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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第四章:結束と試練
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 墓所(ぼしょ)の扉が軋む音を立ててゆっくりと開いた。内側から溢れ出した薄青い光が、冷たい霧とともに一行を包み込む。空気が一変した。冷たさだけではない。何か形容しがたい重みが、空間そのものを押し下げる。命が試される――そんな予感が全身を覆う。

 先頭のガレンは、眉間に深い皺を刻み、ゆっくりと足を踏み出した。扉の向こうに広がる光景は、彼が知るセリオナ王家の墓所(ぼしょ)とはまるで違う。薄青い光に包まれた闇は、彼にとっては異物であり、同時に帰るべき場所のようにも感じられた。


「俺が先に行く」


 誰に向けるでもなく、心の内で繰り返したその言葉は、彼をかろうじて支える柱だった。背筋を撫でる霧がじんわりと冷たさを増し、皮膚を通り越して骨の芯にまで達する。それでも彼は、止まることを許さなかった。

 扉の向こうへ足を踏み入れると、冷たい空気が彼を包み込んだ。目の前には、漆黒の玉座が静かに佇んでいる。その中央に座す影を直視することはできなかった。目を合わせれば、何か大切なものを奪われるような気がしたからだ。

 バルグは、何も言わずにガレンの背中を追った。斧の柄に添えた手は鋼のように硬く、指先に力がこもる。それは恐怖のためではない。彼の中でわき上がる(いか)り――荒れ狂うバーサーカーの衝動を抑え込むためだった。


「俺が何かを許せる日が来るのか?」


 心の奥で呟くたびに、胸の中の(いか)りが熱を持ち、冷たい霧とせめぎ合う。牙を剥き出しにする衝動を懸命に押し殺しながら、彼は無言で歩みを進めた。玉座の()へと入るその瞬間、彼の鋭い目が、暗がりの中で揺れる微かな影を捉えた。

 その影は、人の形をしていながらも人ではない――死者の忠誠を誇る兵士たちだ。彼らの眼窩に灯る赤い光が、バルグの全身を焼くように見つめた。それでも、彼は足を止めなかった。内なる(いか)りが、恐怖を凌駕していたからだ。

 三番目に続くアルヴィンは、唇を軽く噛みながら目を細めた。背筋を凍らせる冷気が、彼の詩心(しごころ)をかき立てる。圧倒的な静寂と冷徹な闇。その狭間にある微かな緊張感――それを言葉に紡ぐべきだとさえ思った。

 しかし、冷たさが心の奥に忍び込むたび、彼は自らを奮い立たせなければならなかった。震える息を抑えながら、自嘲気味に呟く。


「やっぱり来るんじゃなかったな」


 内心では、自分の軽率さを嘲笑しながらも、恐怖を振り払おうと必死だった。ふと足元に目を落とすと、霧が不規則な模様を描いている。それはまるで、彼を導く道のようでもあり、奈落へと誘う渦のようでもあった。


「陛下はきっと怒ってるよ」


 軽口を心の中で飛ばしながら、彼は目の前の光景に圧倒されていた。玉座の上で静かに鎮座する影。その存在感は言葉では表現できない。まるで目を合わせるだけで魂を見透かされるような気がした。

 アルヴィンは肩をすくめるように一歩踏み出し、冷たく張り詰めた空気に言葉を吐き捨てる。


「いや、怒ってるどころか、きっとこう言うだろう。『また来たのか』って」


 その瞬間、彼は霧がわずかに震えるのを感じた。空間そのものが彼の言葉に反応しているようだった。

 やがて、アルヴィンもまた玉座の()へと足を踏み入れる。後悔の念は胸の奥にしまい込み、冷たい微笑を浮かべたまま。玉座に座す影の前に立ち、一瞬だけ目を閉じる。

 そして、扉の外には、まだルイーズ、クラリス、リリアが待っていた――。


 墓所(ぼしょ)の扉が重々しく閉じ、先に進んだ男性陣の姿が霧に飲み込まれるように見えなくなった。扉の前に残されたリリアは、その場に立ち尽くし、冷たい息を吐いた。周囲の空気はただ冷たいだけではない。目に見えない存在が、彼女の心を抉るような圧力を与えていた。

