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星の織りなす物語 Styx  作者: 白絹 羨
第三章:出会い
11/35

 村を離れて幾日が経ち、道中では小さな村々でガレンとバルグが毛皮を取引し、アルヴィンはリュートを奏でて食事と宿を確保していた。

 行く先々で道は賑わいを見せ、行商人が荷車を押し、農夫たちは収穫物を担いで足早に歩いていた。すれ違う旅人たちは互いに目礼を交わし、子供たちは珍しい品物に目を輝かせていた。時折、物売りの呼び声や笑い声が風に乗って響き、どこか暖かさを感じさせた。

 だが、旅路の厳しさは隠しようもなかった。子供たちは道端でへたりこみ、乳飲み子を抱えた女の足取りは重く、限界が近い。痩せた顔には、日々の苦労が深く刻み込まれていた。

 まばらに雑草林が広がり、小川がささやくように流れていた。その合間に、古の名残がひっそりと眠っている。苔むした石や崩れた柱の影は、時を重ねた風だけが知る物語を囁いているようだった。それらは過去が幾度も形を変え、そして消えていったことを、あえて口にしない証人のように、旅人たちを見送っていた。

 アルヴィンは、一行の中で唯一、まだ歩みの軽やかさを保っていた。それは彼のリュートのせいかもしれない。高価な衣装を売り払い質素な身なりになった今も、彼の手にあるリュートは変わらず輝いていた。磨き抜かれた木目と優美な彫刻が、彼が高名な詩人であることを物語る。

 彼は歩きながらリュートを奏でていた。音色は柔らかく、時折(かぜ)に揺れるように消えてはまた戻る。その指先からこぼれる旋律に合わせ、彼は詩の一節をぶつぶつと呟いた。その声はまるで、風が運ぶ囁きのように断片的で、耳を澄ませた者だけがその意味を拾える。


「セリオナ――その姿は死の中に在るもの。だが、知性を持ち、優雅で、冷たくも美しい神の影だ。生へのしがらみに支配されず、裁きの鎧を纏う者は……運命を超えた者なのか、それとも運命そのものか?その手に握るものが道を裂き、秩序を揺らす――そんな夢想が、鎧の陰に隠れているかもしれない」


 彼の呟きには謎めいた深みがあり、それはただの独り言ではないように響く。

 言葉の続きを見失ったように、彼は短い旋律を響かせた。リュートの音が彼の内なる混沌を整理し、同時に散らしていく。詩を紡ぐこと――それは彼にとって世界との間に張る薄い膜であり、自分の存在価値そのものだった。

 前を歩くガレンが立ち止まり、厳しい視線で一行を振り返った。その姿は、ただの剣士ではなく、この旅団のリーダーとしての威厳を帯びていた。


「子供たちが止まった。水を用意するので、少し()すもう」


 彼のトレードマークだった甲冑はすでになく旅団の食料や水を背負って歩いていた。疲れ切った難民たちは安堵の表情を浮かべて立ち止まった。ガレンは一人一人の顔を確認するように目を配り、励ますように水を渡し静かに声をかけていく。その姿には、かつて戦場で部下を導いた戦士としての経験が滲み出ていた。


「ゆっくりでいい。焦らず進もう。お前たちの無事が何より大切だ」


 その言葉には、旅団の運命を背負う責任感のある言葉だった。

 バルグは一言も発さず、大きな荷物を肩に背負い直した。その姿は、重荷を背負いながら巡礼を続ける修行僧のようだった。彼が担ぐ荷物は、一行の子供たちや大人の生活用品の全てであり、背中に乗るのは罪と苦悩も含まれていた。彼の視線は足元に向けられていたが、その目には、かつて()に染めた手の記憶がちらついているようだった。

 アルヴィンはそんな仲間たちの姿を横目で眺め、リュートの(げん)を軽く弾いた。風に乗る音色が、耳を澄ませた者だけのための短い詩を紡ぐ。


星霧(せいむ)の森でこぼれ落ちた影を、死の叡智が拾い上げ、その冷たい手のひらで静かに抱えた……そう語るべきだろうか」


 彼は独り言のように呟きながらリュートを奏で続けた。旅団の誰もが耳を傾ける中、疲れ切った母親たちの表情がほんの少し和らいだ。リュートの音色は、彼らの疲労を包み込むように漂い、その場に小さな安らぎをもたらした。静寂を包む旋律は、慰めであり、鼓舞であり、そして何より、アルヴィン自身の迷いを隠すための詩だった。



