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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第三章:出会い
13/35

 朝陽が静かな街に射し込み、セントリスの裏通りにある一軒の家を優しく照らしていた。淡い青の外壁は柔らかな光を受けて穏やかに輝き、白い窓枠や並べられた植木鉢がその景色を彩る。瓦屋根は朝の陽光を穏やかに受け止め、静かな温もりを漂わせている。

 庭では洗濯ロープに色とりどりの服や毛布が掛けられ、風に揺れている。その下、一人の女が動いていた。エプロンの中に抱かれた赤ん坊は胸元で静かに眠り、彼女の手は慣れた動きで洗濯物を吊るしていた。布が(かぜ)に揺れるたび、女の姿が光と影の間をふっと現れ、また隠れる。

 工房の裏口が軋む音を立てて開くと、静寂を破るように子供たちが庭へと駆け出してきた。洗濯物の間を縫うように走り回る小さな足音が、朝の空気に生命感を与える。女はその音に一瞬手を止め、彼らの姿を追った。その眼差しには、穏やかで優しい光が宿っていた。

 子供たちは裏口から現れた大柄な男――バルグに向かって歓声を上げた。小さな手が彼の腕にしがみつき、次々とぶら下がる。バルグは短く首をかしげた後、大きな腕を力強く振り上げ、子供たちを軽々と宙に持ち上げた。

 子供たちは歓声を上げ、宙で足をばたつかせながら笑顔を輝かせた。揺れる洗濯物越しに見えるその光景は、まるで命が跳ねるような一瞬の絵画だった。朝陽が木漏れ日のように包み込み、バルグの腕にしがみつく子供たちの笑顔が光を(はじ)いている。

 庭に響く笑い声と、赤ん坊の静かな寝息が溶け合う中、錬金工房は賑やかで温かな大家族のような朝を迎えていた。

 工房の食卓には、昨夜の宴の余韻がまだ漂っていた。中央には、大皿に盛られたキノコ料理の残骸が鎮座し、周囲には食べ散らかされた皿やスプーンが無造作に転がっている。その料理は、見た目こそ異様だったが、ひとたび口に運べば濃厚な旨味が広がり、旅の疲れを芯から溶かすような滋味じみに満ちていた。


「最初はどうなるかと思ったけど……これ、すごく美味しいわ!」


 昨夜、リリアは目を輝かせながら大皿を前に感動を露わにし、誰よりも多くの料理を平らげた。勢い余って、「次は私がキノコ狩りをします!」と豪語しながら、自分の宿舎へと意気揚々と帰っていったくらいだ。

 その場面を思い返すように、アルヴィンは椅子に腰を沈め、目の前の大皿をじっと見つめていた。その表情には、まだ消えない驚きとほんの少しの後悔が混ざっている。

 アルヴィンはリュートを指先で軽く叩きながら、皮肉混じりに呟いた。


「毒の宴会とは、想像以上の冒険だったよ。人生はなんでも経験するものだ。毒見役としては、美味しい思いをさせてもらったがね」


 その声には、いつもの軽口に紛れて、自分の未熟さへのほのかな後悔が滲んでいた。

 クラリスは彼の言葉を受けて、肩を軽くすくめながら返した。


「料理も錬金術の一部なのよ。体も心も癒せて初めて本物だと思ってるわ。キノコ料理は初めてだったけどね」


 彼女のさらりとした言葉に、アルヴィンの顔が青ざめた。椅子が軋む音を立てて仰け反りそうになり、慌てて体を立て直す。


「……初めて……?」


 クラリスは口元に微かな笑みを浮かべ、子供たちの笑い声が庭から聞こえる中、そっと皿を片付け始めた。外からは、軽やかに(かぜ)が吹き抜け、庭の洗濯物が揺れる音が微かに届く。

 庭では、洗濯物を干し終えた女が、赤ん坊を胸元に抱きながら静かにこちらに向かって歩いてくる。淡い栗色の髪を後ろできちんとまとめたその姿には、旅の疲れがやつれとなって現れてはいるものの、肩や腕には柔らかな丸みが残り、その立ち姿はどこか牧歌的な印象を与えていた。

 彼女の瞳には深い穏やかさが宿り、動きには母親としての温かさと忍耐が自然に滲み出ている。

 彼女は何も言わずにクラリスの隣に立つと、皿を手に取り、黙って片付けを手伝い始めた。その仕草には控えめな優しさと、すべてを包み込むような静かな安らぎが漂っている。

 クラリスはその姿に気づき、手を止めて柔らかな声で話しかけた。


「マリアさん、少し休んでいていいのよ。洗濯物をありがとう。とても助かりました」


 マリアは控えめに微笑みながら、軽く首を横に振った。その仕草には、自分を前に出すことを避ける控えめな性格が現れていた。


「私ができるのは、こうしてお手伝いをすることくらいですから」


 そう言いながら、皿を片付ける手を少しだけ止めた。その仕草に、彼女が久しぶりに感じる家庭の温もりに心を揺らされていることが透けて見える。目元が微かに赤く染まり、少しだけ肩を震わせながら、片付ける手を再び動かし始めた。

