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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第六章: 崩壊の始まり
25/35

 冷たく感情のない声が店内に響き、黒衣(こくい)の剣士はその言葉を口にしたと同時に(やいば)を抜いた。銀色の輝きが一瞬だけ光を反射し、(つぎ)の瞬間には鋭い一閃が(くう)を裂いてバルグに迫る。


「バルグ!」


 ガレンが叫ぶと同時に、テーブルを蹴り上げた。木製のテーブルは鈍い音を立てて跳ね上がり、かろうじて(やいば)の軌道を逸らす。その隙にバルグは後ろへ大きくのけぞり、危うく一撃を避けることに成功した。だが、その表情には(いか)りと戸惑いが入り混じっている。


「なんだ、てめぇら!」


 バルグが低い唸り声を上げ、すぐに斧を構える。

 一方で、黒衣(こくい)の剣士たちはその攻撃を失敗したことに一切の動揺を見せず、無言で(つぎ)の動きを伺っていた。店内の空気が一瞬で凍りつく。


「アウグスト様、後退を!」


 ルイーズが素早く状況を判断し、アルヴィンと共にアウグストを守りながら後ろへと下がる。アルヴィンはリュートを抱えたまま後退しながら、剣士の動きをじっと観察していた。その目には警戒心と、どこか鋭い好奇心が混じっている。


「リリア、構えろ!」


 ガレンが短く指示を飛ばすと、リリアは即座に剣を抜き放ち、剣士の一人に鋭い目を向けた。その姿は若いながらも騎士としての決意を宿しており、その手の震えを隠すように柄をしっかりと握りしめている。

 剣士たちの攻撃と、一行の素早い対応が引き金となり、店内は一瞬で混乱に包まれた。


「うわああああ!」


 悲鳴を上げた客たちがテーブルをひっくり返し、我先にと店の出口へ殺到する。その中には転んで起き上がれない者もいれば、カウンターの影に隠れる者もいる。冒険者らしき男たちは混乱の中で剣を抜き、戦闘の成り行きを注視していた。


「どっちに加勢する?」


「いや、まず状況を見極めてからだ!」


 一部の血気盛んな者たちは、剣を手にしながらも簡単には手を出せず、様子を伺っていた。どちらが勝つのか、どちらに味方するべきなのか――その決断を躊躇ためらっている。

 一人の剣士が無言のまま再び動き出した。その動きは人間離れしており、音もなく床を滑るように進む。目標は再びバルグだ。


「やってみろよ!」


 バルグは低く唸りながら斧を振り上げた。その大きな一撃は重さと力強さを兼ね備えており、黒衣(こくい)の剣士を狙いすましたものだった。だが、その斧が振り下ろされる直前、剣士は滑るように体を横に逸らし、さらに鋭い(やいば)で斧の軌道を叩いた。


「こいつ、速ぇ……!」


 バルグが初めて焦りの表情を浮かべた。その目には黒衣(こくい)の剣士たちが普通の人間ではないことへの戸惑いが伺えた。


 リリアが慎重に剣士の動きを追いながら、小声でガレンに囁く。


「ガレンさん……彼ら、人間じゃないのかもしれません……」


「俺たちが先に潰されるかどうか、それが問題だ」


 ガレンは短く答え、剣を抜いた。その(やいば)はわずかに揺らぎ、店内のわずかな明かりを受けて光る。

 一方、黒衣(こくい)の剣士たちは再び陣形を整え直し、(つぎ)の攻撃に備える。彼らの顔には依然として感情の色が浮かんでいない。ただ、どこか冷徹で計算された殺意だけが漂っている。

 黒衣(こくい)の剣士たちは、冷徹な視線を交わしながら再び動き出した。三人は息を合わせたように絶妙な間合いを保ちつつ、バルグの周囲を取り囲む。誰も言葉を発さない。静寂が殺意の形をとって、一歩ずつバルグに迫る。


「やってみろよ……!」


 バルグが低く唸り、斧を大きく振りかざした。その斧は彼の体格に見合わぬ重さを備え、振り下ろされる度に風を切る音が店内に響いた。だが、剣士たちは彼の力を恐れる素振りすら見せない。

 一人がバルグの斧の軌道を正確に読み取り、刃先を横に逸らす。同時にもう一人が、バルグの足元を鋭く狙った低い切り込みを放つ。


「ぐっ……!」


 斧を振り下ろした勢いで一瞬バランスを崩したバルグの足元を、その(やいば)が深々と裂いた。鮮血が飛び散り、バルグは思わず片膝をついた。


「バルグ、下がれ!」


 ガレンがすかさず前に出て、剣を構えながら一人の剣士に向かって斬り込んだ。その剣先は的確に剣士の喉元を狙っていたが、剣士は驚くほどの速さで身を翻し、ガレンの攻撃を難なく避ける。


