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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第五章:燃える空、交差する運命
22/35

 ラドクリフは広げられた地図を前に、深く息を吐いた。そこには帝国東部の国境付近が詳細に描かれており、占領された諸国の領土が赤い線で覆われている。その線は帝国の北部に向かって徐々に迫りつつあり、現在の灰風(はいかぜ)の村もその影響圏に入っている。


「まず、現在の状況を説明しよう」


 彼の声には疲れが滲んでいたが、その低く静かなトーンは聞く者を自然と引き込む力を持っていた。


「アンデッド軍団の進行は、帝国東部の国境を越えた後、かつてここに存在していたいくつもの国を次々と呑み込んでいった。その中でも最も大きな国だったオルセリア王国――奴らはそこを居城としている」


 ラドクリフは地図上のオルセリア王国の位置を指し示した。その地には、他の占領地よりも濃い赤が塗られ、アンデッドの中枢であることを示している。


「ローゼン帝国は、この状況を食い止めるべく、総力を挙げて東部に軍を派遣した。私が指揮していた部隊もその一つだ」


 ラドクリフは地図を指し示していた手を一度引き、深い息を吐き出した。その顔には、言葉では言い尽くせない疲労と苛立ちが滲んでいた。


「だが……奴らの力は、我々の想像を遥かに超えていた」


 その低い言葉に、一同の間に緊張が走る。クラリスが戸惑いながら口を開いた。


「どれくらいの規模だったんですか……?」


 ラドクリフは彼女に視線を向け、少し間を置いてから答えた。


「合同軍の規模は、ローゼン帝国、セントリス、そして辺境諸国の兵を合わせておよそ五万ほど。各国から精鋭を集めた形だった。だが、奴らの規模は……正確にはわからない」


 彼は苦々しい表情を浮かべながら、視線を地図に戻した。


「霧が視界を遮り、敵の全容を把握するのは不可能だった。それでも、視界に入る限りの大地が、無数のアンデッドで埋め尽くされていた。数にして十万以上――いや、それすらも控えめな見積もりかもしれない」


 ラドクリフは地図を睨みつけるようにしながら低く続けた。


「霧の向こうから湧き出るように現れるその様子は、どこか底なしのように思えた。まるで、この地そのものが彼らを生み出しているかのような……」


 その言葉に、一行の表情が硬くなる。クラリスは息を詰まらせ、アルヴィンが低く呟いた。


「底なし……」


 ラドクリフは小さく頷き、指を地図上の敵の陣地が示されるべき場所に向けた。


「奴らには補給も休息も必要がない。夜も昼も関係なく動き続ける。さらに、陣を敷くための労働力すらいらないらしい。我々の軍が進軍するたびに補給路を整備し、休息地を確保する時間が必要だったが、奴らはそんな手間をかける必要がないんだ」


 その言葉に、ルイーズが地図に目を落とし、冷静な口調で問いかけた。


「それならば、戦場の地形や環境を無視して攻め込めるということ?」


 ラドクリフは重々しく頷いた。


「その通りだ。戦術や兵站の概念そのものが、奴らには存在しない。つまり、こちらが疲弊するほどに奴らの利が大きくなる構造だ。そして何より……」


 彼はしばらく言葉を詰まらせた後、再び話し始めた。


「奴らの動きには明らかな意図があった。我々の補給路や本陣の弱点を的確に突き、こちらの防御を一瞬で崩壊させた。そうなると……」


 ルイーズが地図を見つめたまま小さく頷き、静かに言葉を継いだ。


「統率者がいる、と考えるべきでしょうね」


 その冷静な声が場の空気を一層張り詰めさせた。ラドクリフは彼女の言葉に答えるように静かにうなずいた。


「……ああ、それも、ただの統率者ではない。我々が長い戦史の中で蓄積してきた戦術の全てを凌駕する者だ」


 その言葉に、一同の顔が険しくなる。彼の説明は、単なる敵の脅威を伝えるだけでなく、自分たちがこれから直面する困難の深さを一層強調するものであった。

 テント内の緊張した空気の中、ルイーズは目を閉じて小さく息を吐いた。そして、落ち着いた声で口を開く。


「……聞いてください。アンデッドがただの無秩序な存在ではなく、高度な戦術を駆使し、国を支配下に置いているというのなら、それは彼らが『古代の王』を甦らせ、統治させているからではないでしょうか」


