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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第四章:結束と試練
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 雨音が絶え間なく響いていた。灰色の空から降り注ぐ雨は冷たく大地を叩き、巨石の間を細い筋となって流れ落ちていく。その水筋は、岩肌を滑るたびに小さな紋様を描き、やがて地面の裂け目へと吸い込まれていった。

 雨に煙る景色の中、一行は数本の石柱が作り出す空間に荷馬車を集め、帆を張って即席の天幕テントを作り身を寄せていた。時を超えて動かない岩の柱。巨石に溶け込むように降り注ぐ雨は、冷たく大地を叩き続ける。だが、雨に洗い流される轍や、消えゆく足跡は、瞬く間に消え去る。巨石が見つめてきた悠久の時と比べ、彼らの営みは刹那的なものにすぎない。

 一人の騎士がフードを深くかぶりながら、せわしなく一頭ずつ馬着をかけていた。冷たい雨に打たれた馬たちは、互いに体を寄せ合いながら、騎士の動きをじっと見つめている。

 変わらないものと、変わるもの。石柱の間で雨宿りする彼らの姿は、どこか滑稽こっけいでもあり、哀愁あいしゅうを帯びてもいた。


 簡易テーブルに広げられた古びた地図を囲みながら、ガレンが低く呟く。


「そもそも、この地図はいつの時代のものなんだ?セリオナの地図だとは思うが、俺が知っているのとはだいぶ違う」


 その問いに、ルイーズが静かに目を上げる。雨音に溶ける声だったが、その響きには確かな自信があった。


「セリオナの建国当初の時代のものよ」


 彼女の言葉の端には、彼女自身も気づかぬほどの誇りが滲んでいた。


「ざっと……三千年前のものかしら。現存する地図の中では、これが最も古い部類に入るわ」


「三千年?」


 バルグが低く呟き、地図に目を落とした。その手は雨粒で濡れ、地図の端に小さな水滴が滲む。


「貴重な資料だが、そんな古いもので、ここが正確にわかるのか?」


 ルイーズは微笑を浮かべながら、雨の中、馬の世話をしているリリアの方へちらりと視線を向けた。


「現代の地図より頼りになることもあるわ。この時代の人々は、土地の本質を理解していたもの。(やま)や川、そして石の並びがただの風景ではなく、重要な目印として記録されていたのよ。それに――彼女がどこにいるかを考える手がかりには、むしろこちらの方が有用だと思わない?」


「彼女って……クイーン・セリオナ・リュミエールのことか」


 アルヴィンがリュートの(げん)を軽く弾きながら言った。その音色は雨音に溶け、どこか不安定で頼りない。


「もちろん」


 ルイーズが答えた。アルヴィンは肩をすくめ、バルグの拳に力が入る。ガレンはじっと地図を睨み、彼の眼は何かを探し当てようとするかのように鋭く細められていた。


「セリオナが中央にある……」


 ガレンは地図上の印を指でなぞりながら呟いた。


「西には神聖国セントリスの国境が描かれているな。そして、俺たちは今、東へ向かっている……つまり……」


 バルグが不思議そうに眉を寄せた。


「何を言いたいんだ、ガレン?」


「王家の墓所(ぼしょ)だ」


 その言葉に、一同の視線がガレンに集中する。雨の中で響く彼の声には、静かな確信が込められていた。


「セリオナ王家の墓所(ぼしょ)は、東の方角に建てられている。――死者の国への道筋として、太陽が昇る方角に」


 アルヴィンが軽くリュートの(げん)を弾きながら呟いた。


「それならこの地図を頼りに彼女のもとへたどれそうだな」


 ルイーズは地図を指し示しながら、一点に目を留めた。


「私たちはまだセントリスを出たばかり。旧セリオナ城下を通らずに迂回するルートを探さなければならないわ」


 彼女の声は冷静で、状況を分析する響きに満ちていた。

 ガレンが小さく頷き、地図の目印を指差した。


「なるほど……ここに描かれている無数の構造物は、目印であり、遺跡の跡だな。これは交易路だったセリオナへの目印になっていたに違いない」


 アルヴィンがリュートを弾きながら、口元にかすかな笑みを浮かべた。


「セリオナよりもずっと前の時代に作られたものということか?さらにはセントリスが建国される以前……まるで、この土地そのものが記憶しているかのようだな」


 外の雨は依然として降り続いていた。その雨が濡らした石柱の並びが、地図の模様とどこか重なって見える。それを見つめながら、ルイーズが静かに呟いた。


「面白い視点ね。ここの遺跡群は興味深いわ。まだ残っているのかしら……セントリスの国境がここなら、私たちはちょうどこの遺跡あたりじゃないかしら……待って、この石柱って……もしかして」


