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【本編完結】精霊術師になれなかった令嬢は、商人に拾われて真の力に目覚めます  作者: 彩賀侑季
四章 新たな精霊術師

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3 雇用関係の解消


 エウフェミアがハーシェル商会に戻れたのは、ウォルドロンへ出発してから二週間後のことだった。


 シリルが空虚の根(アニパルクシア)銷却から戻ってくるまでに必要と伝えていた期間は余裕を持ったものだったのだろう。皇帝に謁見することも視野に入れていたのかもしれない。


 エウフェミアにとっては、息つく間もない二週間だった。しかし、帰ってきたハーシェル商会は出発前と何も変わらず、皆は予定通り返ってきたエウフェミアを出迎えてくれる。


「おかえりなさい、エフィさん」

「おかえりー!」


 寮の食堂にはタビサと数人の従業員たちの姿がある。


 エウフェミアは何も知らないタビサたちに、ただいまと返すことさえできなかった。暗い、ぎこちない表情を浮かべるエウフェミアに、タビサが心配そうに声をかける。


「どうしました?」

「…………いえ」


 努めて笑顔を作り、首を横に振る。そして、タビサに質問をする。どうしても、確認しておかないといけないことだ。


「今日、会長は事務所にいらっしゃいますか?」



  ◆



 タビサの言うとおり、アーネストは会長執務室にいた。多忙だろうに少し時間がほしいという頼みを、二つ返事で了承してくれた。


 エウフェミアはアーネストと応接用の机越しに向かい合う。トリスタンが気を利かせて、紅茶を用意してくれたが手をつける余裕はない。


(決めたこと、お話しないと)


 精霊術師となることの覚悟は決まっている。もう精霊庁にも話は通っている。エウフェミアの新しい住まいも、今シリルが用意してくれているところだ。


 だから、もう、引き返すことはできない。アーネストに伝えるのは「ハーシェル商会をやめたい」という意思表示だけでいい。


 それなのに、最初の言葉がどうしても出せない。ティーカップを見つめたまま、エウフェミアは黙り込む。会長の顔を見ることさえできない。


 長い沈黙を破ったのは、呆れたような溜め息だった。


 不快にさせてしまったかと、エウフェミアは体を震わせる。その直後、今度はキーンと高い金属音が響く。


 驚いて、エウフェミアは顔をあげる。見ると、アーネストがカップにスプーンを当てているところだった。金属音の正体は、それだった。


 スプーンを置いたアーネストが、こちらをまっすぐに見た。その顔からは怒りも、不機嫌さも感じない。落ち着き払った、真面目な表情でこちらを見ている。


「そんなに緊張しなくても用件は分かってる。レイランドの坊っちゃんから話は聞いた」


 その言葉を聞いて、体から一気に力が抜けた。


 考えてみれば、エウフェミアが皇宮にいる間、シリルは自由に動ける身だった。先にハーシェル商会に連絡を入れていてもおかしくない。


 アーネストは机に置かれた煙草の箱に手を伸ばす。煙草に火をつけ、一服する。


「まあ、何だ。大変だったみたいだな。頑張ったじゃないか」


 そんなふうに、雇用主はエウフェミアに労いの言葉をかけた。そんなのははじめてだった。


 水の大精霊(ネロ)を鎮めたときだって『お前の言葉だから届いた』とは言ってくれたが『頑張ったな』とは言われなかった。彼が誰かにそういう言葉をかけること自体、見たことがない。


