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【本編完結】精霊術師になれなかった令嬢は、商人に拾われて真の力に目覚めます  作者: 彩賀侑季
四章 新たな精霊術師

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8 精霊の眼・オプタルモス


 『黄の塔』と呼ばれるキトゥリノ精霊爵の屋敷。そこで普段暮らしているのはニキアスとダフネ、そして母親のマリタの三人だそうだ。


「お母様はご在宅なのですか?」

「買い物に行ったわ。久しぶりにパパが帰ってきたからご馳走を作るんだって。すごく張り切ってたから、すぐには戻らないかも」

「……それは申し訳ないことをしました」


 エウフェミアがあのようにアレキウスに迫らなければ、彼は屋敷を飛び出すことはしなかっただろう。後悔の念が湧き上がる。


「パパが気まぐれなのはいつものことだから。突然いなくなってもママは気にしないわ。少し会えただけでも満足してると思う」


 肩を落とすエウフェミアに、なんとも複雑そうな表情でダフネが言う。


(……不思議なご家庭なのね)


 キトゥリノ家の事情について、深くは聞けていない。それでも、父親が家に帰って来ず、母親と子だけで暮らしているというのが、一般的ではないことは分かる。


 しかし、まだ幼い少女にそういった話は出来ない。そのため、エウフェミアは「そうなのですね」と相槌を打つ。食堂の椅子に座ろうとしたダフネが「あっ」と声をあげる。


「そうだわ。お客様にはお茶を出さないと」

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

「ちょっと待ってて」


 遠慮したものの、少女は聞き入れず、エウフェミア達が入ってきたのとは別の片開きの扉へと消えていく。心配になって、エウフェミアもそのあとを追う。


 構造から想像がついたが、扉の向こうは台所だった。


 ダフネは台を使って、戸棚から『紅茶・お客様用』と書かれた袋を出そうとしている。背の低い彼女には台を使っても高い位置だ。手を伸ばしてギリギリ届くか届かないの高さ。


 手を貸そうと一歩踏み出したそのとき、突然、ダフネが後ろに倒れた。


 それはウォルドロンで彼女とはじめて会ったときと同じシチュエーションだった。


 違うのは台から床への高さはそれほどないこと。そして、エウフェミアがギリギリ彼女の体を受け止められたことだ。少女の下敷きになる形で、床に尻もちをつく。


「お怪我はありませんか?」


 エウフェミアが声をかけると、ダフネはすくりと立ち上がる。次の瞬間、思いも寄らない行動に出る。


「もう、やめてよ!」


 悲鳴に近い叫びに、エウフェミアはびくりと身体を震わせる。ダフネは虚空に向かって声を荒げる。


「そんな風にいじわるしないで! 大人しくしてなさい!」


 明らかに、彼女は目に視えない誰かに怒っている。それが誰なのかは、彼女が左の眼(アリステラ)であることを考えれば、すぐに分かった。


 ポカンとダフネを見上げていると、彼女は我に返ったようにこちらを振り向く。そして、バツが悪そうに謝罪した。


「お、大きな声を出してごめんなさい」

「……いえ」


 エウフェミアも立ち上がり、裾を払う。周囲を見回してから、体を小さくするダフネに訊ねた。


「今のは、風の精霊ですか?」


 精霊の眼(オプタルモス)である彼女には精霊たちの姿が視えている。そして、風の大精霊(アネモス)の恩寵を受けた彼女に干渉してくるのは風の精霊だけだ。


「あの子たち、すぐにいじわるしてくるの」


 ダフネはうつむく。


「ママは『みんな、ダフネが好きなのよ』とか、兄さんは『一緒に遊んであげればいいのに』って言うけど――本当に迷惑してるの。あの子たち、私のことを舐めてるのよ。私がうまく祈りを伝えられないからって」


 エウフェミアは何も言えない。ダフネは自分が転んだときに一緒に床に落ちた茶葉の袋を持ち上げる。


「今お茶を淹れるわ。あなたたちは大人しくしてて」


 その言葉に風の精霊たちが従ったのかは分からない。だが、それ以降は特にトラブルは起きなかった。


 程なくしてエウフェミアたちは食堂のテーブルで向かい合う。ダフネの淹れた紅茶の香りに、気持ちが和らぐ。


「美味しいです」


 エウフェミアはティーカップを持ったまま、微笑む。


「紅茶を淹れるの、お上手なのですね」


 これは決して社交辞令ではない。お湯を沸かすのも、紅茶を淹れるのも。ダフネは年の割に手慣れた様子だった。


「ママの手伝いをよくしてるから」


 当たり前のようにいいながらも、その頬は少し赤くなる。


「ママはおっちょこちょいで。兄さんも、お茶を淹れるのも掃除をするのも、手順を覚えないで。いつもめちゃくちゃなの。……うちの家族はみんなそう。ノエも言っていたでしょ? キトゥリノ家の家風なのよ。みんなマイペースでやんなっちゃう」


