28 友とのひと時
それからエウフェミアはまた自邸で日々を過ごした。ビオンから連絡があったらすぐに動けるようにしておかないといけない。依頼も一旦引き受けるのをやめたが、シリルはそのことを逆に喜んでいた。
テラスで以前セバスチャンが買ってきてくれた娯楽本に目を通す。しかし、中身はあまり頭に入ってない。数ページめくっては戻すを繰り返していた。
セバスチャンが声をかけてきたのはそんなときだ。
「お嬢様。お客様がいらっしゃいました」
「お客様?」
この屋敷の来客といえば基本的にシリルだけだ。この執事はそのときは『シリル様がいらっしゃいました』と言う。
エウフェミアは違和感に首を傾げる。セバスチャンは言葉を続ける。
「ゾーイ様というご婦人です。お嬢様のご友人だとおっしゃっていました。お通ししますか?」
◆
執事に連れられ、応接間に現れた黒髪の女性は以前と変わらない笑顔を浮かべる。
「やっほー! 久しぶりね、エフィ」
「ゾーイ」
友人との久方ぶりの再会を喜ぶ。ハーシェル商会を出てから会っていなかったため、かれこれ一ヶ月以上ぶりだ。
エウフェミアも笑顔を返す。
「突然どうしたの? でも、会いに来てくれるなんて嬉しい」
「仕事で近くまで来たから。事前の連絡もなしでゴメンね。急に思い立ったかは手土産も何も用意してないのよ」
「そんなの全然いいよ。ほら、座って」
そうして向かい合った二人は近況を報告し合う。
タビサがすっかり寮の管理人として板についてきたこと。寮で生活していた同僚が一人結婚して出ていくことになったが、奥さんの料理がマズイと出戻ってきて一騒動起きた話。また一人新しい新人が雇われたこと。
この短い間にもハーシェル商会にも色々な変化があったようだ。アーネストとトリスタンとは最近まで何度か顔を合わせたが、そんな話題をする暇はなかった。そのため、ゾーイの話を耳新しく聞くことが出来た。
そして、ゾーイ自身にも変化は起きていた。
「最近、会長が元々受け持ってた顧客の何人かを私が担当させてもらえることになったの」
「――すごいじゃない」
富裕層の顧客対応はアーネスト一人が行ってきた。
「まあね。もちろん、会長には色々配慮してもらった上でね。女が商人してるなんて嫌がる人もいるから、担当させてもらってるのは私みたいなのを受け入れてくれる懐の広い方ばかりよ。事前に会長が上手いこと私を売りこんでくれて、皆さん最初からかなり私に友好的でいてくれるわ。逆に上手くやらないと失望させちゃうってプレッシャーになるぐらい」
ゾーイはそう言うが、きっと彼女なら顧客の期待を上回る仕事をすることだろう。エウフェミアは苦笑する。
「それだけゾーイが優秀ってことよ。会長に褒められるなんてめったにないことじゃない」
「さあね。ある程度私の実力は評価してくれてると思うけど、お客様たちに伝えた評価はあの人の本心とは限らないでしょ。引き継ぎを円滑にして、今後もいい取引を続けるために必要だからそう言ってるだけかもしれないわ」
冷静――いや、エウフェミアからすれば冷淡な評価に思える。ハーシェル商会会長は仕事に厳しく、出来ないことを部下に押しつけるとも思えない。しかし、同じ商会で働いていても、ゾーイは商会、エウフェミアは寮が仕事場だ。感じ方が違うのは仕方ないかもしれないとそれ以上言うのはやめた。話題を変える。
「だから、綺麗なお洋服を着てるのね。すごくカッコいいわ」
今日のゾーイの召し物はいつもより何倍も気合が入ったパンツスーツだ。生地も上等なもので仕立ても力が入っているのが分かる。
「そうよ。さっきまでグッドフェロー伯爵夫人とお会いしてたの。素敵な方よ。色々と社交界のお話なんかもしてくれるから、お話するのが楽しいわ」
「近くまで来たっていうのはそういうことだったのね」
伯爵夫人ということは彼女の住む屋敷は貴族用居住区域にあるのだろう。確かに商業区域に住む彼女からしたら『近くまで来た』になるだろう。
ゾーイはなぜか少しの間黙りこんだ。それから、口を開く。
「それでね。エフィにちょっと聞きたいことがあって」
「なあに?」
「…………会長とはじめて会ったときのことを教えてほしいの」
それは思いもよらない問いだった。エウフェミアは首を傾げる。
「それって会長に助けていただいたときのこと、よね?」