「速い……!」


 ガレンは即座に体勢を立て直し、剣を振り下ろす。だが、その一撃も(くう)を切った。


「ガレンさん!」


 リリアが叫びながら横から攻撃を加える。彼女の剣は鋭い音を立てて、一人の剣士の胴を狙った。だが、剣士はまるで先読みしていたかのようにすっと後退し、その攻撃を避けた上で逆に剣の柄を叩き落とすような動作を見せた。


「嘘……!」


 リリアは驚愕の表情を浮かべながら後退する。柄を握る手に鈍い痛みが走り、攻撃の手を止めざるを得なかった。

 その(あいだ)に、三人の剣士は再びバルグに狙いを定める。今度は連携をさらに強化し、正面から二人が(やいば)を交差させるように振り下ろし、もう一人が背後から突きを放つ。


「うおおおっ!」


 バルグは咆哮を上げ、斧を左右に振り回して応戦する。前方の攻撃はなんとか弾き返すものの、背後の突きが避けきれず、その(やいば)が脇腹を貫いた。


「ぐっ……!」


 バルグは一瞬よろめき、片手で脇腹を押さえた。鮮血が指の間から溢れ出し、足元に滴り落ちる。それでも彼は立ち上がり、再び斧を構えた。


「これ以上は……!」


 ルイーズが後方で杖を握り、魔法の詠唱を始めた。その言葉は静かで鋭く、周囲の空気を震わせるほどの威圧感を帯びている。

 だが、その瞬間、一人の剣士がゆっくりと人差し指を立て、ルイーズに向けた。指先は冷たく光るようで、その動きには奇妙な静けさがあった。そして、その指が左右にゆっくりと振られる。


「……っ!」


 ルイーズの声が突然途切れた。何か見えない力によって喉を掴まれたかのように、彼女は言葉を失った。その目が驚きと苦痛に見開かれ、杖を握る手が震える。

 アウグストがすぐさま彼女の肩を支え、低い声で呼びかける。


「ルイーズ!どうした、何が……?」


 だがルイーズは何も答えられない。ただ、喉元を抑えながら苦しげに息をついていた。


「どいつもこいつも……!」


 バルグが斧を振り回しながら再び攻撃に出る。だが、その動きは以前のような力強さを失い、乱れていた。剣士たちは完全にそれを見抜いており、一撃を受け流す度に、反撃の(やいば)を彼の体に刻み込んでいく。

 肩、腕、(あし)――。次々に浅くとも鋭い切り傷が増え、バルグの体は血に染まっていく。だが、剣士たちはその目に一切の憐憫を見せない。ただ、冷静に、淡々とバルグを追い詰めていく。


「バルグ、下がれ!」


 ガレンが再び前に出て、剣を振るう。だが、剣士たちは彼の動きを読み切ったかのように避け、再びバルグだけを狙い続けた。

 リリアも再び攻撃に加わるが、彼女の(やいば)もまた宙を切り続ける。その動きは徐々に焦りを帯び、攻撃がさらに乱れる。


「くそっ、当たらない……!」


 リリアが苛立ちの声を上げた。

 バルグがよろめきながら斧を振り上げたその瞬間、ガレンが大きく動いた。彼は剣を鞘に収めると、すかさずバルグの前に立ちはだかり、両腕を広げて剣士たちに向かって体を晒した。


「やめろ!」


 ガレンの鋭い声が酒場の喧騒を突き破る。その場に一瞬、静寂が訪れた。

 剣士たちは動きを止め、無言でガレンを見据える。彼らの目には戸惑いも憤りも浮かばない。ただ冷たく、淡々とした視線をガレンに向けていた。


「どけ」


 先頭の剣士が低く言い放つ。その言葉には威圧感が滲んでおり、周囲の冒険者たちが息を呑む音が聞こえた。


「どかない」


 ガレンは冷静に言い放ち、剣を鞘に収めたまま剣士の目をじっと睨み返した。その鋭い視線には一切の怯えがなく、むしろ彼らの冷徹な殺意を正面から押し返しているようだった。


「お前たちはバルグだけを狙っている。それ以外の者には手を出していない……そうだな?」


 黒衣(こくい)の剣士たちはしばし沈黙し、互いに視線を交わした。そして、先頭の剣士が短く頷く。


「その通りだ。呪われた存在を裁く、それが我らの役目」


 ガレンはその言葉を聞き、改めて剣を鞘から抜くことなく後ろへと振り返る。傷だらけで肩を揺らすバルグの姿を確認すると、ガレンは自らの背中で彼を覆い隠すように立ちはだかった。


「どういうことだ」


 ガレンは静かに、だが確固たる調子で問いかけた。


「呪われたって…まさか、やつは蛮族か?」


 一人の血気盛んな冒険者が立ち上がり、テーブルを叩いた。その勢いに近くの椅子が揺れる。


「どっちに味方するべきか、ちゃんと説明しろ!」


 彼は剣を握りながら周囲を睨みつけるが、冷静さを保とうとする別の冒険者が短く口を挟む。


「静かにしろ、状況を見極めるんだ。無闇に動いて火に油を注ぐな」


「だけど、奴ら……人間じゃないように見えるぞ……」


 囁く声が連鎖的に広がり、誰もが(つぎ)の展開に身を固くした。

 床にはバルグの鮮血が作る赤い模様が広がり、その横には砕け散った椅子や木製のテーブルの破片が散乱していた。壁には斧の(やいば)が掠めた痕が刻まれ、カウンターにはジョッキが転がり落ちて粉々に割れている。

