1 灰白色のマント
帝国の南部に、ラトリッジという村がある。
この一帯では毎年、ある時期に嵐が発生しやすい。ラトリッジでは農業が盛んだ。嵐を放っておけば、農地に甚大なダメージを与えかねない。
そのため、毎年、その時期には精霊術師がやってくる。精霊たちが暴れ、暴風と大雨を生み出す前に彼らを鎮めるのだ。
下層階級の人々にとって貴族である精霊術師は遠い存在だ。しかし、この恒例行事のおかげで、ラトリッジの農民たちは精霊術師の姿を拝むことができた。
例年やってくる精霊術師は二人だ。一人目がやってきて、帰った後にもう一人がやってくる。
しかし、その年は違った。
◆
「精霊術師様が来た」という話を聞いて、少年は家を飛び出した。同じように一目精霊術師の姿を見ようという人々が村の入口を目指している。
入口近くには既に多くの野次馬たちの姿があった。
少年は大人たちの体の隙間を縫って、前へと進む。その先には黒い制服を身にまとった警備が立ち並び、村人たちが要人に近づかないように目を光らせていた。
少年は遠くに見える馬車を見つめる。この辺りでは国の役人しか乗れない黒塗りの立派なものだ。
そこから若い茶髪の官吏が下りてくる。そのあとに続いて現れたのは見覚えのある意匠のマントを身にまとった人物だ。
(――あれ?)
しかし、少年は疑問を覚える。
精霊術師は皆、同じ意匠のマントを着ている。そして、マントの色でその精霊術師がどの属性の精霊術師かが判断できる。去年、村にやってきた精霊術師は一人が青いマントを、もう一人が黄色のマントを身に着けていた。
だが、その人物のマントの色は――灰色。正確に言えば、白に近い薄い灰色だ。のちに、少年は同じように野次馬をしていた老母から灰白という色だと教えてもらう。
(色が違う)
黄色の「風」でも、青の「水」でもない。ならば、あの色はいったい何を示すのだろうか。
灰白色のマントの人物はフードを目深に被り、その人相は見えない。ただ、隣にいる男性の官吏と比較して小さく、細いシルエットは女性のように思えた。
彼女――もしかしたら、彼かもしれないけれど――は官吏に連れられて、集会所へと向かう。例年、やってきた精霊術師はあの建物で生活をする。
集会所に入る直前。灰白色の精霊術師がこちらを振り返った。その一瞬、フードに隠れていた顔が見える。
それは若い少女だった。まだ幼い少年よりは随分と年上だが、大人ほどは歳をとっていない。影で分かりにくいが髪の色は白か、銀。とても美しい娘だった。
人ごみに視線を向けた彼女と、視線が合ったような気がした。彼女はニコリと笑みを浮かべ、軽く会釈をする。そして、扉の向こうに消えて行った。
◆
ラトリッジ村を訪れたエウフェミアは、集会所でやるべきことを聞く。シリルは地図を指し示しながら、説明を行う。
「例年、村の北にある丘から精霊たちを鎮めます。これは水の精霊術師でも、風の精霊術師でも同様です。エウフェミア様も、そこで精霊を鎮めていただくようお願いいたします」
「分かりました。丘までの行き方をご存じなのはどなたでしょうか?」
「あ、はい! 僕です」
エウフェミアの質問に答えたのは、若い青年だ。見覚えのない彼はきっと、この辺りを担当しているものなのだろう。
「では、早速で申し訳ないのですが、ご案内いただけますか?」
そう切り出すと、明らかに青年は戸惑った様子だ。
「ですが、エウフェミア様はまだ到着したばかりですよね……? ほとんど休憩もなく、ラトリッジ村までいらっしゃったじゃないですか。心と体を休めるお時間は必要ではありませんか?」
精霊術師にとっても、精霊術を使うというのは簡単なことではない。精神状態が安定していることは重要な要素の一つだ。
彼の言うとおり、エウフェミアは帝都からラトリッジまで休憩なくやって来た。鉄道を使って近くの駅まで移動し、そのまま馬車に乗り込んだ。
通常ならここで半日休み、明日万全な体調で依頼をこなすのだろう。少なくとも、過去、この仕事を担当してきた精霊術師はそうであったと聞く。
しかし、エウフェミアは笑顔を作る。
「大丈夫です。精霊術の行使に支障はありません。それより――一刻も早く、精霊たちを鎮めて、ラトリッジの皆さんに安心を届けたいのです」
青年は不安そうな視線をシリルに向ける。すっかり、エウフェミアの性格に慣れた世話役は首を横に振ってみせる。
「エウフェミア様のご要望どおりに。――さあ、案内してくれ」
◆
そうして案内された丘から村を一望する。
村のほとんどが農地だ。まだ青い麦の畑が広がり、小さな家がところどころ点在しているのが見える。
エウフェミアは他の者たちより数歩前に出る。
周囲に障害物はなく、風が吹きすさぶ。風の精霊が暴れている。そのことがよく分かった。
(――集中しよう)
目を閉じ、両手を前に広げる。
この一月で複数の属性の精霊術を扱うことに大分慣れてきた。それでも、油断をしてはいけない。
心の中で祈る。
(水の精霊よ。風の精霊よ。どうか、落ち着いて。この地で嵐が起こしてはだめ。どうか、鎮まって)
ノエに教わった精霊を感じる訓練を行っているが、エウフェミアは未だに精霊の存在を感じ取ることは苦手だ。祈りが精霊たちに届いたか不安になることもある。
しかし、今回は安心できた。祈りを終えてすぐ、風が凪いだからだ。そして、すぐに優しいそよ風が吹き出す。
(うん。水の精霊も落ち着いてる)
七つの属性の中で、まだ水の精霊は存在が感じやすい。彼らも鎮まったことを確認し、エウフェミアはシリルたちを振り返る。
「終わりました。――では、サイムズに向かいましょうか」
その言葉に狼狽したのは案内役の官吏だった。
「もう、ですか!?」
サイムズというのはここより南の地域だ。そちらでは土砂崩れが起きており、その対処をする必要がある。エウフェミアが次にその仕事をすることは彼も知ってはいたが、まさかもう出発するとは思っていなかったようだ。
エウフェミアは笑う。
「土砂崩れの影響で道が塞がってしまっているのです。そのままでは困る方がたくさんいらっしゃいますから」
呆れたようにため息を吐いたのはシリルだ。
「明日まではサイムズにいる。何かあったら馬で知らせろ。それ以降は通常どおり、報告を上げてくれ。――さあ、戻りましょう」
シリルはそう言うと、先ほど来た道を戻り始める。エウフェミアもその後に続いた。
案内役の官吏も、ラトリッジ村の住人も、嵐のように去っていく灰白色のマントの精霊術師を見送ることしかできなかった。