元夫であるイシャーウッド伯爵に別邸を追い出された後のこと。ハーシェル商会に来るきっかけとなった出来事だ。
ゾーイは頷く。
「そう。離縁されて行く場所がなかったところを雇われたってのは知ってるわ。だから、そういうことになった具体的な経緯を教えてほしいの」
そういえば、結局ハーシェル商会ではガラノス家の縁者であったことは明かしたが、イシャーウッド伯爵夫人だった過去は伝えていなかった。当然、具体的な経緯もだ。
「それは構わないけれど。……どうして?」
今更隠すようなことはない。しかし、今になってゾーイがそのことを聞いてくるのも不可解だ。
エウフェミアが訊ねると、ゾーイは難しい顔をした。
「少し気になることがあって」
何事もズバズバ言うゾーイには珍しく歯切れが悪い。
「でも、言いたくないことならいいわ。無理にとは言わない」
「そういうわけじゃないわ」
エウフェミアの方こそ理由を無理に聞き出そうとは思わない。求められるがまま、アーネストとの出会いを思い出す。
「元々私はハーシェル商会に来る前はとある伯爵家に嫁いでいたの」
今はもう半年以上前のことを語る。
具体的な人名には言及しなかったが、キーナンとその周辺がイシャーウッド伯爵の領地であることはゾーイも知っているだろう。しかし、そのあたりには彼女は言及しないでいてくれた。その代わり、ところどころ細かいところを確認される。
「廃道っていうのは具体的にどこか分かる?」
「ええと、キーナン周辺の地図があれば大体は分かると思うけれど……屋敷に地図はあるかしら」
「仕事ってどこに行ったかは言ってなかったの?」
「特におっしゃっていなかったわ」
「会長はあなたの炊事能力の高さを知ったから雇うことにしたと言ったのよね」
「ええ、そうよ。お食事を振る舞って、その前にはトリスタンさんと一緒に掃除をしたの。それを食べて、聞いて、雇ってくださるとおっしゃってくれたわ」
質問の中には分からないことも多かったが、分かる範囲で答えを返す。すべてを話し終わった頃には、思い出せる限り全てのことを話したように思えた。
ゾーイはにこりと笑う。
「ありがとう、エフィ」
それから彼女は部屋の大時計を確認する。エウフェミア自身も大分時間が経ってしまったことに気づく。
「長居しちゃったわね、ごめんなさい。そろそろ帰るわ。今度来るときはちゃんと手土産持ってくるから。アンタもたまには商会に顔出しなさいよね。皆寂しがってるわよ」
ゾーイの言葉にエウフェミアは目を見開く。
ハーシェル商会に顔を出す。それは今までのエウフェミアにはまったくない発想だった。
こちらの様子に気づいたゾーイが怪訝そうな顔をする。
「どうかしたの?」
「……お邪魔してもいいのかしら。もう、辞めてしまっているのに」
そう言うと、彼女はおかしそうに笑った。
「独立した人が遊びに来てるとこはアンタだって見たことあるでしょ? 別にウチが嫌で辞めたわけでも、何か問題を起こして追い出されたわけでもないんだし。誰も文句言わないわよ」
確かにエウフェミアがハーシェル商会寮管理人をしている頃、そういう来客は何度もあった。従業員たちと酒を飲み、そのまま泊まっていった例もある。――アーネストはあまりいい顔をしていなかったが。
考えてみれば、少し前までのエウフェミアは無意識にアーネストに会いたくないと思っていた。だからこそ、ハーシェル商会に遊びに行こうと考えもしなかったのかもしれない。アーネストに協力してもらうことになってからはとにかくエリュトロス精霊爵に会う算段をつけることが一番で、他のことを考えている余裕はなかった。
エウフェミアは少し考えてから答える。
「そうね。またそのうち」
ハーシェル商会の皆に会いたいという気持ちはある。しかし、どうしても邪魔になるのではないかと不安は拭えない。
だからこそのその答えだったのだが、ゾーイはこれが気に入らないようだった。
「…………アンタねぇ」
半分怒ったような、半分呆れたような視線を向けられる。それから、何かを思いついたように彼女は「そうだ」と声をあげる。
「エフィ。今夜は暇?」
「え? ええ、特に予定はないけれど」
「なら、今日にしましょう。今から寮に来てちょうだい」
テーブルを回ってこちら側に来たゾーイに手を引かれ、無理やり立たされる。
「え? え?」
そのまま、エウフェミアは訳もわからないまま、ゾーイの馬車で屋敷を出発することになった。




