14 わがまま
これでようやく、ハフィントン侯爵への扉が開いた。
アーネストの協力を取りつけられたと報告するため、エウフェミアはシリルを探しに向かった。廊下に控えていたセバスチャンに訊ねると、「シリル様はテラスです」と教えてくれた。
外の日は落ちつつある。テラスを橙色の温かな光が照らす。ここしばらくエウフェミアの定位置となっていた椅子には茶髪の青年が座っていた。
「シリルさん」
声をかけると、青年が振り返る。その手には開いた本が握られている。――セバスチャンが買ってきてくれた本だ。
「その本、読んでくださったのですね」
「ただの暇つぶしです。それで、ハーシェル会長はなんと?」
シリルは立ち上がり、本を閉じるとテーブルに戻した。エウフェミアは満面の笑みを浮かべる。
「協力していただけることになりました。ハフィントン侯爵夫人にお願いして、ハフィントン侯爵をご紹介してくださるそうです」
最初にアーネストに頼ろうと言ったのはシリルだった。だから、当然この展開を彼は喜ぶと思っていた。
しかし、その言葉を聞いたシリルは不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
「どういった条件で、協力を取りつけたんですか?」
「特に条件は求められませんでした。善意でご協力いただけるようです」
そう答えると、更に眉間のしわは深まる。エウフェミアは理由が分からず、「ええと」と言葉を続ける。
「これも、シリルさんのおかげです。シリルさんが会長に頼ろうとおっしゃってくださって、ここまで連れてきておかげで――」
「ご機嫌取りは結構です」
ピシャリと一蹴されてしまい、エウフェミアは肩を落とす。シリルは頭を押さえながら、溜め息を吐いた。
「とにかく、これで問題が一つ片づきました。……あなたの目的に一歩近づいた。そのことを喜びましょう」
「はい」
ニコニコと笑顔で頷くと、何故かシリルは表情を曇らせた。そのことを不思議に思ったが、追及する間もなく、シリルは「行きましょう」とテラスを出て行ってしまった。
応接間に戻ったエウフェミアたちは、今後のことを軽く打ち合わせする。ハフィントン侯爵家から返事が来るまではまた待つことになるのかと思っていたが、アーネストは「その間にやることがあんだろ」と言った。
「お前。どんな恰好して、侯爵に会いに行くつもりだ?」
そう訊ねられ、エウフェミアは未だドレスの一枚も仕立てていないことに気づいた。今着ている服は下層階級時代に着ていたものより何倍も立派なものだが、外出用のものではない。
少し考えて、エウフェミアは答える。
「…………精霊術師のマントでは駄目でしょうか?」
「駄目だ」
アーネストは即答した。
「万象の精霊術師がハフィントン侯爵邸を訪れたなんて、噂でさえ流されるわけにはいかない。自分が周りにどう映るのか、自覚しろ。今の社交界は七家以外の、複数の精霊術を操れる謎の精霊術師の話題で持ちきりだ。噂の精霊術師が特定の家に出入りしてみろ。こっちが想像もしないとんでもない尾ひれがつきまくる。謎の精霊術師は上流貴族に取り入って、七家に成り替わろうだとか、皇帝の座を狙ってるだとか、お貴族様たちが言い出したら、エリュトロス精霊爵に取り次いでもらうどころじゃなくなるぞ」
貴族との付き合いもあるハーシェル商会会長の意見に、公爵子息も異論を唱えなかった。
「明日、ドレスを仕立てに行って、いつ頃に納品が可能か確認する。それからハフィントン侯爵夫人に連絡を取って、侯爵の都合を伺ってくる。明日は午前中に迎えにくるからそのつもりでな」
まさかそこまで協力してくれるとは思っておらず、エウフェミアは瞬きを繰り返す。
「あなたもドレス選びに参加するんですか?」
嫌そうにシリルが訊ねる。すると、アーネストは呆れたように言った。
「お前ら。流行の最先端を行ってる名家のご令嬢、ご夫人方がどの店にドレスを依頼してるか、知ってるのか? 時代遅れだと、田舎者だと馬鹿にされないドレスのデザインは? 色は? 装飾品は何を揃えればいい?」
その質問に、エウフェミアはもちろん、シリルも答えられなかった。社交界から距離を置いていると言っていたので、それも当然のことかもしれない。
「この俺が紹介するんだ。垢ぬけない世間知らずを連れてきたなんて思われるわけにはいかねえ。俺に恥をかかせたくないなら、黙って俺の言うことを聞け」
アーネストは部下に命令をするように、高圧的に言い放った。その言葉にはシリルも反論はできなかった。
◆
今後の打合せが終わる頃には時刻は夕方近くになっていた。
「では、そろそろお暇しましょうか」
そう切り出したのはシリルだ。彼に続いて、トリスタンも立ち上がる。
(もう、そんな時間なのね)
これだけの大人数で過ごすのはかなり久しぶりのことだった。特にハーシェル商会の二人の存在は、寮にいた頃を思い出させてくれてとても楽しかった。
しかし、そんな時間が永遠に続くわけもない。
シリルはレイランド公爵邸に、アーネストたちはハーシェル商会に帰る。そして、エウフェミアはまた一人きりだ。
そのことがやっぱり悲しいけれど、そんな感情、おくびにも出してはいけない。
エウフェミアも三人を見送るため、立ち上がる。しかし、アーネストはソファに腰かけたままだ。立ち上がる素振りも見せない。
「若様? どうしました? 早く帰りますよ」
トリスタンが声をかける。アーネストは視線を前から動かさず、呟いた。
「――腹が減った」
そんなことを会長が言い出すのは珍しい。それは長い付き合いの会長補佐にとっても同様なのだろう。怪訝そうに言う。
「だから、帰りましょうって。タビサさんが今夜はオムレツだって言ってましたよ」
「……そういう気分じゃねえな」
そう答えてから、アーネストはこちらを見る。エウフェミアは首を傾げた。――そして。
「お前。なんか飯作れるか」
そう訊ねられ、エウフェミアは固まった。即座にトリスタンが窘めるように声をあげる。
「若様。もうエフィさんはうちの従業員じゃないんですから、そんなこと言って困らせちゃ駄目ッスよ。――というか、本当にどうしたんですか。若様がそんなこと言い出すなんて。煙草とお酒のやり過ぎで頭がおかしくなりましたか?」
「俺は至って正常だよ」
熱を測るためか、額に伸ばされたトリスタンの手をアーネストは払った。それから立ち上がろうとする。
「まあ、嫌なら無理とは言わねえよ。商会に戻って食う」
「――作ります!」
アーネストの言葉に被せて、エウフェミアは叫んだ。
勢い余って想像以上に大きな声が出てしまった。慌てて自分の口を押さえ、一度息を整えてから笑顔を作る。
「嫌じゃありません。準備にお時間をいただきますが、それでもよろしいですか?」
「ああ」
エウフェミアが了承したことで、アーネストはまたソファに座り直す。困惑した様子のトリスタンと、応接間を出る直前だったシリルにも声をかける。
「トリスタンさんの分もご用意しますね。――シリルさんも。よろしければ、ご一緒に召し上がりませんか?」
振り向くと、シリルはどこか衝撃を受けたような、信じられないというような顔をしていた。
「シリルさん?」
エウフェミアは首を傾げ、名を呼ぶ。ハッと我に返ったシリルは笑う。
「そうですね。ご厚意に甘えさせてもらいます」
その表情のぎこちなさが気にはなった。しかし、アーネストに「ついでに茶を淹れ直せ」と言われ、そのことを追及する余裕はなかった。




