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それに気づくと、立ち止まる。
いち早く聴覚が危険を察知する。
重たい足を動かして第七階層を進んでいたら、濁ったうめき声が聞こえてきた。
正面の通路に目を凝らすと、のろのろと近づいてくる人影。
「……またアンデッドかよ」
それも複数。四体の死者が足並みをそろえることなく、バラバラの歩調でやってくる。腐った肉の立てる足音は、いずれ自分もあぁなってしまうという結末を目の当たりにしているようで、苛立たしい不協和音でしかない。
汗ばんだ右手をあげると、【収納の魔術】を発動。空間に裂け目が生じると、そのなかに右手を突っ込む。頭のなかで念じて、思い描いた通りの物を引き寄せる。
異空間から杖を引き抜くと、空間に生じた裂け目は細い糸のように小さくなって消えていった。
つくづく便利な魔術だと感心する。異空間に物を収めておけるから、手荷物が減って助かる。でも収納にも限度があるので、あまり大きな物も、多くの物も入れることができないのが難点だ。
そこそこ腕が立つ魔術師なら、大抵は【収納の魔術】を使えるので、冒険者界隈では重宝されている。
右手のなかにある杖を握ると、四体のアンデッドに目を向ける。
やっぱりアンデッド化の呪いは、肉体に悪影響をおよぼしている。いつもより杖が重たく感じる。自分は具合が悪いのだと否応なくわかってしまう。
魔術だって、ちゃんと発動するかどうかわからない。
そんな不幸にめげることなく、軽く唇を噛みながら杖を構える。
するとアンデッドたちが地面を蹴って走り出す。欲望に飲まれたケダモノとなって、標的である俺を餌食にしようとする。
杖をアンデッドたちに向ける。狙いを定めると【攻撃の魔術】を。
「なっ……!」
――黒い影が颯爽と駆け抜けた。
突然のことに、杖から放たれるはずだった青い光を中断をさせる。
こちらに迫っていた四体のアンデッドのうち、三体が転倒する。鋭く鮮やかな銀色の軌跡が描かれると、三体のアンデッドの頭がなくなった。
アンデッドたちの背後から疾風の如く現れた黒い影が、一瞬で首を斬り飛ばしていた。
黒い影は地面を滑りながら軽快な靴音を鳴らして立ち止まり、ヴェールのような長い黒髪をなびかせる。
凛々しく端整な顔立ちをした少女は、強い意思を感じさせるつり上がった両目を、まだ立っているアンデッドのほうに向けている。
黒革の軽装鎧を身につけた華奢な体をひねり後ろに向き直ると、両手に握っている二刀のダガーを血振りする。
ぴしゃ、と斬首されたアンデッドたちの血が壁に付着して粗雑な模様をつけた。
「クヒヒヒヒヒヒ」
殺しを楽しむような邪悪な空気をまとうその少女は、唇をイビツな形に曲げて不気味な笑みを浮かべる。
残された最後の一体であるアンデッドは、何が起きたのか理解が追いつかずに呆けている。それでも乱入してきた少女が危険だということは理解できたのだろう。
自滅行為だということもわからずに、唸り声をあげて少女に向かって襲いかかった。
不気味に笑う少女は、最後の獲物を仕留めるために逆手に握った二刀のダガーを構える。
だが、アンデッドが肉薄する前に、青い光が弾けた。
【攻撃の魔術】を受けたアンデッドは、頭を粉砕にされて前のめりにすっ転んだ。
俺ではない。青い光はアンデッドの背後から飛んできて、頭部を吹き飛ばした。
「い、今ので最後みたいですね……」
倒れたアンデッドの後方から、また別の少女が歩いてくる。
肩口で切りそろえた銀色の髪を揺らしながら、幼さの抜けていない顔をあちこちに向けて周囲を警戒していた。
小さな両手で杖をギュッと握りしめて、青いローブを羽織っている小柄な体をおびえるように少しだけ震わせている。
……冒険者か。この状況で同業者に出会うだなんて、ついているんだか、ついてないんだか。
というか初対面の人との会話は普通に緊張するな。相手のこととか、何も知らないから。
かといって無視はできない。助けてもらったわけだし。
人見知りを誤魔化すために、ニヘラァという笑みをはりつける。
とりあえず、近くにいる黒髪の少女にお礼を言っておこう。
「あぁぁぁぁったく、いい加減殺し飽きちまったね! さっきからアンデッド、アンデッド、アンデッドばっか! なんでアンデッドばっかなんだよ! もっとゴブリンとか、コボルトとか、オークみたいにバリエーションがほしいってのに! そろそろ別の魔物をブッ殺したいよ!」
……お礼を伝える空気じゃないな、これ。
黒髪の少女は頭を左右に振りながら天井を仰ぐと不満をぶちまけてくる。何もない地面を蹴って、砂埃を飛ばしていた。
チッと舌打ちをすると、握っていた二刀のダガーをベルトに吊した両腰の鞘に収める。その所作だけで、相当の使い手であることが見て取れた。
そして黒髪の少女はこっちに背中を向けたまま、首の角度だけを傾けると、長い髪を垂らしながら横目で見てくる。黒い瞳に俺の姿が映し出された。
アンデッドを狙っていたときと変わらない鋭い眼光だ。強い冒険者に一方的に蹂躙される魔物の気持ちが、なんとなくわかってしまう。
「あぁ~っと……」
アンデッド化の呪いとは無関係に変な汗が流れる。できれば今すぐこの場から逃げ出したい。でないと、次に殺されるのは自分になってしまう。
そう錯覚してしまうほどに、黒髪の少女がまとう雰囲気は剣呑だった。
「え、えっと、よ、余計な手助けだったでしょうか?」
困惑している俺を見かねて、銀髪の少女が慌てて声をかけてくる。ありがたい。
「いや、そんなことはないぞ。正直、助かった」
ヘラヘラと人好きしそうな社交用の笑顔をつくって応える。笑顔、笑顔。笑顔は大事だ。
銀髪の少女はビクリと身をすくませると、目をそらしてきた。
「は、はは……」
とても不器用な笑みを浮かべている。
なるほど。どうやら銀髪の少女もあんまり対人関係が得意じゃないみたいだ。それでもがんばって声をかけてくれたの、ホントありがとう。
「こっちは別に助けた覚えはないんだけどね。あのアンデッドどもが邪魔だったから、始末しただけだよ」
黒髪の少女は挑発するように鼻を鳴らすと、クヒヒヒヒと笑ってこちらに向き直ってくる。
笑いかけられているのに、いつ斬りかかってくるかわからない危機感を覚えてしまう。
「え、えと、助けになれたのなら、よかったです」
銀髪の少女は相変わらず不器用な笑みを浮かべたまま歩み寄ってくる。お互いの顔が見えるくらいの微妙な距離感までやってくると、小さな手を胸に当てて自己紹介をしてきた。
「わたしはマリス。あちらはディナさんです」
銀髪の少女はマリスと名乗ると、傍らにいる黒髪の少女、ディナのことも教えてくれる。
名乗られたのなら、こちらも名乗り返すのが礼儀だ。
「ザインだ」
ヘラヘラと笑って、自分の名前を口にする。
マリスは努めて微妙な「はは……」という笑みを保ったまま聞いていた。その一方で、ディナはつまらなそうな顔をして壁のほうを見ている。
どちらにもあんまり興味を持たれていない。壁に負けた。