 やがて片付けを終えると、彼女は赤ん坊を抱き直し、そっと椅子に腰を下ろした。エプロンの紐を慎重に緩め、小さな体を優しく覆う。その動作には母親としての誇りと静かな献身が込められていた。

 赤ん坊が満足そうに小さな手を握り、安らかな吐息を漏らす。マリアはその小さな顔を覗き込むと、ごく控えめな笑みを浮かべた。その瞬間、工房の静かな一角には、母親の強さと優しさがそっと息づいていた。

 工房の木製の階段が軋む音とともに、ガレンが二階から降りてきた。その姿はどこか落ち着き払っているが、微かに目元に疲労の影が残っている。彼は厨房に目をやり、片付けを進めているクラリスに向き直った。


「昨夜は本当に世話になった。食事も、泊まる場所も提供してもらえて、助かったよ」


 その低い声には、単なる感謝以上の深い思いが滲んでいる。ガレンはゆっくりと椅子に腰を下ろし、言葉を続けた。


「ここに来た目的は、もちろん自分たちのためでもあるが……」


 彼は一瞬、庭で遊ぶ子供たちに視線を向けた。無邪気に笑う彼らの姿に、目元がわずかに和らぐ。


「子供たちに学びの機会を作ってやりたかったんだ。アンデッドに襲われて親を失い、未来を奪われたこの子たちに、希望を取り戻してやりたくてな」


 彼は深い息を吐き、クラリスを見つめながら言葉を続けた。


「もし、何か伝手があるなら、教えてほしい。借りは……体で働いて返す」


 クラリスは皿を手から離し、眼鏡をそっと触りながら思案するように視線を少し泳がせた。その仕草は慎重で、言葉を選んでいることを物語っている。


「一人だけ、子供たちを保護できそうな人がいるわ」


 クラリスは微かに笑みを浮かべながら答えた。その目には少しだけいたずら心が垣間見える。


「報酬は体で返すと言ったわね?」


 ガレンが戸惑ったようにわずかに眉を上げるのを見て、クラリスは肩をすくめ、作業を再開した。



 日が高く昇り、昼下がりの工房は静けさに包まれていた。子供たちはマリアと共に昨夜の残り物を食べ終えると、毛布の上で安らかな寝息を立てている。部屋にはほのかに漂うキノコ料理の香りが、まだ朝の余韻を残していた。

 扉が軽やかに開き、クラリスが戻ってきた。


「お待たせ」


 その声に続いて、音もなく舞うようにして一人の女性が現れる。長身の彼女は絹のように滑らかな髪を肩に流し、淡い光を反射させながら部屋へと足を踏み入れた。歩くたびに、そのシルエットが柔らかく揺れ、空間そのものを変えるような存在感を放っている。


「彼女はルイーズ・フォン・アークレイン。宮廷で魔術師を務めているの」


 クラリスが簡潔に紹介すると、ルイーズは部屋を一瞥し、静かな動きで赤い小型の手提げかばんをテーブルに置いた。パチリ、と留め具を外す音が工房の静寂に響く。

 その動作は一切の無駄がなく、どこか儀式めいていた。彼女は中から花柄の皿を一つ取り出し、同じ(がら)のティーカップを慎重にその(うえ)に置いた。さらにクッキーを詰めた小箱を取り出し、まるでそこが自分の定位置であるかのように、アルヴィンに視線を向けた。