 その発言に、ラドクリフとアウグストが同時に眉をひそめる。ラドクリフは深くため息をつきながら首を横に振った。


「古代の王を甦らせる?……それはあまりにも非現実的だ。どんな魔術を使ったとしても、そんなことが可能だとは信じられん」


 アウグストも腕を組み、慎重な目つきでルイーズを見つめた。


「確かに、死者を甦らせるという禁忌の術式は理論上存在する。しかし、それが国を統治するに足る意志や知性を伴うものだというのは……」


 アウグストが話を続けようと口を開いたその瞬間、ルイーズが真剣な表情で彼らを見据え、鋭い声で割り込んだ。


「私たちはすでにアンデッドの王の一人に会ってきました。その者は、死してなお王としての威厳を失わず、この世を超越した存在感を放っていました」


 彼女の言葉に、テント内は一瞬張り詰めた静寂に包まれる。その重々しい空気を切り裂くように、アルヴィンがリュートの弦を軽く弾きながら口を開いた。低く、詩を紡ぐような口調だった。


星霧(せいむ)の森が歌うのは、彼方の王たちの物語。死の静寂に目覚めた古の女王、かつて北を治めた麗しき者……その名を、セリオナと呼ぶ」


 彼の言葉に、ルイーズが静かに頷いた。リュートの柔らかな響きが、重い空気に微かな救いを与えるようだった。


「セリオナ王国の建国の女王――クイーン・セリオナ・リュミエール。彼女はセリオナ陥落後に蘇り、自らの玉座に座し、彼女を慕うアンデッドを従えていました」


 彼女がそう言った瞬間、ガレンが一歩前に出た。その表情には決意が浮かんでいた。


「その証人はここにいます。私はガレン・リュミエール――セリオナ王国の王子です。十年前の侵攻で、国が滅亡するさまをこの目で見ました。そして、クイーン・セリオナ・リュミエールが玉座にいる姿を目の当たりにした」


 その言葉に、アウグストとラドクリフの表情が曇った。アウグストが慎重に口を開いた。


「もし君の言葉が本当だとすれば、彼女はただの統率者ではない。北方全域を支配するアンデッドの象徴であり、彼らの士気を支える存在だということか……」


 ルイーズが冷静に頷いた。


「その通りです。彼女はただのアンデッドではない。彼女の王国だったセリオナが、いまやアンデッドの居城となり、彼女自身がその中心にいる。統率力、知性、そして彼女が抱える圧倒的なカリスマ性……全てが、アンデッドたちの支配に貢献しています」


 ラドクリフは困惑した表情を浮かべたが、ルイーズがそのまま話を続けた。


「オルセリア王国は、かつて東方で繁栄を極めた王国でした。その中でも歴代の王たちの中で、特に民衆に愛され、国を安定させた名君がいたはずです。その王が統治者として甦り、アンデッドの指揮を執っている可能性がある」


 アウグストが険しい表情で地図を見つめ、指先でオルセリアの中心地を軽く叩いた。


「確かに、オルセリア王国には伝説的な王がいたと聞く。その名は……」


 アウグストが記憶を探るように目を閉じた。だが、その直前にクラリスがかすかな声で答えた。


「……ライゼン・セイル。『王国の盾』と呼ばれた、オルセリアの守護者」


 その言葉に、ルイーズが静かに頷いた。


「そう……ライゼン・セイル。彼は、オルセリアが帝国と対峙した時代において、ただ防衛に成功しただけではありません。帝国に戦いを挑み、勝利を収め、その結果として結ばれた条約を、オルセリアにとって有利なものへと変えた稀代の戦略家でした。彼の名は、オルセリアの歴史において不屈の精神と知恵の象徴として記されています」


