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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第三章:出会い
12/35

 ガレンは子供たちを慎重にかかえ上げ、荷馬車に乗せながら、低く落ち着いた声で言った。


「俺はここで待つ。この子たちをほうっておくわけにはいかないからな」


 子供たちの中には、彼の言葉に安心したのか、ほっとしたように荷馬車の中で顔をほころばせる子もいた。荷馬車の周りでは、笑顔で小さな声を掛け合う姿が広がっている。

 ガレンはちらりとバルグに目を向け、静かに言葉を投げかける。


「リハビリだ、バルグ。頼むぞ」


 バルグは無言で頷き、慣れた手つきで大きな籠を背負った。その姿を見た子供たちが一斉に声を上げる。


「バルグ、頑張ってね!」

「帰ってきたらまた抱っこしてよ!」


 その無邪気な声に、バルグは一瞬だけ視線を落とし、ほんの少しだけ口元を緩めた。その笑みは、儚くも温かな風のようだったが、彼の背中には確かな柔らかさが漂っていた。

 その様子をじっと見ていたリリアが、軽く微笑みながら一歩前に出て、バルグに声をかけた。


「バルグさん、よろしくお願いします。私はリリアといいます。まだ見習いですけれど、剣を扱えます」


 リリアは二十歳ほどの若い女性で、短く切り揃えられた金色の髪が首元で整い、そのきらめきが彼女の若さを際立たせていた。深い緑色の瞳は静かな強さを湛えつつも、繊細な感情の揺らぎを秘めている。華やかな顔立ちに対して、鍛えられた体つきと無駄な飾り気のない軽装の鎧がどこかアンバランスに見える。それは、剣士としての自分と、かつての日常を生きる自分の間で揺れているようにも思えた。

 リリアの言葉に続いて、クラリスが穏やかな微笑みを浮かべながらバルグに声をかけた。


「私もよろしくお願いします、バルグさん。あなたがいると頼もしいわ」


 クラリスは二十四歳ほどで、肩口で揺れる明るい栗色の髪が柔らかな輝きを放っていた。その黒い瞳は知性と洞察力を湛え、相手の感情を自然に察する温かさがある。シンプルな旅装に錬金術師らしいエプロンを身に着け、腰のポシェットには薬草が整然と収められていた。手際よく動く指先には、繊細さと確かな技術が感じられる。

 バルグは静かに口を開いた。


「バルグだ。よろしく頼む」


 アルヴィンがそのやり取りを見ながらリュートを抱え、軽く笑った。


「まったく頼りになるリーダーだな。それじゃ、俺たちは森の奥に行ってくるよ。バルグ、頼むよ」


 その言葉にリリアが真剣な眼差しを向けたまま、控えめに言った。


「アルヴィンさんも、よろしくお願いします」


 アルヴィンはリュートの(げん)を軽く弾きながら冗談めかして微笑んだ。


「見習いか。だけど、君の立ち居振る舞いを見ると、どこかいいところのお嬢様の雰囲気があるね」


 リリアは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに微かに笑みを浮かべて返した。


「そんなふうに見えますか?期待に応えられるよう頑張ります」


 アルヴィンはリュートを肩にかけ直し、先を進むバルグの背中と二人の女性に目を向けて、軽く首をかしげながら笑った。


「筋肉の男二人と黙々と旅をしてきたと思ったら、急に花が二輪咲いたとはね。森の囁きも、今日は特別に彩り豊かに聞こえるよ」


 遠くからガレンの呆れた声で聞こえた。


「アルヴィン、お前はいつも余計なことを言いすぎる」


 アルヴィンは肩をすくめると、リュートを軽く弾き鳴らして先を進んだ。

 森は静寂に包まれ、風が木々を揺らすたびに葉と枝が囁き合う。その音は、どこか懐かしく温かい響きを持っていた。クラリスは地面に膝をつき、丁寧に薬草を選び取っていた。彼女の集中した横顔は、薬草への愛情と知識に満ちており、まるで森そのものと会話しているかのようだった。


