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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第七章:選ばれし者たち
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 重厚な扉が軋みを立てて開く音が宮殿の会議室に響き渡った。

 セントリアとローゼン帝国の合同軍がアンデッドとの戦いで大敗し、生き残った部隊がようやく帰還したのは数日前のこと。その報告を受け、急遽開かれたこの会議は、神聖国の今後の進退を左右するものとなるだろう。


 高い天井のステンドグラス越しに、午前の日差しが淡く差し込む。その光は円卓に集う者たちをぼんやりと照らし、室内には重厚な空気が漂っていた。

 部屋の中央には、神聖国の紋章が刻まれた円卓が据えられ、周囲には政治の(かなめ)ともいえる高官たちと皇族の代表が勢揃いしている。

 静寂の中、微かな衣擦れの音さえも聞こえるほどの張り詰めた雰囲気が、参加者たちを覆っていた。

 円卓の少し後方――影に隠れるようにして設けられた控えの席には、ガレン、アルヴィン、そして護衛として配されたリリアが座っている。

 内政第一大臣エルナートが沈黙を破り、低い声で口火を切った。


「アウグスト殿、まずは合同軍の現状について伺いましょう」


 その声は冷静でありながら、その底には失望と(いか)りが混じっていた。

 アウグストは一瞬だけ呼吸を整えると、視線を正面に据えてゆっくりと話し始めた。


「合同軍は、当初の戦術計画通り、セントリアの南東からローゼン帝国の東の拠点を経由し、アンデッド領への侵攻を開始しました。しかし、敵の動きは予想をはるかに上回り、結果として前線が崩壊し、部隊はちりじりになりました」


「具体的にどれほどの損害が出たのか?」


 白髪交じりの壮年の男性、筆頭(ひっとう)神聖騎士(しんせいきし)ラザフォードが発言した。鋭い視線をアウグストに向け、その表情には責任を問う重さが含まれている。

 アウグストは一瞬視線を伏せた後、再び目を上げて答えた。


「エリオンの司祭からの報告によれば、セントリスから派遣された三千名のうち、生還したのはおよそ千二百名に過ぎません。残りの部隊は行方不明です」


 その言葉が部屋に響くと、周囲の高官たちはざわめきを隠せなかった。

 内政第二大臣ベネディクトがすかさず口を挟む。


「ローゼン帝国の被害状況は?」


 普段は穏やかな口調で知られる彼の声にも、今は焦燥感が滲んでいる。

 アウグストは短く息を吐き、淡々と続けた。


「ローゼン帝国の被害は甚大です。主力三万五千名のうち、およそ半数が消息不明。さらに周辺国からの援軍一万二千名についても、その多くが同様に行方不明です」


 室内は凍りついたような沈黙に包まれた。筆頭(ひっとう)宮廷魔術師バレンシアが杖を指で撫でながら口を開く。


「なぜ、これほどの損害が出たのでしょう?私が前線に送った神聖術師たちは、通常であればアンデッドのような存在を容易に浄化できるはずです。それが通用しなかった理由を説明していただけますか?」


 アウグストはわずかに眉をひそめ、深く息を吸い込んで語り始めた。


「敵の中には、魔術を操る部隊が存在しました。彼らは我々の神聖術師に対して封印の呪文を施し、浄化魔法の威力を大幅に低下させてきました。その結果、多くの神聖術師が戦場で無力化されました」


 筆頭(ひっとう)宮廷魔術師バレンシアはゆっくりと椅子から身を乗り出し、テーブル越しに周囲を見渡した。


「神聖術だけに頼るのは危険です。アンデッドの魔術部隊が存在する以上、我々魔術師と神聖術師が密に連携し、彼らの封じられた弱点を突く必要があります」


 アウグストは静かに頷き、再び言葉を紡いだ。


「それだけではありません。アンデッド軍は倒された仲間の死体を取り込むことで個体数を増やし、戦況が悪化するほど敵の勢力が増幅していきました」


 筆頭(ひっとう)神聖騎士(しんせいきし)ラザフォードが低く呟いた。


「敵の増援が無限に近いというわけか」


 彼の言葉に重みが宿り、テーブルを囲む者たちの表情がさらに険しくなる。


「アンデッドがどのように発生したのかは、我々も正確には把握していません。史実によれば、約五千年前――最初の記録はダンジョンの奥深くから溢れ出した亡者たちだとされています。それ以来、死者を吸収し続け、数を増やしてきたのです」