 胸元に掛けた小さな星型の銀の護符が、冷たく硬い感触を伝える。それをぎゅっと握りしめた彼女は、目を閉じて小さく祈った。


(しゅ)よ……どうか私に力を……(しゅ)よ……どうか私に力を……(しゅ)よ……」


 声にならない言葉が彼女の中で何度も響く。そのたびに息が詰まるような感覚に襲われたが、意を決して小さな一歩を踏み出した。冷たい霧が足元に絡みつくたびに、その一歩一歩がどれほど重いかを突きつけてくる。扉を開け、中へ足を踏み入れると、護符が微かに温もりを帯びた。それは祈りが届いたのか、それとも偶然の錯覚か――リリアにはわからなかった。ただ、その小さな温もりが彼女を前へと押し出した。

 扉の前に残されたルイーズは、冷たい汗が背中を伝う感覚に襲われていた。彼女の視線は扉の隙間から玉座の()に向けられていたが、そこに鎮座する圧倒的な存在を直視することができない。目を向ければ、何か取り返しのつかないものを失う――そんな錯覚が全身を覆っていた。


「この私が怖じ気づくなんて……ありえないわ」


 自らに言い聞かせるように心の中で呟いたが、恐怖は一向に消えない。杖を握る手には汗が滲み、力が入らない。先に入ったリリアの背中が霧の向こうに消えるのを見送りながらも、体が動かない。

 その時、背後で震える声が聞こえた。


「無理よ……こんな場所、絶対に無理」


 クラリスだった。地面にへたり込み、冷たい霧を睨むようにして震えている。顔は青ざめ、目には恐怖が浮かんでいた。ルイーズは冷たい息を吐き出すと、足を震わせながらクラリスの元へ近づいた。


「クラリス、大丈夫よ。手を貸してあげる」


 彼女の声は、意図して静かに保たれていた。その手がクラリスの前に差し出されると、クラリスは恐る恐る顔を上げた。震える手でルイーズの手に触れると、その手の温もりがわずかに恐怖を和らげた。


「……ありがとう……」


 声は掠れ、震えていたが、その一言はルイーズの胸に響いた。ルイーズはクラリスの腕をそっと支えながら立たせ、冷静さを装った表情で言った。


「ここまで来たんだから、最後まで一緒に進みましょう」


 クラリスは震える足を引きずるようにして、ルイーズと共に扉の中へ足を踏み入れた。冷たい霧が足元を撫でるたび、心が押しつぶされそうになる。それでも、隣にいるルイーズの手が、彼女を玉座の()へと導いていた。



 六人が静かに玉座の()に揃うと、空気がさらに重く変わった。薄青い光が天井の高窓から差し込み、玉座の周囲を不気味に輝かせている。女王――クイーン・セリオナ・リュミエールの姿が、冷たい輝きとともに闇の中心に浮かび上がった。

 その眼窩に灯る赤い光が、一行を無表情に見据える。視線が触れた瞬間、彼らは心を貫かれたような感覚に襲われた。意志も、勇気も、すべてが試されている――そんな錯覚ではない現実がそこにあった。


「また来たのか」


 冷たい(やいば)のような声が、墓所(ぼしょ)全体に響き渡った。静寂が裂け、その音の鋭さが一行の胸に突き刺さる。それは単なる声ではなく、魂そのものに響く鋭利な感触だった。

 アルヴィンがそっとリュートを手に取り、その(げん)を優しく弾いた。低く澄んだ音色が霧に溶け込み、墓所(ぼしょ)の重苦しい空気を少しずつ切り裂いていく。その旋律は、単なる音楽ではなかった。それは言葉の代わりに心を伝えるものであり、死者の地に生きる者の意思を届ける力を持っていた。


「恐れ多いことですが、陛下のお姿に再び触れることができ、感激の至りでございます」


 彼の声は静かでありながら、明確に響いた。その言葉には礼儀正しさとともに、墓所(ぼしょ)全体に漂う重圧に立ち向かおうとする勇気が滲んでいた。

 女王がわずかに頭を傾けた。玉座に座るその姿は微動だにせず、骨の眼窩から放たれる赤い光が、アルヴィンをまっすぐに捉えた。


「お前の演奏を聴くのは二度目だな」


 その声には冷たさがありながらも、どこか興味を引かれたような響きが混じっていた。彼女の眼窩がかすかに揺れる。霧がその動きに応じるように静かに渦を巻いた。


「その囁きは……なるほど、面白い。お(ぬし)は厄介なものに見初められているようだ。話を聞こうではないか」


 アルヴィンは心の中で小さく息を吐き、仲間たちを振り返った。霧の中でその言葉を受けた一行は、徐々に正気を取り戻し始めていた。彼のリュートの音色が、彼らの心をつなぎ止める鎖となっていた。