「これです。この葉の形を覚えてくださいね」


 クラリスは摘み取った薬草を手に取り、みんなに見せた。その言葉を聞くよりも早く、バルグは目を細めて地面をじっと見つめ、短く言った。


「その草なら知ってる」


 彼はクラリスの手元から薬草を受け取ると、何も言わずに別の方向に向き直った。その背中には、長い年月の中で培われた知識が自然に発動したかのような確信が漂っていた。

 バルグは足元の草木をじっくりと観察し、地面に膝をつく。その指先は荒々しいように見えたが、実際には驚くほど繊細で正確だった。力強い手が柔らかく土に触れ、いくつかの薬草を摘み取るたびに、その動きには徐々に確信と喜びが宿っていくように見えた。

 彼は摘み取った草を一つ一つ確認し、整えた。それを手に持ち上げると、クラリスに差し出した。その声にはかつて聞いた豪快な笑が混じっていた。


「これだろ?」


 クラリスはその草を見つめ、驚きと感激の入り混じった声で答えた。


「ええ、そうです!完璧です、バルグさん。助かります」


 その言葉を聞いたバルグは、視線を一瞬だけクラリスに向けたが、すぐにまた地面に目を落とした。その顔にはわずかに照れくささが漂いながらも、以前の自信の兆しが垣間見えた。

 リリアはその様子に驚き、隣でリュートを抱えたアルヴィンにそっと尋ねた。


「バルグさんって、戦士じゃないんですか……?どうして薬草を……?こんなにも器用に……?」


 アルヴィンは木に寄りかかり、目を閉じて詩のように語り始めた。


「バルグはかつて、笑顔の多い男だった。力を使って仲間を守り、誰もが頼りにする存在だった」


 リリアはその言葉に耳を傾けながら、薬草を摘むバルグの背中に目を向けた。その姿には、どこか儚い影が見え隠れしている。

 アルヴィンは視線をリリアに戻し、リュートを鳴らすぞぶりをした。


「でも、呪いに触れてしまったんだ。『バーサーカー』の呪いに」

「バーサーカー……おとぎ話の?」


 リリアの声には、半信半疑の響きが混じる。アルヴィンは頷き、低い声で続けた。


「蛮族に伝わる呪いだ。戦士の力を引き出す代わりに、理性を奪い、憎しみで心を満たす。それに囚われた者は、自分の手で壊したものすら忘れる」


 アルヴィンは森の静けさに声を溶け込ませて囁いた。


「だが、バルグは呪いと戦っている。剣だけに頼らず、こうして命を育む力を見つけようとしているんだ」


 リリアはその言葉に息を呑み、再びバルグを見た。その背中には、戦士の威圧感とは異なる、自分と同じ穏やかな青年の姿を見た。

 アルヴィンはその様子を見て、リュートを軽く弾きながら呟いた。


「呪いと剣で閉ざされた扉を、草と土が開かせる――か。いい詩だ」


 その時、茂みがざわりと揺れ、リリアとアルヴィンの目の前に奇怪な影が現れた。それは巨大なキノコ――だが、ただのキノコではなかった。根元の鞘から足が生え、地面を踏みしめて歩いている。その動きは異様で、膝ほどの高さの幹が横に裂け、鋭い歯をむき出しにしている。その歯が、にたりと笑ったように見えた。


