2 新しい『家』
「さすがに無茶が過ぎると思いますよ」
駅へ戻る馬車の中で、シリルは苦言を呈してきた。
その指摘に心当たりしかないエウフェミアは笑顔を作る。
最近は作り笑いにも慣れてきた。しかし、一ヶ月行動を共にしてきた世話役には通用しない。じろりと睨まれる。
「あなたが精霊術師として活動するようになってまだ一月です。まだ一月ですが、合計何件依頼を受けたか覚えてますか?」
どの依頼も大切なものだ。一つ一つ覚えている。しかし、答える勇気がない。
エウフェミアが答えないことも気に触ったのだろうか。シリルは一変して、笑みを浮かべる。
「何件ですか? 答えてください」
「…………十件です」
表情に反して、どこまでも冷たい声音にエウフェミアもそれ以上は抗えなかった。
苦々しい表情を浮かべながら、シリルはこめかみに手を添える。
「私、言いましたよね? 精霊術師が一般的に引き受ける依頼の数は一ヶ月に一つか、二つ。今回のように近い場所二つなら連続して仕事をこなすことはありますが、しっかり休みは挟みます。そのうえ、更に依頼を回してほしいって――馬鹿なんじゃないですか?」
この一月で、どんどんシリルの物言いはキツイものに変わってきた。それはその分気を許してくれている証拠かもしれないし、それだけ彼を呆れさせてしまっているためかもしれない。
「まったく、付き合うこっちの身にもなってくださいよ。あなたに休みがないということは私も働き詰めということですよ」
「あの。ですので、以前もお伝えしたとおり、私のことは気にせず、シリルさんはお休みを取ってください」
シリルはわざとらしいくらい大きく息を吐いた。
「私の今の仕事は万象の精霊術師エウフェミア・フロマの世話役です。あなたに関心が抱く官吏はとても多い。私が休みを謳歌している間に、代理であなたの世話役になった者に立場を奪われるのは御免ですよ」
彼が口にした万象の精霊術師という言葉に、エウフェミアは表情を引きつらせる。そして、肩を落とす。
「…………その肩書き、どうにかならないのでしょうか」
「生命の精霊術師のほうがいいですか?」
その問いにエウフェミアは必死に首を横に振る。
万象以上に、世界の創造主たる生命の精霊の名前を借りるほうが恐れ多い。例え、そうではないかと言われているとしてもだ。
シリルは自分で聞いておきながら、「そうですね」と頷く。
「エフィさんが本当に生命の精霊の恩寵を受けているとしても、現段階ではその名を借りることははばかれるでしょう。今のところはこれで我慢してください。それに」
彼は一呼吸置く。
「あなたは皇帝陛下の前で七属性の精霊術を扱えることを証明してみせた。相応しい呼び名ではありませんか?」
その指摘に、エウフェミアは何も言えなかった。
◆
ウォルドロンでの空虚の根償却後。エウフェミアが水と風の精霊術を使ったことは、精霊庁にあっという間に広まった。
水の大精霊を鎮めたときと違い、今回は証人もいる。特に第三者であるキトゥリノ精霊爵が証言したというのは大きかった。
その後、帝都に戻ったエウフェミアはハーシェル商会への帰宅を許されず、再び皇宮に滞在することとなった。日中のほとんどの時間はジェシーが相手をしてくれ、シリルも時折顔を出してくれた。そして、そんなことが三日ほど続いてから、エウフェミアは皇帝への謁見が許された。
あれは対面した、と言っていいのかは悩ましい。数百人は入れそうな円形の部屋。外側にずらりと席が並べられ、その中央が舞台のように一段高くなっている。そして、二階ほどの高さの場所に皇帝の王座があり、彼は舞台にあがったエウフェミアを見下ろしていた。
『精霊術を使ってみせよ』
皇帝の命で、エウフェミアは水、風、火、土、草、光、闇、すべての精霊術を行使した。
もちろん、大規模なことはできない。官吏が持ってきたコップから水を浮かせたり、紙を高く浮かせ、部屋を何周も飛び回らせたり。その程度のことだ。
しかし、精霊術師は本来一つの属性の精霊にしか命令を出せない。全属性の精霊術を操ったことは、エウフェミアが普通ではない証明となった。
