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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第四章:結束と試練
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 冷たい霧が立ち込める墓所(ぼしょ)の門前。一行は静まり返った空気の中に立ち尽くしていた。門は黒ずんだ鉄製の装飾が施された巨大な扉で、年月(としつき)を経た錆がその荘厳さに陰影を与えている。中央に刻まれたセリオナ王家の紋章――双翼の鷹と霜の月桂樹――は、まるで亡霊のように今もこの地を見下ろしている。


「ここが、セリオナ王家の墓所(ぼしょ)……」


 ガレンが低く呟いた。その瞳には、父から語られた王家の記憶と失われた王国への憧憬しょうけいが浮かんでいた。


「ここが終点だと思っているなら、それは間違いよ」


 ルイーズが前を見据えたまま静かに言った。その声には冷たさと覚悟が込められていた。


 アルヴィンがリュートを弾くような仕草をしながら軽く口を開く。


「そうだな、終点じゃなく始まりだ。だが――」


 彼は墓所(ぼしょ)の門を見上げ、軽口に潜ませた独特の詩的な響きで言葉を続けた。


「俺たちの歌がどう響くかは、向こうの聞き手次第ってことさ」


 その言葉にクラリスが苦笑し、バルグはわずかに鼻を鳴らした。リリアは冷たい霧を払いながら一歩前に進み、真剣な表情で振り返る。


「無駄口を叩く時間はないわ」


 彼女の声には、これ以上ないほどの緊張が滲んでいた。

 門を見つめる彼らの足元に霧が絡みつき、その冷たさが次第に記憶を呼び覚ました――数日前、死者の領域に踏み込む準備をしていたあの瞬間へと。



 霧が薄く漂う荒れた街道。旧セリオナ城下から続く道は、瓦礫と崩れた建物が散らばり、生者(せいじゃ)を拒むような気配を(まと)っていた。一行は草むらの中に荷馬車を停め、静かに作戦の準備を進めていた。


「死者に成りすますのか?」


 ガレンが眉をひそめ、疑念を隠さない声で言う。


「その通り」


 ルイーズが自信たっぷりに頷くと、彼女の冷静な表情には確固たる決意が浮かんでいた。


「セリオナ王家の墓所(ぼしょ)は、死者を迎える場所。そして、あなたは王家の血を引く者。表向きには、そこに行く権利がある」


 ガレンは深いため息をつき、荷馬車の(そば)に腰を下ろした。


「そんな単純に通じるもんか。あいつらを本当に騙せるのか?」


「それを実現させるのが私の計画よ」


 ルイーズがそう言い切ると、一行の中にわずかな緊張感が走った。



 冷たい霧が漂う教会跡地。ルイーズの指示のもと、彼女とクラリス、リリアの三人は、古びた廃墟と化した礼拝堂に足を踏み入れた。崩れた天井の隙間から薄暗い光が差し込み、冷たい空気が漂っている。その中には、朽ちた柱や割れたステンドグラスが、かつての神聖さの名残をわずかに残していた。


「この衣装を使うわ」


 ルイーズは礼拝堂の片隅で動かなくなったスケルトンのアンデッドを見下ろし、その冷たい指に手を伸ばした。指を外すたびに関節が軋む音を立て、リリアがわずかに肩を震わせた。


