感心したように頷き、奥から金貨を数枚取り出すと、バルグは満足げに受け取った。外では村の子供たちが追いかけっこをしながら笑い声を響かせ、家畜の鳴き声が穏やかな空気を満たしていた。

 毛皮の取引が終わると、バルグは仕留めた肉に塩をすり込み、焚き火でじっくりと燻して保存食を作り上げた。


「本当はもっと丁寧に乾燥させるのが理想だが、旅の途中じゃ仕方ない」


 バルグが焚き火の調整をしながら言うと、ガレンが焚き火に近づき、鼻を微かにひくつかせた。その目は、焼き上がる肉を吟味ぎんみするように鋭く動いている。


「香りは悪くない。けど、胡椒こしょうか何かがあれば、もっとうまくなるんだがな」


 アルヴィンはその言葉に目を丸くしながら、リュートを弾く手を止めた。

 ガレンは軽く肩をすくめただけだったが、その目は肉が適切に焼き上がっているかを細かく見極めていた。


 村に立ち寄ったある晩、アルヴィンは酒場でリュートを奏でた。

 アルヴィンのリュートが酒場に響き渡ると、客たちの笑い声と共に、足でリズムを取る音が次第に場を包み込む。陽気な旋律が彼らの心をほぐし、次にうたが始まると、全員の視線が一斉にアルヴィンに向けられた。その空間は、彼が生み出す物語によって完全に支配されていた。


「さあ、この一杯は詩人に!」


 誰かが声を上げ、酒場の客たちがアルヴィンの前に酒と食事を差し出す。

 アルヴィンは軽く会釈し、リュートの音を途切れさせずに応えた。


「人生がうたになるのは、こんな瞬間だね。次の曲は君たちに捧げる物語だ」


 その光景を見て、バルグは酒樽さかだるのそばで豪快に笑い、ガレンは少し離れた席から静かにそれを見守っていた。

 彼らの旅は、地に足のついた現実的なものでありながら、少しずつ豊かさを手にしていくものだった。村や町に立ち寄るごとに、必要な物資を補充しながらも、徐々に手に入れる品々は洗練され、日常がわずかに贅沢なものへと変わっていく。

 アルヴィンは、その音楽と物語で出会う人々の心を掴み、いつしか酒場や広場で注目の的となる存在になっていた。村人や旅人たちが彼の周りに集まり、陽気な曲には笑顔を浮かべ、哀愁あいしゅうを帯びた旋律には一瞬の静寂が場を支配した。


「まるで本物の英雄みたいだ」


 誰かがそう呟くと、他の客たちもそれに頷き、次々に酒や食事をアルヴィンに差し出した。その歓声と拍手に囲まれたアルヴィンは、次第に自信をまとい、いつしか衣服も装飾も、まるで売れっ子の吟遊詩人のようなきらびやかなものへと変わっていった。

 彼の持つリュートには、旅の途中で買い求めた高級な(げん)が張られ、手入れされた音色は村や町の誰もが耳を傾ける美しさを誇っていた。腰には、貴族の屋敷で貰い受けた華やかな帯が揺れ、足元のブーツも頑丈でありながら優雅な作りのものだった。その姿はもはや旅人というより、舞台に立つ芸術家そのものだった。

 行く先々でアルヴィンが演奏を始めると、まるで空気が変わるかのように、酒場の喧騒が静まり、人々はその音色に魅了された。


「これが旅の成果ってやつか……?」


 焚き火のそばで肉を焼いていたバルグが、アルヴィンを見ながら笑うと、ガレンはふと目を細めて答えた。


「いや、これはお前の武器だ」


 その言葉にアルヴィンはリュートを弾きながら軽く微笑みを浮かべた。自分が手にしているのは贅沢な品物だけではなく、人々を魅了し、引き寄せる力――旅路の中で育まれた、真の財産だと感じていた。