 後方から、馬のひずめと車輪の軋む音が微かに響き、どこか懐かしい調和がアルヴィンの耳を捉えた。

 彼は、振り返るでもなくリュートを奏でる手を緩めた。音は自然と流れを変え、先ほどまで紡いでいた詩の旋律とは異なる、不思議な調べを奏で始める。その旋律には、柔らかな懐旧かいきゅうの響きと、どこかに隠れた予感が混じっていた。彼の指が、意識に反して(げん)を叩き、滑らせていく。


「……妙だな」


 ぼそりと呟きながら、アルヴィンはようやく後方に目をやった。一台の荷馬車が、地面を蹴る蹄のリズムに合わせてゆっくりと彼らを追い越していった。荷台には、籠や布袋(ぬのぶくろ)が積み重ねられ、木箱がガタガタと音を鳴らしている。

 車台の端には二人の若い女性が座っていた。一人は、陽光を浴びてその切り揃えられた髪と帯剣がきらめいている。見る者を少し緊張させるほど、その姿は毅然きぜんとしていた。もう一人は周囲を慎重に見回しているが、その目には警戒と品格が共存していた。まるでこの場にいてもなお、自分だけは違う時間を生きているかのようだった。

 アルヴィンは、その情景を目にしながらも、意識はなおもリュートに引き寄せられていた。奏でられる旋律は穏やかでありながらも、どこか不安定だ。(げん)を滑る指がわずかに震えているように思えた。


「馬車か」


 彼は小さく呟いた。


「それだけの話なら、それだけで済めばいいが……」


 その声は風に溶け、ガレンが振り返りながら短く返す。


「馬車が通るだけで、何をそんなに考え込む?」


 アルヴィンは肩をすくめ、微笑を浮かべた。


「考えなんかじゃないさ。ただ、このリュートが勝手に応えているんだよ。星霧(せいむ)の森の名残にでも――ね」


 ガレンは眉をひそめたが、それ以上何も言わず、再び前を向いた。言葉を飲み込むようにして。

 馬車は少し先で止まり、車台の端の二人が何か口論している様子が見えた。一方は手を振り、もう一方は首を振る。時折、声が風に乗って耳に届く。「……止めるべきじゃない」「でも……あの子たち……」といった断片が、(かぜ)にちぎれるように消えた。

 一行が追いつく頃には、(ひん)の良い女性が馬車から飛び降り、小走りで近寄ってきた。揺れるスカートの裾が、陽光に淡い影を落とす。

 彼女の手には、包みが抱えられている。それは食料と衣類のようだった。

 もう一人の剣士の女性は手綱を引き、少し身を乗り出すようにして旅団を見ていた。その視線は、疲れ果てた人々を一人ずつ確認するように動いていた。最後尾で座り込む子供に目を留めた瞬間、彼女の視線が一瞬だけ柔らかくなった。彼女は剣士としての役割を担いながらも、相手の状況を冷静に観察している様子だった。

