32 助けた理由
その言葉にエウフェミアは目を瞬かせる。
「精霊術師ですか?」
「あの日、俺と親父は途中から別々に行動していた」
アーネストはこちらの問いに答えず、話を続ける。
「親父は昔から知り合いが多かった。仕事を終えて、家に帰る前にクオークに住む知り合いに頼まれごとをしたんだ。親父はその知り合いと一緒に出かけ、俺はソイツの家で留守番することになった。普段ならトリスタンも一緒だったんだが、その日はトリスタンの母親の調子が悪くてな。クアークに来てたのは俺と親父だけだったんだ。疲れてた俺はそのうち眠りこけ、気づいたら周りが火の海だった」
それはきっと恐ろしい光景だっただろう。しかし、彼の語り口はどこまでも落ち着いている。
「火元は隣の家で、俺は寝てたから周りの騒ぎに気づかなかった。逃げようには玄関は既に燃えていて、逃げ場がなかった。正直死を覚悟したよ。……だけど、そのとき急に大雨が降りだした。火は消え、俺は生き延びた。外に出ると、親父が泣いてすがってきたよ。他にも野次馬と、青いマントを来た男がいた。親父が言うにはソイツが雨を降らしたんだと」
大雨を降らし、青いマントを来た人物。それは水の精霊術師――ガラノス家の人間であることに間違いない。
(――もしかして)
エウフェミアは思わず身を乗り出す。
「あの、その方は」
「ああ、そうだ。お前の父親、グレイトス・ガラノスだよ」
予想をしておきながら、アーネストの口から父の名前が出てきたことにエウフェミアは衝撃を受けた。
それはきっと、彼が今の今まで精霊術との関係性を一切口にしてこなかったからだろう。精霊は自分とは無関係。そうハッキリ主張していた元雇用主に、精霊術師である父と関わりがあったとは想像もしていなかった。
エウフェミアが言葉を失う一方、響く声は止まらない。
「お前の親父は行く場所があるからってその場を立ち去ろうとした。でも、うちの親父がどうしてもお礼をしたいと引き留めたんだ。下層階級の親父ができるお礼なんて精霊貴族サマからしちゃ、大したことじゃねえ。でも、アンタの親父は折れてくれた。それで、すこし離れた場所に停めてた馬車にいたお前の兄貴も連れてきた。親父は別の知り合いの家を借りて、その日の売り上げを全部使って、二人をもてなした。その後、アンタの親父たちは街を去っていった。――これが、九年前に起こったことだ」
そうして、アーネストもようやく話し終える。
ずっと知らなかった九年前の出来事。突然与えられた情報をどう受け止めていいのか、エウフェミアには、すぐには分からなかった。
だから、元雇用主に問う。
「会長はお父様やお兄様のことをご存じだったのですか?」
「そうだよ。お前と知り合うずっと前から。だから、あの日、お前を助けたんだ」
アーネストははっきりと宣言した。エウフェミアは震える声で呟く。
「……九年前にお父様が会長の命を救ってくれたから」
「そうだ。――まあ、それだけじゃねえけど」
少し言葉を濁してから、彼は大きく息を吸う。
「親父のお礼の場で、お前の兄貴とも少し話した。色んな話をしてきて、その中にはお前の話もあった。そんでもって、毎年この時期にクアークの街を通って出かけているってことも教えてくれたんだ。それから数日後にまた戻ってくるって話もな。『来年は妹も一緒だから会わせてやる』って妙な上から目線で言われたな」
アーネストは少し懐かしそうに言う。兄がそう言う姿は簡単に想像できた。
「その翌年。クアークの街に行ったときに数日前にガラノス家の馬車が通った話を親父が聞いてきた。それで、戻ってくるのを一緒に待とうって言ってくれた。翌日に馬車が戻ってきた。だが、親父が呼び止めても、馬車は止まらなかった。そのまま街を走り去っていったんだ」
なぜ、馬車が止まらなかったのか。その理由はエウフェミアにも分かる。
「お父様も、お兄様も、馬車に乗ってなかったからですね」
彼が兄たちと出会ったのは九年前。そして、兄は毎年その時期にクアークの街を通って出かけていることと、翌年は妹が一緒ということを説明した。きっと、兄たちが向かっていたのは精霊会議が開かれる『無色の城』だ。そして、その翌年の精霊会議で兄たちは死んだ。
きっと、そのときの馬車に乗っていたのはエウフェミアだけだ。もしかしたら、他のガラノス家の親族は乗っていたかもしれないが、アーネストや彼の父親を知る人間は誰も乗っていなかった。
アーネストに息を吐いた。
「正直、当時はアイツに怒りを覚えたよ。向こうから会わせると言ったくせに、ってな。――でも、それだけだ。数週間もすれば、そんなことも忘れた。どうせ、別の世界を生きる人間のことだ。一年前に話したことがおかしかったんだと思った」
彼が兄と会ったのはたった一度きり。そして、行商人の父親のもとでアーネストも様々な苦労があったはずだ。日々の暮らしが優先されるのは当然のことだ。
「その一件を思い出したのは今から一年半前だ。仕事も軌道に乗って、上流階級との人間ともコネクションができた。そうなると社交界のことを知らないといけない。その情報収集の最中にイシャーウッド伯爵に先代ガラノス精霊爵の娘が嫁ぐって話を聞いた」
話は限りなく現在に――そして、エウフェミア自身も知る話に近づいていく。
アーネストは大げさに肩を竦める。
「驚いたぜ。先代ガラノス精霊爵はとっくの昔に死んでた。跡継ぎの息子も同じで、だから、代わりに家督は先代の兄に譲られた。唯一生き残った娘は病弱で、精霊術師の仕事ができないから嫁に出された。馬車が止まらなかった理由を七年越しに知った」
彼は背もたれに寄りかかり、天井を仰ぐ。どこか遠くを見つめるような眼差しだ。
「後悔したよ。この七年ぬくぬく暮らしてたことにな。何も知らず、知ろうとせず。本当に愚かだったと思う」
「――でも」
反射的にエウフェミアは口を挟む。感情的になりそうなところをおさえ、一度深呼吸をする。
「それは当然のことだと思います。だって、会長は何もご存じなかったのですから」
「…………そうだな」
表情から、言葉から、アーネストは何か責任を感じているように思えた。しかし、今の話を聞いて、誰も彼に責任があるとは言わないだろう。
アーネストは気を取り直したように姿勢を戻す。
「イオエルの妹のことを知ってから、俺はイシャーウッド伯爵家の動向を注視するようにしてた。そうして一年が経ち、……グッドフェロー伯爵夫人からお前が死んだという話を聞いたんだ」
「それが、先ほどのゾーイがしていた話に繋がるのですね」
「そうだ。事務所に戻ってから、すぐにイシャーウッド伯爵領に向かった。どうやって使用人や関係者から話を聞くか、お前の生死を確認するか、ろくな案が浮かんでなかったが……まあ、どうにかなるとも思ってた。だが、近道をしようと廃道を走ってたときにぬかるみに馬車の車輪がとられた」
そこから先はエウフェミアも知っている話だ。馬のいななきを聞き、飛び出した先でアーネストたちに出会った。
エウフェミアは目を伏せた。
(これが会長と出会った本当の理由なのね)
偶然ではなく、彼らは自分を探しにあそこに来た。そのことをどう受け止めるべきか、まるで分からなかった。




