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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第四章:結束と試練
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 朝焼けを背に一行は旧街道を進んでいた。地図に示された古い道筋は、苔に覆われた石畳が滑りやすく、一行の足元を何度も脅かした。道の端には風化した道標や折れた石柱が転がり、かつての栄華を語る証が静かに埋もれている。それでも、太古の人々が遺跡と遺跡を結ぶために刻んだ道は、明確な意志を持つように蛇行して続いていた。

 リリアは馬の手綱を握りながら、周囲を警戒していた。彼女の胸元には、神聖国セントリスの紋章が刻まれた飾りが光を反射して輝いている。その姿勢には若々しい緊張感と、任務を背負う騎士見習いとしての自負が同居していた。


「昔は、ここも人の行合う栄えた道だった」


 ガレンが御者台から静かに呟く。


「そうでしょうね」


 リリアが短く答える。


「街道沿いに点在する石の祠や柱、それに道標……きっと旅人たちにとって重要な道だったはずです。でも今は、誰も通らない」


「アンデッドが増えすぎたからだな」


 バルグが重々しい声で続ける。


「新しい街道ができて、人間はそっちを使うようになった。こっちは見捨てられたってわけだ」


 リリアは短く頷き、視線を先へ向けた。その表情には、旧街道がかつて果たしていた役割への思いと、それを奪ったアンデッドの存在への複雑な感情が交じり合っていた。

 日が傾き始めた頃、一行は「灰風はいかぜの村」と呼ばれる小さな集落に到着した。村は旧街道沿いにぽつんと佇む最後の補給地であり、長い旅を続ける者にとって頼りになる場所だった。しかし、村はひどく静かだった。家々の屋根には苔が生え、崩れかけた石垣が放置されている。広場には村人が数人いるだけで、どこか怯えた雰囲気が漂っていた。

 村人たちは最初、一行の突然の訪問に戸惑いを隠せない様子だった。しかし、リリアが神聖国セントリスの紋章を掲げて挨拶すると、村人たちは警戒を解き始めた。彼女は丁寧な態度で物資の補給を頼み、馬の世話をするために必要な干し草や藁を交渉して手配した。


「騎士様……ここに何の用だ?」


 男の声はかすかに震えていたが、リリアの凛とした態度に安心した様子だった。


「補給が必要です」


 リリアが端的に答え、手にしたリストを差し出す。


「水、干し草あれば少し譲っていただきたい。あと数日滞在したいので宿の用意も頼む」


 男は頷き、リストに目を通した。


「干し草は多少ある。宿は……こっちだ」


 リリアは手早く取引を済ませ、商人から荷物を受け取る。リリアは頭を下げ、荷馬車へ藁を積み込み始めた。彼女の動きは簡潔で無駄がなく、その姿を見た村人たちは、彼女の真摯な態度に少しずつ信頼を寄せるようになった。

 翌朝早く、ガレンとバルグは村人に借りた弓と罠を手に森へと向かった。霧が立ち込める森の中で、二人は長年の経験を活かしながら獲物を追い詰めていった。

 バルグは木の陰に身を潜め、音もなく矢をつがえた。その腕には鍛え抜かれた力が宿り、矢はまっすぐに飛んで鹿の喉元を射抜いた。獲物が倒れると同時に、ガレンが駆け寄り、手早く止めを刺す。息を荒げることなく、冷静に次の動きを確認する二人の姿は、まさに熟練の狩人そのものだった。

 その日の夕方、一行が村へ戻ると、鹿二頭、イノシシ一頭、ウサギ数匹が手押し車に積まれていた。村人たちはその光景に驚き、子供たちが興奮して集まってきた。


「すごい……こんなにたくさんの獲物を一日で……!」


 村の長老が驚きの声を上げた。

 村の広場に設けられた作業台で、ガレンとバルグは手際よく血抜きを進めていた。鹿を木に吊るし、喉元に短剣を滑らせると、暗い赤の血が大きな桶に滴り落ちていく。その音が一定のリズムを刻む中、ガレンは淡々と次の動作に移っていた。