 瓶の割れる音が響き、酒場全体が戦闘の影響で崩壊しつつあるようだった。震える酒場の主人は奥に隠れながらも、その光景に目を逸らすことができなかった。

 冒険者たちは小声でひそひそと話し合いながらも、ヤジのように飛び交う声は次第に大きくなっていった。誰も明確に動かないまま、緊迫した空気が酒場を包み込む。


「呪われし(たみ)、バルグ……その体に刻まれた呪いは、破滅を呼ぶむべき力」


 黒衣(こくい)の剣士が冷徹な声で語り始める。その声には感情が一切なく、ただ事実を告げるだけの冷酷さが宿っていた。


「遠い昔、この呪いを持つ者が引き起こした事件――市民たちを虐殺し、その血で呪いを増幅させた者がいた。その者によって、多くの命が失われたのだ」


 剣士の言葉が酒場に響くたび、空気が重く沈んでいく。冒険者たちは顔を見合わせ、誰も声を荒げることができなかった。剣士はさらに続ける。


「それ以来、我々は呪われし(たみ)を見つけ出し、ほふることを使命としてきた。我々の使命は、これまで何百もの村や都市を救ってきた。だが、その影には、呪いによって命を奪われた多くの無辜むこの者たちの犠牲がある。それを繰り返さぬために、我らは誓約を果たし続ける」


 剣士の言葉には、冷徹さの中にも確固たる信念が滲んでいた。その歴史の重さに、酒場の冒険者たちさえ声を失った。


「つい先日も、一人を屠ったばかりだ。その名を……ロドリックと言ったか」


 剣士の言葉が放たれると同時に、酒場の冒険者たちは息を呑んだ。その場に漂う静寂がさらに深まり、わずかに響くのは酒場の外から聞こえる風の音だけだった。


「……ロドリック……だと……?」


「安心しろ、ロドリックは、お前と違って人を殺してはいない。だが、呪いを宿(やど)す者は存在するだけで災厄を呼び寄せる。そしていずれ呪いに飲まれ、周囲を破滅へと導く。その力が災厄を引き起こすことは時間の問題だった」


 剣士はさらに一歩前に進み、剣を低く構えながら続ける。


「そしてお前も……この呪いを持つ限り、災厄の(たね)でしかない。我々は、それを根絶やしにしてきた。そしてこれからも、そうする」


 バルグの声は低く、震えていた。目の前の光景が歪み、脳裏にあの日々の記憶が鮮やかによみがえる。忘れることなどできない――無邪気に過ごしていた幼少期、彼とロドリックの姿が浮かび上がる。


 ᛃ


 夕暮れの赤い空の下、村の草原を駆け回っていた日々。バルグはその頃から体格が大きく、仲間内でも力が強かった。子供ながらに勇ましい心を持ち、周囲の子供たちを守ることを誇りにしていた。


「バルグ、待ってよ!早すぎるよ!」


 後ろから駆け寄る声――それがロドリックだった。小柄で細身の少年。彼の手には、花が数本握られていた。彼は大地に咲く小さな命を慈しみ、どんなに駆け足になっても花を踏むことを嫌がるような子供だった。


「何してんだ、ロドリック!戦士たる(もの)は、もっと走れるようにならないとダメだぞ!」


 草原の真ん中で腕を組み、得意げに言うバルグ。その顔には笑みが満ちていた。


「僕は戦士じゃないんだ。花を踏まずに走るのは難しいよ」


 ロドリックが息を切らせながら、笑顔で答えた。その目は純粋そのもので、どこまでも優しさを湛えていた。


「じゃあ、俺が守ってやる。戦士じゃないお前は、俺が力でカバーしてやるからな!」


 バルグは肩を叩き、誇らしげに胸を張る。その姿にロドリックは微笑みながら、「ありがとう」とだけ静かに答えた。


 ᛃ


 その瞬間、バルグの中で何かが弾けるような感覚が走った。喉の奥から上がる熱い衝動。それは(いか)りとも、悲しみとも、絶望とも言い難い感情が混ざり合ったものだった。


「ロドリックが……お前らに……!」


 バルグの声は次第に叫びへと変わり、全身の筋肉が強張る。血まみれの手が斧の柄を握りしめる音が聞こえるほどだった。

 胸を締め付けるような痛みと、頭を焼き尽くすような感情――その二つが渦巻き、彼の視界は次第に赤く染まっていった。

 ガレンがバルグを振り返り、低く囁いた。


「バルグ、落ち着け」


 しかし、その言葉は彼の耳に届いていないようだった。バルグの握る斧がきしむ音を立て、床にはさらに赤い血が滴り続ける。

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