 リリアは息を呑み、思わず剣を構えた。


「キノコが歩いてる……!」


 アルヴィンは軽くリュートの(げん)を弾きながら、低く呟く。


「こんなの、キノコ狩りの範疇を超えてるな……何だか異世界にいる気分だ」


 リリアが振り返る余裕もない中、キノコの魔物はじりじりと距離を詰め、にたついた歯を揺らして不気味な音を立てていた。

 突然、木の上から粘ついた液体がドサリと降り注いだ。リリアは瞬時に後退し、アルヴィンはリュートを抱えて身をかがめる。


「くそっ、今度はなんだ……!」


 リリアは剣を振るい、近づいてくるスライムの触手を払いのけようとするが、剣は空を切るばかりだった。触手はぬめりを増し、彼女の足元を絡め取ろうとしている。


「何なのこれ……!」

「どけ」


 短い言葉と共に、バルグが茂みを割って現れ、その巨大な足を振り上げた。キノコは鈍い音を立てて吹き飛び、木の幹に叩きつけられる。次にスライムが這う地面に迷いなく足で踏みつけ、あっけなく動きがとまる。


「剣に頼るだけじゃなく、柔軟に考えろ。それだけだ」


 リリアは剣を握りしめたまま、呆然とバルグの背中を見つめていた。彼の動きには無駄がなく、圧倒的な力がありながらもどこか守る者の静かな優しさを感じさせた。


「彼は、ただの戦士じゃない……」


 心の中でそう呟いたリリアは、剣をゆっくりと収めた。

 少し遅れてクラリスが駆け付けると、倒れた魔物を一瞥し、安心したように微笑んだ。そして地面に散らばったキノコとスライムの残骸に目を留め、しゃがみ込んだ。


「このキノコも、スライムも……使えそうね」


 彼女は淡々と薬草用の小型ナイフを取り出し、キノコの幹を切り取り始めた。その姿にリリアが目を丸くする。

 クラリスはナイフを動かしながら穏やかに答えた。


「適切に処理すれば、毒も薬になるのよ」


 アルヴィンがその光景を眺めながら、リュートの(げん)を軽く弾いた。


「森の錬金術師が創り出す毒の宴会――なかなか詩的な響きだろう?ただし、毒見役は勘弁してくれ」


 リリアは思わず吹き出し、クラリスは小さく舌を出してみせた。

 バルグは無言でその場を離れ、ブーツに残った粘液を足で払っていた。その背中を見つめるリリアの目には、彼への感謝と尊敬が静かに浮かんでいた。

 一行が森の入り口へ戻ると、ガレンと子供たちが待っていた。近くで遊んでいた子供たちは、バルグの姿を見つけると目を輝かせ、駆け寄ってきた。


「バルグ、帰ってきた!」


 バルグは子供たちに囲まれ、一瞬だけ戸惑ったように立ち止まった。だが、彼らの無邪気な声に応えるように、その険しい顔がほころび、柔らかな笑顔が戻ってきた。それは、彼が長い間忘れていた表情だった。まるで、心に積もった重い雪が溶け、暖かな春の日差しが差し込んだようだった。ガレンはその様子を見つめながら、そっと目線をアルヴィンに向けた。問いかけるような眼差しに、アルヴィンはリュートを抱えながら無言で肩をすくめて返す。その仕草には、軽やかな諦念ていねんと深い理解が同居していた。ガレンは目を細め、短く頷いた。

 ガレンが短く声をかける。


「よし、都へ向かうぞ」


 クラリスとリリアは車台の端に戻り、籠の中に収めたキノコとスライムの残骸を確認しながら明るい声を張り上げた。


「今夜はキノコのご馳走ね!」


 リリアは驚いた顔で振り返る。


「本当に食べるんですか?……無事で済みます?」


 クラリスはキノコを手に取り、笑いながらリリアに向かってひらひらと振って見せた。


「錬金術師に任せれば大丈夫!もしかしたら、人生で一番美味しいキノコ料理になるかもよ?」


 リリアは半ば呆れたように肩をすくめながら返した。


「それ、本当に説得力あります?……念のため、解毒薬も一緒に作っておいてくださいね」


 クラリスとリリアの明るい声が森に響く中、荷馬車が静かに動き出す。木々の間を抜けて夕陽が一行を優しく包み込むと、影は長く伸び、森は再び静寂に満たされていった。その静けさの中で、彼らの未来への小さな希望が確かに息づいていた。

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