「血を抜かないと、肉に癖がついて長持ちしない」


 バルグが低い声で言いながら、手際よく別の鹿の脚を固定していく。その腕の筋肉が引き絞られるたびに、彼の熟練ぶりが窺える。

 リリアは慎重に血を受ける桶を支えながら、『これだけの作業を、いつもこうしているんですね。』と感嘆した。

 ガレンが静かに答えた。


「狩りは獲物を仕留めるだけじゃない。後始末が肝心だ」


 彼の声には、自分たちの行動がただの食料調達以上の意味を持つことへの自負が滲んでいた。

 翌朝、広場では本格的な解体作業が始まった。リリアはバルグの隣で、鹿の皮を剥ぐ作業に挑んでいた。

 解体作業が進む中、リリアが鎧を脱ぎ動きやすい服装になって現れた。髪をまとめ、軽装に身を包んだ彼女の姿は、普段の凛々しさとは違い、柔らかな一面を覗かせていた。


「私も手伝います」


 彼女がそう申し出ると、バルグが軽く頷き、ナイフを手渡した。


「皮を剥ぐのは力じゃない。角度を意識しろ」


 リリアは彼の指示を受け、鹿の皮にナイフを滑らせた。少し戸惑いながらも慎重な動きに、バルグが『悪くないぞ。』と短く声をかけると、リリアの頬にわずかな赤みが差した。

 一方、クラリスは塩漬けの作業に夢中になっていた。肉に塩を揉み込みながら話す。


「塩だけじゃなく、このハーブも使ってみるわ。これ、防腐効果があるの」


 彼女がそう提案すると、バルグが頷きながら『香りが良くなりそうだな。』と応じた。


「少しは役に立てたみたいで嬉しいわ」


 クラリスは微笑みながら、丁寧にハーブを肉に擦り込んでいく。その様子を見ていたガレンが、静かに言った。


「お前たち二人がここにいて助かる」


 リリアとクラリスが同時に振り返ると、バルグが軽く笑いながら言葉を続けた。


「本当にな。俺たちだけじゃこんなに早く終わらなかった」


 三日目の午後には、必要な保存食の準備がほぼ完了していた。一行は残った素材を整理し、村人たちに分け与える準備を始める。

 作業が終盤に差し掛かる頃、ガレンは鹿の骨を指して村人に向き直った。


「これは旅には必要ない。村で役立ててくれ」


 村人の中の一人が骨を受け取りながら、興奮した様子で言った。「骨は農具や小道具に使わせてもらいます」

 クラリスがその様子を見て微笑み、『この骨からはスープを取るといいわ。滋養があるし、寒い時にはぴったりよ。』と付け加えた。

 村人たちが感心した表情で頷くと、リリアが一歩前に出て言った。


「この村に滞在できたお礼です。どうか、私たちの感謝の気持ちとして受け取ってください」


 彼女の言葉には、騎士としての誇りと感謝が込められていた。



 彼らが食料の準備をしている最中、ルイーズは近くの遺跡を訪れていた。木漏れ日が差し込む森の中、彼女は巨石に触れながら、古代の記憶を手繰り寄せるように静かに思いを馳せていた。遺跡から戻ると、彼女は宿の片隅でいつものティーセットを広げた。金縁のカップから立ち上る湯気が、彼女の疲れた顔を優しく包み込む。


「ここでも優雅にお茶とはね」


 アルヴィンが日記帳を閉じながら冗談めかして言うと、ルイーズは視線を動かすことなく答えた。


「お茶はただの飲み物じゃないわ。心を整える儀式みたいなものよ」


 アルヴィンはその言葉を聞き、静かにペンを走らせた。彼のノートには、ルイーズの言葉と彼女の静かな姿が丁寧に記されていった。

 村での数日間、一行は旅の疲れを癒し、平穏な日常に溶け込んでいた。硬い地面と冷たい夜風にさらされ続けた彼らにとって、温かな寝具で眠ることは何よりの贅沢だった。宿屋の薄暗い部屋の中で、彼らは深い眠りに落ち、久方ぶりに安らぎを味わった。

 村の宿には、小さな「清めの間」と呼ばれる部屋があった。ここは長旅の疲れを癒し、身体を清めるための場所で、村人たちが代々使ってきた知恵と工夫が詰まっている。

 部屋の中央には大きな石の鉢が置かれ、底には湧水が溜まっていた。その隣には、香草(こうそう)を詰めた小袋がいくつか吊るされ、芳しい香りが漂っている。村の習わしでは、これらの香草(こうそう)を湯に溶かし、体を拭くことで汚れを落とし、同時に臭いを和らげるという。

 ルイーズが指を軽く動かすと、湯が淡く輝き、心地よい温度まで温められた。


「さあ、これで十分清められるでしょう」彼女の声は静かで、自信に満ちていた。


 クラリスが先に香草(こうそう)の袋を手に取り、湯の中に浸して軽く絞る。「わあ、いい香り!」袋から染み出した湯で、彼女は顔や腕を優しく拭い始めた。その動きはどこか儀式的で、神聖さすら感じさせる。