 ラドクリフが驚いた表情で問いかけた。


「条約を、オルセリア側に有利な形で……?それは本当なのか?」


 ルイーズは穏やかに頷き、鋭い眼差しでラドクリフを見つめた。


「ええ。帝国ですら、彼の功績を侮れないものとして記録に残しているでしょう。彼はただの王ではなく、戦略家であり、指導者であり、そして国そのものの誇りを象徴する存在でした。その彼が甦り、アンデッドの統率者として復活したとすれば――」


 ルイーズの言葉に、アウグストが真剣な表情で続ける。


「それは、彼らが単なる亡霊ではなく、知略と威厳を持つ存在であることを意味する。そして、その目的は我々にとって、思った以上に深刻な脅威となるだろう」


 ラドクリフは苦々しい表情で地図を見つめ、呟いた。


「そんなことが本当に可能だというのなら……我々が直面している脅威は、ただの軍事的な問題ではないということになるな」


 その時、外から激しい怒声が響き、テント内の緊張が一層高まった。ラドクリフは立ち上がり、険しい表情で外を見やる。


「何事だ……!」


 アウグストも即座に立ち上がり、テントの入り口へと向かった。一行もそれに続き、テントの外へ出ると、そこには混乱の光景が広がっていた。

 辺りはすでに闇に包まれ、松明の灯りがちらちらと揺れている。その光の中で、帝国兵と村人たちが揉み合っている姿が見えた。地面には食料の入った袋が転がり、袋からは小麦がこぼれ落ちている。


「村人が隠している食料を見つけたんだ!」


 帝国兵の一人が声を荒らげながら、手にした袋を村人から奪い取ろうとしている。対する村人は鍬や棒を握りしめ、必死にそれを守ろうとしていた。


「俺たちの家族が食うものまで奪うつもりか!ここから出て行け!」


 別の村人が叫び、騒動はさらに激しくなる。

 その様子に、リリアが驚きと怒りを隠せない表情で声を上げた。


「何をしているの!あなたたちはこの村の人々にどれだけ助けられていると思っているの?」


 しかし彼女の言葉に耳を貸す者はいない。事態はさらにエスカレートし、とうとう両者の間で乱闘が始まった。短い悲鳴が響き、負傷者が地面に倒れる。


 ラドクリフはその光景を見て怒りを爆発させるように声を張り上げた。


「やめろ!全員その場を離れろ!」


 彼の鋭い声が響くと、騒動の中心にいた兵士と村人たちが動きを止めた。ラドクリフは帝国兵に近づき、その一人の胸元を掴む。


「お前たちは軍人だろう!恥を知れ!こんなことをしてどうやってローゼン帝国の名を語れる!」


 帝国兵は気まずそうに視線を逸らし、静かに手を離す。ラドクリフは村人たちにも向き直り、深く頭を下げた。


「申し訳ない。兵士たちの行動は私の責任だ。すぐに対処する」


 その場の緊張がようやく和らいだ頃、アウグストがルイーズに低く囁いた。


「ここで秩序を取り戻さないと、私たちの会議どころではないな」


 ルイーズは小さく頷き、再び騒ぎを見つめる。村の夜は静寂を取り戻したかに見えたが、その空気にはまだ不安と疑念が残っていた――。


 ᛃ


 空が徐々に明るさを取り戻し、村全体が淡い朝焼けに包まれる頃、一行は再び動き出していた。夜中の騒乱によって、村は疲労感と不安に覆われたままだった。村人たちは広場に集まり、帝国兵たちは静かに持ち場に戻り、互いに疲れ切った表情を浮かべている。

 ルイーズたちが村長とともに村の周囲を歩きながら被害状況を確認していると、村長が深いため息をつきながら話し始めた。


「見ての通りだ。村の外れには昨夜の戦闘で使われた矢が散らばり、穀物袋もいくつか破られた。畑の一部は踏み荒らされて使い物にならない……何より、村人と兵士の間の信頼がすっかり失われてしまった」