 女性は包みを抱え、疲れ果てた旅団の全体を見渡すと、真っ直ぐにガレンの方へ向き直った。


「失礼します。あなたがこの旅団の代表でしょうか?」


 彼女の声は柔らかいながらもはっきりとしており、その瞳は真摯な光を宿している。

 ガレンが短く頷くと、彼女は軽く頭を下げ、手にしていた包みを差し出した。


「これ、少しですがお使いください。食料と衣類です。薬草を取りに来ている途中でして、後ほど薬草もお分けできます」


 ガレンは包みを受け取ると、真っ直ぐに彼女を見つめ、静かに口を開いた。


「俺はガレンだ。この旅団をまとめている。アンデッドの領域を抜けて、ここまで逃れてきたところだ」

「クラリスと申します。錬金術師です」


 クラリスは驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情を穏やかに戻し、軽く頭を下げた。


「薬草を探しに来ているところでしたが、あなた方の様子を見て、どうしてもお力になりたくて」


 ガレンは包みを開き、中身を確認しながら軽く頷いた。


「助かる。子供たちが疲れている。食料と薬草があれば、少しは楽になるだろう」


 クラリスはほっとしたように微笑み、続けて言った。


「もし怪我や病気があれば、私が薬草から簡単な治療薬を作ることもできます。ご遠慮なくおっしゃってください」


 そのやり取りを見ていたアルヴィンが、軽くリュートを奏でた。


「なるほど、薬草を携えた錬金術師……これはまた詩に書きたくなる光景だね。星霧(せいむ)の森が運命を奏で、優しき手が差し伸べられる――そんな感じでどうだろう?」


 ガレンが一歩引いて横を向いた。


「それから、こいつはアルヴィンだ。詩人で、まあ……いろいろ助けてもらっている」


 アルヴィンは軽くお辞儀をしながらリュートの(げん)を弾き、にやりと微笑む。


「いろいろとは謙遜しすぎだ、ガレン。『旅を導く歌声の(あるじ)』ぐらいは言ってほしいね」


 クラリスはくすくすと笑いながら、彼の言葉に優しく応じた。


「詩人の方なんですね。素敵な表現です」


「素敵と言われるのは好きだが、君の薬草の方が、今は旅団にとって素敵かもしれない。それと、その身なり、その(ひん)の良さ……君たちはセントリスの都、アルケインの住人だね?学問と文化の香りを(まと)っている」


 アルヴィンは彼女たちを目にすると、リュートの(げん)を軽く弾きながら、興味深そうに微笑んだ。

 クラリスは少し驚いた顔をしながらも、穏やかに頷く。


「そうです。私たちはアルケインから薬草を採取しに来たところです」


 アルヴィンはその言葉に反応し、旅団が進む方向とは逆側を指差して、ゆっくりと首を傾げる。


「ならば妙な話だ。君たちがこれから薬草を採りに行くということは、アルケインは向こう、ということだろう?」


 彼は一拍置き、詩を吟じるように続けた。


「都を目指しながら都を離れる……星霧(せいむ)の森が囁き、運命の糸が私たちをどこへ導くのか」


 ガレンが溜息混じりに横から口を挟む。


「アルヴィン、単に道を聞いているだけだろう。ややこしくするな」


 だがアルヴィンは気にする様子もなく、さらに話を続ける。


「ややこしいと言うが、道というものはもともとややこしいものだろう?ただ前を向いて歩くつもりが、気づけば逆を向いている――それが人生だ、ガレン」


 彼は再びクラリスに向き直り、優雅に礼をするような仕草を見せた。


「さて、親切な錬金術師さん。我々はアルケインを目指す漂流者だ。この先、君たちの薬草採取に付き合えば、我々も都に辿り着けるだろうか?」


 クラリスはくすりと笑いながら答えた。


「ええ、もちろんです。薬草を採り終えたら、私たちがアルケインまでご案内しますよ」


 アルヴィンはクラリスの答えを聞いて微笑み、リュートを肩にかけ直そうとした――その瞬間、(げん)がふと震え、不思議な響きが空気を切り裂いた。アルヴィンの指はまだ触れていない。それなのに、静かだった(げん)が自らの意思を持つかのように音を奏で始めた。

 その音色には、穏やかさの中に微かな不安と誘いが交じり、旅団の誰もが一瞬耳を傾けた。アルヴィンはその音を聴きながら、小さく首をかしげる。


「これは……星霧(せいむ)の森の囁きだろうか。それとも、ただの風の(たわむ)れか」


 彼は小声で呟くと、リュートの(げん)にそっと触れた。音はすぐに静まり、空気が再び平静を取り戻す。

 ガレンが眉をひそめながら尋ねた。


「どうした、アルヴィン。お前らしくもなく黙り込むとは」


 アルヴィンは真剣な顔をして、肩をすくめて言った。


「いや、詩人には時々、道が勝手に語りかけてくるものなんだよ」


 クラリスは、アルヴィンの言葉に微かな笑みを浮かべながら視線を逸らし、その頬にほんのり赤みが差した。

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