 彼女の呟きが雨音に溶けると、一同は静かに息を飲み、その言葉の続きに耳を傾けた。



 その頃、クラリスは巨石のそばで珍しい植物を探し歩いていた。フード付きのコートを着ていたが、降りしきる雨が彼女の髪を濡らし、顔に張り付く。彼女はそれを気にも留めず、濡れた髪を手で払いながら草むらに咲く一輪の花に目を奪われていた。


「これは……薬草?でも、この形は見たことがないわ……」


 彼女は独り言を呟きながら、小さなはさみで慎重に葉を摘み取った。その手つきには、自然と対話する者の静かな敬意が感じられる。

 やがてクラリスが荷馬車に戻ってくると、リリアと一緒に荷馬車の側面をドンドンと叩いた。その音にバルグが荷馬車の帆を押しのけて顔を覗かせると、ずぶ濡れの雨具をはらいながら柔らかな布切れで髪を拭くクラリスとリリアの姿があった。バルグは無言で手を差し伸べ、二人が荷馬車の上に上がるのを助けた。


「ここは私も知らない植物がたくさんあって、それだけでも収穫だわ!」


 クラリスは目を輝かせ、摘んできた植物を見せるように掲げた。その言葉には、雨の中を歩き回った苦労すら忘れさせるような喜びが滲んでいた。

 アルヴィンがあたたかいお茶が入ったカップを二人に手渡すと、クラリスはほっとした笑みを浮かべた。彼女が摘んできた植物を簡易テーブルの上に広げて見せると、周囲の視線が自然と集まる。


「見て!こんなに珍しい植物を見つけたの!」


 クラリスの声には幼さを残した喜びが混じっていた。

 その声に、ルイーズが冷静な瞳で植物を一瞥し、彼女の言葉に耳を傾ける。


「どこで見つけたの?」


 その問いには、微かだが鋭い緊張感が含まれていた。

 クラリスが指差した先には、巨石の隙間があった。そこから水が流れ出しているが、それが雨水なのか湧水なのかは、一目では判別できなかった。ただ、その流れは他の雨水と違い、特定の窪みから静かに湧き出しているように見える。


「少し見てくるわ」


 ルイーズは冷静に言い、軽やかに荷馬車を降りた。その動きには一切の無駄がなく、濡れた地面にも泥をつけることなく少しだけ宙を浮いて歩を進める。淡い青白い光が指先から放たれ、優美な魔法の傘を形作る。その光の傘の下で、彼女の姿は雨の中で一層際立っていた。

 彼女の衣装は、深い藍色を基調としたローブで、刺繍された銀糸の模様が雨粒を弾きながら滑らかに光を反射している。裾は足元を隠すほどの長さで、動くたびに布地が柔らかく揺れる。袖口には細やかな魔法陣が刺繍されており、それが彼女の威厳をさらに引き立てていた。


 さきほどクラリスがいた場所に立つ。


「この水……ただの雨水じゃないわ」


 ルイーズは興味深そうに窪みのそばへと進み、身をかがめて手で水をすくった。それは、雨水と比べて驚くほど澄んでいるのがわかった。


「湧水……ね」


 彼女は呟いた。目を凝らし、湧水の周囲に並ぶ石の配置に目を向ける。その形は自然の産物には見えず、何かを捧げるための祭壇か、それとも別の目的を持つ構造物のように思えた。雨が大地を叩きつけるように流れ落ちる一方で、湧水は静かに、けれど力強く湧き出していた。その透明さは雨とは比べものにならず、まるで地の奥底から語りかけるような静けさを湛えていた。

 湧水を前にしたルイーズの瞳がわずかに揺れた。それは好奇心の光か、それとも未知なるものへの警戒か――彼女自身にもわからない。湧水の傍らでしばらく思案した後、ルイーズは荷馬車へ戻った。雨粒が彼女の魔法の傘を弾き、淡い光がその輪郭を浮かび上がらせていた。


「で、何かわかったのか?」


 ガレンが低く問いかけた。


「ええ、わかったわ」


 ルイーズは地図を指しながら、静かに答える。


「私たちがいるのは、ここ。この地図に記された遺跡と一致するわ」


 その言葉に、一同は息を飲み、静寂がテントの中に満ちる。


 ルイーズは視線を湧水の方向へ向け、静かに続けた。


「この場所は遺跡よ。それも、恐らくデーモン時代に遡る……一万年前の」


 アルヴィンは、リュートを手に取り旋律を紡ぎ始めた。


「一万年の雨が刻む、石に残された夢の影。

 誰もが忘れた時の彼方に、目覚める記憶の囁き」


 雨音とリュートの音が溶け合う中、一同はこの場所が持つ意味に思いを巡らせていた。その場に漂う静けさは、何か大きな存在が彼らを見守っているかのようだった。

 ルイーズはアルヴィンの奏でる旋律に耳を傾けながら、再び湧水の方向へと目を向けた。その視線は冷静で鋭いが、どこか遠くを見つめるような憂いが含まれている。雨は依然として降り続き、湧水の表面に無数の波紋を描いていた。