 クラリスが眉をひそめ、地面に落ちた穀物を手に取る。


「これでは食料が足りなくなるのも時間の問題ね……」


 その言葉に村長が険しい表情を浮かべ、遠くを見つめながら呟いた。


「それだけじゃない。今朝もまた、アンデッドの影がちらついた。あの者たちはこの村を狙っているのかもしれない」


 その言葉に、ルイーズは思わず足を止めた。


「アンデッド……村を包囲しているの?」


 村長は小さく頷き、手で村の外れを指し示す。


「ほら、あそこだ。昨夜死んだ帝国兵の一部が、すでに……」


 ルイーズが村の外れを見ると、木々の間で揺れる影は三、四体……いや、それ以上だ。彼らの動きは緩慢だが、()が昇るごとに数が増しているのが明らかだった。彼らの姿はかつての帝国兵の面影を残しており、鎧や武器がその証拠だった。


 その時、ガレンが鋭い声で村の広場から叫んだ。


「来るぞ!準備しろ!」


 ラドクリフが部下の兵士たちに指示を飛ばし、全員が即座に武器を手にした。村人たちもそれぞれ鍬や斧を持ち、急ごしらえのバリケードの背後に集まる。


「断続的に襲ってくるな……奴らは村を完全に壊滅させるつもりか」


 ガレンが剣を抜きながら低く呟くと、隣のバルグが弓をつがえたまま笑みを浮かべた。


「そう簡単には突破させられない。少なくとも、俺たちがいる限りはな」


 帝国兵たちは即座に戦闘態勢に入った。アンデッドは数体ずつ村の境界に現れ、そのたびに兵士たちが応戦していたが、彼らの数は次第に増え始めていた。中には、昨夜ラドクリフの部下だった兵士たちの面影が見て取れる者もいた。


 バルグが放った矢がアンデッドの胸を射抜き、崩れた体がその場に沈む。だが、次から次へと現れる敵に対し、兵士たちの間にはわずかな動揺が広がり始めていた。


(かず)が多すぎる……これでは、持たない」


 兵士の一人が吐き捨てるように言ったその瞬間、アウグストが前へ一歩進み出る。


「私たちの出番だ」


 彼の声は落ち着いていたが、確固たる指揮が宿っていた。神聖術師たちはその声に応えるように一斉に杖を掲げ、円陣を組んだ。その中心に立ったアウグストが短く指示を飛ばす。


「各員、詠唱開始」


 その一言で、緊張が空気を支配する。静かに始まった詠唱の声が次第に力を増し、風のざわめきと共鳴していく。まるで大気そのものが振動するかのような感覚が周囲に広がり、村人たちはその神秘的な光景に息を呑んだ。


「来るぞ――」


 ガレンが声を上げると同時に、光が杖の先に集まり始めた。その輝きは瞬く間に増大し、眩い閃光が辺り一帯を包み込む。


「放て!」


 アウグストの声が響き渡った瞬間、神聖術師たちは杖から強烈な光を放った。白い閃光は波のように広がり、アンデッドの群れを次々と飲み込んでいく。その場で崩れ落ち、蒸発するアンデッドたち――その光景に、村人たちの間から歓声が沸き起こった。


「神聖術だ!やはり、セントリスは違う……!」


 歓声を背に、アウグストは杖を静かに下ろし、冷静に周囲を見渡した。そして、視線をラドクリフへと向け、声をかける。


「ラドクリフ、この状況を考えれば、ここに留まり続けるのは不可能だ。早急に部隊を再編し、安全な拠点まで撤退するべきだろう。我々の部隊も被害状況がわからない」


 その言葉に、ラドクリフは一瞬視線を伏せた。彼は村の周囲を見渡しながら、深い皺を眉間に刻む。

 その時、村人の一人が鍬を手にしたまま前に出た。


「待ってくれ、隊長様。この村を見捨てて行くつもりか?」


 その問いかけに、ラドクリフが振り返ると、村のあちこちから声が上がる。


「この村は私たちの家だ!ここで逃げたら、一体どこに行けというんだ!」


「逃げる(さき)だって安全とは限らない。ここを守ってくれるんじゃなかったのか!」


 村人たちの(いか)りは一気に高まり、広場全体に響き渡った。その中には、怯えた子供たちや不安そうな老人たちの姿もあった。リリアが一歩前に出て、必死に手を広げて場を鎮めようとする。