「そこ、どいてくれる?」


 ルイーズの目線と言葉に促され、アルヴィンは反射的に席を空けた。その仕草には戸惑いと好奇心が混じり、彼の頭の(なか)には一つの考えが浮かんでいた。


『この人……お茶セットを持ち歩いているのか……?』


 その事実を悟った瞬間、彼は全身に稲妻が走るような感覚に襲われ、思わずリュートを抱き直す。何か特別な存在に触れたような、言葉にならない衝撃だった。


「初めまして。ルイーズと呼んで。子供たちのことを聞いています」


 その声は柔らかく落ち着いているが、どこか冷ややかで、芯の通った響きを持っていた。


「子供たちのことなら任せて。宮廷には養護施設があるの。孤児院のようなものよ」


 その言葉に、ガレンとバルグが安堵の表情を浮かべた。しかし、ルイーズはテーブルに視線を落とし、ティーカップの縁を指で軽くなぞりながら続けた。


「ただし、条件があるわ」


 彼女はゆっくりと顔を上げ、ガレンとバルグに鋭い視線を向ける。その目には妥協を許さない強さが宿り、周囲の空気が一瞬張り詰めた。


「いきさつをすべて話してもらうわね。これは私以外には絶対に話さないこと。それが私の条件よ。私の研究対象が汚されたくないの」


 部屋に漂う緊張感が、彼女の静かな言葉と共に深まっていった。ガレンやバルグに鋭い視線を向けるルイーズの仕草は、場の全てを支配していた。

 その間、アルヴィンは一度もルイーズの目線を受けることはなかった。まるで空気のようにそこに「いない」存在として扱われたことを悟る。彼は椅子にもたれかかりながら、ゆっくりとリュートを撫でるように(げん)を弾き、軽く息を吐いた。

 その音色はどこかもの悲しく、彼自身の心の中に生まれた静かな抵抗のようだった。

 彼の瞳には、孤独と哀愁が浮かびながらも、詩人としての情熱がひそかに灯っていた。


「空気になった詩人も、風に紛れれば囁きとなる……か」


 彼は誰にも聞こえないほどの声で呟き、リュートを再び撫でた。その音は、緊張感に包まれた部屋の中で、微かな木漏れ日のように溶け込んでいった。

 ルイーズは微動だにせず、アルヴィンが奏でるリュートの音に一切反応を示さなかった。まるで何も聞こえていないかのように、その瞳はガレンとバルグだけに向けられていた。


「私はアンデッドを操っているもの、そしてそこのバーサーカーに興味があるの」


 冷ややかだが、隠しきれない好奇心がその声に潜んでいる。


「アンデッドに滅ぼされた国は数多いけれど、実際にそれを目撃している人間は少ないわ。何が起こっているのか、教えて頂戴。あと、バーサーカーの呪いね。興味深いわ。その呪いを解く助けになれるかもしれない」


 その言葉を聞いた瞬間、バルグが顔を上げた。彼の瞳には怒りとも決意ともつかない複雑な感情が浮かんでいる。


「呪いは簡単ではない。これは俺の……試練だ」


 低く、しかしはっきりとした声だった。まるで誰にも触れられたくない自分の内側を守るように。


「バルグ」


 ガレンが静かに口を開き、彼を落ち着かせるように視線を送った。


「彼女の話を聞いてみようじゃないか。そのためにここに来たのだし」


 その言葉に、バルグはしばらく視線を落とし、無言のまま拳を強く握った。


「それで、あなたは?」


 ルイーズはガレンに目を向け、その問いをぶつける。彼女の瞳には冷たい光が宿り、その瞬間、部屋全体に圧迫感が漂った。

 ガレンは短く息をつき、まっすぐに彼女を見返す。


「俺は……セリオナの王位継承者、ガレン・リュミエールだ」


 その名を口にした時、部屋の空気が一瞬だけ止まったように感じられた。


「もっとも、王位継承者といっても、国はもうないがな」


 彼の声は低く、どこか諦めを滲ませながらも、その背中には失われた祖国への誇りが宿っていた。

 ルイーズはその言葉を聞くと、静かに頷いた。そして口元に僅かばかりの皮肉な笑みを浮かべる。


「結構」


 彼女はティーカップを軽く持ち上げ、視線をクラリスに向ける。


「セントリスには、王位継承者を自称する人が数え切れないほどいるわ。ちなみに、私もその一人よ」


 その言葉を聞き、クラリスは一瞬目を丸くしたが、すぐに何かに気づいたように慌てて台所へと駆け寄った。

 パチッ、とルイーズが軽く指を鳴らした音が部屋に響く。まるでその合図に従うように、クラリスは火にかけたケトルを持ち上げ、適温になった湯をポットに注いだ。


「では、クッキーをいただきながらお話を伺いましょう」


 そう言いながら、彼女は花柄のお皿をそっと手元に引き寄せる。ティーカップと同じ模様が施されたその皿に、箱から慎重に包み(がみ)ごとクッキーを置き、パッと手を離した。その瞬間、包み(がみ)が軽やかに広がり、中からこんがりと焼けたクッキーが顔を覗かせた。丸みを帯びたその形は、まるで花が咲くように自然で美しかった。一つ一つが均整のとれた姿をしており、焼き目の色合いが絶妙な焦げ具合を示している。


「このクッキー美味しいのよ。並んだから少し遅くなっちゃったの」


 彼女は何気ない調子でそう告げるが、その手元には細やかな気配りが感じられる。

 紅茶の香りがそっと広がり、クッキーの甘い香ばしさが部屋の空気に溶け込む。緊張に包まれていた空間は、いつの間にかふんわりとした温かさに満たされていた。

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