 しかし、それを上辺だけのものだとは思わない。きっと、エウフェミアの苦労を理解して、口にしたものなのだろう。そう思うと、自然と涙がこぼれた。


 一度決壊したものを止めることは難しい。


 気づけば、エウフェミアは泣きじゃくっていた。どれだけ、涙を拭いても、次から次へと雫が溢れ出す。


 そのとき、目の前に乱暴に黒いハンカチが置かれる。アーネストのものだ。


「好きなだけ泣け。言いたいことがあるなら、聞いてやる。そんで、スッキリしろ」


 そして、エウフェミアは洗いざらい喋っていた。


 シリルとのこと。ノエに教わった精霊術師の常識。生命の精霊(プシュケー)のこと。家族のこと。


 本来は精霊術と無関係の彼には話してはいけないこと。そこまで話してしまっていた。


 ところどころつっかえ、涙声で聞き苦しかっただろう。それでも、アーネストは相槌を打ちながら、最後まで話を聞いてくれた。


「…………そうか。そういうことだったんだな」


 アーネストはそこまで呟いてから、黙り込んだ。エウフェミアは借りたハンカチで涙をぬぐい、改めて決意を伝える。


「だから、私、精霊術師になります。それで、八年前に本当は何があったのか。それを調べようと思います」


 その意思表明にアーネストは何も答えなかった。


 代わりに、執務机のほうから書類とペンを持ってくる。目の前に置かれたのは退職届と書かれた一枚の紙だった。


 雇用主は書類の空欄を示す。


「ここにサインしろ。それで、雇用契約は終わりだ」


 それば別離を示す代物だった。これに署名をすれば、もうエウフェミアはこの商会とは無関係な人間になる。


 淡々とした説明は続く。


「何か引継ぎがあれば、今日のうちにタビサに伝えろ。荷物もまとめて、いつでも出ていけるようにしておけ。新しい家に引っ越せるようになるまでの間は、あの部屋は自由に使ってもらっていい」


 彼の話は事務的なものだった。もう、エウフェミアの退職は決定事項で、必要なことを伝えているようだった。


 思わず、言葉が漏れた。


「…………よろしいのですか」

「人を雇う立場になるとな。突然誰かが辞めるなんてそんな珍しいことじゃねえよ。そういう奴を引き留めてもろくなことにならねえしな。俺は抜けた穴を補充するだけだよ」


 エウフェミアがハーシェル商会に来てから、誰か辞めた人間はいない。だから、それはエウフェミアが来る以前の経験なのだろう。


「以前、別の仕事をくださるとおっしゃってましたよね」

「状況ってのは変わるもんだろ」


 アーネストは何でもないことのように言った。


「勘違いするなよ。俺は取引相手との円滑なコミュニケーションのために、お前に料理を作らせようと思った。だが、お前の料理はあくまで手段だ。俺の目的は取引相手との信頼関係を築くこと。そのための手段なんていくらでもある。俺の仕事は手元にある札で、高い生産性があげられる方法を考えることだ。手札が変わったら、新しい手札で最善を考えりゃいい」


 エウフェミアは沈黙し、俯く。


(……私、会長に何て言ってほしかったんだろう)


 もともと、彼ならエウフェミアの選択に反対しないだろうと思っていた。引き留めることはしないだろうと。


 だが、名残惜しいと、自分がいなくなることを悲しんでくれるのではないかと、期待した。


(でも、そんなことはなかった)


 結局のところ、彼にとってエウフェミアは従業員に一人に過ぎない。替えのない存在ではないのだ。


 寮の管理人の仕事はタビサが引き継げる。そして、新しく与えられるはずだった取引相手に料理を振舞うという役割も、なければならないものではなかったのだ。


 アーネストは珍しく、笑う。


「他の奴らがお前がやめると聞いたら、大騒ぎするだろうな。きっと、送迎会でも開こうって言うんじゃねえか? しっかり、別れをすませとけよ」


 そして、その数日後――エウフェミアの新居が決まり、ハーシェル商会を出ていく日。寮の食堂で皆は盛大な送別会を開いてくれた。


 タビサが美味しいケーキを焼いてくれ、他の従業員たちは余興を見せてくれた。お酒が入ったゾーイは別れを泣いて悲しんでくれ、トリスタンは「応援してます」と激励を送ってくれた。アーネストは送別会には顔さえも出さなかった。


 彼を最後に見たのは、寮を出発するとき。エウフェミアが他の従業員たちと長い別れの挨拶を終わらせた頃にようやく姿を現した。


「達者でな」


 最後に彼が残したのは、その一言だけだった。


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