 大きくため息をつくダフネを見て、エウフェミアはつい笑みがこぼれる。


「ダフネ様はしっかりしてらっしゃいますね」

「キトゥリノ家では変わり者なの。ウチではパパとか兄さんみたいなほうが普通なのよ。ああいう風なのが風の大精霊(アネモス)様や風の精霊にも好かれやすいのよ」


 エウフェミアはダフネと出会ったときのことを思い出す。


(もしかしたら、あのときも風の精霊にいたずらされてたのかしら)


 木に引っかかったリボン。木から落ちてしまったこと自体は事故のように思えたが――そう考えると、しっくりきてしまう。


 エウフェミアは微笑みを作る。


「自由奔放な方ばかりだと、お家の中が混乱してしまいます。ダフネ様のように周りをしっかり見れる方がいるからこそ、うまく回ってるのだと思いますよ。とても重要な役割ではないでしょうか?」

「……そうかしら」


 気持ちを伝えてみたものの、ダフネの反応は鈍い。彼女はしばらく手元のカップを見つめていたが、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、ウォルドロンでは私のせいで兄さんに別邸から追い出されてしまったのよね。ごめんなさい」


 エウフェミアは瞬きをする。


 最初、何の話か分からなかった。それから、空虚の根(アニパルクシア)の銷却の際、ニキアスに離れに行くよう要求されたことを思い出す。


「ええと、ダフネ様のせいというのは……」


 その質問にダフネは気まずそうに答えた。


「精霊術師がいると精霊たちが反応するのよ。ノエがいたら水の精霊たちが騒いで、私が眠れなくなるのを心配したのよ。風の精霊と違って水の精霊たちは静かだからそんな心配いらないのにね」


 ――そういうことだったのか。


 あのときのニキアスの要求は妹のためだった。疑問に思っていたことの理由が分かり、スッキリする。


「いいえ、気になさらないでください。離れでの生活も十分快適なものでしたよ。それに、ダフネ様は今私のために動いてくれているではありませんか。そのことに感謝しています。本当にありがとうございます」

「これでも、精霊の眼(オプタルモス)だもの。当然のことよ」


 ダフネは当たり前のように返す。


 もしかしたら、彼女がここまで協力してくれたのは兄の要求に対しての謝罪なのかとも思った。しかし、どうやらそうではないらしい。


「……その、ダフネ様。申し訳ないのですが、私は精霊の眼(オプタルモス)についてあまり詳しくないのです。精霊の眼(オプタルモス)だから当然というのは――」


 左の眼(アリステラ)である彼女にそのことを告げるのは、ひどく気まずかった。それでも勇気を出して伝えると、ダフネは気づいたように「ああ。そうよね。そうだったわ」と口に手を当てる。


精霊の眼(オプタルモス)には七家の監督という役割があるの」

「七家の監督?」

「そう。誓約があるから、それぞれの家は他の家のやり方に口出しができない。けれど、そのせいで過去に問題が起きたのですって」


 ダフネは頭に指を当て、思い出そうとしているようだった。


「ええと、大罪を犯してしまったの。三千年くらい前だったかしら。ポイニークーン家の当主が闇の精霊術を悪用したのよ。その結果、大変なことになってしまって。……七家がそれぞれ独立し続けることはそれはそれで危険だからって、精霊の眼(オプタルモス)には他の一族への口出しを許したの。それまでは空虚の根(アニパルクシア)の調査くらいしか役目がなくて、どちらかというと生命の精霊(プシュケー)様からの祝福のような意味合いが強かったらしいのだけどね」


 大罪を犯した。その言葉で、精霊庁の資料室で見た系譜のことを思い出す。


 過去に大罪を犯した者は、精霊貴族から追放され、系譜から抹消される。四千年の中でたった四人しかいないうちの一人はポイニークーン家の人間だったはずだ。おそらく、その人物のことを言っているのだろう。


 そして、気になったのはもう一つ。祝福という発言だ。そのことを訊ねてみる。


「その、精霊の眼(オプタルモス)生命の精霊(プシュケー)様からの祝福というのはどういうことでしょうか?」

「どういうこともなにも」


 ダフネは自身の左の目元に触れた。続く言葉にエウフェミアは言葉を失った。


これ(・・)生命の精霊(プシュケー)様の眼なのよ」


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