 筆頭(ひっとう)宮廷魔術師バレンシアが顔を上げ、静かな声で補足した。


「アンデッドは討伐されるほど増殖し、制御不可能な存在へと変貌していきました。今回の戦いで、その恐ろしさを私たちは痛感したのです」


「だからこそ、なぜここまで対応が遅れたのかが問題なのだ」


 内政第一大臣エルナートが鋭い口調で言い放つ。部屋の空気が重くなる中、アウグストは冷静な表情を崩さずに応じた。


「私がこの会議でお伝えしたいのは、敗北そのものではなく、その背景にある問題です。我々は敵の進化と戦術に対する認識が甘く、準備不足でした。それだけでなく、神聖術は長き伝承の中で本来の威力を徐々に失い、かつての栄光からは遠ざかっています。その結果、我々の優位性が崩れ去ったのです」


 アウグストは言葉を区切り、さらに続けた。


「ですが、それ以上に――我々は過去の教訓を無視しました。アンデッドが史実に記録され始めた五千年前から、彼らは徐々にその勢力を拡大してきたのです。しかし、冒険者や各国の討伐隊による小規模な対応に依存し、我々神聖国やローゼン帝国が本格的な軍事行動を取るには遅すぎました」


 アウグストは声のトーンを落とし、重要な言葉を付け加えた。


「セリオナ王国が滅んだとき、我々が介入を怠った結果が今の状況です」


 その言葉に、内政第一大臣エルナートが厳しい視線を送りながら応じた。


「我々が後回しにしてきた付けを今払っていると」


 アウグストは目を伏せた後、力強い視線で彼に返した。


「そうです。アンデッドは、単なる亡者ではありません。彼らは死者を糧に成長し、我々が恐れるべき敵へと変貌しています。次に対応を誤れば、セントリスとローゼン帝国はいずれも滅びるでしょう。今ここにいる我々がこの事実を軽んじれば、残されるのは廃墟と飢えた亡者たちだけです」


 部屋を再び深い沈黙が覆った。その静寂の中、ルイーズが淡々とした口調で言葉を紡ぐ。


「アンデッドたちの時間には制約がありません。いくらでも待てるのです。五十年たてば、彼らは今生きている人間の半数を味方につけているでしょう」


 その言葉は一つの宣告のように響き、誰一人として口を開けないまま、室内には重苦しい沈黙だけが漂っていた。



 会議室に沈んでいた重苦しい沈黙を破ったのは、ルイーズの柔らかな声だった。


「一つ、重要な報告があります」


 その言葉に参加者全員の視線が一斉に彼女へと向いた。ルイーズは椅子からゆっくりと立ち上がり、神妙な面持ちで続けた。


「私たちは単独で、アンデッド軍の指導者の一人に接触してきました」


 ざわつく会議室。円卓に集まる高官たちは、言葉を失ったように顔を見合わせる。内政第一大臣エルナートが一歩身を乗り出し、驚愕を隠せない口調で問いかけた。


「何を言っているのだ?アンデッドに指導者がいることなど聞いたことがない。まさか、おとぎ話のネクロマンサーを見つけたとでも?しかも、会話を交わしたと?」


 ルイーズは視線を鋭く保ちながら、丁寧に言葉を紡いだ。


「私の考えでは、何らかの手段を用いて、彼らは古代の王たちをアンデッドとして復活させています」


 彼女の隣でアウグストが微かに頷き、静かに口を開いた。


「確かに、私もその話を初めて聞いたときは信じがたいものでした」


「一体、その指導者とは誰なのですか?」


 筆頭(ひっとう)神聖騎士(しんせいきし)ラザフォードの低く押さえた声が会議室の温度をさらに下げたかのようだった。


 ルイーズは一拍置いてから、静かに答えた。


「セリオナの建国女王、クイーン・セリオナ・リュミエールです」


 その名が発せられた瞬間、会議室の空気が凍りつく。誰かが小声で呟き、椅子が軋む音が響く中、一斉に注がれる視線がルイーズを包んだ。筆頭(ひっとう)宮廷魔術師バレンシアが唇を引き結び、深く座り直した。