 ルイーズが震える手で杖を握りしめ、深呼吸を繰り返した。冷や汗が(ひたい)から滴り落ちる中、彼女は目を閉じて自らを奮い立たせた。視線を玉座に向けると、女王の赤い眼窩が彼女を見据えていることに気づいた。

 アルヴィンが一歩前に出ると、再び口を開いた。


「陛下、恐れながら、私の新しい仲間を紹介させていただきます」


 彼は柔らかな声で語り、まずはルイーズに視線を向けた。


「ルイーズ・フォン・アークレイン。知識と魔法の探究者です。彼女は、神聖国セントリスの誇りを背負いながら、知識の灯火を絶やさぬ者でございます」


 ルイーズは一歩前に進み、スカートの端を指先で軽くつまみ、身を折った。変装のために破けて解けた衣装が僅かに肌を露わにし、その違和感が一瞬彼女の動きを(にぶ)らせたが、彼女はすぐに表情を引き締め、静かに頭を()れる。


「陛下、神聖国セントリスの魔術師、ルイーズ・フォン・アークレインと申します。この場に立てること、無上の光栄に存じます」


 次にアルヴィンはクラリスを見やった。


「クラリス・フローレンス。自然と調和する者です。薬草と癒しの技を持ち、この地での平和を願う心を抱えています」


 クラリスは恐る恐る前に出ると、小さな声で「よろしくお願いします」と言った。その声は震えていたが、そこに込められた純粋な誠意は伝わった。


 最後にアルヴィンはリリアに目を向けた。


「そして、リリア・アーディン。神聖国の騎士見習いであり、勇気と忠誠を持つ方です。彼女の信仰心は、この場の冷たさにも揺らぎません」


 リリアは胸元の護符に手を当て、静かに膝をつく。その姿勢には、恐怖を押し隠す強い意思が宿っていた。

 玉座の()の重々しい静けさの中、ルイーズは一歩前に進み出た。その動きにはかすかな緊張が滲んでいたが、杖を握る指先は揺るがなかった。彼女は肩から掛けていたポシェットを慎重に開き、その手のひらに小さな箱が現れた。

 箱は古びた金属の装飾に覆われ、表面には複雑な紋様が刻まれていた。青白い光がその紋様を照らし、微細な輝きを放っている。ルイーズは箱を慎重に開き、その中から漆黒の石――「エッグストーン」を取り出した。

 石の表面には、長い年月を物語るような無数の刻印が彫られており、それが微かに輝きながら魔力の流れに応えるように脈打っていた。その輝きは、この冷たい墓所(ぼしょ)に漂う闇を僅かに押し戻すかのようだった。


「陛下。私たちはこの地に、貴女(あなた)へ捧げるものを持参しました」


 ルイーズの声は落ち着いていたが、その奥には微かな熱意が宿っていた。彼女は両手でエッグストーンを掲げ、青白い光が玉座を照らす。

 その時、女王の周囲で控えていた侍女――朽ち果てたドレスを纏うスケルトンが、無音のまま歩み出た。歩調は遅く、足元で舞い上がる霧がその動きを引き立てている。

 白骨の指先がそっとルイーズの手元に近づき、光の粒を弾き返すように石を受け取った。彼女の動きはどこか、生者(せいじゃ)の優雅さの名残を残しているかのようだった。

 石を受け取った侍女は、ゆっくりと玉座へ向かい、その場に膝を折り、捧げ持つ。

 女王が骨の指でエッグストーンを拾い上げた瞬間、玉座の()を包む冷たい空気が微かに揺らいだ。赤い眼窩が一瞬だけ光を強め、その中にかすかな感情の影が浮かんでは消えた。それは、失ったものを取り戻した者だけが抱く複雑な感情だった。


「この感触……幾千の時を越え、ようやく私のもとへ戻るとはな。お前たち、生きる者の手で……失われたものを返してくれたこと、感謝する」


 その声は冷たい中にも、僅かな柔らかさを含んでいた。骨ばった手でエッグストーンを持ち上げ、その模様をじっと見つめる女王の姿は、死の静けさを超えた一瞬の人間らしさを感じさせた。


「その礼として、呪われた民の呪いについて教えてやろう」


 彼女の言葉が静かに玉座の()に響き渡る。低く冷たい声でありながらも、その内容は一行に新たな希望をもたらした。しかし、空気が僅かに緩む中で、ルイーズは再び一歩前に出た。