「本当にこんなこと……」


 リリアが息を呑む中、クラリスが後ろから小声で呟く。


「これ、罰当たりすぎない……?」


 ルイーズは肩をすくめ、淡々とした声で答えた。


「むしろ、このシスターは永遠の安らぎを得られたのよ。感謝されるべきだわ」


 彼女が慎重に衣装を取り外すと、黄ばんだ布地に染みついた匂いが鼻を刺し、クラリスは顔をしかめた。


「これで三着そろったわね」


 ルイーズが古びた衣装を広げながら灰色の粉を吹きかける。その手際の良さにクラリスが思わず苦笑した。


「手慣れてるけど、心はちょっと痛むわね……」


「こんな服……本当に着るの?」


 リリアが目を見開き、困惑した声を漏らす。その視線は、彼女が手にしたボロボロの布切れに向けられていた。


「着るのよ」


 クラリスが明るく答えながら、リリアの肩に布を巻き付ける。


「でも、露出が多すぎる!」


 リリアは赤面しながら布を引き寄せ、必死に胸元を隠そうとする。クラリスはその手を制し、笑みを浮かべたままスカートの破れ目を勢いよく広げてみせる。


「これくらい大胆じゃないと、雰囲気が出ないの」


 彼女がそう言い切ると、リリアは小さく息を呑んだ。


「注目されるのは嫌だってば!」


 リリアは顔を赤らめ、怒りとも恥じらいともつかない声を上げた。その手は布を引き寄せ、必死に露出を減らそうとする。


「私は騎士よ!こんなみっともない格好で人目を引くなんて……」


 声が震えながらも、どこかにある騎士としての誇りが彼女を支えているのが分かった。だが、その誇りは今、羞恥心という敵にじわじわと侵されていた。

 必死に抵抗するリリアを横目に、クラリスは手際よく布を肩から垂らし、泥を少しずつ塗り込んでいく。


「肌を隠すのは逆効果よ。死者らしく見せるには、生気を感じさせないことが重要なの」


 ルイーズが冷ややかに言い放つと、リリアはしぶしぶ大きく息をついた。

 三人の準備が整った頃には、神聖な礼服が見る影もなく、荒々しさと冷たい威厳をまとった偽装へと変貌していた。

 ルイーズは黒いフードを深く被り、破れた裾が(かぜ)に揺れるたびに露出する太ももが、その冷徹さの中に奇妙な魅力を漂わせていた。


「どう?」


 ルイーズが手鏡を覗き込みながら満足げに言うと、クラリスが悪戯っぽく笑った。


「完璧ね。でも、これじゃガレンたちに姿を見せられないわよ。変な妄想を抱かれたらどうするの?」


 その時、クラリスがルイーズに言われて用意していた異臭を放つ袋を取り出し、高く掲げた。


「任せて!これを使えば、誰も近づかないどころか、目をそらすくらいにはなるはず!」


 彼女が袋を開けると、腐敗した果実の汁が一気に広がり、礼拝堂全体を包み込んだ。その異臭に、リリアは思わず顔をしかめ、目に沁みるような感覚に襲われ鼻を押さえた。


「これ以上近づけたら、私が昇天するわよ……」


 リリアは鼻を押さえつつ、クラリスに向けて視線を送る。その瞳には、明らかに『本当にこれで大丈夫なの?』という不安が滲んでいた。リリアが訴えるような声を上げる中、ルイーズすら一瞬だけ眉をひそめた。