その後、エウフェミアは特例として七家以外の精霊術師として認められた。精霊庁から依頼を受け、仕事をすることを許された。貴族用居住区域にある屋敷を買い、使用人を雇い、そこで暮らすことになった。
本来、望んだはずのことだった。八年前の精霊会議に参加していた七家の人間と接触する。そのためには精霊術師としての身分は必須。だが、精霊術師として働けばすぐにその目的が叶えられるわけではない。ほとんどの仕事は単独で行うものだ。
それでも、少しだけ期待があった。
エウフェミアのことは既に七家には伝わっているはずだ。ならば、何かしら向こうからアクションをしてきてくれないか。あるいは皇帝あたりが何か言ってくるのではないか、と。
しかし、どれだけ待っても、エウフェミアの屋敷を訪れる者はいない。不在の間に来客があれば、執事のセバスチャンが連絡してくれることになっているが、そうしたこともない。相変わらず、手がかりは掴めないままだ。打開策もなく、こうして依頼のために帝都を駆け回るだけの日々だ。
改めて、シリルは問う。
「どうしてこうも、依頼を受けるのですか?」
「……皆さんを助けられるからです」
エウフェミアは理由の一つを答える。
精霊術師が精霊に呼びかけなければ、各地で起きる異常気象や災害は人々を苦しめ続ける。早く彼らの不安を取り除けるなら、多少の無理はしてもいいと思っている。
その答えを聞いて、シリルは疑うような目を向けてきた。エウフェミアは苦笑を返し、別の言い訳を口にする。
「それに、たくさん依頼を受ければ、その分七家の方と接触する機会になりますでしょう? 精霊庁や皇宮の方々に、働きぶりを示すのはシリルさんにとってもいいことではありませんか? 私の体を心配してくださってるのであれば、ご安心ください。体力には自信がありますし、あれこれ働いているほうが性分に合っています」
世話役の官吏はまだまだ懐疑的な様子ではあったが、それ以上は何も言わずにいてくれた。そのことに内心安堵する。
駅に到着した二人は鉄道で帝都に戻る。シリルが送り届けてくれたのはエウフェミアの新しい住居だ。馬車を降りたエウフェミアに、シリルは次の予定を告げる。
「では、次は一週間後に参ります」
それは言外に休めということなのだろう。それを理解し、エウフェミアは抗議しようとする。
「あの。本当に休みは」
「精霊術師の仕事をすべてあなたに回すわけにはいかないんですよ。他の精霊貴族の方々との調整もあります。これから一週間、エフィさんへの依頼はありません。だから、四の五の言わず、休息してください」
「…………分かりました」
精霊庁や七家側の都合は無視できない。エウフェミアは別れの挨拶をし、シリルの乗った馬車を見送る。出迎えてくれた老執事が荷物を預かってくれ、扉を開けてくれる。
扉を開けた先は広い玄関ホールだ。もともと、どこかの伯爵家が使っていたという屋敷は四、五人は住めそうな部屋数と広さがある。
そこでは年配の女性が「おかえりなさいませ」と出迎えてくる。メイドとして雇ったクラリッサだ。
彼女はにこやかに微笑む。
「お嬢様。お夕食はいかがなさいますか?」
「……お腹が減っていないので大丈夫です。今日はもう休みますね」
そう告げて、エウフェミアは階段を上る。自室に入りと、そのままベッドに倒れこんだ。
広い屋敷。上等なベッド。屋敷の一切は使用人たちがやってくれる。
それはシリルの提案を最初に断ったときに提示されたものだ。結果的に、あのとき要らないと断ったものをエウフェミアは手に入れた。
(…………でも、やっぱり)
最初にこの屋敷に案内されたとき、まるで嬉しくなかった。自分の家のはずなのに、他人の家にいるような気分だ。
まるで落ち着かない。それは一ヶ月経った今でも変わらない。――いや、エウフェミアはこの一ヶ月で屋敷で過ごした時間は本当に僅かだ。それでは慣れないのも当たり前だ。
だが、それでも、この屋敷にいるのが嫌で、エウフェミアはシリルが止めるのも聞かず、依頼を受け続けていた。
――ここは自分の家じゃない。家に帰りたい。
そう思っても、もう、エウフェミアにはここ以外帰る場所がない。
ハーシェル商会との雇用関係はもう解消された。商会の寮のあの部屋はもう自分の部屋ではないのだ。