 焚き火がぽつぽつとはぜる音を立て、闇夜(やみよ)にオレンジ色の輝きが揺れていた。冷たい夜風が頬を撫でるたび、焚き火の小さな炎は踊るように揺れ、火の粉が星明かりの中へと溶けていく。

 三人は焚き火を囲みながら、それぞれ無言のまま、自分の考えに沈んでいた。沈黙は奇妙に心地よく、それでもどこか切なさを帯びている。アルヴィンはリュートを膝の上で(げん)を弾くふりをしながら、ちらりとガレンの横顔を見た。


「ねえ、ガレン」


 思い切ったように口を開いた声は、夜の静けさに溶け込み、焚き火の燃える音にかき消されそうだった。


「前に言ってた復興ってさ……正直、まだよく分からないんだ」


 ガレンは炎をじっと見つめ、一呼吸置いてから答えた。


「俺の故郷は、辺境の小国だった。セリオナ――小さな国だが、かつては誇り高く、清廉せいれんな人々が暮らしていた」


 その言葉には、失われたものへの郷愁きょうしゅうと、痛みが()り混じっていた。


「俺はそこで英才教育を受けてパラディンになった。誇りの日々だった」


 アルヴィンはリュートの(げん)を軽く弾き、静かに呟いた。


「セリオナ……消えた国々の一つか。君の国だけじゃない。最近、似た話をよく耳にする。けど、まさか……」


 ガレンは続ける。


「数年前、アンデッドの軍勢に国も誇りも蹂躙じゅうりんされ、全てが灰燼かいじんと化した。俺だけが生き延びた……だが、それが祝福なのか呪いなのか、未だに分からない。あの日をただ終わりとして受け入れるわけにはいかない」


 焚き火のはぜる音が、静寂を埋めるように響いた。


「それで……バルグとは?」


 ガレンは微かに笑みを浮かべる。


「村の宿で飲んでいたら、バーサーカーが暴れていてな。俺は止めに入った。気がついたら牢屋の中だった」


 バルグが焚き火を囲む輪に座り込み、割り込む。


「それで、俺たちは牢屋から逃げ出したんだ」


 アルヴィンは肩に掛けた絹のマントの端を整えながら、静かに息を吐いた。その手元にあるリュートは磨き上げられ、高級な(げん)が夜の静寂にかすかな調べを奏でていた。彼の周囲には、宝石が散りばめられた帯や、贈り物として受け取った銀のバッジが焚き火の明かりを反射して微かに輝いている。

 だが、その煌びやかな姿とは裏腹に、彼の瞳には影が宿っていた。焚き火の小さな光がアルヴィンの横顔を照らし、その迷いをあらわにするかのようだった。


「君の言う復興って、もしかしてバルグを頼りにして、アンデッドに挑むことなのかい?……いや、まさか、とは思うけどね」


 ガレンは焚き火をじっと見つめていたが、彼の表情には揺るぎない決意が刻まれていた。それは過去の痛みを抱えながらも、それを超えて進む者の顔だった。

 アルヴィンはさらに言葉を紡ぎ出した。低く抑えた声が、夜の静けさに吸い込まれていく。


「英雄が物語の中で勝つのは簡単だ。現実ではどうだろう? 君たちの進む道が希望に繋がることを祈りたい。僕にはそれが奈落へと続いているようにも見えるんだ」


 焚き火がはぜる音とバルグの低い笑いが重なり、空気が張り詰める。バルグは肩を揺らしながら呟いた。


「詩人らしい心配だな。英雄ってのは、そもそも無謀が仕事みたいなもんだ。けど、無謀の先にしか掴めないものがある――そう信じてるから、俺たちは進むんだよ」


 アルヴィンは焚き火を見つめた。その瞳には、煌びやかな装いとは裏腹の迷いが宿っている。焚き火の炎は頼りなげに揺れ、その明かりが夜の闇に飲み込まれそうだった。だがその小さな光は、まるで暗闇の中で道を示す微かな星のようにも見えた。三人はその光を見つめながら、進むべき道がどこへ続くのかを、胸の奥で問いかけていた。

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