「確かに強烈ね。でも効果は抜群」


 彼女は冷静を装いながら布で口元を覆い、その匂いを避ける。



 ルイーズたちが戻ると、ガレンたちは彼女たちの異様な姿と悪臭に驚き、剣を手に取り身構えた。


「ちょっと待って!私たちよ。ほら、ちゃんとアンデッドに見えたでしょ?」


 クラリスが手のひらで腐敗果実を潰しながら、満面の笑みを浮かべて言った。その仕草に一同の顔色が一層険しくなる。


「やめろ、その汁を近づけるな!」


 ガレンが身を引こうとするが、クラリスの手は容赦なく彼の方へ伸びた。


 ペースト状になった果実の汁がガレンの顔に塗りつけられると、途端に周囲に強烈な悪臭が立ち込めた。果実の腐敗臭が鼻を刺し、吐き気を誘う。


「うっ……くっせぇ……!」


 バルグが手で鼻を押さえ、後ろへ飛びのきながら声を上げる。

 アルヴィンは目をぎゅっと閉じて顔を背け、肩をすくめた。


「おい、これで本当にアンデッドの領域を通れるのか?たどり着く前に俺たちが本物のアンデッドになりそうだ」


 クラリスはその声に耳を貸さず、薬草を潰してさらに濃厚なペーストを作り、匂いを強化していく。


「これくらいで耐えられないなんて、情けないわね。アンデッドにバレたらどうするの?」


 ルイーズも鼻をつまみながら、無理やり冷静を装った声を発する。


「そうよ、本物のアンデッドになるなんてまっぴらごめんだわ」


 ガレンは顔を歪めながらも、大きく息を吐いて反論を諦めた。


「……やれやれ、もう好きにしてくれ」


 クラリスは満足げに笑みを浮かべ、強烈な臭いのするペーストをガレンの首筋や手首にも丁寧に塗り込む。


「ほら、これで準備は完璧!」


 一方で、バルグは動物の皮で縫い合わせた袋を頭にかぶり、低く呟いた。


「こんな匂い、まともな(やつら)なら全力で逃げ出すだろうな」


 彼の異様な姿と腐敗の匂いに、一同は言葉を失いながらも、その迫力に圧倒されていた。処刑人を思わせるその容姿は、荒廃した街道の風景に不気味な調和をもたらしている。


 しかし、アルヴィンは膝をつき、思わず息を詰まらせた。


「うっ……もう限界だ……」


 苦悶の表情を浮かべる彼に、クラリスが手を腰に当てながら呆れた声を上げる。


「ちょっと!吐いてる暇があったら、さっさと自分にも塗りなさいよ」


 彼女は悪臭のする袋を投げ渡し、アルヴィンはフラフラとした手つきでそれを受け取った。

 青白い顔に灰を塗りたくられた彼の姿は、どこか浮世離れした不気味さを漂わせている。


「これが本当に役に立つのか?」


 アルヴィンは、死神そのもののような青ざめた顔を歪めながら、強烈な吐き気に襲われながらペーストを体に塗りつけ始めた。

 ルイーズはその様子を冷ややかな目で見つめながら、黒いフードを深く被り、口元を覆う布を丁寧に巻き直した。


「さあ、これで私たちは準備万端。ガレン、あなたはセリオナ王家の血を引く者として、堂々と役目を果たしてちょうだい」


 腐敗の匂いをまとったガレンは、自分の姿を見下ろしながら渋い顔をする。


「……俺がアンデッドに見えるかどうかはともかく、この墓所(ぼしょ)に足を踏み入れる覚悟はできている」


 その言葉を口にした瞬間、幼い頃の記憶が不意に胸をかすめた。

 夜明け前の薄暗い書斎――父が古い地図を広げ、穏やかな声で語る姿が浮かぶ。


「ガレン、セリオナ王家の墓所(ぼしょ)はただの墓ではない。この地には、私たちの誇りと記憶が眠っている。守り抜く者がいなくなれば、ただの廃墟に過ぎないが――覚えておくんだ。血脈を引く者にとって、それは帰るべき場所でもある」


 父の言葉が胸に響くたび、子どもだったガレンの小さな拳は、何度も地図の上で握りしめられた。王家の誇りを託される重みと、それを理解するにはまだ幼すぎた無力感――その二つが交じり合った感覚が、今でも鮮やかに蘇る。

 現在へと思考を引き戻し、ガレンはゆっくりと拳を握り直した。


「父さん……」


 小さく呟いた声は(かぜ)にかき消され、誰にも届かなかったが、自らに向けたその一言は彼の中の迷いを消していた。

 仲間たちが彼の言葉に一瞬黙る中、ガレンは一行を見渡して小さく息を吐く。


「これでやるしかない。この道の先には、俺たちの手でしか切り開けないものがある」


 その声には、過去の記憶を超えようとする決意と、墓所(ぼしょ)に眠る亡霊たちへの静かな覚悟が宿っていた。

 その準備を経て、彼らはついにセリオナ王家の墓所(ぼしょ)へとたどり着いた。

 門がゆっくりと軋む音を立てて開き、(なか)から冷たくも荘厳な空気が一行を包み込む。

 ルイーズが静かに言った。


「ここが最後の舞台。女王陛下に会いに行くわよ」


 一行はその一言を胸に刻み、それぞれの役割を演じながら門の中へと足を踏み入れた。門が軋む音とともに、冷たい(かぜ)が霧を切り裂いた。その先に待つ未知の気配が、一行の背筋を凍らせる。

 クイーン・セリオナ・リュミエールが待つ場所へ――。

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