「待て。クイーン・セリオナが、アンデッドの指導者の一人だと?」


「ええ。彼女はセリオナ王国がアンデッドに屈した後、墓所(ぼしょ)から蘇ったようです。意志は今もはっきりと保たれています。そして、これ以上に重要な事実があります」


 ルイーズは一呼吸置き、円卓をぐるりと見回した。


「彼女は、私の一族であるアークレイン家に深く関わっています。もともと彼女はアークレイン家からリュミエール家に嫁いだ人間であり、彼女が持参したもの――それがアークレイン家の古代の遺物(アーティファクト)にして秘宝、真理の石(エッグストーン)です」


 筆頭(ひっとう)宮廷魔術師バレンシアが眉をひそめた。


真理の石(エッグストーン)……あの古代の遺物(アーティファクト)のことか」


 ルイーズは静かに頷き、遺物の背景を語り始めた。


真理の石(エッグストーン)は知識と創造の象徴であり、セリオナ王国を築いた力の源でした。しかし、彼女の死後、アークレイン家によって墓所(ぼしょ)から奪い返されています」


 筆頭(ひっとう)神聖騎士(しんせいきし)ラザフォードが口を開く。


「その真理の石が現在どこにあるのだ?」


 ルイーズの瞳には確信が宿っていた。


「私はすでに彼女に返還しました」


 その瞬間、再びざわめきが広がったが、ルイーズは動じず淡々と話を続けた。


「彼女に石を手渡したとき、こう言ったのです――『この石が戻ったことで、私の中の何かが終わりを迎えたのか、それとも再び始まりが訪れたのか』と」


 内政第二大臣ベネディクトが信じられないといった様子で首を振った。


「それはつまり……彼女が呪縛から解放されたということなのか?」


 ルイーズは表情にわずかな確信を滲ませながら、微かに頭を下げた。


「その可能性が高いです」


 その言葉が重く響く中、ルイーズは続けた。


「召喚者が故人を蘇らせる場合、何らかの未練がその根源にあるのではないかと私は考えました。もしその未練が達成されれば、召喚者からの呪縛を断ち切ることができるのではないか――私がクイーン・セリオナに返した真理の石は、彼女にとってその未練と考えました」


 筆頭(ひっとう)宮廷魔術師バレンシアが思慮深い表情で言葉を選ぶように口を開く。


「他のアンデッドにも同じ方法が通じるとは限らないでしょう?」


 アウグストは冷静に頷いた。


「おっしゃる通りです。すべての個体が同様に解放されるわけではないでしょう。まだ他の指導者が誰なのかもわかっていません。ただ、我々は今回の事例から、アンデッドの呪縛が単なる魔術的な封印ではなく、精神的な結びつき――未練に深く関わっていると示唆する事例をえました」


 筆頭(ひっとう)宮廷魔術師バレンシアが深く考え込むように手を組んだ。


「未練を一つひとつ解放すれば、彼らの支配の根幹を揺るがす可能性があると考えてよろしいですか?」


 アウグストは静かに頷いた。


「ええ。最終的には、その支配を根本から断つ可能性があります」


 円卓を囲む重鎮たちの視線を受け、ルイーズは再び着席した。部屋に漂っていた緊張感はまだ消えていないが、誰もが新たな可能性に思考を巡らせているのがわかる。

 静寂が続く中、ルイーズがそっとガレンとアルヴィンに視線を送った。二人も小さく頷き返し、未来への一筋の光が、会議室の天井から差し込んでいるように感じられた。

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