 一方、リリアは鎧を外し、軽装のまま控えめに香草(こうそう)の袋を手にした。


「こんな習慣、初めて聞いたわ」


「案外いいものよ。ほら、やってみて」


 クラリスが微笑む。リリアは少し戸惑いながらも湯に手を浸し、額を拭った。湯が汚れを流し、清々しい香りが肌に残った。

 男性陣も順番に部屋に入り、同じように体を拭いていく。


「悪くないな。男の埃っぽさが一気に取れる」


 バルグが香草(こうそう)袋をじっと見つめながら呟いた。その香りが湯気とともに広がり、たちまち彼らの体臭が澄み渡っていく。

 アルヴィンが湯を絞った布で手を拭きながら、目を細めて口を開いた。


「これぞ究極の武器だな。この残り湯を瓶に詰めて持っていけば、旅の途中でアンデッドに襲われても、ひと振りでたちまち成仏しそうだ」


 その軽口にガレンが湯で拭った腕を確かめながら静かに応じる。


「俺たちが嗅いだだけでも、昇天しそうだな」


 笑いを抑えながら清められた体で表に出ると、広場の片隅でルイーズが薄暗い空を背に佇んでいた。

 彼女の顔には、村人たちが伝えてきた泥のパックが丁寧に塗られ、普段の完璧な外見からは想像もつかない姿になっている。

 その横では、クラリスが顔を半分だけ覆いながら鏡を手に取り、リリアが泥の容器を覗き込んでいる。


香草(こうそう)の湯で清めた体に泥を塗るとは……まるで詩人の最後の一行に落書きをするようなものだ」


 アルヴィンが目を輝かせながら肩をすくめると、ルイーズは淡々と答えた。


「美のためには、多少の矛盾も受け入れるものよ」


 そして、火照った顔を泥が冷やす感覚を楽しみながら、彼女は視線を男性陣へ向けた。


「それで、清めたのは体だけかしら?それとも、少しは脳みその埃も落ちた?」


 その冷静な一言に、ガレンは静かに目を逸らし、バルグはわずかに苦笑いを浮かべた。アルヴィンだけは手を大げさに広げ、誇張した口調で応じる。


「僕の頭は最初から澄み渡っているさ。むしろ、泥を塗ったほうが詩人らしい曇りが出るかもしれないね」


 クラリスがくすくす笑いながらアルヴィンに泥を差し出した。


「じゃあ、少し曇らせてみたら?」


「それは遠慮しておこう」


 アルヴィンは冗談めかして言いながら手を振り、リリアが泥を器用に指で掬いながら言葉を添える。


「曇った詩人が村人たちに追い払われないようにね」


 そのやり取りに、一同の笑いが柔らかく広場に響いた。泥パックの冷たさが、体の疲れだけでなく心までも癒してくれるようだった。



 村での最後の夜、一行は囲炉裏を囲み、静かな時を過ごしていた。炎が揺らめき、暖かな光が彼らの顔を照らす中、誰もが言葉少なにそれぞれの思いに沈んでいた。


「帰ってこられたら、またこの村に来よう」


 バルグが炎を見つめながら静かに口を開いた。その低く確かな声には、決して誓いを破らないという覚悟が宿っていた。


 ガレンが短く息をつきながら応じる。


「そうだな。その時は、英雄譚を子どもたちに話してやるさ」


 クラリスは膝を抱え、炎を見つめながら呟いた。


「無事に帰れるかな……」


 その声は小さかったが、誰もそれを聞き逃さなかった。


 ルイーズは静かに視線を上げ、全員を見渡した。彼女の目には、どこか冷徹な光が宿っている。


「無事に帰る。それを信じなければ、ここで止まるほうがいい」


 その鋭い言葉に、一同は無言で頷いた。彼らの中に芽生えた決意は、炎のように揺るぎなく強く燃え上がっていくようだった。

 翌朝、村人たちは一行を見送るために集まっていた。冷たい風が吹き抜ける中、村の長老が深く頭を下げる。


「どうか、この地の平和を取り戻してください」


 その言葉に、リリアが穏やかな声で答える。


「私たちの旅が、少しでもその助けになれば」


 村の子どもたちが涙を浮かべながら手を振る。


「また帰ってきてね!」


 その声に応じるように、バルグが笑みを浮かべながら力強く手を挙げた。


「必ずな!」


 一行が静かに村を後にした。彼らの背中を見送りながら、村人たちは深い不安と希望を胸に抱えていた。

 旧街道を進む一行の足音だけが、冷たい朝の静寂を裂いて響いていた。その音は、これが戻らないかもしれない旅路であることを静かに告げていた。

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