「陛下、もう一つお願いがございます」


 彼女の声は静かであったが、確固たる意志を秘めていた。


「どうか、領土拡大の進行をおやめください。これ以上、命を奪い、地を蝕むことを……」


 だが、女王はその言葉を冷たく断ち切った。


「この石が戻ったことで、私の中の何かが終わりを迎えたのか、それとも再び始まりが訪れたのか――まだわからぬ。だが、それはできない」


 彼女の声には微塵の迷いもなく、その響きは墓所(ぼしょ)全体を震わせた。冷たく硬い言葉が、一行の胸に深く突き刺さる。


 女王は、ルイーズの訴えを退けると、再び骨ばった指先でエッグストーンの表面を撫でた。その仕草は冷たいが、どこか思索にふけるようでもあった。彼女の赤い眼窩がルイーズを越え、背後に控えるバルグの姿を捉えた。


「それはできない相談だ。許せ、アークレイン候」


 その言葉には、冷徹ながらも微かな同情の色が滲んでいた。だが、彼女の視線は次第に鋭さを増し、一行全体を包み込むように動いた。


「アークレインの末裔よ、こうして顔を合わせるとはな――何とも皮肉な話だ」


 女王の声は、静かに響きながらも、どこか薄笑いを浮かべているような抑揚を含んでいた。漆黒の玉座に身を預けながら、骨ばった指先を肘掛けで軽く鳴らす。その音は冷たく鋭いが、どこか軽やかな調子を帯びていた。


「見た目だけで死者を装い、ここまで来るとは。いやはや、少しばかり感心したぞ。その大胆さには」


 彼女はわずかに首を傾け、わざとらしい仕草で一行を眺め回す。


「だが滑稽だな――その粗末な衣装に隠しきれぬ、(せい)への執着の匂い。お(ぬし)らが必死に抱きしめている命の煌めきが、どれほどここに不釣り合いか、理解しているか?」


 彼女の言葉が、一行の心に冷たい刃を突き立てた。クラリスは思わず息を詰まらせ、ルイーズの指先は杖を握る力を強めた。赤い眼窩に見透かされる感覚が、彼女たちの心をじわじわと蝕んでいく。


「我々の領土拡大は止まらぬ。これはわらわのみの問題ではないからな」


 彼女はゆっくりと玉座に腰を預けた。骨の指先が肘掛けを掴み、その動きが玉座の()に小さな軋みを生じさせた。


わらわが何もしなくとも、彼らは動くだろう。我々の進行を止めるなど、誰にもできないのだ」


 その言葉は、彼女自身の無力感を覆い隠す冷たい鎧のようだった。一行は口を閉ざし、ただ彼女の声が空間に溶けていくのを見守るしかなかった。

 だが、女王の赤い光の眼窩が再びバルグを捉えた。


「ただし……」


 彼女の声が低く響き渡る。


「お(ぬし)の呪いを解くカギを与えることはできる」


 その言葉にバルグは一瞬動きを止めた。その場に立ち尽くし、拳を強く握りしめたまま、口を開かない。


「バーサーカーの呪い……その根は古き血の契約にある。恐れに身を任せるほど、その力は血を浸し、魂を縛る。だが、その鎖を断ち切る方法が一つだけある」


 女王の赤い光が、玉座の()の霧を通り抜けるようにバルグを見据えた。


「恐れの中でなお、愛を見出せ」


 女王の赤い眼窩がバルグを見据え、骨の指先が微かに動く。


「その愛が、血の契約の力を凌駕するとき、鎖は緩む。だが、それは並の者にできることではない」


 彼女の言葉が空間に溶け込むように消えると、再び重い静寂が戻った。その言葉にバルグは動きを止め、ただ拳を握りしめた。(いか)りに満ちた彼の中で、何かが小さく揺らいだが、それが何かは彼自身にもわからなかった。

 女王はわずかに首を傾けると、再び冷たい声を響かせた。


「そなたの呪いを解く日は遠いが、決して来ないわけではない。だが、その道のりが、そなたを破滅へと導くか、それとも新たな力へと昇華させるか……それはそなた次第だ」


 その言葉が空気に溶け込むように響き渡った後、玉座の()に静寂が戻った。バルグの肩がかすかに震えるのを、ルイーズたちは静かに見守るしかなかった――。


 — 第四章終 —

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