「デーモン時代……一万年も前の文明の痕跡が、ここに眠っているなんて」


 彼女は静かに呟き、ふと顔を上げた。その目には微かな興奮が宿っている。


「一万年前ってことは、精霊の時代でもあったんだろう?」


 バルグが干し肉を器用に薄く切っている最中だったが、尋ねた。その声はいつもより低く、慎重だった。


「ええ、精霊たちが世界を守り、人々と共に歩んでいた時代」


 ルイーズの声には、どこか遠い憧れと警戒が交じる。


「精霊魔法が全盛期を迎え、デーモンたちと戦い、ついにはドラゴンの支配をも凌駕したと言われているわ」


「だけど、どうして精霊たちは消えたんだ?」


 アルヴィンがリュートの(げん)を軽く(たた)きながら問いかける。


「精霊たちが消えたのではないわ」


 ルイーズは一呼吸置いてから答えた。


「私たちが彼らの声を忘れたのよ。あるいは、聞こうとする努力を捨ててしまったのかもしれないわ。少なくとも、私たち魔術師協会ではそう考えられている」


 彼女は視線を動かし、湧水を見つめる。その静かな水面に、馬車のランタンの光が輝いている。


「ただ、精霊との繋がりを今も保っている者たちがいるわ。古の民(エルフ)よ」


 彼女の言葉に、一同は少し身を乗り出した。


古の民(エルフ)銀樹ぎんじゅの聖域に住むというおとぎ話の?」


 ガレンが首を傾げる。


「ええ、彼らは遥かな山奥や深い森に暮らし、私たちの文明と交わることを避けてきた。精霊たちと会話し、自然の力を借りて生きていると言われているわ」


 ルイーズの声には、確信とわずかな羨望が混じっている。


「そして、こんな噂もあるの」


 彼女は小さく息を吐き、続けた。


「双子の魔術師が古の民(エルフ)を訪ね、精霊との会話を成し遂げた。一人は(よん)大精霊と、もう一人は死の精霊と」


 その言葉に、一瞬の沈黙が落ちた。


「死の精霊?」


 クラリスが眉をひそめる。


「そう。その魔術師は死の精霊と語り合い、禁じられた知識を得たと言われている。そして……アンデッドの復活に関与しているとも」


 ルイーズの言葉が静かに場の空気を凍らせた。


「もしその話が本当なら、精霊は今も生きている。そして私たち人間が彼らを理解し、繋がりを取り戻せる可能性があるということよ」


 彼女の声はどこか硬く、それでいて情熱がこもっていた。

 その時だった。静かだったリュートが、ひとりでに低い音を響かせた。アルヴィンはとっさに(げん)を弾くふりをする。


「……なんだ?」


 バルグが驚きの声を漏らす。

 リュートの音色は次第に高まり、まるで何かを語りかけるようだった。その旋律には、星霧せいむの森の懐かしい響きが感じられる。

 ルイーズが目を細め、リュートの旋律に耳を澄ませた。その口から零れたのは、彼女自身も予期していなかった一言だった――『まるで霧が寄り添っているみたいな響きね』。ルイーズの言葉に、一瞬の沈黙が落ちた。その旋律は、誰かが語りかけているようであり、同時に何かを待っているようでもあった。

 その言葉は、以前どこかで聞いたような気がした――いや、むしろ口にしたことがあるような。ガレンとバルグが無言で目を合わせ、クラリスが視線をそらした。

 ガレンはアルヴィンに出会ったときの響きなことを思い出した。


「お前が弾いてるのか?」


 アルヴィンは不自然に笑みを浮かべた。


「もちろん俺が弾いているさ。双子の魔法使いの話はぼくも聞いたことがある。遠い昔の伝説だよ。その二人がいまだに生きてるとは思えないけどね」


 その手は微かに震え、リュートの(げん)に触れるたびに音が跳ねた。彼の声にはどこか上滑りした響きがあり、それが余計に一同の視線を彼に集めた。

 ルイーズはリュートに近づき、その旋律を注意深く聞いた。その音はまるで彼女たちに語りかけるように、湧水の音と調和しながら巨石の間に響き渡っていた。


「その話には続きがあるの。ついには、永遠の命を与えられん」


 彼女の言葉に、一同は息を呑む。

 リュートの音は低く、湿った空気に溶け込むように響き始めた。その旋律は次第に高まり、雨粒が石柱を叩く音と溶け合いながら、まるでこの場そのものが語りかけているようだった。それは歌ではなく、記憶の囁き――時の彼方からこぼれ落ちた断片のようだった。

 一同は静かにその音に耳を傾け、精霊の気配を感じ取ろうとするかのように、ただ立ち尽くしていた。雨音が絶え間なく響く中、その場には静かな畏怖いふと不思議な調和が漂っていた。

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