「待って!ラドクリフ様はまだ何も決めていないわ!」


 その言葉に、村人たちは一瞬声を潜めたが、険しい表情のままラドクリフの答えを待った。


 ラドクリフは視線を村人たちに向け、ゆっくりと深呼吸をした。そして、重々しい声で口を開いた。


「……私も兵士たちを守らなければならない。この村に(とど)まることが、さらなる被害を招く可能性がある以上、安全な場所へ撤退するのが最善だと考えている」


 その言葉に、村人たちから再び不満の声が上がる。しかし、ラドクリフは彼らを遮るように手を挙げた。


「まずは村の防備を強化する。村人たちには避難の準備を進めてもらい、兵士たちには周囲の監視を強化させよう。それと、負傷者の処置を最優先に」


 その言葉に、村人たちは一瞬戸惑ったように見えたが、次第に(いか)りが沈静化していく。村長が一歩前に進み、静かに口を開いた。


「……それが本当なら、私たちも従おう。しかし、この村の人々を守る責任は、あなたにありますよ」


 ラドクリフは静かに頷き、その目には覚悟の光が宿っていた。


「わかっている。私がこの命に代えても守り抜くと約束しよう」


 その言葉に、一同は静かに頷き、村人たちは避難の準備を始めるために動き出した。

 ガレンは黙ったまま、ラドクリフの背中を見つめていた。その背中には、ただ剣技(けんぎ)を誇るだけではない、「民を守る盾」としての重厚な意志が宿っているように感じられた。

 彼より一回り年上のこの聖騎士――その存在は、幼い頃のガレンが憧れた理想そのものだった。


 『あの頃、俺が目指していたものはこれだったんだな。』


 セリオナ王国の騎士たちからは決して得られなかった「強さと誇り」を、この男は自然と体現している。それに気づいた瞬間、ガレンの胸には軽い痛みのような感情が走った。


 その時、ラドクリフがわずかに顔を横に向け、こちらを振り返った。


 「……まだそこにいたか」


 ラドクリフは小さく笑みを浮かべると、冷たい朝焼けの光の中で静かに口を開いた。


 「見ていたのか?俺の背中を」


 その問いかけに、ガレンは驚き、目を見開いた。気づかれないと思っていた視線が、実はずっと届いていたのだ――その事実に動揺しながらも、言葉が出なかった。


 ラドクリフはその反応を見てから軽く頷き、ガレンの名を呼んだ。


 「ガレン・リュミエール」


 その名前の響きに、ガレンはハッと顔を上げる。自分の存在がまっすぐ認められているような、そんな感覚だった。


 「お前も、守るべきもののために剣を取っているのだろう」


 ガレンの胸に深く染み入るその言葉に、息を呑むような静けさが辺りに広がった。


 「その志を胸に秘めていれば、いつか俺たち聖騎士と同じ道を歩むことができるはずだ」


 彼の言葉に、ガレンの拳が無意識に軽く握りしめられる。幼い頃に憧れた「聖騎士」という存在が、今、ラドクリフの姿として現実に目の前にいる。その背中は遠く感じる一方で、決して手が届かないものではない――そう思えた。


 ラドクリフはガレンの沈黙を一つの返答と受け取り、再び朝焼けの方へと視線を戻す。そして、冷たい空気の中に溶け込むように、落ち着いた声で言葉を続けた。


 「忘れるな。剣は振るうためだけのものではない。守るべきものを見失ったとき、その(やいば)はただの災いを生む」


 その言葉は深く突き刺さるようだった。ガレンは幼い頃の憧れと、目の前の現実が交差する中で静かに拳を握り締めた。

 彼の胸には新たな決意が生まれていた。それは単なる理想の追求ではなく、自分自身が歩むべき未来を確かなものにするための一歩だった。

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